夏果~another eye~


 かき氷のシロップは、みんな同じ味なんだって。

 着色料と香料でだまされて、そのひとつひとつが違うものだと思っていた。

 イチゴ、レモン、メロン、ブルーハワイ。

 夜店で買ったそれは、どれも俺の舌を合成の色に染め上げる。

 水っぽいたこ焼きを食べながら、彼がビールを飲んでいた。

 シロップかけ放題、というプレートの下に並んだ4種類のカラフルな液体が入ったプラスチックボトル。手渡された氷の山に、全種類のシロップをかけたら、こんもりしていた氷の山が、半分以上溶けて崩れた。

 俺の舌は、全部の色が混じって、形容できない妙な色になっていた。

 アニメの絵が印刷されてパンパンに膨らんだビニル袋にはふわふわのわたあめ。チョコバナナは茶色とピンクと白。目の前で面白いように膨らむカルメ焼き。かりかりのべっこうあめに包まれた小さな姫リンゴ。

 肉のかけらも入っていない焼きそばと、冷めてしんなりしたアメリカンドッグ。

 彼がぬるいたこ焼きを口に入れて、あ、とつぶやいた。

「どうしたの?」

「タコが、入ってない」

 薄く塗られたソースに、申し訳程度のマヨネーズ。青のりだけがやたらと大盤振る舞いされているそれを、俺はひとつ、楊枝に刺して持ち上げた。

「屋台の食べ物ってさ」

 まんまるだったはずのそれは、今は見るも無残にしぼんでしまっている。

「何でおいしく感じるのかな」

「雰囲気だろ」

 一通り屋台を回ったあとは、人だかりを早めに抜けて、買い込むだけ買い込んですぐにマンションに戻ってきた。

 夏祭りがあることを知ったのは、2日前だった。夕方、1人帰宅した俺が、彼に頼まれていた本日の特売の食材をスーパーに買いに行くと、入り口の掲示板に子供が描いたらしいクレヨンの文字が目に入った。

 なつまつり、とひらがなで書かれたそれは、近所の神社での開催を報せるものだった。

「あんたなら、全部、作れるよねえ」

「買って食うからいいんであって、作ったって雰囲気でないぞ」

 ビールの缶を傾けながら、ナイター中継を眺めている彼が、再びたこ焼きに手を伸ばす。俺も、楊枝に刺したままのそれを、口に入れた。

 へちゃりと口の中でつぶれたたこ焼きに、なんとタコが2つ入っていた。

「ねえ」

 俺は舌でそれを選り分けて、んべっと彼に向かって見せつけた。

「──俺のタコ、か?」

「みたいだねえ」

 俺はそれを飲み込み、にひひと笑った。

「今度さ、たこ焼き作ってよ。せっかくプレートあるんだし」

「そうだな」

 テレビ中継は、ヒイキの地元チームが逆転のチャンスを迎えていた。打順は下位打線だが、上位につながるいい打順だ。クリーンアップよりも頼りになる8番バッター。

「ちなみに」

 そのバッターが、初球を渋くセンター前に運んで、同点に追いついた。機嫌良さそうに笑いながら、彼が俺の食べていたわたあめを指さして、言った。

「さすがの俺も、それは、機械がないと作れないな」

 確かに。

 俺はわたあめを見つめて、ふむ、とうなずいてから、かじりついた。一瞬にして口の中で溶けてしまうそれは、結局ただの砂糖の味だということは、俺だって知っている。

 スプーン一杯ほどの白ザラメ。それがふわふわと割り箸に絡まって、大きく膨らみ、夢のようなお菓子に変わる。一瞬、わずかなザラメの対価としては馬鹿みたいに高いその値段に躊躇したが、彼がひょいと、悩む俺の目の前からその袋を取り上げて、さっさとお金を払ってしまった。

 ──食いたいんだろ?

