第13話 8日目

「どうなるのかしら……」

「とりあえず銀行に頼んだりとか……」

「無理じゃないの?この不景気に。よほどの優良企業ならともかく」

心配そうな周りの話を聞きながら、ヤットコを動かす。


月曜恒例の全体朝礼では、倒産の噂については一切触れられず、あろうことか社長は出社していなかった。今週の朝礼司会の大川課長が、社長は先週の木曜日から今週水曜日まで休暇を取っているのだと言っていたが、たまたま偶然タイミングが重なっただけなのか、それとも高跳び的な逃避行動なのかは分かるはずもない。

何人かの従業員が、部長クラスの役職者にどういう事なのか訊きに行ったそうだが、“ただの噂”と一蹴されたらしい。


僕自身も土日に田辺部長と連絡を取ろうとしたのだけど結局つながらず、じいちゃんにも訊いてみたが、“話の真偽はともかく、まぁなんとかなるだろうよ。田辺君もいるんだしな”と、いやに楽観的だった。


こういう場合、組合がある会社だと組織だってしっかり話を掴む事ができるのかもしれないが、あいにく匠美鎖に組合はなく、統率する人間もいない為、皆オロオロと右往左往するばかりだ。


そもそも根も葉もないただの噂というより現実の話として広まっているから不安がつのるわけで、話の出所とされている経理の人はその後口をつぐみ、“口止めされたらしい”と逆に噂の信憑性を高める効果を出していた。そして倒産の原因とされる“社長の使い込み”も、腰巾着の猿顔――経理の底山部長がつくった裏金を、社長と犬顔――営業の宗藤部長の3人が使い込んだ、というのが有力説だった。


「ありえる!似合いもしない外車なんか乗り回しちゃってさあ」

「だからあたしたち、こんな薄給なんだ」

「社長って毎月100万くらいもらってるらしいわよ。私たちパートのほぼ10倍よ!?昼間っから社長室でいびきかいて昼寝してるような人間に、なんでそんなに払う必要があるのかしら!」

いまいち話がはっきりしない不安と不満が膨らみ、ある事ない事、憶測と噂を織り交ぜて、だんだん雰囲気はヒステリックになっていた。


それに触発されたという訳ではないが、僕の中にも焦りに似た苛立ちがあった。

本来なら自分には関係ない話だと割り切らなければいけない。来週にはもうここにはいないのだし、今の身分は一介の高校生のアルバイトなのだ。出来る事などあるはずがない。いや、たとえ僕がSAIHARAの社長であったとしても、頼まれもしないのに他所の会社に介入するなど出来るはずがない。

それでも、僕にも何か役に立てる事はないだろうか、と考えてしまう。

たった2週間のアルバイトだけど、せっかく知り合えたのだからこれも何かの縁、なんて言ったら優等生すぎるだろうか。それでも。


加工が上手く出来ずに焦っていた僕に、さり気なくコツをアドバイスしてくれた人。上手くできないのは道具が悪いのかも、と自分の工具を貸してくれた人。探していた工具が見つからず困っていた時、一緒に探してくれた人。休憩時間に、調子はどうかと聞いてくれた人。夕方疲れてきた時に“あとちょっとだから頑張れ”と励ましてくれた人。

“10分も経つけどさっきから1つも出来てない?”なんて辛口な声をかけてくれる人だって、自分が出来ていない事を自覚させてくれる大事な指導だ。


この1週間、失敗して怒られたりもしたけど、親切に教えてくれたり励ましてくれたり、一緒に働いた現場の人にはお返ししたい。それに一部の人間の身勝手で無思慮な行動のツケを払わされるのが、弱い立場の人たちだというのも許せない。

生意気かもしれないが、今この瞬間は匠美鎖の一員として、社内を覆う不穏な雰囲気をどうにかする役に立ちたいと本気で思うし、別の方向から見れば、これから先、SAIHARAでこのような事が起きた時にどうすればいいか、どんな風に動くべきか、“試されている”とは言い過ぎにしても対応力を計るチャンスなのかもしれない。


そんな事をモヤモヤと考えていると、男の人が2階フロアの中心に立って声を上げた。

「あー、みんな悪いんだけど、ちょっと自分の周りを探してくれないかな。今日発送しなきゃいけない10金のピアスが、半ペア見当たらないんだよー。アメリカンピアスで3㎝くらいの小豆にパールがシャンクで下がってるやつね」


やれやれ、といった感じで皆一斉に床にしゃがみ込んだり、作業机の上などを探し始める。

「どの辺でなくなったんですかー?」

「検品にいく前だから、このフロアにあるはずなんだけど」

「どこまでは数あったんですか?」

「仕上げをする前まではトレイにちゃんと1ペアずつあったらしいから、その後だね」

「10金の何ですか?」

「あ、ごめん、ピンク」


―――ナニを探せって?

