十四段目

 一瞬にして凝り固まった口の筋肉を、無理やり動かしてわたしはなんとか言葉を発した。


「なんで、知ってるの」


「知ってるって、なんのこと」


 きょとん、という擬音がとても似合う小首のかしげ方。


 何度も何度も、繰り返し練習されたようなその動作に、わたしの中の焦りは徐々に苛立ちへと変換されていく。


 だめだ、一度深呼吸しないと。


 目を瞑って、鼻から大きく息を吸う。口からゆっくりと息を吐く。大きく息を吸う。息を吐く。


「ねえ、だからなんのこと」


 返事をしないわたしに焦れたのか、秋介は追い打ちをかけてきた。


 落ち着きかけていた焦りがまた煮え立ち、煮えた端から苛立ちへと変わる。


 勝ち目のないオセロのように、いくら白を置いても、じわりじわりと黒色に変えられていく。抵抗しようと白を置いても、すぐに裏返される。


 ことり、ことり。静かにゆっくりと、けれど確実に板状の黒は増えていく。


 空間の静かさとは裏腹に、苛立ちはどんどんわたしの心を静かではなくしていった。


「ねえ、どうかしたの」


 いまだ深呼吸を繰り返すわたしに、秋介が再度疑問を投げかけてきた時だ。


――ぷっつり。


 わたしの中で、なにかが切れた。


「だから、わたしが死ぬために来たのを、なぜ知っているのか聞いてるの!」


 膨らんだ水風船が、爆発したのかと思った。


 わたしの中から出た大声。はっとして口元を抑える。きょろきょろとあたりを見回して、肩に力が入る。


 耳を澄ませてしばらく静かにしても、人の足音は聞こえない。


 耳元を風が走り去る澄んだ音と、下の道路を車が走り去る濁った音だけが聞こえる。わたしの口から、緩く息が漏れる。


「そんなに叫ばないでも、聞こえるから大丈夫だよ」


 何でもなかったように、落ち着いた声の秋介。彼に感情はないのだろうか。そう思うほど、声音に変化がない。


 落ち着いて秋介を見ると、表情が不思議な形をしていた。


 両方の口角が上がっていて、歯が少しだけ見える。顔の上半分を隠して見ると、笑っていると思うだろう。


 けれど、目だけが全く笑っていなくて、少しだけ潤んでいる。笑顔ならば下がっているはずの眉尻も変わりなく、丸っこい目のままだ。


 顔の下半分を隠して見ると、怒っていると思うだろう。声から察するに、怒ってはいないみたいだけれど。


「気を悪くしたら、ごめんなさい。それって、どういう表情なの」


 わたしからの質問に、秋介は先ほどの表情をより強めた。


「たぶん、笑顔だと思う。よく言われるんだ、笑顔が不気味だって。苦笑いが特に変らしいね」


 表情を変えないまま、秋介は肯定した。こんな変わった苦笑いを、見たことがない。


 気持ち悪いとまではいかないが、少しだけ秋介という存在を歪に思った。


「ごめんなさい。突然叫んで」


 わたしは、素直に謝罪した。大きな声で叫ぶと、先ほどまでの苛立ちも一緒に出ていったようだった。


「いいさ、苛立っていたんだろ。僕もたまにあるから、よくわかるよ」


 秋介の綺麗な顔が怒りに歪むと、どうなるのだろう。多少歪んでも、綺麗に見えるんだろうな。


 秋介でも苛立つようなことがあるのが、意外だった。そもそも、秋介がイライラしているところのイメージが沸かない。


 なんて考えて、小さな笑いがこみ上げる。


 当たり前だ。彼もわたしと同じ人間で、同じ様な感情を持っているのだから。


 同じ様に悲しくも、嬉しくもなるはずだ。


 美味しいものを食べたら、笑顔になるだろう。悲しい映画を見たら、涙をながすだろう。


 理不尽なことには怒りもするし、誰かのために幸せを感じることもあるはずだ。同じなのだから。


「そうそう、僕がどうして知っているのかだよね」


 秋介が話しだす。わたしの考えが終わるのを、待ってくれていたのだろうか。だとしたら、丁度いいタイミングだった。


 あのままだと、思考がいつまでもぐるぐると回っていただろうから。


「知っているというよりは、気づいたっていうのが正解かな」


「気づいた?」


 私が疑問を向けると、秋介はクルッと半回転して、大きな給水塔へと近づいていった。


 わけが分からずじっと見ていると、秋介は給水塔の側にそのまま腰を下ろす。胡座をかいて座る姿が、やっと見えた男の子らしいところのような気がした。


 突っ立っているわたしに、ちょいちょいと手招きをする。隣に座れという意味だろう。


 さっさと済ませたかったけれど、先ほど叫んでしまった罪悪感が少し残っていて、わたしは素直に従うことにした。


 秋介の左隣に腰を下ろす。夕日はもう殆ど沈んでしまっていて、視線の先に少しずつ、小さな星が姿を現し始めていた。


 昔読んだ本に「死んだ人はお星様になるんだよ」なんてことが書いてあったのを思い出す。


 読んだ時は、子供だましだなんて思ったけれど、あんなに綺麗に儚く輝けるなら、それも悪くないのかもしれない。なんて、身勝手なことを考えた。


 死んだらお星様になるというのは、「空で見守っていてね」という願いのほかに、「死んだ後、せめてあれくらい綺麗なものになりたい」という願望も混ざっているのかな。


「気づいたって、何に気づいたの」


 右側に座る秋介に声を投げかける。


「紗英が、死にたがっていること……違うな。紗英が死のうと決めていることが、正しいね」


 口から出る物騒な単語とは裏腹に、秋介の声と表情はとてもやわらかい。


 もしもこの姿を音のない状態で見たのなら、楽しい話をしていると勘違いするに違いない。


 わたしたちは、内容に似つかわしくない空気感と表情と声音で、言葉を交わし合った。

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