・エピローグ

最終話「エピローグ」

 王都おうとへと戻ったオフューカス分遣隊ぶんけんたいに、いつもの日常が戻ってきた。

 そして、それは多忙たぼうを極める激務の中にあった。

 今、ラルスは改めて実感している。騎士団の正騎士たるもの、剣を振るって民を守るだけが務めではない。常に万事に備えて、時には雑務をこなすことも必要なのだ。

 だから、タウラス支隊から持ち込まれた書類の山を前に、机に向かう。

 今日も今日とて、オフューカス分遣隊は忙殺ぼうさつされていた。

 イキイキとしているのはカルカだけである。


「さあ、お仕事ですっ! 情けは人のためならず、ですわ。こうしてタウラス支隊の業務報告を、たっくさんいただけましたし!」

「……尻拭しりぬぐい、ですよね。これ……うーん、テンションがアガらない」

「なにを言ってるんですか、ラルス君。ちゃんと私が勤怠きんたいを管理してあげますわ。定時あがりだと報告しておきますから。今夜はわたくしと徹夜で頑張りましょう!」


 満面の笑みで、カルカは例の小瓶こびんを胸元から取り出す。魔女の霊薬れいやくとか、呪いの毒薬とか、そういうのが入ってそうなそれを開封して、それを一気に飲み干した。

 ぶるりと震えたカルカは、一種恍惚こうこつの笑みにも見える表情で机に向かい出す。

 その向かいにいるはずのバルクは、先程から姿が見当たらない。

 昼休みもまだの時間なのに、どうやら敵前逃亡のようだ。


「はぁ……こんなことなら、俺も残ってゴブリンとりでの解体作業に参加すればよかった」


 ぼやいても始まらないので、ラルスは渋々ペンを手に書類を精査してゆく。

 怪我人を多数出したが、タウラス支隊は全滅をまぬがれた。それは、ラルスたちオフューカス分遣隊の活躍があったからだ。それも、一人で全てを背負おうとした隊長によってもたらされたものである。

 ちらりとラルスは、奥の机を見やる。

 今日も天使像のように可憐な表情を引き締めて、リンナはペンを踊らせていた。

 次々と書類の文字を目で追い、チェックして、決済のサインをしたためてゆく。

 事務的な動作の反復さえ、魔法仕掛まほうじかけの女神細工めがみざいくのように美しい。

 そうしていると、ふとリンナが顔を上げた。

 あまり見詰めすぎたから、視線に気付いたのだろう。

 楚々そそとしたすずやかな声で、彼女は不思議そうに小首を傾げる。


「どうかしましたか? 少年」

「あ、いえ! なんでも、ないです」

「そうですか。では、これを」


 椅子から立ったリンナは、腕を伸ばして書類を渡してくる。

 それは、先程ラルスがチェックを追えて提出したものだ。


「こちらの計算が間違っています。訂正ていせいしておいてください」

「は、はい」

「……王都に戻ってきてから、少し気がゆるんでるみたいですね? しゃんとしてください、少年。こうした業務の方が、我々オフューカス分遣隊には多いのですから」

「す、すみません! ……でも、隊長も、ですよね」

「え、ええ……ま、まあ。ん、でも、私も気を引き締めてかかりますので! 少年も、いいですね? 決して緩まぬように」


 顔を赤らめ、リンナは目をそらした。

 ラルスが口にしたのは、二人だけの秘密……姉と弟でいられた今朝の出来事だ。とうとうリンナは、久々にベッドで眠って気が抜けたのか、今朝は寝ぼけて下着すらつけていなかったのだ。それで朝から、ラルスは一人で大騒ぎする羽目はめになったのである。

 そのことを思い出したのか、リンナは咳払せきばらいをして机に戻る。


「と、とにかく。少年、今日中にこの仕事を片付けてしまいましょう。タウラス支隊にも貸しが作れましたし、砦の完全な破壊と撤去もお願いできました。こちらも書類仕事を片付けてあげたいですし」

「例のドラゴンは――」

「確定情報ではありませんが、巣を移すみたいですね。北の空に飛び去ったきりだと、モルタな村の方達が口々に」


 ラルスたちはギリギリの戦いの中、英雄になりそこねた。

 竜殺りゅうごろしとなれば、それは伝説や神話に出てくる勇者と同義である。そして、それを現実で成し遂げた人間を、正確な歴史は伝えていない。民話や伝承にのみ、その名を残すだけである。

 ラルスは今思い出しても、ドラゴンの恐ろしさに身震みぶるいが込み上げた。

 それに比べれば、書類の山などなにするものぞ、である。

 戻された書類を手に、ラルスが机に戻ったその時だった。

 向かいの机では、仲睦なかむつまじく二人の少女が仕事をこなしている。

 一人はヨアンで、もう一人は――


「よっし! オラ、全部の書類が終わっただ! 他にスタンプが必要な書類、ないだか?」

「ヌイ、上手。わたしより、上手い」

「任してけろ、細々とした仕事も得意だでよ」

「次、ヌイに……わたし、字、教える」

「ほえ? ヨアンさは字が書けるだか!? あんれ、すげえなや」

「魚と、鳥と、他にも色々。あと、自分の名前、書ける」


 そこには、満面の笑顔のヌイがいた。

 彼女は結局、再び王都へとやってきた。なかば押しかけるようにして、ラルス達の帰りの馬車に同乗してきたのだ。今は、リンナのはからいでゾディアック黒騎士団の事務方じむがたとしてやとわれている。