途方に暮れて立ち尽くし、傍でしゃがんで探している人に小声で話しかける。

「えっと、すみません、何を探したらいいんですか?ピアスが見当たらないというのは分かったんですが、どんなモノなのか、説明聞いても全然分からなくって……」

「ピンクゴールド、つまり赤味の金色のピアスで、ピアスって基本2つで1セットだからその状態を1ペアと呼ぶんだけど、それが片方だけの時は半ペアとか0.5ペアって言うんだよ。アメリカンピアスは耳に引っかける金具が釣鐘状のフックのピアスで、小豆チェーンの先にパールがシャンクで――ああ、シャンクって分かんないか?」

「しゃんく?分かんないです」

「パールに限らないけど、石とかパールって穴が貫通して両側に穴が空いている“両穴”か、片側だけに穴が空いている“片穴”かで留め方が変わるんだ。片穴なら9ピンなんかの金具を接着剤で付ける方法になるし、両穴の場合は線材の先に玉か皿が付いたのをパールに通して、上に出た線材をクルッと巻いて留める方法になる。それが9ピン留め。シャンク留めはクルッと巻いた後に根元部分にくるくると線材を巻きつける方法。両穴はほとんどの場合このどちらかになるね。

あと今日発送って言ってたから、納品の事務処理をする時間と宅急便で送る為に荷作りする時間を考えて、4時ぐらいまでに見つからないとマズイって事だね」

「なるほど」


なんとなく、どんなモノなのかと急いで見つけなければいけない事が分かったので、それらしいモノがないか探してみる。

周りの人たちと同じように僕も膝をついて探し始めた時、ふいに国立さんの言葉が蘇った。

“死ぬ気で探せ”

その言葉を思い出した瞬間、周囲の探し方が手ぬるいものに見えてくる。


――よし、絶対に僕が見つけ出してやる。

折った膝をそのまま、床に寝そべる。それほど汚れていないように見える床も、こうして這いつくばって凝視すると結構ゴミが落ちている。ついた手にもたくさんゴミが付いた。

気にしない。とにかく見つける事が先決。

側頭部を床に擦りつけながら目を凝らして探していると、声が降ってきた。

「お~やる気だね~」

「とにかく見つけないとマズイみたいなので……」

「これは負けてらんねえなぁ」

数人がまるで対抗心でも燃やしたかのように、普段動かさない機材や棚をずらして隙間を探し始める。

「あ」

何かある。ドキドキしながら指を伸ばしてなんとか引き寄せると――違った。

わりとキラッとする物は落ちているのだが、ピアスらしきモノは見つからない。

「見つかった?」

「いや、まだみたい。あの辺って誰かもう探したかな」


……ナイなぁ……

やっぱり簡単には見つからないか。そりゃそうだ。無いと分かった時点で全体に声をかける前に当然探しているハズなのだから。探せるところは探して途方に暮れた時に初めて全体に声がかかるのだ。それはつまり、このフロアの人間の手を止めてでも探し出さなければいけないモノだという事。わざわざ説明されなくても意向を汲めるくらいでなければダメだった。

反省しつつ、隙間という隙間に目を凝らしていると、さっきの男の人――検品部門の瀬良係長が声を上げた。

「あったあった、ありました!みんなありがとう!作業に戻ってください」


捜索開始と同じようなやれやれといった雰囲気に安堵感を足して、それぞれ手にした金具やらパーツやらチェーンの切れ端やら何だか分からないが地金っぽいものやら、ピアス捜索での戦利品を集め、小瓶に入れる。さすがにネックレス1本とか大物はないが、こまごましたパーツは意外と落ちている。

これはこれで集め、たくさん集まった時点で熔かして分析し、再利用するそうだ。

自分が見つけ出せなかったのは残念だけど、見つかって一安心し作業服のゴミを払っていると、

「いい探しっぷりだったなあ」

口々にお褒めの言葉を頂戴した。


さて、と仕事に戻ろうと席に着いた途端、瀬良係長に手招きで呼ばれる。

「なんでしょうか?」

「大変申し訳ないんだけど、今探してもらったピアス、発送しないといけないんだよね。でね、話はつけてあるから、ちょっと上で梱包を手伝ってもらえないかなあ」

基本、上長からの言葉は尋ねる形であっても指示だ。

時計を見るともう4時を回っている。

「分かりました。何でも言ってください」




よく働く。それが第一印象だった。

指示に対する受け答えも素直で感じがよく明快だ。これはどこの部署も欲しがるだろう。

なるほど、と瀬良は納得していた。さきほどの探し方もそうしろと言われた訳でも周りにそんな探し方をしている人間もいなかったが、達成する為に何が最適かを自分で考えて実践しているようだった。


