最終章 第1話 工場で始める愉快な生活

「ふぅ……」更衣室から夜恵が伸びをしながら出てきた。本日の作業は終了し、着替え終えた夜恵は呆けた表情をしていた。「ん~?」


 すると、隣の更衣室の扉が開き、そこから出てきたワンコが夜恵に飛び込んだ。

「夜恵ちゃん今帰り?」

「うん、ワンちゃんも?」

 夜恵はワンコの返事を聞き、2人連れ立って食堂へと出る。


 いつの間にか修繕されている食堂には志稲、乙愛、兎、金剛がおり、書類を広げながら談笑していた。


「あら夜恵ちゃんにワンコ、お疲れ」

「お疲れ、様」


「……どうしてワンコが女性用更衣室部屋から出てくるんですかぃ?」

「仕方がないだろう。ワンコはあんな形をしているからな」ワンコの見た目では、もし上半身裸でワンコがおっさんたちに更衣室で囲まれていたら、児童ポルノ法に引っかかってしまうのではないかと思うほど、ヤバい絵面になるのは間違いないだろう。「そもそも、2年前も別室だったぞ?」


「知らなかったですぜぃ」

 夜恵とワンコはみんなの話を聞きながら、近くの椅子に腰を掛ける。


「まだ帰らないんですか?」

「ん? ああ、あっしは別に給料も発生しないから残っている必要はないんですが……」睨んでいる乙愛から視線を逸らす兎。「あっしは何も壊してないですぜぃ。あの時物を壊してたのはワンコのところの眼鏡とブタと、うちのカバと若だけですぜぃ」


「うっさいわね、あんた中心にいたんでしょ? あたしだって書きたくてこんなの書いているわけじゃないのよ」


 どうやら始末書らしい。志稲と兎はエアコン工場の、乙愛と金剛は本社の――と、いうことらしい。


 すると、椅子に座っている兎の膝にワンコが乗り、申し訳なさそうに、兎と乙愛を見る。


「ウチも手伝うです。そもそも、兄様と志稲ちゃんはただの生徒防衛線だし……」


 学校間で戦争でも起こす気なのだろうか?


「正当防衛ですぜぃ」

「……まぁ、本社からあたしと金剛、それと兎と志稲に書けって命令されただけだから、良いのよ別に」


「う~……」

「ほらワンちゃん、邪魔すると悪いからこっちおいで」

 夜恵はワンコを手招くと膝に乗せる。


「……親父、若、あれが女性らしい癒しですぜぃ」ワンコを撫で、戯れる夜恵を兎は指差し、志稲と乙愛に足りない物はあれだ。と、言う。「あっしにも優しくしてくれる嬢ちゃんのように、他人に優しくなるべきですぜぃ」

「夜恵ちゃんがあんたに優しくするんなら、あたしは優しくしなくて良いわよね?」

「……そういうところだって言ってるんですぜぃ」


 夜恵はワンコを抱っこし、全員の周りを歩き出す。

「ワンちゃん軽いよね? 30いってないくらい?」ワンコが頷き、羨ましがる夜恵だが、志稲と乙愛は相変わらず夜恵の胸ばかり見ていた。「あ、そうだ。工場長ちゃんに聞きたいことがあったんだった」


「あら、何かしら?」

「残業――」ついに聞いてしまった。

 すると、乙愛はすぐに折り畳み式の携帯電話を開き、操作し始めた。そして、操作を終えた乙愛は携帯電話を夜恵に手渡す。「さ、見てみなさい」


「へ――」携帯を受け取った夜恵はそのページ――五星エアコン工場の募集要項を見る。「あれぇ?」


 そこに書かれている内容――『土曜日は基本的に休みですが、夏前の4月から8月はエアコンの需要が増えるため、休日出勤もしていただく可能性があります。残業に関してなのですが、週に2回残業をしない日を決めてあり、時間に関しては極めて明確になっており、作業員の生活を守るように努めております。作業内容は簡単ですが、一部の作業では細かいことを指示するかもしれません。しかし、先輩作業員が優しく教えてくれます。みなさま、是非この工場でともに働き、世界中にエアコンを届けるためのお仕事をしてみませんか?』


 これは労働局に駆け込むべき事案ではなかろうか?


