母と東京

空岸なし

母は

 母は、最後まで東京には来なかった。


「東京は空気が汚い。人も多くて怖い」

 そう言って私の結婚式にも来なかった。

 新郎家族や友人たちに向けらたあの視線を、母は知らない。

 披露宴で私は特定の誰かではなく、出会った人全てに向けて感謝の言葉を読み上げた。誰かを名指ししてしまうと、否応なく母への手紙を読まなくてはいけないからだ。

 そんな逃げ腰のスピーチに対する拍手は嫌に頭に響いた。

 母からは三日遅れでかろうじて祝儀が送られた。

 それは最後まで使わなかった。



 母は卒業式にも来なかった。

「合唱曲が嫌い。学生の頃を思い出す」

 他にも同じ理由で来ないことがあった気がする。

 文化祭には来た。私は自分のクラスで待っているから来て、と言ったが、結局来てくれなかった。

 母は売店をある程度回り尽くして帰ってしまったのだと、後で本人の口から聞いた。

 母がもう一度学校に来たのは呼び出しを受けたときだった。私の成績、授業態度がどのようなものなのかを懇切丁寧に説明されて、母はなるほど、とだけ言った。

 その帰り道、私は母に怒られた。

 来るのに三十分もかかった、運転が疲れた、ガソリン代がかかった、という内容だった。

 ただ、たまたま見つけたスーパーの安売りで母が買い物をして、たまには遠出も悪くない、と私の学校生活の話などなかったかのように機嫌が直ったことをよく覚えている。



 母は公園にも来なかった。

「砂で汚れる。夕方は暑い」

 だから小さい頃に母と外で遊んだ覚えもない。

 母の主な姿は、家事をしている背中、寝転がってテレビを見ている背中、毎朝玄関から出ていく背中、眠れない夜の呼びかけても返事のない背中だ。

 ご飯のときは横顔が多かった。テレビの邪魔にならないように横に座らされたからだ。 もしも母が幼い私と遊んでくれていたならば、自然と正面の姿が多かっただろう。

 しかし私が三才だか四歳だか、そのころはまだ父がいた。

 父は私を公園に連れて行ってくれて、ボール遊びを一緒にした記憶がかすかにある。跳ねるボールが父の顔を見え隠れさせる光景だ。

 ただしボールが跳ねるのをやめたところで、父の顔が鮮明に映ることはもうない。

 父は浮気をして出ていったと、いつからか私には刷り込まれている。母によって。

 親が喧嘩している記憶はないが、そもそも二人が夫婦という関係で結ばれているということさえわからないほど、私が小さかったのだろう。もしくは彼らがそれを匂わせなかったのか。

 本当のところはわからないが、父の浮気は十分にありえると今は得心がいく。

 父がではない、母がああだからだ。

 おそらく父よりも長く、あの母と付き合ってきた私が保証する。



 母は、私に興味を持ってこなかった。

「そう。いつ行くの?」

 私が上京すると言ったときもこの調子だった。

 私も少し稼ぎながらとはいえ、短大まで行かせてくれたことには感謝する。ただそれも母の元を離れるための手段でしかなかった。

 母が私に興味を持たないので、私も母に興味を持たないようにした。上京してからはほとんど母と連絡を取らなかった。

 母のことは常に頭の片隅にはあった。ただ、忙しない東京でそれ以外のことが増えていっただけだ。

 でも、それが忘れるということなんだろう。

 母のことを強く思い出したのは夫と結婚式について考えているときだった。私は母を呼ぶべきか考えた。しかし夫は、呼ばないってどういうこと? と魚のようなぬくみのない目で私をギョロリと見た。

 というこれは私の主観。知ってる、そこでわかりあえるとは思っていなかった。

 正しいのはそっちで、私は間違っている。触れて悪化するよりは間違ったままでいるほうがまだいいと、それを彼に説く勇気は私にはなく、結局私は母に連絡したのだった。

 そして帰ってきた返事があれだった。

 母は変わらない、膿のまま、まだそこにあったことを確認しただけだった。



 母は私の出産日にも来なかった。

 なぜなら母は亡くなっていたからだ。

 ある日私のもとに突然訃報が入って、五日前に母が亡くなっていたと知らされた。

 回覧板を渡しに来た人が気づいたらしく、いわゆる孤独死だった。

 それからはあれよあれよと手続きが進んでいき、落ち着きを見せ始めたところで初めて、そうか私はこの人の死を弔おうとしているのか、と気づいた。

 私に興味がない母と、母に興味をなくした私との関係はこうもあっさりと終わりを迎えた。

 それはとうの昔に終わっていたような気がしていたけれど、じんわりと火の残った線香花火のように私の心に棲まっていたようで、それがポトンと落ちてしまい、私はただただ虚無感に満たされた。

 母は結局、どんなひとだったのだろうか。娘という私の狭い視点からは限界がある。母の親族や今はいない父、近くの住民などに聞いてみたいと今は思える。



 母は最後まで東京に来ることはなく、いってしまった。

 そして、私と母との関係は終わったと言ったけれども、それはいまだ続いていると私は思い知らされた。

 なぜなら、次は私が母になるからだ。

 あの人のもとで育った私は正しく母親になれるだろうか。あの人の性格の一部でも残っていて、浮気されたり、迷惑だと子供に言い聞かせたり、背を向けてばかりでいたり、そうやってまた繰り返してしまうかもしれない。

 いや、あの人のもとに生まれたからこそきっとこの経験を生かしてやっていける。

 家では顔を合わせて遊ぶ、外に連れて行く、卒業式には出る、ちゃんと叱る、将来を考えてあげる、結婚式には行く、孫を見るまで生きる、そうすればきっと、たぶん、おそらく……いい母親になれるはず。


 我が子が腕の中にやって来た。

 暖かくて、命を感じさせる力があって、まさに希望の光だった。

 夫は笑っている。

 私はどうだろう、笑えているかな。

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母と東京 空岸なし @sorakishi

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