情報が流れ込んできた。

 いま、誰が死んだのか。そのナンバー。

 冷静な数字として小夜子の耳に届いた。

 三機編成が後方支援機に向かう途中、隠れていた敵に急襲される。

 それは、予定通りのことだった。はじめから決まっていることだった。


 では何が違うのか。

 それは、レイが動揺していることだった。

 ただ進めばいい。それだけ。

 レイは生き残り、襲撃されるのは随伴する二機。

 彼らが、レイを先行させる。

 そして彼は後ろ髪を引かれる思いで、先に進む。

 そういうドラマだ。今まさに、その状況が起きている。



 街頭のモニターで表示されている戦況。

 雲の切れ間から現れた一撃。

 一機目が、沈んだ。


 レイは激しく心をかき乱され、大きく機体を揺るがせた。

 それが致命的なスキを晒した。

 彼は墜落していく黒の欠片を見ていたのだ。棘翼竜はそこに向かって踊りかかった。


 だが――覆いかぶさるように、もう一機があらわれて、レイの死角をカバーした。

 棘翼竜の牙が二機目に食いついて、噴き上がる炎をものともせず、黒いボディをずたずたに引き裂きながら、地面にボロボロと突き落としていく。

 レイは戻ろうとしていた。

 動揺したまま、その仲間を助けようとターンしようとしていた。

 だがそこで、仲間は彼にメッセージを送っているようだった。

 先にいけ、と。


 痺れのような強制力が働いて、レイは強引に前を向いた。

 彼の後ろで、もうひとりが死に、堕ちていった。

 棘翼竜は彼の背中を見据えて、血まみれの口と双眸を光らせながら彼の追撃を開始する――。



 人々は固唾を呑んで、そのドラマを見た。

 情景はレイの機体に据え付けられた小型カメラから流され、リアルタイムで当局によって編集されて流れている。

 勇敢な兵士が、仲間を守って先行させる。

 単純だが、それが残酷な描写であるほど、人々は彼らに同情し――そして、敵への憎しみを増幅させ。

 やがて、一日を乗り切るための満足感を得る。それだけのことだ。

 何もかもが予定通りなのだ。

 彼らが死ぬことも、レイだけが先に進むことも、すべて。


 ――あなたは生きるの。だから動じないで。お願い、お願い。


 しかし、小夜子がそう願っても、もはや明白だった。

 彼らのうち一人が、彼に余計なことをした。

 そして、彼の中の眠っていた感情を呼び覚ました。


 今、レイは『予定』と大きく違う動きをしていた。

 『目的地』に到着するまでの時間が大幅にずれ込んでいる。

 そうしている間にも、彼の遥か後方、市街地の上空で繰り広げられている戦闘は熾烈を極めている。 いくつもの爆発が花開いている。


 いま、もう一機体が墜落し、ビル残骸にぶつかって塵となった。

 このままでは、『予定残数』を大きく下回る可能性がある。

 これ以上の予想外を当局は望むまい。


 レイの後ろを、今しがた二人を殺したばかりの棘翼竜が激しく追跡する。

 このままでは追いつかれる。


「レイ……駄目」


 観客たちはそこで、異変に気づく。


 ――曲が。おかしい。


 何度も演じられてきたはずの演目に、微細な変化が起きている。

 それは好ましからざる変化。


 盛り上がりに達するための僅かな不協和音が、引き伸ばされている。

 それは耳障りな多様な楽器の連なりだ。

 しかも、テンポがズレてきている。素人でさえ分かるほどに。


 舞台袖で、先生が唇を噛む――気づいていた。

 小夜子にも、異変が起きていた。


 彼女もまた、動揺していた。

 レイの感情が、伝わってきたのだ。

 彼がそんなにも、仲間の死に動揺しているということに。

 彼がこんなにも、自分よりも先に進んでいるのだということに愕然とし、断絶を感じ……そして、演奏が乱れていく。


 汗を掻く。

 背中に不快なものがのぼってくる。

 決められたタイミングで押すべき鍵盤。

 少しズレる。

 修正するため音を足す。

 またズレる。

 音を足す。

 乱れていく。

 音楽が、乱れていく。



 レイの後方から棘翼竜の執拗な炎。

 彼は何度も機体を左右にターンさせて回避していくが、そこに余裕はなかった。

 胎内で彼は前を見ていた。

 しかしその傍らで栞は揺れ続けていた。

 焼き付いて離れない。

 自分に向けられた無邪気な笑顔が、期待が。

 それが一瞬でいなくなった。

 歯を食いしばる。目が血走る。

 駄目だ、嫌だ。俺は、これ以上は――。

 機体の側面に、ジュッという音がして、追跡者の炎が命中する。

 彼は、悲鳴を上げる。



 観客のざわめきが止まらない。

 小夜子は無数の目に見られている。射抜かれている。



『全ては、必然として組み込まれたものだ』


 暗闇に落とし込まれた会議室。

 霧崎の前に、巨大な青白い顔面がモニターから投射されてあらわれる。

 それはモザイクのように何度も姿を変え、次々と違う老人の顔へと変貌していく。

 声音も、表情も一貫しない。

 誰も、『当局』の本当の相貌を知らない。


『かの国と我が国が、経済的安定と均衡を保つために。生産と消費を決して絶えさせぬために協定を結び、合意の上で続けてきた――それが、いまの“戦争”の真実。循環する生と死の中でこそ、国が続いている。これは不可抗力ではない、必然だ』


 その声が、託宣のように降り注ぐ。

 霧崎は歯噛みしながらじっと耐えていた。


 この神を気取る存在は、自分がドクターと接触したことに苦言を呈しているのだ。

 そんなことで、自分のこの国への忠誠は揺るがないと分かっているのに。

 『必然』のために、この老人は不確定要素を少しでも排除したいのだ。

 冷酷、冷静。

 反吐が出るほど合理的。


『死んでいく者たちも、必然の中に組み込まれている。順番も、数も、その“方法”も。だが、それに何かを思う必要はない。徒で途方もない犠牲とはわけが違う。分かっているはずだ』


