第三仏滅 一寸法師

 清右の周囲は薄暗かった。周囲の岩肌を照らしているのは、たった一本の松明だけだ。


「ここは、洞窟かな」


 前夜は早々と床に就いた清右。本の中へ引き込まれるのをまんじりともせずベッドの中で待っていた。仏滅の日の午前零時になれば本が手元になくても引き込まれてしまうらしい。


「やれやれ、今回は鬼の役か。つまらないねえ」


 洞窟の奥から声が聞こえた。もう一人いるようだ。清右がそちらに目を遣ると、松明の揺れる明かりに照らされて恐ろしい形相の男が座っている。


「う、うわわわ」


 清右の口からおびえ声が漏れた。ざんばらに乱れた頭髪。太い眉、ぎょろりと睨み付ける目玉。今にも取って食われそうな面立ちはまさに鬼だ。


「何を驚いているんだい、あんたも鬼なんだよ、清右」


 姿形は男だが口調は女だ。そして清右という名まで知っている。どうやら清右と同じく客のようだ。


「鬼? ボクも鬼の役なんですか。ということは、ひょっとして今回の説話は……酒呑童子!」


 清右の両手がわなわなと震えた。一番危惧していた懸念が現実のものとなってしまった。今回は命を奪われる悪役。絶望してがっくりと肩を落とす清右に鬼が声を掛ける。


「何を早とちりしているのさ。これを見な」


 差し出したのは小槌である。小振りながら精緻な細工が施されている。相当な値打ち物であるのは間違いない。


「これは、小槌……もしかして打ち出の小槌ですか! じゃあ、今回の説話は」

「そうさ、一寸法師だよ。さあて、それじゃ外に出るとするかね」


 鬼は岩壁の松明を掴むと洞窟の外へと歩き出した。慌てて清右もその後を追う。外に出れば満天の星と月。そして波の音。ここはどこかの小島のようだ。


「そこの小舟に乗るよ。清右、あんたが漕いでおくれ」

「あ、あのすみません、色々と訊きたいことがあるのですが」

「舟で聞くよ。さあ、乗った乗った」


 有無を言わさぬ態度に気後れしながら清右は舟に乗り、夜の海へと漕ぎ出す。小島が見えなくなった辺りで鬼の方から話し掛けてきた。


「さてと、そろそろ答えてやろうかね。どうしてあんたの名をあたしが知っているか、訊きたいのはそれだろ」

「あ、はい。お願いします」


 他にもあるが一番の疑問はそれである。清右は素直に頷いた。と、いきなり鬼は着物をはだけて胸を見せた。真ん中に『客』の文字が浮かび上がっている。


「あたしも『客』として演じていたんだよ。最初の浦島太郎では竜宮城の女中。前回の物くさ太郎では帝。あんたとはほとんど話さなかったけどね」


 思い出せばどちらの役も口の利き方が今とそっくりである。特に前回のせっかちな帝は酷かった。納得する清右である。


「あんたのことは竜宮城で和扇から詳しく教えてもらったよ。平成とかいう世から来たんだってね」

「はい。それで鬼さんはどこから来たどんな人なんですか」

「鬼さんはやめとくれよ。およこと呼んどくれ。元々は安房の国の武家の娘。それが御一新で明治の世になっちまうと、お父っさんが東京に出て牛鍋屋を始めてね。今じゃそこの女将になっちまったよ。この本に引き込まれるのは何回目かねえ。いい加減に持ち主をやめてもいいんだけど、なんだか面白くてね。御役御免になった後もこうして持ち主を続けているのさ」

「明治時代の方でしたか」


 疑問のほとんどが解決して清右は気分が軽くなった。それに口は悪いが和扇同様、善良で親切な人柄のように思われる。これなら遠慮せずに話ができそうだ。


「今回、和扇さんや小町さんは引き込まれていないのかあ」

「いや、来ているはずさ。これはあんたが新しい持ち主になった歓迎会。満月が来て歓迎の宴が終わるまでは同じ面々が役を演ずるんだ。前回同様、和扇は主役の一寸法師を割り当てられているんだろうさ」

「あのお、本の持ち主って過去から現在までたくさんいますよね。どの持ち主を選択してどの役に割り振るかって、どうやって決まるんでしょうか」

「そりゃ、本が勝手に決めて勝手に割り振ってんだよ。それについては誰も分かりゃしないさ。ただ、選ばれた中で一番御伽物語を理解している者が主役になる、そんな話を聞いたことはあるけどね」


