神々の系譜

節トキ

神々の系譜

 華やかな市街から遠く離れ、奥まった場所にある小さな小さな村。そこに、私は生まれてからずっと住んでいる。


 田舎ではあるけれど、閑散とした寂しげな雰囲気はまるでない。観光業が盛んで、毎日毎日近隣だけでなく全国から多くの人々が集うせいだ。


 数少ない村人達は、外からのお客様を笑顔で迎え、丁寧に饗す。美しい景色を眺め、名産品を食し、温泉に浸かり、村の興を存分に堪能した彼らは、やはり来て良かったと口々に言う。そしてまた必ず来ると告げ、それから言葉通りに本当に何度も来る。


 不思議なのは、景観であれ料理であれ、どれも取り立てて特筆すべきものではないということだ。それでも全国津々浦々、老若男女がこの地に魅せられ馳せ参じる。本にもテレビにも取り上げられたせいで、この頃は外国からの訪問も多い。



 観光客は気付かぬとも、村人達は皆、その理由を知っていた。

 ――――そう、此処には『福の神』がいるのだ。



 そんな村で、私は幼い頃から母娘二人、あちこちの宿やら土産物屋やらで働いていた。

 小さな子の手も借りねばならぬほど、村は常に繁忙期だった。

 学校が終わると急いで帰宅し、すぐに手伝いに走る。それがこの村の子の倣いであった。


 母娘二人と言ったけれども、父親がいなかったわけではない。彼は慌ただしく観光客を相手する村の皆と違い、ずっと家の中にいた。


 お気に入りの黒壇の長机、霜で白く濁ったビールグラス、その後ろで体をやや傾げて寛ぐ父。居間と隣り合わせた彼の自室は、常に襖を開け放していたため、いつも変わらぬその姿は壁にかけられた絵のようだった。


 彼はひどく寡黙で、娘の私ですら殆ど声を聞いたことがなかった。ただ、いつも仄かに微笑んでいたのを覚えている。ランドセルを置いて駆け出していく私の背をその微笑で見送り、酷使した身を引きずりへとへとになって帰れば、その微笑で出迎えた。


 また、私達家族は村の中で浮いていた。


 村八分にされていたわけではないが、何となく避けられている、とでもいうのか。

 会話をしようとしても適当に返されたり、仕事の時もわざと忙しくなるであろうところへ配置されたり。そのくせ無視をするでもなければ、手伝わないわけでもない。


 だが子供心にも、真綿で首を絞めるかの如く、随分と婉曲にお前達は仲間外れなのだと訴えかけられているのは理解できた。


 それを苦に感じたことはないけれども、原因は父なのだろうということも薄々感じていた。


 他の家の父親は、家族の先導に立って働いている。しかし、私の父は外出する姿はおろか、家の中ですら活発に動き回っているところを見たことがない。


 母もそれについては多くを語らず、私は父が何らかの病に伏しているか、生来病弱で働ける身でないかのどちらかだと勝手に想像し、結論付けた。そして深く考えることもないまま、勉学に仕事に尽力した。



 それが間違いだと知ったのは、母が逝去した時だ。



 私は十三歳だった。


 孤独を共有し合える唯一の拠り所であった相手を失い、悲嘆に暮れる娘の傍に珍しく父は寄り添い、優しく頭を撫で続けてくれた。



「ヤシロ、僕は行かねばならない。お前は、待っていなさい。少しだけ置いていくから、お前は此処にいなさい。必ずだよ」



 四十九日の夜、父は私をしっかりと抱き締め、そう告げた。


 言葉の意味はわからなかったけれども、執拗に繰り返された『此処で待っていろ』という一言は、父の体温と共に私の中に染み入った。それと同時に、不思議な力が注ぎ込まれていくのを感じながら、私はそのまま父の腕の中で吸い込まれるように眠った。



 翌朝、目が覚めると、父は何処にもいなかった。



 村は忽ち大騒ぎになった。

 観光客の相手どころではない。


 皆が代わる代わる私に詰め寄り、父の行方を必死に問い質した。私はその全員に、父が残した言葉を可能な限り正確に答えた。


 村人達の落胆といったら、それはもう口に出せないほどだった。


 そこで私は、彼らに初めて教えられたのだ。



 ――父が神憑きであったこと。父こそが、福の神の正体だったこと。


 ――観光客は、彼の力に惹かれて此処に集っていたこと。彼無しには、もう村の繁栄は見込めないこと。


 ――母は、ついに後継となる男子を産めなかったこと。父はその後継を為す者を選ぶために出ていったのだろう、ということ。



 何もかもが衝撃だった。なのに、頭の何処かでは納得している自分もいた。



 村人が私達母娘に余所余所しかったのは、神に選ばれながら、後継となる男子を生み出せなかったせいだったのだ。かといって神の血を引く者を無碍にも出来ず、あのような対応をしたのだろう。