 時間単位で雇われる、アルバイトと呼ばれる雇用形態らしい。

 それでもヌイは、雑用からなにから積極的に働いていた。

 彼女にできることはそう多くはないが、これから増やしていけばいいのだ。そして、心なしか彼女を職場の後輩と見ていて、ヨアンはずっと朝から上機嫌だった。

 微笑ほほえましいなと思っていると、本営の敷地内にラッパの音が鳴り響く。

 どうやら昼食の時間、昼休みのようだ。

 隣ではまだカルカが猛烈な勢いで書類と格闘していたが、ラルスは立ち上がる。

 それは、しょにバルクが戻ってくるのと同時だった。


「よぉ、お疲れさん! 昼だな? めしに行こうぜ、ボウズ。カルカもやめやめ、やめちまえ。みんなで今は昼飯だ。そうでしょう? 隊長ぉ!」


 今までどこで油を売ってたのか、バルクはやたらと元気がいい。

 そのことを問いただそうとした瞬間だった。

 バルクの長身のその後ろから、血相を変えた騎士が顔を出す。彼は道を譲ったバルクの横を、転がるようにして室内に入ってきた。


「でっ、伝令でんれい! オフューカス分遣隊、出動願います! バルゴ支隊より救援要請!」


 次の瞬間、詰め所の空気が緊張感で張り詰める。

 すぐに立ち上がったリンナは、落ち着いた声で静かに応えた。


「了解しました、これよりオフューカス分遣隊はバルゴ支隊の支援に出動します。たしか、郊外こうがいの古い廃坑調査はいこうちょうさに出ていたはずですが……カルカさん」

「すぐに確認しますわ。足も用意しましょう……急ぎですと、馬がよろしいかと」


 カルカはすぐに、眼鏡を上下させながら部屋を出ていった。いつもの笑顔だが、やはり目元は笑っていない。どこかつかみどころのない女性だが、信頼できる仲間であることは疑いようがなかった。また、ラルスには疑う理由がない。

 団畜と揶揄やゆされるカルカは、オフューカス分遣隊の中にあって別の指揮系統を持っているようだ。

 だが、カルカは文武両道の優れた騎士で、仲間のために、なにより騎士団のために働いている。そして、リンナやラルスたちを騎士団のためになる人間だと思ってくれていた。

 そうこうしてる間にも、リンナはマントを羽織って矢継ぎ早に指示を飛ばす。


「バルクさんは武装した上で先行してください。ヨアンさんも一緒に。今ある装備、備品の何を使っても構いませんので」

「やれやれ、飯を食うひまもないんですかねえ。ま、いいでしょう! お嬢ちゃんたち、手伝ってくれ。倉庫で鎧を着込んで、そのまま出る。急げよ!」

「わかった、手伝う。わたしも、戦う」

「したら、オラは昼飯ひるめしば都合してくるだ! すぐつつんで持ってけるもん、沢山あるべ!」


 バタバタと慌ただしくなる中で、ラルスも皆に続こうとする。

 すでに伝令の騎士も出ていって、詰め所にはリンナと二人きりだ。


「隊長、俺たちも急ぎましょう! ……隊長?」


 だが、リンナは剣をき直してから、ラルスの袖を指でつまんだ。

 決して強くはないが、はっきりと踏みとどまらせてくる存在感。振り向けば、見上げてくるリンナが神妙な顔で見詰めてくる。


「少年、その、ええと……こんな時にすみません。少し、ほんの少しだけ」

「はあ。あ! なにかありますか、用意するものとか。なにか作戦があれば」

「い、いえっ! そういう訳では、ない、です……

「隊長?」


 もじもじとしながらも、珍しく歯切れの悪いリンナが目をらす。

 それでも、再度向き直って、はっきりと彼女は告げてきた。


「ラルス、あの……先日はありがとうございました。それが、言いたくて」

「先日? ああ、それは別に。気にしないでください、隊長」

「今は、二人です。昼休みですし……これから出動ですが、二人きりですから」

「……え、ええと……ねえ、さん」


 少し嬉しそうにリンナは笑った。

 それは、常日頃から生真面目な怜悧れいりさで覆われた美貌びぼうとは違った。まるで、つぼみがほころぶような笑顔だった。


「ラルス、私も今後は自分だけで背負過ぎぬよう、気をつけます。隊を預かる者として、なにより貴方あなたの姉として。……多分、姉なんだと思いますから……

「残念? なにがですか?」

「……なんでもないです。では、行きましょう、少年!」

「はいっ!」


 ラルスを追い越し、颯爽さっそうとリンナが肩で風斬かぜきり歩く。

 その背を追えば、漆黒のマントに真紅の日輪が今日も揺れていた。

 リンナは常闇の騎士ムーンレスナイトで、隊長で、姉で……その全ての面で、ラルスにとって守りたい人で。彼女を支えて戦うことが、今のラルスには一番の騎士道に思えた。

 そして、そのために関わる職務の全てが、挑むべき戦いに思えてならない。

 ならば、常に真剣勝負、一意専心いちいせんしん……気負うつもりはないが、全身に英気が満ちて気合がみなぎる。


「よーし、隊長! アゲて行きましょうっ!」

「ア、アゲ……? と、とにかく、今日も期待しています。今日も、全員で帰ってきましょう。少年たちを無事に帰還させることも、私の大事な任務ですので」


 二人は連れ添い早足で歩く。

 騒がしいゾディアック黒騎士団の本営ほんえいは、行き交う騎士たちが忙しく働いていた。今は昼休みだが、食堂へと向かう者達はまばらである。

 栄えある騎士団の中の騎士団、古強者ふるつわものが参集せし偉大な大騎士団……ゾディアック黒騎士団。そのブラックな暗部を知ってか知らずか、今日もラルスは騎士としての己を奮い立たせ、リンナと共に戦いへと出てゆくのだった。

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