 一番理解している者……なるほど和扇は江戸時代の人間。明治や平成の世の者よりも御伽物語への理解が深いのは当たり前だ。


「ところでどうして鬼のボクらが舟に乗っているんですか。鬼って寺参りに出かけたお姫様をさらうんですよね」

「ああ、それは明治の頃の子供向けの物語さ。本来は桃太郎よろしく一寸法師が女と一緒に島に来て鬼退治するんだよ。でも待っているのは退屈だろ。だからこっちから都に出向いてやるのさ。その方が早く終わるしね」


 浦島太郎や物くさ太郎でもそうだったが、結構『客』の好き勝手に振る舞えるようだ。納得した清右はそれからもお横とお喋りをしながら櫓を漕いだ。


 やがて舟は河口にたどり着いた。淀川である。そこから京の都に向けて川を遡る。大変な重労働だが身体能力は鬼のそれである。清右はなんなく淀川を上って桂川へ入り都に到着した。


「さてと宰相の屋敷へ向かうよ」


 お横の言葉に清右は面食らう。鬼が屋敷へ押し掛ける一寸法師の話など聞いたことがない。


「待ってください。いくらなんでも変ですよ。鬼が宰相を襲撃するなんて元の話から逸脱しすぎでしょう」

「別に襲ったりなんかしないさ。ここで待っていても退屈だから、一寸法師と姫の遣り取りを見物させてもらうんだよ。まだ夜明けまでは長いしね。鬼の時はいつもそうしているのさ」

「でも始まってから半日も経っていませんよ。一寸法師はまだ都に出ていないんじゃないですか」

「いいや。一寸法師は物くさ太郎と違って自分の判断で都に出て来られるからね。和扇なら始まってすぐに宰相の屋敷へ向かうはず。もう来ているはずさ」


 どうやらお横が一寸法師の話を演ずるのはこれが初めてではないようだ。ならば経験者の言葉に従うしかない。清右はお横に付いて夜道を歩く。やがて明け方近くになってようやく宰相の屋敷へ到着した。


「さあ、中へ入り込むよ」


 お横は屋敷の壁を乗り越えて堂々と敷地内へ忍び込む。勝手知ったる他人の屋敷と言わんばかりの大胆不敵さ。さすがは明治の世で牛鍋屋の女将を任されているだけのことはあると清右は感心した。

 まったく迷うことなく屋敷の中を進み、二人は寝所へ着いた。襖を開けると夜着に包まって寝ている人影が二つある。


「んっ、ああ、いたね。ちょいと一寸法師、首尾は上々かい」

「その声は、もしやお横殿か。して、もう一人の鬼は、ああ、清右だな」


 返事をしたのは背の低い男、そしてその傍らで美しい女が寝ている。お横の言葉通り、今回も和扇は主役を演じているようだ。一寸法師と言っても本当に身の丈が一寸というわけではなく、子供の背丈ほどの男であるだけのようだ。


「和扇、さっさと終わらせてお仕舞いよ。鬼の役じゃ面白くもなんともないからねえ」

「心得た。さてと、では飯粒を」


 和扇は寝ている女に近寄ると、その口元に飯粒を貼り付け始めた。一寸法師とは思えぬ所業に清右が口を出す。


「和扇さん、何をしているんですか。ボクには全然理解できないんですけど」

「いいから黙って見ていな」


 お横は教えてくれない。清右は仕方なく口を閉ざす。女の口に数粒貼り付けたところでお横と清右を衝立の陰に隠し、和扇は大声を張り上げて泣き始めた。


「うわー、なんたること。拙者の飯を姫様が食べてしまわれた。うわー」


 驚いて目を覚ます姫。駆けこんで来る女房たち。寝所は大騒ぎになった。衝立の陰で声を潜めて清右がお横に言う。


「これって、一寸法師が姫様に濡れ衣を着せていますよね。どうしてそんなことをするんですか」

「決まっているじゃないか。女を手に入れるためだよ。あんな小男、普通の手段じゃ嫁なんて貰えない。そこで一寸法師は計略を企てたのさ。宰相の娘を罪人に仕立て上げる。宰相は怒る、下手すりゃ娘を殺そうとする。そこで一寸法師は宰相を取り成し、娘と一緒に家を出る。そのまま娘を嫁にする。まったくずる賢い小悪党だよ」

