第9話 貴族少女 《追放者》

 怒りがあった。


 あの世界で十五年を生きて、ついぞ尊敬出来る人物に出会うことはなかった。父は酒飲みで、足が臭くて、侮蔑の対象でしかなかった。師は道をたがえたときから許されざる存在となった。学校で見る同年代の少年少女たちは、違う世界で生きる違う生き物のようだった。


 唯一に近い感情を抱いた相手は母だった。


 秋に生まれた自分が春を知る頃にはすでにこの世にいなかった人だ。自分を産んでくれた人、それでいてよく知らない人、知らないからこそ尊敬出来たし、好きでいられた。想像のなかの母は優しくて、料理がすごく上手だった。あの父と一緒になった人だから、とは考えないようにしていた。


 そんな自分が十五の秋に、どういうわけか世界の壁を越えることになった。超自然的な現象によるものか、それとも誰かの意思なのか。それはわからないけど、この身は確かに世界を越えてそうして彼に出会った。


 彼に対して初めに抱いた感情は感謝だった。

 ともに暮らしていくうちに、その強さ優しさを好ましいと思うようになった。彼は獣の姿をしているけれど、とても穏やかで理性的だった。寂しげな顔をすることが多くて遠くを見ていることがよくあった。


 ルドルフ――


 強さという目線で初めて横に並んだ人。頭が良くて心配性の優しい人。そんな彼を尊敬するのは当たり前で、彼に恋をするのも自然なことだと思う。


 でも、だからこそ怒りがあった。


 その怒りのもとは彼のなかに垣間見える人間ヒトに対する劣等感。この世界の人間が揃いも揃って超人ばかり、ということもないだろうに、なぜか彼は人間ひとを怖れ、関わることを避けていた。


 あんなに強くて愛らしい見た目をしているのに。

 あんなに賢くて料理もすごく上手なのに。

 なぜ彼は有象無象の人間ごときを怖れるのだろう。


 おそらくは敗れたのだ。そして失ったのだ。


 彼の同胞が今、どこで何をしているのかはわからない。ただ確かなことは、彼がなにかを諦めたということだ。


 ふざけた話、だと思う。

 惚れさせた責任も取らずに腑抜けになるなどほんとうにどうしようもなくふざけた話だ。


 ルドルフよ、我が愛しき猫よ。

 君が惚れさせた女はそんな君を認めはしない。

 どんな理由があろうとも逃げることなど許さない。


 だから、引き摺り出してやる、表舞台に。


 思い出させてやる、戦士の生き方を。


 恋する乙女は獰猛で、そして苛烈なのだ。


「反省しなさいルドルフくん。君の卑屈さが私にをやらせるのだ」

 少女の腕に抱かれているのは、赤い毛皮に包まれた薄黄色の楕円体だえんたい。その価値は同じ重さの金に並び、奪った者には天より罰が下るという。


 それは「天雷鳥オスカルヴィス」の卵。

 狩人たちは言う、「巨人の大首」に巣を成す魔鳥は、我が子に手を出す不届き者を許さない。地の果てまでも追いかけて雷の雨を降らすだろうと。


「ちっぽけな村くらい滅んじゃうかもね」

 卵を抱いた少女の笑みは、天使のように愛らしく、悪魔のように禍々しい。


「さあルドルフ、憐れな村人たちを救えるのは、強くて優しい猫人ニャーマンの戦士だけだ。私に格好いいとこ見せておくれよ」

 黒い瞳に剣呑な光を宿し、少女は厄災の種を荷袋のなかにしまうのだった。





 肩に農具を担いで、リリーレイ・イーグラは空を眺めていた。青く透き通った空には、羽毛のような雲が浮かんでいる。


「空の色はどこも変わらないわね」

 苦笑まじりに呟いて、リリーレイは農具を振り下ろす。扱い慣れないくわの刃先は、地面の上辺を浅く削っただけだった。麻のズボンを汚した土は血のように赤い。ここは流血の地平サン・テーレ開拓の最前線――開拓者の村、エルストビレッジ。


 魔の領域を切り開き、人の勢力圏を拡大することこそ、女神の第一眷属ファーストたるアルウム貴族の使命。そんな考えのもとつくられたこの村は、いつからだろうか、死んでほしいが処刑は出来ない、厄介者を送り込むための流刑地と化していた。


 名誉ある任務、勇敢な貴女ならば、また会える日を。


 この地に赴任が決まって親しい者から贈られた言葉は、大半がこれら三つの組み合わせだった。貴女のためなら死ねると言った騎士も、リリーレイを「お姉さま」と慕った少女たちも、皆同じような言葉を残して、彼女のもとから去っていった。