 そういえば私達は、周りに比べて随分と裕福な暮らしをしていたように思う。家屋も立派であったし、食に関しても収入には見合わぬ高価な食材をふんだんに使った料理がいつもところ狭しと並べられていた。衣類だってそうだ。父が普段から身につけていたのは、絹の着物だった。私と母も、外ではそれぞれ制服や仕事着を着用していたが、自宅では美しく雅やかな和服で過ごしていた。


 それを眺めて、目を細めていた父の微笑みを思い出す。


 全ては彼のための供物だったのかと、私は無性に笑いたいような泣きたいような、何とも形容し難い気持ちになった。



 父が失踪して二年。

 村を訪れる観光客は、それでもまだ途絶えてはいなかった。



 少しだけ置いていくと告げた通り、彼は私に福の神の力を授けた。だが、それはひどく弱々しいもので、父のようにただ座っているだけでは効果を成さない。

 そのため私は、自らの足で観光客を饗すためにあちこち回らねばならなかった。そうして直に神の力に触れさせれば、何とかリピーターだけでも確保することができたからだ。


 しかし私に与えられた力も、もう限界が近付いていた。


 村の経済が下降の一途を辿っているのは、誰の目にも明らかだった。メディアで取り上げられることもなくなり、土産物屋の幾つかは在庫を抱えて倒産し、やりくりに切羽詰まって出稼ぎに行く者まで現れた。


 それにつれて皆の私を見る目も、私に対する扱いもぞんざいになった。無視されることは当たり前、大人に唆された子ども達に石を投げ付けられたこともあった。


 密かに想いを寄せていた相手にまで口汚く罵られた時は本当に辛かったけれども、私は仕方ないと受け入れた。神を喪った村人達の憤りと悲しみの行き場は、なりそこないの私にぶつける他ないのだから。



 それでも、私は待たねばならなかった。

 父が残した力は消えたわけではない。神の器でない私に扱える許容値を超えただけで、それは確かにまだこの身に在った。


 彼が私に待てと言ったのは、一時的に預けたこの力を返してもらうためだろう。

 それまでは、何があっても耐えねばならない。村人全員に憎まれ疎まれようとも、此処を離れるわけにはいかないのだ。



 かつては風光明媚なる名所として賑わった岬は、しかし今では閑散として人っ子一人いない。

 仕事に呼ばれることも殆どなくなったので、学校が終わると家に帰る前に、この場所で物思いに耽るのが私の日課となっていた。


 目を閉じれば、瞼の裏に、最後に見た父の姿が蘇る。


 整った顔立ちをしていたように記憶しているが、まだ二年しか経っていないのに、もうはっきりと思い出せない。

 ただ、ひどく華奢な体をしていたことは覚えている。それにあどけないような老練したような、えもいわれぬ雰囲気も。


 岬の先端に腰掛けたまま波音に耳を澄ませ、彼の声を思い出そうとしていた私に、突然、誰かが話しかけてきた。



「あなた」



 驚いて振り向けば、白いワンピースを着た女性が立っている。

 腕には、赤子を抱いていた。

 久々にやって来た観光客だろうか?


 見慣れぬ顔だが、どことなく母に似ている気がした。



「受け取りなさい」



 何か言う前に、女性は私に赤子を押し付け――――そのまま岬から飛び降りた。



 あまりに急な事態に、私はただただ呆然とした。意を決し、恐る恐る崖下を覗いてみる。しかし荒ぶる波が岩盤を打ち付けているだけで、女性の姿は既に何処にも見当たらなかった。


