一章

第一話 卵は買えなかった

「雪! 早く行かないと卵無くなっちゃうぞ! オムライス作ってやんないからな!」

「まってよー! ママ先にいかないで!」


 トイレに閉じこもって出てこない娘は、いつもの急いでますアピールで無駄に大きな物音を立てている。私が悪いんじゃなくてお腹痛いだけだからと。

 でも、これは嘘だ。こっそりドアに耳を当ててやると、中からカチカチカチっと何かを押す音が聞こえる。そう、隠れてゲームをしているのだ。一日一時間のゲーム時間を使い切った後は、たまにこうしてトイレに隠れてやっているのだ。子供だからバレないと思っているのだろう。でも、二時間もこもってたらバレるっての。


 そういう時は、あたしが大きな音で玄関を開けて「ママ行くからな!」と言うと、雪はすんなり出てくる。トイレも流さずに。本当、してなくてもせめて流してから出てこいよ。


「お待たせママ」

「雪、ゲームは置いていきな。重いから」

「ゲームしてないよ?」

「あ、そう? じゃあこれは何かなぁっと」

「あっ!!」


 雪のポケットの不自然な膨らみに手を突っ込んでゲーム機を取り出す。「あー! あー!」言いながら手を伸ばす娘は、あたしの足をバンバン叩きながら返してと懇願しだした。


「これゲームじゃないなら捨てていいんだよな? 大きくて重いからゴミだよね〜」

「やだ!! ママのいじわる!! 」

「雪が嘘つくからだろ? 帰ったら返してあげるから早く行くよ」

「ふぅうう……はぁい」


 やっと諦めて靴を履き始めた娘のせいで、出発が三十分も延びてしまった。最近高騰している卵が安売りされるというのに、この機会を逃すとまたしばらく買えなくなってしまう。

 昔ならイライラしている所だけど、あたしももう三十路だ。六歳の娘を育て続けたおかげか、随分丸くなったものだ。何だかんだ言いながら可愛い服を着て手を繋ぎに来る娘は、それはもう大切で大切で仕方ない。この子がいるから、あたしは強くなれたのだ。


 あの頃より、ずっと強く。


 不意に思い出すのは世界を背負って戦っていた子供時代。恥ずかしくて夫以外誰にも言っていないが、これでも人類を救った魔法少女の一人なのだ。たまに思い出すだけでも羞恥心が振り切れて死にそうになる。


「よくあんな服着て啖呵きったよな……」

「どうしたのママ?」

「ん? 何でもないよ。さ、行こっか」

「うん!!」


 ひまわりのようなキラキラした笑顔。やばい、やっぱりあたしの娘は世界一可愛い。

 小さな手を握って、商店街に向けて二人で歩き出す。この子を授けてくれた神様に感謝をして、今日も平和な当たり前の日常を過ごしていく。




 残念ながら、続いたのはこの日のお昼ぐらいまでだったけど。









 コロッケの匂いが出迎えてくれるそこそこ大きな商店街は、いつもより人が多く感じた。道行く人がみんな安売り卵を買いに来ているのではないかと闘争心が高まる。


「よし、行くぞ雪。目指せスーパー!」

「スーパー!」


 指をビシッと上げる雪は、たぶん冒険気分で付いてきているんだろうな。あたしも負けずに指を上げると、勇者雪ちゃんはきゃっきゃっと喜んだ。


 しかしその瞬間、【異変】は起きる。


 あたしの身体の中に重い電気のようなものが走って、一瞬だけ空間が揺らいだ気配がした。嫌な予感が止まらず、つい立ち止まってしまう。

 何故かって、それは何度も経験したことのある違和感。今のこの世界にあってはならない事だったから。


「ママ、どうしたの?」

「えっあぁ、何でも、ないよ……」


 娘は気付いてない。周りのおばちゃんも井戸端会議に花を咲かせ、誰一人足を止めていない。だからこそ、あたしの予想は確信に近づく。


 が……開いた……?


 有り得ない。魔法少女時代に仲間と封印した魔界のゲートは、何十年で解けるほどヤワなものじゃない。うん、きっと何かの間違いだ。何かの……。


「ママみてー! ちっさなおうまさん!」

「………………………………ワァカワイイ」


 いやいや、目の前に出てこられたら信じるしかないじゃーん。


 ぬいぐるみみたいな見た目の黒い馬は、アーケードの天井近くをフワフワ飛んでいた。一度だけ見たことがある。昔、仲間が四人がかりでボコボコにしていた自称魔界貴族の馬だ。私は外野から「ふーん、やるじゃん」とか言って見てたからよく覚えている。人生でトップレベルに恥ずかしいシチュエーションだ。せめて高台の街灯から降りてれば多少マシだったかもしれない。いや、黒いコートもヤバさに拍車をかけていた。


「くくくっ、久しぶりの人間界。どこから破壊してやろう。我の登場に相応しい場所で派手に恐怖を刻んでやろう。くくくっ」


 見た目に似合わず厨二病みたいなイタイ喋り方をする馬の声は、普通の人間には聞こえない。だから娘からすると、フワフワ浮かぶ馬型の風船にしか見えないのだろう。変身すると巨大な筋肉ダルマになるけど。