 俺にその袋を押し付けて、彼は言った。

 ──いくらでも買ってやるよ。

 そう言ってから、そっと俺に耳打ちするように声を潜めて、続けた。

 ──食ってるお前が、めちゃくちゃ好きだ。

 あまりの不意打ちに、俺は真っ赤になってわたあめの袋に押し付けるようにしてその顔を隠した。いたずらっぽく笑っている彼が、俺をからかっているのだと分かった。だから、少し悔しくて、俺はその言葉を証明させるために、あれもこれもと片っ端から屋台を回ってやることにした。

 彼は終始楽しそうにそれを買ってくれた。

「お、逆転」

 9番打者はフォアボール。トップに戻った打順は、1番打者がきっちりとその仕事を果たしたらしい。俊足のそのバッターが、瞬く間にセカンドベースに滑り込み、小さくガッツポーズをした。

「はは、2点差」

 ぱちぱちと手を叩く彼は、少し酔っているように見えた。普段もスポーツ中継をよく観てはいるが、わりと静かに観戦するタイプだ。にこにこと手を叩いているその姿を、俺はなんだかかわいいな、と思った。

「なあ」

「ん?」

 俺はわたあめ越しに彼を見た。

 彼は片手でわたあめを避け、片手を伸ばして俺の顔を引き寄せ、キスをした。

「甘」

 唇を離したら、楽しそうに笑った。

 俺の舌にはビールの味。まるで子供みたいに笑う彼にきゅんきゅんしてしまう。恥ずかしくてわたあめにかじりつこうとしたけれど、そのビールの苦みを消してしまうのがなんとなく惜しく思ってしまった。

「酔ってるね」

 照れ隠しで、すねたフリをしていってみた。彼は缶ビールに口をつけたまま、目だけで俺を見て、再び笑った。

「酔ってないよ」

「酔ってる人は、酔ってないって言うんだよ」

「なら、酔ってるな」

 ははは、と声を上げて笑う。どうして今日に限って、こんなにかわいくはしゃいでいるんだろう、と少し戸惑う。

 いつもと違う、と思った。

 俺はしゅわりと溶けるわたあめをかじる。舌の上に残っていたほのかな苦みが、甘みに侵された。それは口の中に広がり、あっという間にビールの香りをも消してしまう。

 3番バッターが気持ちいいくらいの空振りを喫し、スリーアウトチェンジ。彼はああー、と落胆したような声を出した。

「どうしたの」

 俺は、がくんとうなだれた彼に、問う。

「今日は、何だか変だ」

 彼は片手に持っていた缶ビールを飲み、俺を見た。そして少しだけ、寂しそうな笑顔になった。さっきまでの上機嫌が、消える。

「うん、確かに変かもな。はしゃいでる。──なあ、少し、気分の良くない話をしてもいいか?」

 知りたい、と俺は思う。彼のことなら何でも。

「いいよ」

 彼はビールの缶をテーブルに置いて、テレビのリモコンを持ち上げ、ボリュームを下げた。通販の健康食品のCMが、急に音をなくして、その効果を大げさに謳う人たちがぱくぱくと金魚みたいに口を動かしているだけの映像になった。

「──昔、付き合っていた相手と」

 少しだけ、胸が痛む。けれど俺は、それを顔に出すことはなかった。知りたいと願ったのは俺だから。だからわたあめをかじる。口の中が甘く、浸食される。

「夏祭りに行ったんだ。今日の俺たちみたいに、2人で並んで歩いて、色んな屋台を冷やかして、笑ってた」

 CMが明け、相手チームの攻撃。今日のピッチャーの出来は微妙で、毎回ランナーを出していた。

「楽しかったんだ、すごく。いつもなら外で近付くことはできなかった。けど、あの日は人混みに紛れて、いつもより距離を詰めて歩いていた」

 今日の、俺たちも。普段は怪しまれないように一定の距離を空ける。けれどこの人混みなら、くっついていても怪しまれない。そう思って、時々彼の腕に触れた。服の袖を引いて、いつもより近い距離で話した。

