第2.5話 解体少女《屈辱》


 大地からせり出したとげのような岩山が地面に薄い影をつくっていた。

 少女はその影のなかで、包丁あいぼうの具合をめつすがめつ確かめている。


「刃こぼれなし、歪みもなし、包丁きみは今日も美しい」

 煌めく刃先をうっとり眺める少女の前では、かつて犬さんと呼ばれたものが、岩壁を背にしてぬいぐるみのように座らされている。


「……かわいい座り方しやがって」

 だが、少女は容赦しない。かわいいは正義と人は言うが、彼の犯した罪は、そんな程度のかわいさで許されるようなものではない。

 

「乙女の臀部ヒップ陰茎ちんぽこを押しつけた罪、まことに許しがたい。よってそのほうをお料理の刑に処す! 何か、申し開きはあるか」

 

「ないワン!」


「ん、いさぎよい。その潔さを性犯罪以外の場で発揮出来たなら……いや、もはや何も言うまい」

 裁きはすでに申し渡された。犬さんの運命は美味しいお肉と決まっている。

 

「せめて、その血肉のすべてを我がかてとしよう」

 荒野はいまだ夕暮れの最中さなか、光を失い薄く濁った罪人の瞳に、地平線へと溶けていく赤い火輪が滲んで見えた。


「ではこれより――」

 しかしこの時、現実リアルとまったくリンクしない少女のおなか時計は、夕方と宵のうちを飛び越えて、午前零時の半刻手前を指し示していた。


「刑を執行する!」

 そしてPM11時30分(SAT)――「中坊チューボーですよ!」が始まった。




「えー……本日の『中坊チューボーですよ!』ですが、今回はちょっと趣向を変えまして、屋外からライブでお送りします」

 不本意ながらね、と少女はちょっぴりふくれっ面で、虚空こくうに向かって話し始める。


「そんで今夜のゲストは、血統書なんかクソ喰らえ、荒野で噂の荒ぶる狂犬、野良犬ファイターの犬さんです、はい拍手、パチパチ。そしてアシスタントは、下ごしらえなら任せとけ、サポート上手でおなじみの、ワイルドセクシー犬さんマークツー。そんな二人と一緒に扱う今日の食材は……なんとびっくりドッペルゲンガー、『私はたぶん三匹目だと思うから』犬さん参号機です! ギュワワワワ、発進!」

 ダウナーな感じから徐々にテンションをあげていった少女は、辺りに血を撒き散らしながらそこらをぴょんぴょん跳ねまわっている。


「ではゲストの犬さん、これから犬さん参号機をザクザクブスブスやるわけですけど、何か気をつける点はありますか」


「やめてほしい」


「マークツーは?」


「やめてほしい」


「スポンサーとかいますので、それはちょっと難しいです。ごめんなさい」

 少女は自らが生み出した架空の幻影、犬さんと犬さんMarkⅡに形ばかりの謝罪をし、白いブラウスの首もとからしゅるりとネクタイを抜き取った。

 

「ワンタッチ式じゃなくて良かったです」

 普段は面倒なネクタイも、ここでは便利な貴重品、長くて丈夫なロープである。

 少女はそれを犬さん参号機の後ろ足に結びつけると、岩陰から飛び出し夕日に向かって駆け出した。


「ちょっと棒さがしてくる! 棒!」

 己の準備不足を恥じるように少女はうつむき荒野を走る。

 スリッパがぱたぱた音をたて、何度も少女は蹴躓けつまずいた。それでも止まるわけにはいかなかった。はやく棒を見つけなければ収録時間がなくなってしまう。今日は生放送なのだから。


「あべしっ! 三歳児並の転倒率っ!」

 そして慌て気味の少女は、ここで本日三回目の転倒を披露する。


「ぐぅ、膝ボーイが……膝ボーイが……」

 三回のクラッシュにより、少女の膝小僧は酷いダメージを負っていた。しかし、神は試練を与えるとともに、それを乗り越えた者に祝福を与える。少女が転んだその先には、一メートルくらいの長さだろうか、いい感じの棒が転がっていた。

 

「ぼ、棒を、はや…く、棒を…犬さんに……」

 少女はふらつきながらも第一岩陰だいいちいわかげスタジオへとたどり着いた。そして最後の力を振り絞り、犬さんに向かって棒を放り投げた。


「犬さん、キャッチして!」

 少女は叫んだ。犬は棒を投げればキャッチするもの、ならば犬さんもきっと上手にキャッチしてくれるはず、そう信じて大きな声で叫んだのだ。


「……フフッ、よりによって、ちんぽこ直撃とか」

 しかし、少女の叫びも虚しく、棒は犬さんのぽこちんにあたってそのまま地面にコロンと落ちた。


「……そろそろ真面目にやるかな」

 はしゃいだところで疲労が消えるわけもない。失くした血と体力を補充するために、少女は犬さんをさっさと食わねばならないのだ。


「というわけで、調理を開始します。まずは岩と岩の間に拾ってきた棒を渡して、その棒にほどいたネクタイを掛けるよ。ほら、見えるかな、ネクタイの端に犬さんの後ろ足が結ばれているよね。そしてこっちの端、後ろ足を縛った方の反対側を……こうやって、チカラ一杯、下に引っ張ってみよう。そうすると――」

 どうなるかなあ、とにっこり猟奇的な笑みを浮かべて、少女はネクタイを下へと引っ張った。逆さ吊りにされた犬さんの巨体は少しづつ引き上げられ、その頭がわずかに浮いたところで……


