ある苦悩

前章で『無反応:公表しない』という正しい対応を導き出したこの『創作物うんこ論』ですが、先に進む前に一つ補足しておきたいと思います。


前章でせつな小学生の絵を『うんこ』と定義したことで『うんこ=卑下ひげすべきもの』という誤解を与えたかもしれません。しかしながら私の使う『うんこ』は一般とはと少々異なる、ということを説明しておきたいのです。


まだこの世にデジタルカメラが存在しなかった頃のことです。私はある漫画を読みました。恋人と喫茶店にいる主人公がトイレに立ち、戻ってくると様子がおかしい。問い詰めると彼はこう告白するのです。


「美しいうんこをしてしまった」


主人公は煩悶はんもんしたあげく、恋人と店員に美しいうんこを披露し賞賛を得るのです。私の感想は(なんとも妙なことを思い付くものだ)という程度のものでした。それが実際に自分の身に起きたのは、それから一年も経たないある昼のことでした。


臭いの全くない、ほとんどモノトーンに近いブロンズ色のオブジェ。その表面は滑らかで、凹凸もクラックも一切なく、角丸の多角錐の先端はスッと綺麗に尖り、丸みを帯びた末端部分と見事なコントラストをなしていました。


「私は美しいうんこをしてしまった」


それは現実となったのです。


私はアートをり出してしまった! 誰かに見て欲しい! 記念に写真を撮りたい。だが不可能だ。これはアートであると同時にうんこなのだ! あの葛藤を、あの苦悩を、理解できる方は――もしあの漫画が実話なら作者の方を除いて――居ないでしょう。


思うに私には狂気が足りなかった。アートを生み出す資格がなかったのです。デジタルカメラがあれば。ビデオカメラがもっと普及していれば。私はあのうんこオブジェを記録に残したことでしょう。


まだお読み頂いている方には、このコラムでの『うんこ』という語は『入力とコンディションが万全の時にアートを生み出す可能性を持った生理現象による出力』という意味で用いている、ということをご理解頂きたいと思います。

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