ドラゴンのお医者さん

尾岡れき@猫部

ドラゴンのお医者さん


 矢が雨のように地上から打ち上げられても、竜には意味などない。その矢を相方バディは、尾で難なく振り払う。

 竜の鱗に矢尻が貫通するはずもなく。毒を塗っても、火を放ってもそれは無意味だ。


 世界最強の生体兵器――それが竜だ。竜を御する竜騎士は、それぞれの国がこぞって雇いたがった。


 竜は相方バディと認めた竜騎士にしか、その背中を許さない。

 竜騎士は、竜の背中を撫でる。

 意思の疎通は、それで事足りる。


 火竜たちの雄叫び、そして火弾の応酬を縫うように、黒龍は飛び回る。たかだかサラマンダーが、黒龍に叶うはずもな――。

 苦悶の咆哮が響いた。


「お、おい、黒龍?」


 普段は、念話で返してくる黒龍が頭が割れそうなほどの絶叫でしか返信がない。

 目を疑う。


 鱗の間に差し込まれた矢。ただの矢だと思ったのが、そもそもの油断。灰竜の鱗で作られた矢尻。そして竜毒。


 先方の策が上手だったということか。

 竜騎士は空に投げ出されながら、唇を噛む。


 怖いとは思わない。ただ――相方バディとの接続は切断された。それが手に取るようにわかる。ただただ、虚無が広がっていった。







「お願いします!」

 毎回、最初は同じ言葉をみんな並べる。藁にもすがる想いは理解するが、飽き飽きした顔になっているのも、自覚している。


 渡された騎士団からの親書。騎士団の封蝋が丁寧に押してあった。今年に入って何回めかと思うが、悪態をついても始まらない。白衣を纏った男は無造作に開封した。


 文面にも目を通して、小さく息をつく。


 

 ――――――――――――


 龍医殿 御大侍。

 訓練兵と見習い竜だが、認証は終了している。原因不明の高熱で1週間前より食欲低下、経口摂取不良で飲食不可が三日前から。龍医殿の見解と、願わくば診療を願いたい。同様の症状により、他の竜も発熱と食欲低下が目立つ。国王陛下も現状に憂いの想いで日々を過ごされている。貴殿の診療に一抹の望みを託す次第である。幸運を祈る。


 ――――――――――――


「騎士団長様も大変なのね」


 銀髪が俺の頬をくすぐる。

 マリアがその手紙を覗き込みながら言った。その大変さを押し付けられるこちらに同情をして欲しい、と思う。


 だけど――。

 騎士団長直々の依頼とあっては、無下に断る訳にもいかない。竜を失った竜騎士がこうやって国に生かされているのも、老団長のおかげなのは間違いない。


「あのな、騎士様」


 龍医はじっと彼の目を覗き込む。真摯でまっすぐな目だ。自分にもそんな時があったのかと思うと懐かしい。


「騎士団が勝手に俺を龍医と言っているだけで、医師免許は無い。言ってみたら、無資格のモグリだ。そもそも、竜の生態は学術的に明確な訳じゃない。お前さん、そんなあやふやな状況下の中で、相方バディーを託せるのか?」


 唇が震えている。騎士ならば律せよ、と言いたいところだが新米騎士、言うなれば訓練兵にそこを要求するのも酷な話だ。認証済みの騎士と番いならば、竜が体調不良に同調してしまう。彼の精神面はさぞかし――。


「俺はどうなってもいいです! でも、フルルは、フルルだけは助けてください、お願いします!」


 最敬礼する彼を尻目に、龍医は背を向ける。

 記憶がフラッシュバックする。


 小さな黒龍を抱きしめた俺。

 爺さんが無造作に俺の髪を撫でて。

 ――案ずるな。ただの食い過ぎだ。


 あの時に戻られたら、どんなにいいだろうと思って、その思考を打ち消す。過去はどんなに足掻いても戻らない。


「マリア、竜種は?」


「アースドラゴンの仔竜だね。気性から考えて野生種ではないわね。人工飼育の竜は免疫が低いの傾向にあるけど、治療するの?」


「見てから考える」


 龍医はつい苛々した声が出てしまった。


「しんどいなら、無理をしなくてもいいのにね」


 マリアは呆れた声で――でも、微苦笑を浮かべる。

 龍医は聞こえない振りに徹した。







「リューイがその気になったみたいだから、あなたの相方バディーは心配ないかもね」


 マリアはにっこり笑って言う。


 竜舎で息も絶え絶えに呼吸をするアースドラゴンは、身長にして2メートル程度。これからぐんぐん成長する仔竜だった。龍医がその手で鱗に触れていく。本来なら、認証された竜は、相方以外の接触を嫌う。拒絶できないほどに、竜の中で病変があったことを意味する。