「どうしても触れたいと思った。──隣を歩くあいつに、手を伸ばした」

 両手いっぱいの戦利品。俺はそれを、少しずつ食べながら歩く。

「手をつないだら、あいつが動揺した。でも、俺は言った。──大丈夫。大丈夫だ、って」

 彼はテレビを見つめていた。けれど、試合の内容なんて頭に入っていないみたいに、どこかぼんやりと遠くを見ている。

「大丈夫だから、このままで──」

 何年前のことなのだろう、と俺は思った。今より若い彼と、その隣を歩く、顔も知らない誰か。人混みの中でつないだ手。

 そんな想像が、頭をよぎる。

「まるで言い聞かせるみたいに、何度も言った。──でも、ちっとも大丈夫なんかじゃなかった。あいつの知人と鉢合わせしたんだ。あいつは怯えるように俺の手を振り払って、その知人に言い訳しようとしてた。でも、その時の知人の、軽蔑するような目が、今も忘れられない」

「隠してたんだね」

 俺の言葉に、彼がうなずく。

「誰にも打ち明けないまま生きてきたらしい。それを、俺が、ぶち壊した」

「──そんなの」

「大丈夫だ、って言ったんだ。俺が。──何の根拠もなく。ただ、触れたいだけで」

「──その人とは?」

「それきり」

 割りばしだけになったわたあめ。少し舌が触れるだけで儚く溶けて消えてしまう。

「簡単に言ったんだよ。大丈夫、って。何の自信だよ。俺の軽率な行動で、1人の人生、台無しにした」

 俺はテーブルの上に持っていた割りばしを投げ捨てる。そしてそのまま彼を抱き締めた。

「ずっと、一生、隠し通せるはずなんてない」

「──そうかもしれない」

「その人は、自分も、周りもだまして生きていくつもりだったの?」

「──多分」

「あんたのことも」

 俺が顔を覗き込むと、彼が目を細めて少しだけ首を傾げた。

「あんたを好きな気持ちも、自分の中だけに閉じ込めて、一生誰にも言わないで、生きていくつもりだったってこと? 隣を歩いているのに、他人ですって顔して、一生生きていくつもりだったってこと?」

「──一生なんて、思われてなかったのかもしれない」

「あんたもそうだった?」

「──分からない」

「その人のこと、一生好きだと思ってた?」

「──分からないよ」

 それは嘘だ、と思った。彼は嘘が下手だ。基本的に嘘をつかない。それは簡単に見破られてしまうからだ。けれど、今、彼は俺に嘘をついている。

 きっと、彼は、一生だと思っていた。

 多分、今まで付き合ってきた人みんな、そう思っていたんだろうと俺は思っている。

「さっき、言ったよね。気分の良くない話、って」

「──ああ」

「本当に、最高に、気分が悪い」

「──ごめん」

「あんたのこと大事にしてないそんなやつが、一瞬でもあんたの心を奪ってたのかと思うと、めちゃくちゃ気分が悪い」

「────」

 彼が目を見開いた。

「でも」

 俺は彼の顔を両手でつかんで、言い聞かせるように言ってやる。

「そのおかげで、俺は今あんたといられる」

 視界の隅、テレビ画面に、盛り上がる客席が映っていた。音はなく、それがなぜ起こっているのかは分からない。

「あんたのことを一生好きでいるつもりもなかったそいつのおかげで、俺が、今、ここにいられる」

「──馬鹿だな」

 自分の顔をつかんだ俺の手の上から、彼が両手を重ねた。

「あいつのおかげなんかじゃない」

 彼は、俺を見つめて、言った。

「お前と会えたのは、あいつのおかげなんかじゃない。──俺の、幸運だ。俺自身の」

 歩きながら食べつくしていくチョコバナナ、フランクフルト、りんごあめ。牛串に玉こんにゃく、もう一回チョコバナナ。

 両手いっぱいだったそれは、少しずつ減っていく。家に着く前に全部なくなりそうだな、なんて彼が呆れたように言った。俺はへへ、と笑ってみせる。いつもより近い距離、ストロベリーチョココーティングのピンク色のチョコバナナ。ざらざらと振りかけられた色とりどりのスプレーチョコ。何かちょっとエロいな、などと言いながら目をそらした彼の上に、俺は近付く。