「……ゲームのように見える戦争が、その実ほんとうにゲームだった。犠牲は必要です。情は不要です。しかしこれは、あまりにも……ぐあッ」


 そこで霧崎は……戒めを受けた。神からの。

 彼は膝をつき、頭を垂れた。


『次はないぞ、キリサキ。この戦いが終わってもなお、我らの“戦争”に“例外”が残るなら……あの白衣の男と、その忌み子を排除せよ』


 あまりにも、突き放したような口調だった。

 霧崎は……うなずくことしか、出来ない。



 身体を刺したのは痛みだった。

 焼け焦げた機体。

 だがそれ以上に痛むのは、彼自身の心だった。


 何度も急制動をかけられ、水風船のように機体の中でバウンドする子宮。

 うずくまり、レイは悲嘆する。

 痛い。痛い。死んだ。二人死んだ。おれをかばって。


 機体は酩酊したように左右に揺れながら、雲をいくつか越えるたび速度を落としていく。

 ダメージは深刻だった。

 後ろから敵がやってくることも明白だった。

 このままでは自分もやられる。魔道士にたどり着く前に。


 稲光のように、傍らをビームの光が通り過ぎる。

 それにぶち当たって、何もかも消えてしまえば楽かもしれないと、彼は一瞬そんなことを考えた。

 だが、それは駄目だ。

 なんのためにあいつらは死んだんだ。

 自分は死んではいけない。なんのために。なんのために。


 彼は気づいていない。

 音楽が、自身の行動ゆえに狂っていることにも。

 軛から放たれていた。

 重力と引力で身体が後方へ後方へ引き裂かれていこうとするなか、レイは歯噛みして――叫ぶ。


「くそッ……!」


 ――次なる一撃が、後方から迫った。

 レイの翼は、それを回避しなかった。

 炎は、彼の後部に命中した。


 円錐状のエンジンから漏れていた燐光が、そこで消えた。

 黒檀の身体が、力を失いながら真下へ墜ちていく。



 棘翼竜の挙動は、獲物を屠った後の余韻に満ちていた。

 怪物の視点からは、糸が切れたように真下へ落ちていく機体が見える。

 ゆえに彼は、身を翻そうとしていた。邪魔者は全員倒したから。

 そう、思っていた。



 だが次の瞬間、棘翼竜の真上に、レイの機体があらわれた。

 敵は驚いたように身体を震わせながら、顔を強引に上空へ向けて威嚇。

 口の端から炎の粉が見える。

 チャージ完了まであと数刻。


 レイのほうが、はやかった。

 彼は機体を傾けて急降下。

 その砲口を相手に向けた。それで終わりだった。

 放たれたレーザー光が棘翼竜に命中した。

 胴体が焼け焦げて、つんざくような末期の咆哮を上げながら、相手は落ちていった。

 レイは機体を水平に戻すと、そのままの勢いで先に進んだ。

 その先に魔道士が居る。



 もはや音楽は意識の外だった。

 そんな中で彼を動かしたのはとっさの機転。

 その核となるものは、疑いようもなく彼の意思。

 では、それはなにか。


 彼は生きようとしていた。