朝の打ち合わせで彼をどこに割り当てるかを話し合うのだが、一度受け入れした部署はいつも欲しがっているらしかった。たまたま検品には手が揃っていた為、今日まで応援を頼む機会がなかったのだが、こういう人間は確かに仕事を頼みやすい。

仕事を頼みやすい雰囲気というのは存外大切だ。頼りやすい、安心して任せられる。そういう人間は周りからも可愛がられる。

それに飲み込みも早いし、勘もいい。

これらが揃う人間というのはなかなかいないものだ。

受け答えがいいように見えて、単に調子よく相槌を打っているだけで指示をまったく理解できていない人間や、理解できていないまま質問も確認もせずに仕事を始めてしまう人間は結構多いし、妙に指示に屁理屈をつけ的外れな質問をして自分を有能だと勘違いした人間も少なくない。


さすが田辺部長の身内、といったところか。かなり遠縁らしいと聞いているが。

まったく、うちの部署の人間とはえらい違いだ……。

振り向いた西原くんと目が合った。

「あの、すみません。この後どうしたらいいですか?」

「そうしたら……」




1日が無事終わり、タイムカードを押して、着替える為に更衣室に向かいながら、初めて手伝いにいった検品部門の様子をモヤモヤと思い出していた。

正直、1・2階とは全然違う3階の雰囲気に驚いた。

作業をしながらずっと感じていたのは、”変だな。どうして誰も注意しないんだろう”だったからだ。

休憩時間でもないのに、しょっちゅう仕事の手を止めては、他人の悪口や下で聞いてきた噂話をいちいち報告し合ったり、ひどい人は30分くらい延々と、堂々巡りな仕事の愚痴を話していた。

仕事中、話をしてはいけないとは思わないし、むしろ集中力が切れるのを適度にリフレッシュさせる効果があると思うけど、1・2階の人たちは皆、話をしながらでも作業の手は止まらなかったのに対して、検品の人たちは明らかに仕事をさぼっていた。

時間が差し迫っているのだから、喋っているんなら手伝ってほしいと思ったし、僕を手伝いに呼ばなくても、この人たちが仕事すれば済む話じゃないのかなと思ってしまった。

そしてその状態を、瀬良係長は注意もせず、あの国立さんですら――

「あ」

「西原くん。お疲れ」

ちょうど考えていたタイミングで、階段を上がってきた国立さんと鉢合わせになった。

「今日はありがとね」

「いえ……」

――国立さんですら、何も言わずに無表情に黙々と仕事をしていた。

そんな様子がちらつき、なんとなく気まずくて言葉が出てこない僕を見て、少し困ったように笑うと国立さんは「また明日ね」とすれ違っていく。

分かっている。僕なんかが口出しする事じゃない。でも――。

「あ、あの……!」

気がついたら咄嗟に呼び止めてしまっていた。

「…………」

何か言いたいのに、言葉が続かない。

そんな僕をふり返ると、国立さんは疲れたようにそっと息を吐いて、言った。

「西原くんさ、ちょっと愚痴に付き合ってくんない?」



奢ってもらった缶ジュースを手に、食堂の隅の席に着く。

これから残業、という人がちらほら休憩していたり、喫煙室で一服している人が数人談笑しているくらいで、これなら話を聞かれる心配はないだろう。

どこかお店に移動してというほど大げさでなく、廊下の休憩所のように通りかかる人にいちいち見られず話を聞かれず、少し話をするのに、なるほどお誂え向きの場所だ。

「……やっぱり気になった?」

両手を温めるように缶コーヒーを包んで持ちながら、国立さんが訊く。

「最初は、倒産の噂で浮足立っているだけなのかなとも思ったんですけど、でもなんか、そういう感じでもなくて……。僕なんかがどうこう言う事じゃないですけど、1・2階で働くパートさんたちとのあまりの違いに、ちょっとびっくりしたっていうか……。」

先週1週間働いて、仕事の厳しさと楽しさ、社会人の、大人の頼もしさなんかを目の当たりにして感心していた僕には、検品部門の雰囲気は異常にしか見えなかった。

「そうだよね」

国立さんは深い溜め息と共に頷くと、「そーだよねえぇぇぇぇぇ」と繰り返して缶コーヒーを煽った。傾けた缶の底があっという間に天井を向いたと思うと、テーブルに音高く叩きつけられる。


「私もね!そう思うんだよ!何回も言ったんだよ!注意したんだよ!係長にも相談したんだよ!でも全然ダメだったんだよ!!」

あれ?今煽ったの、コーヒーだよな?アルコールじゃないよな?

