第9話


「なぁ、兄さんの部屋はどこなんだ?さっき優子ママがコーラを買いに行ってるときに、他の部屋見て回ったんだけど、それらしい部屋はあるけど、姿が見えないじゃん」


 そうだ。兄のことも話さなくてはならないのだ。兄は、わたしが子どものから、わたしに優しくしてくれたという記憶はない。むしろ、わたしの存在を無視しているような感じの態度だ。


 機嫌が悪いと、怒鳴ったりするので、わたしはいつもビクビクしていた。触らぬ神に祟りなし、そんな気持ちでいつも兄を見ていた。


 だけど、その兄は、父が亡くなると家を出た。4LDKの玄関を入って左側の7畳の洋室が兄の部屋で、部屋の中はそのままになっている。その隣が父と母の洋室で、わたしの部屋は玄関を入って右のキッチンの横で、隣の部屋は畳敷きになっている。


 兄は、ずっと働くこともせずに家に居たのだが、父の遺産分けでお金が入ると家を出たのだ。そのお金で遊び回っていたのだろう。わたしはホッとしたが、母は兄のことが可愛くてたまらないようで、連絡だけは取り合っていたようだ。


 その母も亡くなり、わたしは兄の携帯電話の番号は知らなかったので、母の携帯電話から連絡をした。


 そして、母の葬儀が済んだ後に家に戻ってきたが、今度は母の遺産のことだけを調べると、またそのまま行方が分からなくなった。


 もうこのまま戻って来なくてもいいのにと思うのだ。母がいるときまでは、まだ良かったのだが、ひとりになってから、兄の存在が更に怖くなった。


「お兄ちゃんは、もう一人暮らししているのよ。滅多に帰って来なくなったわ」


「ふ〜ん。今でも働いてないんじゃねぇの?どうやって一人暮らしなんかしてるんだ。あっ、親父が金やってんのか。ほんとに駄目な人間だな、あいつは。いなくて良かったよ。鬱陶しいもんな、あいつがいると」


 サリーの言う通りだ。なんの為に生きているのか、なんの為に生まれてきたのかわからないような人間。そんな人間でも、尊い命と言わなければいけないのだろうか。父が死んでも母が死んでも、なんの感情も出さず、悲しむこともなかった。


「それと、お母さんは何処に行ってるの?友達のところ?趣味が多いからね、お母さんって」


 美佐子が、母のことを聞いてきたので、わたしは緊張した。どういう嘘を言えばいいのだろうか。夜までに帰って来ないと、おかしいとわかってしまう。そして父も同じだ。わたしは回転の遅い頭を、回して回して回してまくった。


「あのね、お父さんとお母さんは、旅行してるのよ。世界一周旅行よ。そう、豪華客船でね、えっと3ヶ月くらいの旅行のはずよ」


 わたしは嘘をつけない性格なので、しどろもどろになってはいないかと、ハラハラした。3ヶ月とは我ながらいい思いつきだと思った。これならしばらく帰って来なくても誰もおかしいとは思わないだろう。


「ああ〜そんなこと言ってたわね。いつか世界一周したいって。それにしても豪華客船で3ヶ月も?それって2千万くらいの旅行よね。じゃあお父さんは、とうとう仕事引退したの?」


 美佐子には嘘がバレなかったようで安心した。



「そうそう、お父さんはもうお店を閉めたのよ。あのまま開けていても赤字ばかりだからね」


 父は、戦後日本が豊かになってきた頃、人々が電化製品を買うようになったので、電気店を商店街で開いたのだ。面白い程に売れて行く電化製品だったが、大型の電器店が出来るに連れ、商店街の小さな電器店は売れなくなっていった。


「船の中から電話とか出来るの?」


 と、また美佐子が聞く。あんまり突っ込んで聞かないで欲しい。


「できないよ」


(知らないけど)


「ふ〜ん。子供たちのこと心配にならないのかしらねぇ」


 子供といっても、わたしはもういいおばさんだ。それにもう死んでるんだから連絡できない。嘘なんだから。わかって欲しい。だけどわかってしまうと嘘がバレる。難しい。

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