 どうしようもない衝動として溢れ出したそれに全身が包まれて痙攣し、他の何もかもを締め出した。 彼のなかに死んでいった者たちが去来していった。


 そして、それが終わると彼は、無意識に機体の動力をカットして、撃墜されたように相手に見せかけた。

 敵はまんまとひっかかる。

 雲の中にシルエットを預けて目をくらまして急上昇し、真上に陣取った……そうして、倒した。相手を。


 よろこびはなかった。いつもであれば感じる達成感も。

 あるのは、目の前で殺されていった同胞たちの姿と……祈り。

 彼は祈っていた。誰に。

 小夜子に、だ。


 ふと、音楽が自分の中に戻ってくる。

 ずっと聞こえていたのに、忘れてしまっていた。

 それは随分と不思議な音色を奏でていた。

 聞いたことのない不安が感じられた。

 そこで気付く。

 小夜子は――自分を感じ取っている。それが、音楽に反映されている。


 ――小夜子。おまえは、おれの心を読んだのか。おれが、何に怯えてしまったのかを。


 彼は加速する。

 すると向こう側から、無数の光条が降り注いでくる。

 魔道士が、こちらの接近に気づき、躍起になって攻撃の乱射をはじめたのだ。

 ――レイは、その殺意の雨をかわしながら、際限ない速度の中に飛び込んでいく。

 頭の中には、同胞たちの情報が流れてくる。

 自分のはるか後方。

 あの死んだ街の上空では、未だに戦闘が続いている。


 持久戦、消耗戦。

 一機、また一機と。

 双方に食い合いながら死んでいく。

 ビルにぶつかってペンキのように死がぶちまけられる。

 ひびわれたアスファルトに、ちょうちょのように墜落する。

 自分が長引けば長引くほど……続く。


 ――教えてくれ、小夜子。おれはなんのために生きているんだ。

 ――おれも最後には死んでしまうなら。どうしておれはこんなに苦しまなきゃならない。

 ――ドクターは教えてくれなかった。なら、ずっと一緒にいるお前は、おれと一緒に戦ってくれるお前の音楽は。おれのことをもっと知ってるはずだ。だから教えてくれ。


 ――おれの、進むべき道は、一体、どこに……。


 雨の中で彼の機体は打ちすえられていく。

 ひきつれた傷跡が黒の翼に刻まれていく。

 それでもレイは進んだ。

 なぜ、という問いかけとともに、絶叫しながら、魔道士に向かって。


 こちらが、熾烈な射撃の嵐に負けて沈むか。

 それとも向こうが、こちらに屠られるか。

 その、ギリギリのせめぎ合いのはて。


 レイは、ついに見つけた。

 こちらに向けて砲口をあらわにする魔道士の姿。

 そのでっぷりとした影を。


 胎内で再び吠えた。

 彼と機体は一体化し、スピードそのものになって。

 もはや光条を回避することも厭い、全身を傷だらけにしながら。


 レイの翔機が、その二対の翼が、魔道士の胴体に思い切り突っ込んだ。


 ふたつの巨影が、そのまま真下へと、無限の黒煙をたなびかせながら墜ちていった。

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