「夜恵ちゃん良いかしら? 最初からこうだったのよ? だから、何も気にせず残業を――って痛い!」乙愛の脳天に金剛が手刀を放った。「何よぉ、ぶつことないじゃないの」


「……美月さん、美月さんは無理に残業に出る必要はないぞ? もし、しんどかったり、体調が優れなかったりしたらすぐに言ってくれ」

「え? 良いんですかい!」

「お前に言ってはいない」


 相も変わらず、夜恵に対しては甘い金剛の対応――それは乙愛も同じであり、どこか申し訳なさそうに夜恵に手を伸ばす乙愛。


「あ~……本当はね、ここに入ってくれた時も、強引かな。って思っていたわけよ。夜恵ちゃんが入ってから4日間、ぶっちゃけ大変だったでしょう?」それは作業のことではなく、イレギュラーが多々起きたことに対する問いだろう。「まさか、こんなに色々なことが起きるとはあたしも思っていなかったもの。勇雄の言う通り、キツかったらちゃんと言うのよ?」


「………………」夜恵は呆けた表情で乙愛を見ている。その際、ワンコが夜恵の頬と胸をプニプニ突いているが、そのことについて反応し、ガン見しているのは兎だけである。「強引って自覚があったんですねぇ」


「どういう意味かしらぁ?」ワンコと同じように乙愛も夜恵の胸をつつく。

「ひゃぅっ――あ、え~っと……」夜恵は苦笑いを浮かべると、首を横に振る。「そんなに無理はしてないですよ。それに、最初に班長さんが言ってた通り、この4日間、本当に楽しかったですし、この工場に来られて良かった。って、思えてますよ。まだ作業してないですけど、もっと頑張ろう。って――」


「………………」乙愛はどこか呆れたような、しかし、頬を緩ませながら、椅子の上に立ち、夜恵を抱き寄せ撫でる。「あ~、夜恵ちゃん本当に良い子だわ。もうワンコと一緒にこの工場のマスコットになって、働かなくて良いくらいよ」


「え? いやそれは――」夜恵が照れる。「そ、それに、小学生の工場長ちゃんだって、本当は5時までに帰らなくちゃなのに、残業してるし、私も頑張らなきゃって――」


「わぅ? 工場長、妖怪だから年取らないんじゃないの?」

「もうワンちゃん、妖怪なんてこの世界にいないよぉ」

「わぅ~、そうなんだぁ。工場長、偉いんだねぇ」


 キラキラと輝く瞳×4を向けられた乙愛は、脂汗を額に掻きながら視線を逸らすことしか出来なかった。


「……妖怪嘘つきならいるんですぜぃ」

「おい、美月さんとワンコを直視したらどうですか? 小学生の工場長」

「夜恵……良い、子」


 志稲、兎、金剛の笑い声が食堂に響いた。

 夜恵とワンコはどうして3人が笑っているのかがわからないようだったが、それでも釣られて笑みを浮かべ、その後も話に華を咲かせる。


 作業環境は、確かに恵まれていないが、いつでも笑顔や驚きに包まれている五星エアコン工場――給料も良く、慣れればやりがいのある仕事である。

 小さな子どものような工場長に、大きな鬼のような班長、顔は怖いが優秀なラインリーダーに、面倒見の良いお兄さん的作業員、楽しませようとする放送やどこか抜けているマスコット的犬などなど――。


 そんな風変わりな面々が揃っているが、笑顔が絶えない職場――みなさまも、是非ここで働いてみないだろうか?

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工場世界の物理で語れ! 筆々 @koropenn

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