 彼が俺を見下ろして、優しく笑った。彼が片手にぶら下げたたこ焼きと焼きそば。俺の手にはわたあめの袋。ぶつかった手の甲に、俺も笑った。

 手は、俺からつないだ。

 人混みに紛れて、はぐれないように。そんな言い訳は、必要ない。

「ねえ、俺、嬉しかった」

 額がくっつくくらいすぐそばで俺を見つめる彼に、俺は言う。

「一緒に歩けて。手をつなげて。──わたあめ、買ってくれて」

「俺がはしゃいでいたのは、お前が手をつないでくれたからだよ」

 彼が、俺の手をつかんで自分の頬から引きはがす。それを寂しいと思ったのは一瞬で、次の瞬間、彼が俺にキスをした。つかんだ両手は強く握りしめられたまま、何度も息を継ぐ。

「──甘い」

 ようやく離れた唇を舐め、彼が笑った。今度は、いつものように優しい笑顔だった。

「わたあめなんて、砂糖の塊だ」

「分かってる」

 俺はもう一度、短くキスをする。

「でも、好きなんだ」

「知ってるよ。だから、買ってやったんだ」

 ただの割り箸だけになってしまったわたあめは、子供向けのアニメの絵が描かれたビニル袋とともにただのゴミ。馬鹿みたいに高かったそれを、俺に買ってくれた彼は、満足そうにしていた。

「やっぱり、たこ焼き、作って」

 彼に抱きついたまま、俺は言った。

「あんたが作ったたこ焼きが食べたい。こんな水っぽい屋台のより、絶対おいしい」

 彼は苦笑しながら、無茶言うな、と俺の頭を撫でる。

「そんなの、急には──」

 彼はそう言いかけて、それから少し考え込む。それからおもむろに、

「いや、できる、な」

「本当?」

 俺は彼から離れるように身体を起こす。

「キャベツ、天かす、紅ショウガ、冷凍庫に安売りしてたときに買っておいたタコも入ってる」

 彼は立ち上がり、キッチンへ向かった。俺もあとを追うように途中までついて行き、カウンターのこちら側でスツールに座って身を乗り出す。キッチンで、彼が材料をそろえ始めた。

 てんぷらをした時についでに作っておいた天かすも、冷蔵庫の中から取り出す。

 小麦粉に、冷凍パックの山芋、顆粒だしの素、水を入れて混ぜ、キャベツと紅ショウガを加える。それをざっと混ぜた後、解凍されたタコをぶつ切りにした。お好み焼き用のだし入りソースとマヨネーズ、戸棚からかつお節と青のりを取り出す。

 俺は納戸からホットプレートと、たこ焼きプレートを取り出した。テーブルにスペースを作り、それをセットする。

 多めの油をひいて、まずは生地を流し込む。かなりゆるゆるの生地だ。溢れるくらいにたっぷり、プレート一面に。その上からタコをひとつずつ落とし、天かすを散らす。ふつふつと焼けてきたら、ピックでくるりと角度を変えるように斜めに返していく。何でかなあ、と思っていたら、周りにあふれた生地をかき集めるようにしてまとめあげ、もう半回転。くるんと丸くなってくぼみに収まった。

 思わずぱちぱちと拍手してしまう。

 上からさらに油を散らし、たこ焼きが踊るようにふつふつと動く。それを何度か返しながら焦げ目をつけていく彼の手さばきはなかなかのものだ。きれいに焼けたら、上からソースとかつおぶし、青のり、マヨネーズをかける。

「おいしそー」

「もういいぞ」

 茶色く色付いてじりじりと音を立てるそれに竹串を突き刺して、ぱくんと食べた。熱い。口の中でマグマのようにとろりとあふれるたこ焼きは、涙が出るくらい熱いけれど、とにかくおいしい。

