橘 蜜華



今年大学を出て新卒1年目。


就職に失敗し、卒業証書と共に得た教員免許を伝手に慌てて教員を目指した。


いくら人手不足の学校市場といえど初めから教員を志していた訳でも無い。加えて名の通った大学の工学部を出たにも関わらず就職に失敗するなどという腑抜けた私の採用は遅れに遅れた。


結局新入生と共に、とすらいかずに新入生より後にこの私立高校に赴任する始末だ。


とはいえ教員に全く興味がなければただでさえ忙しい理系大学生が教員免許取得の単位を取ろうとは思わない。


なぜかと問われれば咄嗟に思い出すことは出来ない。その程度の理由だったのかもしれないし私の記憶力が頼りないだけかもしれない。


そんな事を思いながら電車に揺られ2時間。


この学校に来るのは今日で初めてである。


実を言えば教授の斡旋でこの高校への就職が決まった。さっぱりこの学校について知っているわけではないし来たこともないというわけである。


知っていることは私の居た研究所の教授の出身校というそれだけ。


学校に着いて校長との挨拶を済ませると早速教員室の席へ案内された。


隣を見ると優しそうな女の.....


「あら、もしかして貴女が新任の?」


「あ、えっと、そっそうです橘っていいま


「悪いけどこれ、よろしく」


「えっと....」


「押し付けられてて困ってたのよ。」


そう言って渡されたのは


「、?」


「今日の挨拶会の司会の原稿。そろそろ始まるからホール行きな。」


そう言った隣の優しそう、否、とんでもなく無責任で非情な女教師は名乗りもせずに私の肩を叩いて去っていく。


今しがたここに来た私に助けを求められる人などいるはずもなかった。


不幸だ。


ホールに行けと言っていたか、


ホール、とはどこですか。


周りの教員に話しかける勇気は、ない。のそのそと部屋を出る。


「そもそも挨拶会って何よ…」


原稿に目をやると表には『全新入生挨拶会』の文字


ページをめくって中を覗く。


”この挨拶会では新入生と教職員がこの桜峰堂に一堂に会し、それぞれ舞台上で自己紹介をして頂く会”


そう原稿の序盤に書かれている。


なんじゃこりゃ?私が学生時代にはこんなことをやった記憶はない。


時代の流れというものか。なんて思ってみるが私はまだ22歳だ。


社会人になって新たな環境に身を置き、これから始まるであろう忙しない生活に身構えているとはいえである。


まさか初日の出社数分後に名前も知らない先輩に自分が押し付けられた仕事を押し付けられるとは思わない。


これが社会の厳しさというものなのであろうか。こういう厳しさとは思っていなかったが今はそう思ってやり過ごすしかない。


廊下に出ると制服を着た生徒達がぞろぞろと歩いているのが目に入る。


小走りで近づき列の先を見やると大きく両開きになったホールとやらの入り口らしきドアが見える。


生徒の様子を見るとパリッとアイロンのかかった制服とまだ幼く飾らない顔立ち。いかにも新入生といった具合だ。


申し訳なさそうに背を丸めながら横をすり抜け入り口をくぐると思っていたよりもずっと立派なホールに驚く。


それもどこか見覚えがある。うーん、記憶力に自信は無いので考えるのはここまでにしておく。


舞台を見ると演台が2つ。


きっとあの端の演台で司会をするのだろう。


誰になんの確認をするわけでもなく小走りで前へ走り舞台へ登る。


理不尽に仕事を押し付けられ不服に思う気持ちはあるが特に動揺したり緊張したりといったことはない。


大学時代には教授について回って論文の発表だっていくつもしたし中学生の時には生徒会長なんてものもやってみたり。


大勢の前に立つ分には人並みより得意、ではないが慣れていると思っている。


原稿さえあればなんとかなるだろう。


前を見ると生徒がぞろぞろと席についているがまだ数は少ない。原稿に軽く目を通すくらいの時間はあるだろうか。


「あなたが司会の先生かな?見ない顔だけど」


後ろから声をかけられる。


橘 「あっ、えっと、今日から赴任した橘 蜜華(タチバナ ミケ)って言います。」


「あらあなたが。まさか初日から司会を頼まれているとは思わなかったわ。失礼しちゃったわね。」


橘 「い、いえそんな。」


私も初日から司会を頼まれるとは思っていなかったと訴えたかったが押し殺す。


日向「私は日向 誠來(ヒナタ マコ)。今年から一年生の主任なの。よろしくお願いね。」


橘 「よ、よろしくお願いします。」


日向「もう開始時間だから、大変だと思うけど頑張ってね。」


橘 「え、生徒がまだ揃っていなさそうに見えるんですが」


日向「こんなもんよ?毎年。100人弱くらい。」


ホールはだんだんと静まり照明が暗くなる。


橘 「 なるほど。」


ぶっつけ本番というやつである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る