「あの、これ本当に一寸法師なんですか。ボクが知っている話と全然違うんですけど」

「だから言っているだろう。明治の世で子供向けの話に改ざんされたって。清右の時代にはそっちが主流になっちまったんだろうよ」


 やがて姫の不埒な行いは父である宰相の耳にまで入った。怒った宰相は姫を屋敷から追い出してしまった。


「え~っと、一寸法師がこれほどまでに腹黒とは思いませんでした」


 和扇、お横、そして宰相の娘を演じていた小町と共に東へ向かう道を歩きながら、清右は若干の軽蔑を込めて言葉を吐いた。どうやらこれが本来の一寸法師で間違いないらしい。


「そうか、清右の世では一寸法師はそのような話になっているのか。確かに武士にあるまじき振る舞いではあるからな」

「武家だの公家だの言ったところで、惚れた女を手に入れるためなら、少々あくどい真似だってするもんだよ。男なんてそんなものさ」

「お横様の仰る通りでございますよ。清右様とて和泉様を手に入れるためなら鬼にも蛇にもなりましょう。さあ、お聞かせくださいませ。首尾よく声を掛けられましたか?」

「う、うん、それが……」


 忘れていた話をいきなり小町から切り出され口籠る清右。察しのいい和扇がすぐに取り成す。


「言わずともよい、清右。それも仕方なかろう。二年半の間できなかったのだ。急にやれと言われたからとて容易くできるものではない」

「違うよ、声は掛けられたんだ。話もできた。本も見せた。でも……」


 清右は説明した。和泉には既に男がいたこと。以前から噂になっていたこと。これまで何度もデートを重ねていること。聞いている三人の顔が徐々に曇っていく。話が済んでも重苦しい雰囲気が漂ったままだ。が、口火を切ったのはやはり和扇である。


「結論から言おう。身を引くのが一番だ。これは二年半の間、何も行動を起こさなかったおぬしへの罰。罰は甘んじて受け、罪を償った後、新しい境地を求めて心機一転するしかあるまい」

「そうだよ、清右。その女にはもう男がいるんだろう。無駄に努力するより諦める方が楽さね。それに聞いてりゃ愛想も可愛げもない女じゃないか。やめときなよ、そんな女。あんたに相応しい女は他にいるよ」


 慰めてくれると思ったら散々に言いたい放題の二人である。清右はますます落ち込んでしまった。


「お二方とも言い過ぎではないですか。好きという思いは道理で片付くものではありません」


 さすがは恋愛経験豊富な小町、優しい言葉を掛けてくれる。それでも清右は深いため息をついた。そんな姿を見て和扇が言葉を繋ぐ。


「清右、おぬしは本当にその女を好いているのか。女の美しい外見に惚れているだけではないのか。そんな情の無い女のどこが良いのか、我らにはさっぱり分からぬ。一体どこが気に入っているのだ」


 和扇の問いにすぐには答えられない清右。しばし考えた後でぼそぼそと話し始める。


「う~ん、確かに最初は綺麗な人だなっていう印象しかなかった。クールでドライで高慢で、その点は間違いなくマイナスかもしれない。でもね、本当は優しい人なんだ。友人に頼まれればノートも気軽に貸してあげるし、相手が理解するまで付き合ってあげるくらい面倒見もいいんだ。物怖じしない、自分に自信を持っている、ボクにはない性格の強さもある。きっとそんな所に魅かれているんだと思う……」


 清右の話を聞き終わった三人は互いに顔を見合わせた。やがてその表情が緩んだ。そして三人が三人共満面の笑みに変わった。


「その和泉とか申す娘、幸せ者ですわね」

「うむ。そこまで惚れているとあらば力を貸さぬわけにはいかぬな」

「そうさね、清右。こうなったらとことんやっておやり。恋敵の男から奪い取るくらいの気概を見せておやりよ」

「う、奪い取るって、そんな無茶な」


 突然風向きが変わって慌てふためく清右。しかし三人の勢いは止まらない。


「今更何を言ってんのさ。一寸法師の策略を見ただろう。色恋沙汰に関しちゃ、あれくらい汚い手を使ったっていいんだよ」

「左様。まずは和泉から男を引き離すのが肝要。今日よりその男を見張り続け、弱点、汚点、欠点、醜聞などを手に入れるのだ。それを女に告げ口すれば男への気持ちは離れ、逆に清右になびくはず」

「それは良きお考えですわ。清右様、努力を惜しんではなりませんよ」


 他人事だと思ってまたも言いたい放題である。しかし清右の心には勇気が湧いてきた。この三人は現実の清右とは何の関係もない。が、それでも恋路を応援してくれる味方だ。孤立無援だった清右にとっては本当にありがたい存在である。


 やがて四人は清水寺の近くにやって来た。お横が言う。


「さてと、それじゃそろそろ終わらそうかね。和扇、針で突くのはやめて脅し文句だけで頼むよ」

「心得た。これ、そこの悪い鬼ども。観念して打ち出の小槌を渡せ」

「ははー」


 お横と共に地に平伏する清右。打ち出の小槌は無事和扇の手に渡り、一寸法師の説話はこれにて完結である。


「清右、次に来る時は頭がとろけそうなくらいアツアツの話を聞かせとくれ」


 鬼役のお横が天女のように見える。打ち出の小槌を手に屋敷へ戻る和扇と小町を見送りながら、昇り始めた朝日のような熱い闘志を身の内に感じる清右であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る