 

 彼らとの別れに際して「また会いましょう」と笑えた自分はそれなりに立派だったのではないか、リリーレイはそんなふうに思っている。自分をあわれさげすむ者たちに、できるだけ美しい姿を刻んでやろう。それはかつての名門、イーグラに連なる者のささやかな意地。内心に渦巻く「なんでこんなことに!」の思いは、決して口にすまいと誓っていた。


「うう、なんでこんなことに……」

 とはいえ、一族のことごとくが処刑され、こんなところに飛ばされれば、文句の一つくらいは言いたくもなる。そんなときリリーレイは穴を掘る。開拓作業のついでにと、一人黙々穴を掘り、その穴に向かって、ため込んだ思いを絶叫シャウトするのだ。

 

「死ね! みんな死ね! 王も王女も、英雄も、みんなまとめて死んでしまえ! くそ! なんでこうなった! 私は何にも悪くないのに!」

 もしこの穴から木が生えて、自分の絶叫シャウトを真似しだしたらどうしよう。そんな馬鹿げた妄想におののきながらも、リリーレイは穴に向かって叫びつづける。祖国アルウムに災いを、そして英雄に滅びをと。


「お嬢さん、気持ちは分かるがもう少し小さい声でやってくれ。開拓村ここにも監視はいるんだ。あんなの聞かれたら、不敬罪で即、死刑だぞ」

 不吉な言葉とともに木の影から現れたのは、ずんぐりとしたヒゲモジャの、いかつい顔をした男だった。


「いきなり出てこないでよ。びっくりするじゃない」

 元イーグラ伯爵家のお抱え鍛冶師――ハーフドワーフのバッタード。あの日、イーグラの家は事実上の取り潰しとなった。誰もが去っていくなか、彼だけがリリーレイのもとに残った。その理由は、忠義でもなければ、同情でもない。無論、リリーレイを愛しているから……というわけでもない。彼の目当ては、流血の地平サン・テーレで採れる鉱石と貴重な魔物素材ビーストマテリアル


 リリーレイの部下になれば、ここまでの旅費が公費でまかなえる。そしてお給料を貰いながら採取にいそしむことが出来る。自分の都合だけを考えて、このヒゲもじゃはリリーレイについて来た。帰りたくなったら、勝手に帰るつもりらしい。


 クズめ!


 心のなかで罵倒しながらも、リリーレイは彼に感謝していた。開拓地での鍛冶師の需要は高い。バッタードが農具を打つことはあまりないが、手伝いをしている村人に彼は技を教えていた。農具の補修程度ならじきにおぼえてくれるだろうし、彼らが一端いっぱしの職人になれば、村の大きな力となる。


「ねえヒゲ、お弟子さんたちはどう? 良い職人になれそう?」


「弟子? そんな上等もんじゃねえよ。まあ、やる気はそこそこあるからな、半人前くらいにはなるんじゃないか」


「『魔物狩り』は?」


「少しずつだが、増えてるぜ」


「よし、バッタード効果、出てきたわね」

 ヒゲもじゃの返答に、リリーレイは浮かれた声をあげた。


 魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする、血塗られた魔境流血の地平サンテーレ。そんな場所に進んでおもむ猛者もさたちがいる。魔を狩り殺し、その身肉をかてとする、異端の狩人「魔物狩り」だ。


 力、情報、そして金、開拓村に足りないものを彼らはすべて持っている。腕の良い魔物狩りは、最高の客で最強の防衛戦力だ。「エルストにすごい鍛冶師がいるらしい」、リリーレイはわざわざ人を使ってそんな噂を流していた。一人でも多くの魔物狩りを村に呼び寄せたかったのだ。


「宣伝費……使った甲斐があったわ」

 今のところ成果は上々。あとは彼らがここを拠点ホームにしてくれるかどうかだ。


 さて、あの荒くれ者たちは、村に居着いてくれるかしら。


 バッタードは一流の鍛冶職人、その腕に間違いはない。だが、得物だけをこしらえて、ほかは他村よそでは意味がない。彼らには、食事も宿も買い物も、すべてをこの村でまかなってもらいたいのだ。開拓村にはまともな収益がない。村を守る兵士もいない。魔物狩りを留まらせる以外に、村を立ちいかせる手段がないのだ。


「えらくやる気だしてるな、お嬢さん。あんなことがあって、首でもくくるんじゃないかと心配していたが……こんな場所でも生きがいを見つけるなんて、さすが図太く逞し――」