そう戸惑うくらい、国立さんは一気に吐露する。よほど溜め込んでいたのだろう。

「瀬良係長に言ってもダメだったんですか?」

「係長って今年度異動してきたばかりなんだよ。あの部署、そこそこ長い人間が集まってるから、自分たちより若くて勤続年数短い人間を下に見るんだよね。馬鹿にして言う事聞かないの。仕事中に手を止めてベラベラ無駄話してるのも、自分たちは長く勤めているベテランだから、このくらいの余興は許される、とでも思ってるんだよ」

それは、ただの甘えだ。

「そのくせプライドばかりやたら高いから、否定されるような事を言われようものなら総攻撃よ。だからあの部署には誰も付きたがらないし、付いても強く出れないもんだから、やりたい放題」

堰を切ったように話す国立さんは、怒っているようでいて、今まで見てきたどの顔よりもつらそうだった。

「大体、強く出れないって事自体、おかしな話じゃない!?この会社って社員はみんな外部研修に行くんだけど、一体何の為に、わざわざお金を払って研修へ行ってんだろ?働くという事への“心構え”を学んできたんじゃないの?明らかに仕事さぼっている人間に、誰も注意しないし、見ないふり、気付かないふり。ホント、軽蔑するよね」

職務態度の悪さを注意しないという事は、真面目に働いてくれている人間を大切にしていないという事でもある。


「私たちはメーカーで、ここは工場なんだよ!生産性を第一に、特にパートは実質的な生産性を上げる事を第一に動かなければいけないはずでしょ!?あまりに意識もレベルも低すぎると思わない!?就業時間が始まっているのに、一向に仕事は始まらないし、どうでもいいおしゃべりや人の悪口で仕事の手を止めたり!一見、仕事の話をしているように見えても、あれ、手を止めて考えているふり、悩んでいるふりをして、さぼっているだけなんだよ。ただ愚痴を垂れ流しているだけ。真剣に考えて、本気で解決しようと思うなら、やたらしょっちゅう生産の流れを止める前に、問題が発生した時点で、速やかに上長に報告なり相談なりして解決に努めるべきでしょ!?それをしないのは、解決する気がない、むしろ解決したら困るからなんだよ!解決しちゃったら、仕事中に堂々とさぼる事ができなくなるから!

で、頻繁に仕事の手を止めている人間を、上長は誰も注意しない、声もかけない!とてもメーカーの現場とは思えないよね!?

もし本気で上長が気付いてないっていうなら管理能力不足だし、気付いてて対応してないなら、職務怠慢以外の何物でもないでしょ!?」

そこまで吐き出すと、国立さんは息を整えた。

「……という感じで、ばばあどもとも上長とも闘ってきたわけだが――」

お?

「ばばあには嫌がらせされ、上長の支援も期待できず、最終的に私が孤立しただけだった、というのが、今の状態」

今までの剣幕は?という落ち着きで締めたが、重すぎる話をそのまま僕に持ち帰らせない為の国立さんなりの気遣いなのかもしれない。



ジュエリーの検品基準は案外曖昧だ。

それは匠美鎖のようにたくさんの納品先を抱えるOEMメーカーの宿命で、各社それぞれと取り決めされた基準に則って製作し分ける必要があるからだ。

ネックレスの長さひとつとっても、”全長40㎝”といった時、納品先によって

”金具の外側から外側で40㎝”とか、

”金具の組んだ時に引っかかる部分から引っかかる部分で40㎝”とか、

”金具の組まれる部分の穴の真ん中から真ん中で40㎝”

といった具合に測る場所が変わってくる。


そこにさらに許容誤差範囲として

”マイナス2㎜プラス8㎜までならOK(全長40㎝なら、39.8㎝~40.8㎝の間であればOK)”だったり

”プラス8㎜までOK、でもマイナスは絶対ダメ”だったり、

”チェーン1コマ分の誤差しか許さない”

