第十話 レスキューオレンジ

 慧海なる少女の素性がわかったところで、なんとも落ち着かない気分だった小熊の心に、やっと彼女を仔細に観察するだけの余裕が生まれた。

 幸い慧海は自分の高校入学を祝う席だということを意に介さず、目の前のエネルギー源を体に取り込むことに集中している様子で、小熊に注視されていても特に意識する様子は無い。気づいてすらいないのかもしれない。

 小熊が見れば見るほど、椎の二つ年下の妹だという慧海は、見事なまでに姉に似ているところが無かった。

 身長百四十cmに満たない姉と百七十cmを越えていそうな妹。顔立ちも丸みのある輪郭にとろんとした目の椎に対し、慧海は細面で猫目気味。椎の長い髪は太陽の光を受けると青みがかった色になるが、慧海の髪は微かにオレンジ色。クセのついた髪を無造作に後ろで縛ったポニーテイルの髪を仔細に観察するまでもなく、美容院でカラーリングをするような女子ではない。天然のオレンジ。


 小熊は椎と慧海の母を横目で見た。アーリーアメリカンを意識した服装の女性は、明らかに染めたのがわかる金髪で、元の髪色がわからないが、夫より上背の高い体格に面影が無いことも無い。

 暖色と寒色。それが姉妹の最大の違いなのかと思った。それは父母から受け継いだものかもしれない。椎と慧海の父は顔を覆う髭とジャーマン風のオーバーオールで柔和な印象を醸し出しているが、時々都内で商社勤めをしていた頃を思わせる冷徹な顔を覗かせる。一方母のほうは、たぶん学生時代からこんな感じなんだろうなと思わせる、他人の言葉をナマコのように受け流す雰囲気。

 慧海自身はオレンジが自分のイメージカラーであることを意識しているらしく、褐色のミリタリーパンツの上に着たパーカーはオレンジ色だった。

 レスキュー隊がよく身に着けている色で、山岳や海でレスキューされる側の着衣としても推奨されている。小熊には彼女が身に着けている得体の知れないサバイバル道具より、このオレンジのスウェットパーカーのほうが役立ちそうに思えた。

 

 小熊が慧海を観察している間、会話の空白が生まれたらしく、椎は慧海の腕をつかみながら、小熊に話しかけてくる。

「慧海ちゃんはなかなかクラスになじめなくて、いつも私と一緒じゃないと教室に行きたがらないんですよ」 

 シュリンプサラダのサンドイッチを食べていた慧海が顔を上げた。

「家を出ると、学校より山に行きたくなる」

 慧海は姉の椎や小熊を見るでもなく、イートイン・カフェの窓から見える甲斐駒ケ岳の高峰を眺めながら言った。

 とりあえず、小熊は最近の椎が学校に遅れることが多く、休み時間のたびに姿を消す理由がわかった。椎はこの体は大きくなったが、いい意味でも悪い意味でも自由な子供を、何とか学校という社会システムになじませようとしている。小熊は狼に育てられた子供を引き取った生物学者の苦労がわかった気がした。


 礼子はといえば、さっきから慧海の持っているサバイバルツールと称するオモチャ類に興味津々な様子で、ポケットのたくさん付いたベストから中身を取り出しては、これ何?どうやって使うの?と聞いている。

 慧海は自分の持ち物を他人に触れられることについては特に気にしていない様子で、礼子に聞かれるたびに言葉少なげながら機能の説明や実演をしている。

 さすがに千数百度の高温で濡れ凍った薪に火を着けられるというマグネシウム製マッチを使って着火をしてみようとした時は、椎に止められた。

 疑問に思ったことは相手の都合を問わずストレートに聞く礼子が、もう一つ質問をした。

「ナイフは持ってないの?」

 慧海の顔に赤みが差し、髪の色のようなオレンジになる。慧海は礼子が勝手にいじくっていた多機能ツールを取り返しながら言った。

「以前は持っていたけど、警官に怒られた」

 マルチツールに付属しているナイフは、刃が折り取られていた。特定開錠工具と言われ軽犯罪法による摘発の対象となるマイナスドライバーも外されている。

「官憲からのサバイバルだ」


 慧海は恥じていた。奇怪な服装や行動をなんら恥じない少女は、国家権力に屈し、生き残るためにナイフの刃を折った自分自身を恥じていた。小熊としては彼女の思考を理解できない。

 小熊もカミラスの多機能ナイフを持っているが、部屋に置いていて外に持ち出すこともないし、その必要性を感じたことも無かった。カブに乗っていて出先のトラブルで修理にナイフが必要な状況になったら、無理に修理するよりトラックで引き上げて貰ったほうがリスクは低い。

 一方礼子は、慧海の反応を見て彼女に親近感を抱いた様子。元より礼子好みのオモチャを色々持っている子だったが、ナイフの事を指摘された時の反応が、礼子が彼女のハンターカブの整備ミスや部品の破損を指摘された時と同じ顔。彼女もそんな時、自分自身の内部を見られたように恥じる。


 礼子は慧海の肩を抱き、窓の外に停められた小熊と椎、そして自分のカブを指しながら言った。

「あんた、バイクに乗ってみない?」

 慧海はカブを見て、それから視線を落とし、自分自身の足を見て、それから答える。

「私には必要ない」

 礼子はまだ慧海の洗脳を諦めていないらしく、サバイバルツールとしてのカブの利点を一方的に説いている。

 椎は小熊を指し、以前アレックス・モールトンの自転車に乗っていた時、真冬の川に落ちた自分をカブに乗った小熊が引き上げてくれた事を話した。

「あのときの小熊さんは、カブで救急車より早くやってきて、あと少しで死んでいたかもしれない私をターザンみたいに助けてくれたのよ」

 小熊としては帰り道で椎から電話があったので、家に帰るついでにカブに乗せてあげたくらいの気持ちだけど、感謝されるのは奇妙な気分。少なくとも自分の腕はターザンを演じたジョニー・ワイズミューラーを気取るには細すぎる。

 慧海が自分を見る目が変わったことに気づいた小熊は、自分には似合わぬ考え事をした。

 彼女が身につけ、そして髪色に顕れたオレンジは、あらゆるものから生き延び、誰かを助けたいという意思なのか。

 それとも、助けてほしいのか。 

 

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