第七話 慧海


 放課後。

 小熊と礼子は二台のカブを連ねて、椎の暮らすチロル風のイートインベーカリー、BEURREに向かった。

 当人の椎はホームルーム終了のチャイムが鳴るなり、小熊と礼子に来てくれるように念を押した後で教室を飛び出していった。

 よほど会いたい人が居るんだろうか?授業中に引き離されるだけでも寂しくなるような相手が。それならなぜ自分たちが?そう思っているうちにBEURREに着く。

 店裏のガレージに回ってカブを停めたところ、椎のリトルカブが見える。小熊と礼子が教えたように、ガレージの奥でワイヤーロックを掛けられている。

 盗難リスクの高いカブを、トラックで乗り付けてロックを切断し持っていくバイク泥棒から守るためには、相手にひと手間かけさせること。そうすれば向こうはリスクの高い獲物を避ける。

 そして、万全の盗難対策があるとは思わないこと。

 ガレージの奥にしまわれたリトルカブは、自分を大事にしてくれるパートナーに恵まれたようにも、手に入れて早々に愛情が別の物に移ったらしき乗り手に嘆息しているようにも見えた。


 二人で店の正面に回り、樫のドアを開ける。店内は相変わらず多国籍な内装だった。

 ドイツ風のパンを売るイギリスのサンドイッチスタンド風の店に、アメリカンダイナーを思わせるイートイン・スペース。その片隅にデロンギのエスプレッソマシンと、イタリア製のリネンクロスが掛けられた小さなテーブル。

 貸切の札が架けられたイートインスペースに入ると、椎とその両親がすでに二人を待っていた。

 テーブルの上には、アメリカン・ソウルフードが好きな椎の母が作ったらしき各種のパイと、椎の父が作ったであろうサンドイッチが並んでいた。椎の大事な人を招くという席に、場違いな気分を味わいながら、小熊と礼子は薦められた席に着く。

 椎がすぐに小熊のカプチーノと礼子のエスプレッソを出してくれた。アメリカン・コーヒーのジャグを持った椎の母は残念そうな顔をする。

 

 小熊が以前から気になっていたのは、この椎の両親の好みを反映したような店には、どちらの趣味ともいいかねる物が散在すること。

 店名のBEURRE、サンドイッチに挟まれたピリっと刺激のあるチーズ、ライ麦パンが自慢の店でなぜか取り扱われているバゲット、あちこちにフランスの匂いがする。

 これは椎の両親、あるいは椎本人の誰の好みに合わせたものだろうか、そう思いながら店内を見回していると、椎は両親と目配せした後、小熊と礼子に言った。

「今、連れてきます」

 そう言った椎は店のカウンター裏に回り、そのまま椎の部屋がある二階への階段を上がっていく。既にそういう関係の相手なのか、テーブルに並ぶ見た目からして美味しそうな料理に反し、あまり居心地のいい食事にはならないのかもしれないと思いながら、横目で礼子を見た。

 礼子は日本ではなかなか本格的なものが食べられないクラブハウス・サンドイッチとキーライムのパイに目を奪われている様子。これは食べるものたけ食べて早々においとましたほうがいいだろう。


 椎はすぐに階段を下りてきた。誰かの腕を引いている。身長百四十cm足らずの椎とはだいぶ身長差のある相手だということはわかった。

 椎が誰を選ぼうと、それは椎の問題だと思っていた小熊も、せいぜいそいつの顔を拝んでやろうという気分になった。礼子は椎の連れている人間と、目の前の料理を交互に見ている。

 やはりその相手は背が高かった。百六十cm台後半の礼子より高いかもしれない。体格で威圧を感じる雰囲気ではない。細身な印象。

「ではお二人にご紹介します。今年からわたしたちの高校に入学することになった、恵庭慧海えにわえみです」

 ひょろっとしたノッポ人間は、小熊と礼子にペコリと頭を下げる。説明不足だと思ったのか、椎が言い足す。

「わたしの二つ下の妹です」

 なんだか得体の知れぬ奴だけど、この店に抱いていた疑問は多少なりとも明らかになった。

 小熊は慧海なる女子の着ているフランス軍の隊規が描かれたグリーンのスウェットシャツを見ながら思った。

 

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