 あたしはひとまず見つからないように物陰に隠れ、頭を抱えた。


 最悪だ。確実に悪魔だ。何で出てきた。どうやってゲートを越えた。他の仲間は気付いてるのか、いやこの辺りはあたししか住んでいない。どうするどうするどうするどうする。


「ママあたまいたいの? 大丈夫?」

「あ、朝の味噌汁が悪かったかなぁ。お腹痛くなってきちゃって」

「でも、あたまおさえてるよ?」

「まままママのお腹は頭にあるから!!」

「??」


 意味のわからない事を言って娘を混乱させてしまった。とにかく、あの馬を何とかしないといけない。放っておいたら被害は甚大だ。胡散臭い馬だろうと、腐っても悪魔だ。

 バッグを娘に預けて、その中からゲーム機を取り出す。


「雪、ちょっとトイレに行ってくるから、あそこの唐揚げ屋さんの椅子で待てるか? 」

「ゲームしていいの!?」

「パパには内緒な。雪はいい子だから、ちゃんと待てるね?」

「うん!! 待ってる!!」

「よし!」


 娘を置いて、走って裏道に入る。誰もいないことを確認して、以前よくやっていたように胸に手を当て目を閉じる。

 もう二度と出さないと決めていたのに、まだ使えるのだろうか。

 身体の中に眠る力の象徴をイメージする。それは、深いエメラルド色の宝石を宿した大振りの木の杖。念じる力を強くするほど胸の奥が熱くなり、熱は徐々に広がる。薄く目を開けると、全身に僅かな光の粒子が纏い始めていた。


「来い、【巌宝ガイアロッド】」


 光の粒子が身体の前に集まる。縦長く形成されたそれは色を変え、ゆっくりと実体化していく。数々の死闘を支えたくれた相棒。あたしだけの魔法の杖だ。


「よし、まだ出せるぞ」


 久しぶりの非日常な光景に感動しつつも、頭を振って現実に意識を戻す。こうしている間にも、いつ悪魔が暴れ出すか分かったものじゃない。


「全てを守れ【サーチ・ロック】」


 続け様に、最も多く使っていた基礎魔法を唱える。数多の紫色のクリスタルが出現し、遠隔操作が出来る攻防どちらもこなせる使い勝手の良い魔法だ。

しかし……。


「……あれ? 一個だけ!?」


 片手で掴めるくらい小さな石ころが一つふよふよと浮いているだけで、他に出現する気配がない。いや、これは違くて、現役なら自分の身長の半分くらいのが百以上出せたはずなんだ。いくら使ってなかったからってこれは……。


「……やっぱ変し……いや、それだけはダメだ!! 別の意味で死んじまう!!」

「ふぬぬ、なんだ? こっちから美味そうな力の匂いがするぞ?」


 声のする方を見ると、そこには先程の馬がいた。路地裏で目が合い、沈黙が流れる。


「…………………………」

「…………………………」


 それも一瞬。馬は驚愕に口を開いた。


「ま、魔法少っ……!!」

「今しかねぇドラァァァァアアア!!」

「へぶぅっ!!!!」


 渾身の力でガイアロッドを叩きつけた。地面に落ちた馬を容赦なく殴り続ける。


「死ね死ね死ね死ね死ねぇえええ!!!!」

「貴様っがぁ! やめっぐふ!! 本当にがはっ!! 卑怯なぶぅふっ!!」

「消滅魔法!! バーストナックル!!」


 本性を現すの隙も与えずボコボコにした馬のぬいぐるみに容赦なく追い討ち。石ころみたいなクリスタルを握って地面が凹むほどの勢いで拳撃を打ち込む。その実態は魔力のあるただの殴りだ。


「ま、魔法少女なら魔法をつかぇええええええええええええええええええ!!!!」


 一方的な暴力によって消滅した馬は、捨て台詞を置いて強制的に魔界に送り返された。彼らは死なない。首を飛ばそうと魔界へ戻されるだけなのだ。


「はぁはぁはぁはぁっ」


 なんとか危機を乗り切ったあたしは、杖から手を離して膝をついた。召喚した杖とクリスタルは再び粒子に戻り私の中へ。静寂と地面の凹みだけが残った。


「あたし、まだやれんじゃん」


 とりあえず撃退に安心しつつも、今後のことを考えると視界がグラッとした。いまの馬だけじゃない。魔界のゲートが開いたとなると、もっと厄介な悪魔がこれから何匹も出てくるだろう。

 しかし、あたしはもう三十路。戦闘力が戻ろうと、あんなフリフリのミニスカートを着て闘える精神力はない。


「どうすんだこれから……」


 悩みは尽きない。一度みんなに相談してみるしかない。ひとまず、置き去りにしてきた娘の元へ帰らないと。

 より一層の頭痛に足取りも悪いが、唐揚げ屋の前でゲームをしている娘を見ると、少し気持ちが解けた。

 今はこの子がいる。もう闘える身体じゃないんだ。もし、昔のあたし達のように新たな魔法少女が選ばれるのだとしたら、それを待つしかない。

 あたしに気付いた雪は、とてとて歩きながら素直にゲームを閉じた。少し寂しかったのだろう。足にへばりついてニッコリ笑っている。


「ママおなかなおった?」

「あぁ、小さいうんこだったわ」

「ママばっちぃ!」


 そんな話でも笑ってくれて、あたしも一緒に笑った。そうだ、ようやくあたしは幸せになれたのだから。誰かの為に世界を背負うなんて考えられない。


「気を取り直してスーパー行くか!」

「スーパー!」


 二人並んで歩く。もう闘わないと誓って。今のあたしの闘いは、卵の取り合いくらいでちょうどいいのだ。

 しかし、スーパーについたあたし達は、当たり前のように立ち尽くすことになった。


「たまごないね」

「そうだな……」

「オムライスないの?」

「高いけど別の所で買うから、今晩はオムライスな」

「やったー!!」


 嬉しそうな雪を撫でながら、もう一つの誓いを立てることにした。





 いつかあの馬に、卵の恨みも刻み込まないとな。

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