 かといって、このままにはしておけない。誰かに知らせねばと駆け出そうとしたその時、腕の中の赤子がぎゅっと胸にしがみついてきた。



 思わず、赤子に視線を向ける。

 それと同時に、奇妙な感覚が全身を走った。



 神経の隅々まで探られ、そして触れ合う部分から吸い込まれ飲み込まれ取り込まれていくような、不思議な不思議な感覚。



 ああ、そうか。


 私は顔を上げた赤子と見つめ合い、理解した。ついに取り戻しに来たのか、己の一部を。


 赤子もまた、小さく頷いた。


 先程まで忘れかけていた父の顔が、脳内に一気に奔流する。彼の面影を色濃く残した赤子は、彼と同じ優しい笑みを小さな口元に湛えていた。



 赤子はやはり男児で、名前はその場で私がキラと付けた。


 経緯を話すまでもなく、村人達はキラを一目見るなり、福の神の再来を即座に感知した。


 そして私にこれまでの非礼を詫び、更にはキラを皆で協力して育てていこうと提案してくれた。私も喜んで賛成した。若年で生活能力のない私では、とても一人じゃキラの面倒は見られないので。


 キラがやって来ると、村は忽ちに元の活気に湧いた。


 私は勉強をしながらこれまでと同様、いやそれ以上に懸命に働き、得た賃金全てをキラに捧げた。


 神の子とは名ばかりの無力で無能な娘をそれでも見放さず、ずっと傍に置いてくれた父に対して、これが私が出来る唯一の親孝行だった。


 また出生は定かではないとはいえ、弟という家族が出来たこと、それが何より私には嬉しかった。


 村人達の私への待遇も、がらりと変わった。

 『神の出来損ない』から『神の姉』へとクラスチェンジしたのだから、当然といえば当然か。


 キラのように丁寧に扱われるわけではないものの、皆が一個の人として、普通に接してくれるようになった。



 キラは皆に守られながら、すくすくと育った。

 父に似たのか、口数の少ない子ではあったけれども、賢く優しく可愛らしい彼に、誰もが愛情を注いだ。



 その内に、私も二十歳の成人を過ぎた。


 年を重ねるごとに、キラと彼を慈しみ愛してくれる村にもっと貢献したいという思いは膨らみ、そのためにも都会に出て働きたいという夢を抱くようになった。


 だけど、キラはそれを断固として許さなかった。


 私が何処かに行くなら自分も付いていくと言って聞かず、大きな瞳に涙を浮かべて縋り付いた。


 彼を『外』へは連れて行けない。


 私は一旦夢を諦め、幼い彼が姉離れをするまで延期することにした。


 父母の記憶のないキラにとって、私という存在は彼の唯一の肉親なのだ。普段は聞き分けの良い大人しい子でも、こればかりは駄々をこねたって仕方がない。




 しかし――――それはとんだ思い違いだった。




 彼は精通が来た夜、その足で、あろう事か私の寝床に侵入した。


 すっかり寝入っていた私は、破瓜の痛みでやっと目が覚め、誰に何をされているのかを理解しても、声すら上げられなかった。


 何故どうして、そんな言葉ばかりが頭を巡り、まともに抵抗することもできなかった。


 事が済んでも放心状態の私に、キラは静かに告げた。



「ヤシロ、約束を守ってくれて、ありがとう。ずっと、此処で待っていてくれた。僕の誕生を、僕の帰りを、そして僕の成長を。この時を、僕も待っていた。お前が生まれた時から、ずっと待っていたんだよ。女児が生まれるなんて、何百年ぶりかのことだから」



 それを聞いた瞬間、私は総毛立った。



 これは誰?

 彼は――何者?

 何を、言っているの?




「あの体はもう古かった。お前の母親も死んでしまったし、この際だから新しく器を用意したんだ。そう、待望の女のためにね。ヤシロ、お前は何を生みたい? 僕は福の神なんて退屈なものには飽き飽きしているんだけれど――お前に委ねるよ。お前は……の稀少な女。純血の……を生み出せる、大切な大切な存在なのだからね」




 そう言って微笑み、再び覆い被さってきたキラを、私はもう拒まず、素直に受け入れた。


 嫌悪感も恐怖も、跡形なく消え失せていた。


 今、この心に満ち溢れているのは――――狂おしいほどの歓喜だ。



 これが、私の役割。

 子を為し、この血脈を繋げることが、私の存在意義。



 己の正体、そして使命を知ることができた喜びに私の全身は満たされると同時に、それを叶えることを激しく渇望した。




 福の神はつまらないようだし、『次の彼』には何になってもらおうか?




 ――――そんなことを考え、小さく笑いを零しながら私はキラを抱き締め、本能のままに彼の律動を求めた。

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