 ネクタイが切れた。


 張力ちょうりょくが、ネクタイの破断荷重はだんかじゅうを超えたのだ。

 犬さんは地面に頭から落下し、少女は不様に転倒する。


「アナユキッ!」

 少女は、ありのままの悲鳴をあげた。


「ギギギ……アイアム麦ィ、アイアム麦ィ」

 もはや何度目かわからない転倒により少女のHPヒットポイントPPプライドポイントはまたも大きく削られる。そこで少女は起死回生スキル「むぎ」を発動、屈辱と痛みを生命力へと変換した。


「ヒロポン!」

 少し危うい単語を叫んで少女は立ち上がった。

 

「クソ、尻が痛い。吊るし切りはやめだ。テーブルでやろう」

 少女は犬さんをテーブルっぽい岩へと運び、すぐさま包丁で頸動脈けいどうみゃくを切り裂いた。勢いよく吹き出した血が「HOKUTEN」とロゴが入った青いジャージに赤い染みをつくっていく。


「ひどい格好になっちまった」

 血まみれのジャージに包丁。クリミナルな自分の姿に、少女は「一仕事終えた通り魔みたい」と呟いた。



 犬さんの血抜きをしている間に、夕日はその身を地平線へと隠していた。夜がそこまで近づいて来ていた。

 このまま暗くなっては厄介だ。少女はそう考え、急ピッチで解体を進めていく。皮をぎ、内臓を取り出し、肉を切り分ける。そのスピードは速く、まるで三倍速の動画のようだ。


解体完了コンプリート……」

 作業の終わりを宣言し、少女は血だらけの手をジャージでぬぐった。洗い流す水がないため体も地面も血と油でギトギトだった。


「はあ、疲れた。疲労回復にレバーを一つ食べちゃおっと」

 切り分けた肝臓を指でつまんで少女はペロリと飲み込む。口内に血の味が広がり可愛らしい顔がむむっと歪んだ。


「うーん……まずい! もう一個!」

「うーん」と「まずい!」を繰り返しながら、少女はレバーをあっという間にたいらげていく。


「さて、残りは生肉か……」

 レバーを完食した少女の前には、犬さんの刺し身が並んでいる。

 

「新鮮だな……」

 少女はゴクリと唾を飲み込んだ。


「そして私は、腹ペコなわけだ」

 少女のお腹が、ぐぅぅと鳴った。


「大丈夫……私の胃袋は鋼鉄であり、胃酸はあらゆるものを溶かすマグマである。私の胃袋は鋼鉄であり、胃酸はあらゆるものを溶かすマグマである! 私の胃袋は鋼鉄で――」


 今、肉を欲しているのだ!


 少女は自分に暗示をかけ、勢いよく肉にかぶりついた。


「なんだこれは……すごい歯ごたえ、すごい生臭ささ、最高だ……こいつは最高に――」


 まずい!


 少女は憤慨ふんがいした。

 寄生虫や食あたり、リスクを承知で食べたのだ。きっと美味しいだろうとワクワクしながら食べたのだ。しかし、味付けもしてない生犬肉は、ただひたすらに不味まずかった。


「本日の料理、『犬さんの刺身』、頂きました! 星ゼロです!」

 当然の結果に少女はガックリうなだれる。


「つまんね、もう寝よ」

 せめて、その血肉のすべてを我がかてとしよう――その誓いと一緒に、少女は残った犬肉を荒野にポイッと放り投げた。

 そうしてその場で横になり、少しでも平らな場所で眠ろうと、地面をころころ転がり始めた。


「デコボコ、デコボコ、何処どこ彼処かしこもデコボコ、デコボコ……この世界に平らな場所は存在しないのか」

 フラットな大地を諦めた少女は、回転を止めて空を見上げる。

 夜のとばりがおりて、辺りは暗闇に包まれていた。無数の星が輝く空には、青くて白い天体がぼんやりぷっかり浮かんでいる。月よりだいぶ大きいそれは、食べかけのお饅頭みたいに端がちょっぴり欠けていた。


「地球じゃないってことかな……」

 少女は呟き、深い眠りへと落ちていった。

  


 

「ふぁっく……うんち漏らしちゃった」

 地面にうつ伏せになり、少女はめそめそ泣いていた。下痢である――少女を襲ったそれは、凄まじいまでの下痢であった。


「恥ずかしいよう、うんち漏らしちゃったよう」

 人生最大の屈辱に少女は震えていた。女の子なのに漏らしちゃったのだ。

 原因は言うまでもない。犬さんの刺身、やつである。低血圧、貧血、嘔吐、発熱、そして下痢による脱水症状。少女はすでに瀕死だった。


「ああ、いやだ。こんな死に方はいやだ。下痢で死ぬのはいやだ。うああ……走馬灯が見える。私の人生がB級映画みたいに編集されている。やめろ、監督は誰だ。エド・ウッドか! 撮り直せ! 監督を代えろ! なんだこの『沈黙シリーズ』みたいな人生は……」

 薄れていく意識のなか、少女はスティーブン・セガールを見た気がした。


「セガール……お前…その…耳は……なんだ?」


 謎の言葉を残し、少女は意識を失った。



 次話予告。

 

 別れがあれば出会いもある。

 欲におぼれ恥に沈んだ少女に手を差し伸べるのは、人か獣か、あるいは魔か。


 異界に堕ちた愚かな異物、糞便にまみれた一等星。

 果たして少女は輝きを取り戻すことが出来るか。


 次話「妖精少女」


 少女に熱い視線が突き刺さる。

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