「マリア、力を貸してもらえるか?」

「私で役に立つのなら、いつでも」


 にっこり微笑んで言う。


「この子――フルルか。幼竜だから、投薬をしていたら、副作用で体力が持たない」

「え?」


 見習い騎士は目をパチクリさせる。


「フルルは風邪をひいている。言うなら、ドラゴン風邪とでもいえばいいかな」

「ド、ドラゴンって、風邪をひくんですか?」

「ドラゴンだって生きているんだから、風邪ぐらいひくだろう? 人間は、竜騎士になったら風邪をひかないとでも言うのか?」


 風が頰を撫でるのを感じて、彼は思わず振り返った。

 龍医は、特に驚くでもなくアースドラゴンの瞳孔を覗き込んでいる。


「マリア、頼むよ」

「あ、あ、あ……」


 彼は口をパクパクさせる。マリアの姿はそこにはなく、竜が――龍が咆哮をあげた。白銀の龍が龍医たちを見下ろしていた。


 竜種は、大きく三類系に分けられる。〈蛇〉〈竜〉〈龍〉である。即ち、蛇は野生の竜を指し、竜は知性がある為軍用に適している。そして龍は竜騎士なら誰もが羨む、神域の賜物と言われていた。


 マリアはまさしく神域の賜物、そのものに他ならない。


 白銀の龍、ホワイトドラゴンは白魔術を使う唯一の竜種だ。竜はその性格から、闘争本能に直結した身体能力を発揮する。火竜が空気内の酸素を圧縮発火させるように。アースドラゴンが、地層プレートの歪みを作為的に誘発させるように。


 だが、ホワイトドラゴンは違う。闘争本能が欠けたかのように穏やかで、他者を傷つけるすべを持たない。


 あるのは、生き物を癒す、ただそれだけで。

 マリアは羽を大きく広げた。


 銀の雨が無造作に降る。霧雨のようであり、雪のようであり、乱反射で眩しくて――。


 濁っていて竜の目に色が灯る。

 そこを見計らって、龍医は鱗の隙間から、注射器を刺し入れた。竜の鱗は硬いのは承知の通り。


 アースドラゴンは、見習い騎士に向けて視線を送る。

 居た。――だから、安心していい。


 アースドラゴンは意識を手放す。と、見習い騎士は慌てて駆けようとして――意識が忽然と途切れ――。


 認証が済んだ竜騎士と竜は一蓮托生。片方が意識を失えば、当然、その反動が相方に訪れる。人の痛みなら竜は耐えるだろうが、竜が意識を失うほどの昏倒ともなれば――彼の生命力が消えないことを祈るしかない。