という厳しいお客さんもいるなど、各納品先によって基準が違う。


しかも、測る為に机に置くと僅かにたごむから、傷付けないよう金具を押さえてそっと伸ばしながら測ったり、チェーンのねじれを取ったりと気も遣う。

それでもまだ全長は、”40㎝”など基準となる数字があるからいい。


”仕上がり”――どの程度まで仕上げをするか、どこまで手をかけるかの見極めは、一概に言い切る事はできないが、検品する人間の経験と感覚に左右される。


本来なら、生産の1番最後である検品部門は、お客さんに自信を持って納める事が出来る製品であると確認する最後の砦だ。会社のクオリティを決めるだけに責任が伴うのだから、ある程度の厳しさは必要で、いい加減なクオリティを承認するわけにはいかない。だから検品でダメだとなれば、何度でもやり直すし、作り直す。


しかし検品者は検品者で、”検品落ちして責任を取りたくない”という気持ちが働く。だから必要以上に高い完成度を要求する事も多い。

もちろん手をかければかけるほど、いいものにはなる。だがそこにはコストが伴う。メーカーである以上、コストに見合うだけの利益かの見極めも必要になってくる。


「クオリティを振りかざせば誰も文句は言えないから、それを権力と勘違いしてるのよ。他の現場を知らないから、コストも考えずただ上がってきた物に対し文句をつけるだけ。そうやって安全な場所からただ文句を言うだけの根性が沁みついているもんだから、仕事中だけでなく更衣室でも食堂でも文句と悪口と噂話ばっかり!ほんっと頭おかしいんじゃないの、あのばばあども」


どんな会社でも問題のない部署なんてないだろう。その問題点を改善する意欲や工夫が成長につながる事も多い。それでも、あの部署が改善する余地があるか疑わしいほど根本からマズい事は、ほんの数日勤めただけ――もっと言えば2時間手伝っただけの僕にだって分かる。


真面目な人間ばかりが、問題に対して”何とかしなければ”と悩み、思い詰め、どんどん仕事が厳しくなっていく一方で、口先ばかりの人間が楽をするような不公平な現場では、せっかく育てた有望な人材が辞めていく結果に繋がっていってしまうだろう。

経験を積んだベテランは確かに会社が育てた得難い財産だ。苦楽を共にしてきた絆のようなものもあるだろう。だからといって、好き勝手に振る舞っていいはずがないし、むしろ会社の模範となるような人間であるべきだ。

それに人生の後輩として、大人には理想の姿を見たいとも思う。

難しい事にも果敢に挑戦し、困難に挫けず、楽な方に安易に流されず、真っ直ぐに真正直に、誠意を持って。

こうありたい、こうなりたいと思わせる人間であってほしい。

だけど今日見たあの人たちは、その真逆だった。

意地の悪い声で笑いながら他人を馬鹿にし、根も葉もないような噂を悪い方に決めつけて気に入らない人間を貶め、陥れ、仕事の手を止めてまでこうして話し込んでいるのは、自分たちだけが物事の根本を分かっているからだというように振る舞う事で正当化する。

それは傍から見ていて、とてもイヤな光景だった。

あんな中でずっと、国立さんは働いていたんだ。

朝のひと時、たくさんの事を教えてくれた国立さんの信念や理想の中に、時折苦さが混じるのはこの為だった。



「ありがとう。聞いてもらって、ちょっとスッキリした」

「なんか、やっぱり会社って、その……いろいろあるものなんですね……。玖珂さんとかに、愚痴聞いてもらうとかしないんですか?」

「友達にまで不快な思いさせたくないもん。それに、いないところで何やかや言うのは結局あの人たちがしている事と同じで、自分を落とすみたいでイヤなんだよね。だからもう、あんま考えないようにして自分のできる事をやろうと思ってるんだけど、やっぱりどうしても”口先だけで仕事しないベテランより、真面目にコツコツ仕事する方が絶対に正しい”って気持ちがあるから、毎日モヤモヤしてて、そこに君が今日手伝いに来てくれたから……。あ、君なら不快な思いをさせてもいいって軽く見たわけじゃないよ!?西原くんは、その……言葉は悪いんだけど、なんて言うか、”部外者”だから」

国立さんが申し訳なさそうに両手を合わせる。

「ごめん!ほんとひどい言い方だよね。でも仕事中、西原くんが”なんか変だぞ”って顔してくれていたのが、実は本当にすっごくうれしかったんだよ。まともな神経の人がいたー!って。だからね、つい愚痴っちゃった」


そういう気持ちはなんとなく分かる。近しい人間には話せない、話したくないような事も、赤の他人だからこそ話せる。そんな時もあるだろう。

2週間だけのバイトの僕だからこそ、国立さんはずっと抱えていたものを吐き出せたのだ。

「いつでも愚痴ってください。話聞くだけなら、僕でもできるんで」

僕なりの精一杯の誠意で申し出たが、国立さんは首を縦には振らなかった。


「ううん。やっぱり、今日私が話した事は、忘れて」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る