「うるさいわよ、ヒゲ。生きがいも何も、やる気ださないと死んじゃうの。もう予算が……お金が全然ないんだから」


 エルスト地区における流血の地平サン・テーレ開拓の責任者、そんなわけのわからない肩書きとともに、リリーレイはこの地に送られてきた。収入のほとんどない村に、わずかな予算と自前の部下一人だけを連れて。女とはいえ、イーグラ当主の実子である。処刑台に送られなかっただけでも奇跡といえるが、この環境は、さすがにちょっと過酷が過ぎる。


「助けるついでに、お金もくれれば良かったのに……」

 

「英雄殿か?」


「そ、あの泣き虫くん」


 建国より王家を支え続けてきた名門――イーグラ家。その落日は、多くのアルウム国民にとって、青天の霹靂へきれきだった。


 巷では、イーグラの嫡男ちゃくなんが横恋慕の末、婚約者のいる娘に手を出したことが原因……などと、なにやら演劇チックに語られているが、実際は利権を求めて結びつこうとした者と、それを阻止しようとしたイーグラの、金まみれ、利権まみれの、薄汚い権力闘争が発端だった。


 本来、こんなことで貴族の家が――それもイーグラのような名門が、破滅するなどあり得ないことだ。

 しかし今回、このよくある揉め事に、想定外の存在が首を突っ込んできた。正確に言えば、この争いに目を付けた第三者が、女神の剣たる「彼」をそそのかし、イーグラと敵対するよう仕向けてきたのだ。


 女神の英雄、絶対的正義の象徴、彼に剣を向けること自体が……許されざる罪。


 女神は間違えない。ならば、女神が選んだ英雄も間違えることはない。彼を善と定めるのなら、敵対する者は皆、絶対の悪ということになる。あの若き英雄とイーグラは、神の敵、アルウムの敵と見做みなされ、国賊として処分された。


「しかし、英雄殿の行動はわけがわからんな。なんでお嬢さんやリッケン様を助けたんだ。こうなっちまった以上、根絶やしにするしかないだろうに……」

 当主と後継ぎだけではない、これまで国に貢献してきたイーグラのお歴々をも処刑台に並ばせたのだ。血を絶やさねば報復がある、誰もが……貴族ではないバッタードでさえそう考える。


 しかしあの「英雄」は、王に脅迫まがいの助命嘆願をおこない、リリーレイらの処刑を無理矢理に差し戻した。


「こんなことになるとは思わなかった……そう言っていたわね」

 捕縛され、囚われの身となったリリーレイは、アポイラの塔の監禁部屋で涙ながらの謝罪を聞いた。誰もが寝静まった闇のなか、扉越しに聞こえたその声は、確かに彼のものだった。


 悪い貴族は懲らしめられて、愛し合う二人は結ばれる。そんなハッピーエンドを思い描いていたのよね、君は……

 

 あの夜、彼が口にしたのは、リリーレイへの謝罪と救命の誓い、そしてこうなった経緯だ。


「上位貴族からの横槍が入って、愛する人と一緒になれないの」


「正しき者のため剣を振るう。それが英雄の務めですよ」

 憐れな娘に頼られて、愛しい「彼女」に煽られて、彼はその剣を振り下ろしてしまった。「女神の剣」が持つ影響力、その怖ろしさも知らないままに。


「思わなかった、で族滅されちゃかなわないってのよ」


「そりゃ……そうだろうな。若なんてよ、処刑されたうえ女好きの小悪党呼ばわりだぜ。こんなもん、許せるわけがねえよ」

 リリーレイの兄は、名門の嫡男に相応しい智勇兼備の秀才だった。鉱山街でくすぶっていたバッタードを見出したのも、確かあの兄だったはずだ。


「それはいいのよ、別に。貴族はみんな悪党だから……兄も父もね」

 血まみれの手で黄金を掴んだ者だけが、この国では成功者となれるのだ。善人であることと、アルウム貴族であることは基本両立しない。あの異界の少年は、この薄汚い政争に善と悪――加害者と被害者がいると思い込まされてしまった。そこには悪党しかいないというのに。


「……黒幕はやっぱりファルコーなのか?」


「いいえ、たぶん、お姫様よ」

 狙いは女王の座、なのだろう。対抗馬の後ろ盾だったイーグラを、彼女はこの機会にどうしても潰しておきたかったのだ。

 