「アースドラゴンの子とともに、騎士様まで白魔術をかけるのは、少し私もしんどいけど?」


 マリアはクスクス笑いながら言って、騎士をその口で噛みちぎらないように拾い上げる。

 そっとアースドラゴンの隣に、寝かせてあげた。


「仔竜に薬剤耐性があるわけないだろ? 養殖竜は副作用が出やすい。みすみす竜を殺したくない。だけど、マリアがそう言うなら、最初から治療はしなかった」


 ぶっきらぼうに龍医は言う。

 小さくマリアは微笑んだ。


「ウソよ。ちょっと羨ましかっただけ、あの仔竜と、竜騎士様がね」


 白龍は人の姿に戻り、ゆっくりと竜舎を出て行く。

 それを龍医は、小さくため息をついて見送った。


「――俺もだよ」







「龍医からの報告書?」

「御意」

 竜騎士団長は平伏して、書状を国王に差し出した。王は無造作に流し読みをして、政務官へと放り投げる。


「養殖竜と野生竜では、そんなにも生育過程が違うのか?」


「さぁて、どうでしょうか。龍医殿ならいざ知らず、武将の身としてはなんとも」


「たぬきの振りをするまでもなく、先の大戦から生き残った貴様が化け物なのは知っている。それよりも新生竜の半数以上が風邪をひいているということなのか?」


「過分な評価、恐縮で。確かに、原因不明の熱で、竜が倒れている状況ではありますな」


「……龍医を都に呼び寄せて治療を行うと言う手があるだろう。お前は竜を生かしたいのか、殺したいのか?」


「できれば生かしたいと思うのは、竜騎士の端くれでもありますならば当然のこと。しかしながら、彼が竜への接触は極力避けていることは、ご承知済みかと」


「第3竜騎士団唯一の生き残り、リューイ・クリストファーか」


「彼は認証を得た相方、黒龍を失いました。黒龍を失いながらも、生きながらえ、さらに認証は消えないまま。本来なら、黒竜を求めて、流浪の旅に出てもおかしくはない。そこまで要求するのは酷かと」


「白龍を国に献上しない非国民にかける温情など――」

「陛下」


 騎士団長の眼光の鋭さに、王はひるむ。剣呑とはこう言うことを言うのか。


「たかだか龍如きに何を焦られているのか、理解し難いですな。白龍とは言え、すでに認証済みの相方がいない半身の龍。戦場ではリューイとともに役には立ちません。神域からの賜物とは言え、白魔術が中途半端にしか使えない白龍では、戦場では目立つだけの的。今は学術調査の検体として捉えるべきですな」

「……」


 王は憎々しげに、騎士団長を見やる。それを尻目に騎士団長は、深々と頭を下げて、退室の意を示した。父王は賢明であったが、世継ぎははてさて。老兵が隠居に決め込むのは、まだ早いらいしい。


(リューイを匿ってやることも、もうできぬか)


 老竜騎士がため息をついたのは、謁見の間を出てからのことだった。







 竜は相方バディと認めた竜騎士にしか、その背中を許さない。

 それなのに――。


 ぼんやりと白龍の背の体を任せながら、龍医は思う。そう言えば、と思う。あの日もこうやって、白龍マリアに助けられた。


「不思議よね」


 マリアが言った。


「え?」


「お互いに認証を済ませた相方バディーがいるのに、私はあなたを乗せるのイヤじゃないわ」


「俺も、それなりに安心して自分の体を託せる」


「本当に? 白魔術が使えないから、生き物の命が救えない白竜なのに?」


「俺は竜騎士団を除隊して、龍医になった。ただ竜が好きって理由だけで、な。俺一人じゃ竜は救えない。マリアの力が必要なんだよ」


「珍しい、褒めてくれるなんて」


 嘘は言っていない。今回もクルルの治療の為に、副作用を抑制し、不安を除去する為のマリアの干渉は必須だった。それがなければ、今頃肺炎で死んでいる。問題なのは、この国が戦闘竜としての訓練プログラムのみを優先させ、育成環境が劣悪なことだ。


 竜は生育に20年はかかる。それを3年で使い物にしろと言うのだから、風邪や肺炎になるのも至極当然だ。


 そっと、マリアの背を撫でる。


 マリアは認証が済んだまま、記憶がない。リューイは先の大戦で黒龍を失った。だから――相方バディーを探すための旅に、いつか出たい。


 だけれど、神域の賜物たるマリアを国外に出すには、あまりに制約が多い。


「伝令通りなら、そろそろ次の急患が到着する頃なんじゃない?」


 マリアが言う。相方バディーがいる竜や竜騎士を見るのは、いつも辛い。でも、それ以上に竜が何もせずに、死んでいくのは、もっと辛い。


 竜の王国と呼ばれて、100年はとうに経過して――累々と竜の亡骸が積み上げられていく。


 マリアが旋回して、雲を突き抜けていく。こうやって飛んでいたら、今この瞬間だけは、辛い現実を忘れることができる。


 まるで相方バディーのように、マリア信頼している自分がいて。そんなことを言うのもおこがましいが――。


「あなたは、私の相方バディーよ」


 マリアが力強く言う。

 雲の中でなら、素直になれるのも変な話だと思うけれど――今だけでいいから、雨雲の中に突っ込んでいたかった。




 *



 

 むかし、むかし竜の王国にはドラゴンのお医者様がいました。

 どんな病気でも、先生にかかれば、あっという間に快方に向かうから、ドラゴンたちも竜騎士たちも、ドラゴンに関わる全ての生きものたちが、先生に相談に行くのでした。

 これは、神様から遣わされたドラゴンと先生の、最初のお話になります。

 このお話の続きは、そう――Fly a way(飛んだら、また、そのうちにね)

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