「──やけどするぞ」

 彼が呆れたように言ったけれど、もう遅い。俺は舌を出してみる。

「変な色」

 彼が笑う。まだ、さっき食べたかき氷のシロップの色が残っているらしかった。

「猫舌じゃないから」

 俺は2個目のたこ焼きを食べた。

「熱いだけ」

 はふはふと、続けざまに食べる。彼もそっとかじりついた。その熱さに顔をしかめて、ビールで流し込む。

 夏祭りからの帰り道、俺はかき氷を食べていた。

 しゃくしゃくと、もう完全に溶けてしまったそれをドリンクみたいに飲んでいたら、彼がおかしそうに笑った。どうしたの、と聞いたら、唇がすごい色になっている、と言う。シロップ全がけの俺のかき氷は、紙カップの中ではきれいだが、口の中ではその発色そのままになっているわけではないのだろう。

 シロップ全がけはね、レインボーって言うらしい。

 俺はべー、と彼に向かって舌を出す。得も言われぬ色になった俺の舌に、彼が顔をしかめた。夏祭りの喧騒はもう遠く、俺たちは暗い住宅街を歩いていた。さっきまでの賑やかさが消え、誰一人歩いていないその道で、俺は彼の袖を引いた。

 ──今なら甘いよ。

 そう言った俺の意図を読んで、彼が少しだけ、身を屈める。ほんの短い時間だけ唇が重なる。

 キスをした彼が、苦笑した。

 ──これだけ混ざりに混ざったシロップが、単品のシロップと同じ味に感じるのは、俺だけか?

 彼は、多分、シロップがどれも同じ味だなんて知らないはずだ。香料と着色料の錯覚が起こすマジック。それを容易く見破った。

 かき氷の空き容器を彼のぶら下げているたこ焼きの入ったビニル袋に突っ込んだ。次はチョコバナナ。目をそらす彼。そして、俺が、手をつなぐ。

 気を付けないとはぐれてしまうような人混みの中じゃない。

 俺が、つなぎたかった。だから。

 彼は、少し、驚いたような顔をした。

 ──早く帰って、たこ焼き食べよう。

 そう言った俺に、ふっと笑って、彼が俺の手を握り返す。

 俺は、彼が作ってくれたたこ焼きを食べながら、そんなことを思い出していた。

「お、チャンス」

 さっき、観客を沸かせていたのは、相手チームの逆転ホームランだった。あっという間に形勢逆転されてしまった試合は、ヒイキチームの攻撃に移り、またボリュームを少し高くしていた。ランナーを溜め、長打を放ったバッターが、セカンドベース上でガッツポーズをしていた。

 最終回、9回裏、ツーアウト。ランナー2、3塁。2点のビハインド。1発サヨナラの大チャンス。

 彼がビール片手に、また、はしゃぐようにテレビを見ている。

 俺だったら、その手を離さない。

 人混みの中でも、彼が大丈夫、と言ってくれたのなら。

 その言葉を信じて、誰に見つかっても、誰に非難の目を向けられても、絶対に、その手を離したりはしない。

 次の打者がフォアボールを選び、2死満塁。彼がテレビ画面に向かってまるでハイタッチをするかのように手を伸ばしているのを横目に、俺はホットプレートのたこ焼きを全部食べつくした。

 ようやくテレビから意識を戻し、竹串を伸ばした彼があれっと声を上げて俺を見た。俺はしらんぷりして、最後の1個を口に放る。

 夏祭りの人混みじゃなくても──

 彼は、やれやれ、と言う顔をして、残った生地で第2弾を焼き始めた。俺は竹串片手にわくわくとそれを待つ。彼がテレビ画面に目をやったまま、適当に天かすを散らす。

 俺はきっと、手を離さない。

 手をつないで、歩こう。2人で。

 だから、大丈夫、って言ってよ。

 俺はそれを、絶対に信じるから。

 テレビからわあっと歓声が上がり、スタンドにボールが飛び込んだ。逆転満塁サヨナラホームラン。テレビ画面にジェット風船が一気に舞い上がり、彼が歓喜の声を上げ、持っていたタコをばらまいた。


 了



 夏はやっぱり野球だな。

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