「まじか……」


「ええ、可愛い顔しておっかないわ」

 怒りはある、恨みも復讐心も当然ある。だがそれ以上に、「あんなの」には関わりたくないとリリーレイは思っている。


 私は女神なんて畏れない、そう言ってはいたけれど。


 可愛い女の子をはべらせて、楽しく気ままに暮らしたい。そんな程度の望みしか持たないリリーレイにとって、女神の剣を利用してまで己が望みを叶えようとする彼女は、なんとも言えず恐ろしく、理解のできない存在だった。


「それにしても、『御使い』たちは何をしていたのかしらね」

 リリーレイにもわからないのは、彼を補佐する「御使い」が、この状況を放置していた理由だ。「導き手」や「葬り手」はともかく「護り手」は彼の近くにいたはずなのに。


「三人の御使い……おとぎ話の存在かと思っていたが、実在するんだな」


「ええ、いるわよ。葬り手は見たことないけど、ほかの二人はすごい美人よ」


「ほほう、そりゃ一度お目にかかりたいもんだ」

 バッタードはエロい顔をして、エロいひげをいじっている。


「なんにせよ、今は生き延びないとね。イーグラ再興の目は十分にあるんだから」


「お家の再興? この状況でか」


「この状況だからよ」

 彼女がイーグラの族滅に失敗したのは、英雄の反目があったからだ。アポイラの塔での様子からするに、彼と彼女――英雄とアルウム王家の関係は、今相当にこじれている。


「王宮は彼のご機嫌取りに必死になっているはずよ。信頼を取り戻せるならイーグラの再興だって許すわ」


「英雄を理由にイーグラを潰して、英雄を理由に再興を許すのか……」

 かつての主家を取り巻く理不尽に、バッタードのひげ面が険しく歪む。


「アルウム貴族はクソだもの。そして貴族の親玉である王家はクソの王様よ。あの連中、そこに利があるならなんだってするわ」


「ひでえ話だ。けどよ、もしそうなったら、お嬢さんが新しい当主になるのかい?」


「王宮はリッケンの叔父様を推すでしょうね。というよりもたぶん、私の殉職が再興の条件に入ってると思うの。私が今にいるのも、シナリオの内じゃないかしら」


「殉職……ああそうか、それがみそぎになるのか」

 バッタードの呟きに、リリーレイは無言でうなずき大きなため息をついた。


 イーグラの罪――それは謀反でも悪逆な振舞いでもない。言うなれば神に対する反逆だ。ゆえにイーグラは、国でも王でもなく、女神に対して罪を償わねばならない。

 女神の悲願である流血の地平サン・テーレ攻略にイーグラの娘――リリーレイが挑み、そこで死ぬか、あるいは大きな成果をあげれば、それで禊は済んだと見做みなされる。そしてその後、王家はリリーレイの信仰心を讃えつつ、イーグラの再興を許すのだろう。


 無論、すべては形式的なもの。女神は毛ほども関与しない、人の世のくだらない駆け引きであるが。

 

「私は生贄ってわけよ、クソみたいな話ね」

 自分の犠牲の上に成り立つお家再興など嬉しくもない。死体になってとうとばれるより、泥まみれでも生きていたいのだ。それに、「エルスト地区における流血の地平サン・テーレ開拓の責任者」という立場は、何だか気楽で実はちょっぴり楽しかった。


 あとは大きめのお風呂と可愛い女の子が二、三人いれば、私は十分幸せなのよね。


 美しかった金色の髪は、乾いた風と強い日差しのせいで護謨羊グンミシープの巻毛のようにゴワついている。侍女たちが手入れを欠かさなかった肌もずいぶん日に焼けてしまった。それでも、そう悪い暮らしじゃないとリリーレイは思っている。


「ねえバッタード、大きいお風呂つくってよ。女の子は我慢するから――」


「それどころじゃねえぞ、お嬢さん。このままじゃシナリオ通りになっちまう」


「何よ、シナリオって……」


「さっき言ってただろう。お嬢さん死亡で発動する腐れシナリオだ。アレが来たら……それが現実になっちまうぞ」


 バッタードの太い指が、激しく瞬く光の塊を示した。


「なにあれ、雷が……浮かんでる?」


「……天雷鳥オスカルヴィスだ」


 怯えを含んだ呟きのあと、破滅を告げる遠雷が、東の空で鳴り響いた。





 次話予告。


 世界の果てまで追い立てられた者たちを、いかづちがさらに追い詰める。

 逃げ惑う彼らを救うのは、国か、女神か、それとも猫か。

 

 人の命がパンより安い辺境に、修羅の少女がボンジュール。


 次話「自演少女」


 つくられた舞台の上、愚か者たちは翻弄される。

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包丁少女 オーロラソース @aurora-sauce

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