ぐるぐる してた

 ♪ぐるぐる してた


 ♪ぐるぐるしてる


 ♪おなじとこにずっといるみたいね


 ♪あるけば まえに進むって だれかがいっていたけれど


 ♪まえにいかずに ぐるぐるするの


 ♪みんなは前に進めてるのかな


 ♪わたしだけ ぐるぐるしてたら こわいよ


 ♪おいてけぼりになっちゃうよ


 ♪ぐるぐるしたくないよ


 ♪あるけなくなっちゃう


 ♪まえに あるきたいよ


「はーぁ……」

「こんにちは」

「どぅわー!」


 ノコちゃんは突然挨拶されて、びっくり転げてしまった。

 歌っていたところに急に声を掛けてくるなんてデリカシーのない男の子は一体だれなのかな、と転げたノコちゃんはむうとほっぺを膨らませた。


「あ、あなた……詩泥棒ね!」

「あ、あはは、なんだか随分と有名になってしまったようで……」


 挨拶してきた男の人は、とっても大きくて怖い声をしていた。ウワサの詩泥棒だとすぐに分かったのでノコちゃんはぴょんこと転げていた身体を跳ねあがらせた。

 詩泥棒は、困ったような笑顔で笑うと川辺の石に腰かけた。


「迷子なのかな?」

 ちょっぴり大きめの石に腰を落ち着けた詩泥棒は、小川の流れを見つめながらやっぱり怖い声で訊ねてきた。

 ノコちゃんの歌を聴いて、迷子だと勘違いしたみたい。

 ノコちゃんはもう立派なレディなので、迷子なんかにならないのだ。大人の女性だからジリツしているのだ。


「違います―。ちゃんと家まで帰れます―!」

「そっか、良かった」

 詩泥棒はそういうと、ノコちゃんのほうに少しだけ振り向いてにこりとした。

 小川に反射する光のベールが、詩泥棒の顔をきらきらと照らして、さわやかな午後の空気と太陽が心地よく包んでいるみたいだった。


「それじゃあ、こんなところで何をしていたんですか?」

「……べ、べつにー。そういうあなたこそ、こんなところで何しているのかしら!」

「釣りをしに来ました」

「そ、そう……」


 確かにこの川で釣れる魚は美味しくてよく釣り人がやってくる。詩泥棒も釣りをするんだなあとノコちゃんはちょっぴり、ほっこりした。


「釣りって面白いの?」

「そうですね……自分と向き合うことができる時間をくれるのが釣りの良い処だと思ってます」

「じぶんと向き合う? 魚じゃないの?」

 ノコちゃんは首を傾げた。ノコちゃんの友達の男の子が言うには、『釣り』とは『魚』との『バトル』なのだそうだ。だから、詩泥棒の言う『自分と向き合う』と言うのがいまいち理解できなかった。

 ノコちゃんが分かんないなーという表情をしていたので、詩泥棒は、小川の方へと歩いて行った。ちょいちょい、と掌をさせてノコちゃんについておいでと誘っていた。

 水辺までやってくると、そこには釣り竿が石で固定されて川へ糸を垂らしている状態なのをみつけた。これが詩泥棒の竿なのかもしれない。

 詩泥棒はその釣り竿をひょいと持ち上げると、水面に垂らしていた糸を引き上げた。


「あっ」


 ノコちゃんは思わず声を出してしまった。

 引き上げられた釣り糸の先には、何もついていなかった。魚どころか、そもそもエサも針さえついていない。ただ、糸を川に投げ入れていただけだったのだ。


「あなた釣りをしたことないのね!」


 詩泥棒はきっと糸を垂らせば魚が釣れると思っているのだ。魚を釣り上げるためには、針とエサが必要なことは釣りをしないノコちゃんだって知っている。大人だもの。


「まったくもう、あなた、ずっとこんなことしていたの?」

「はい」

「だめねえ、あなた!」

「返す言葉もございません」


 面目ないという様子で詩泥棒は頭を下げた。


「でも……」


 しかし、と詩泥棒はそこから顔を上げて、ニコニコしていた。


「たのしいですよ」

「えー? 魚がかからない釣りが?」

「はい。やってみませんか?」


 詩泥棒のお誘いに、ノコちゃんは「えー」と思った。魚がかからない釣りの何が面白いんだろう。釣り上げた魚を食べることもできないし、それならもっと他にやらなくちゃいけないことがあるようにも思う。

 ノコちゃんが暫く悩んでいると、詩泥棒がポケットから何やら薄い板切れみたいなのを取り出した。

 それはノコちゃんも見た事がないもので、「おっ?」として、板切れに視線が釘付けになった。


「なにそれ」

 釣り針のない竿よりも、その板切れのほうが気になる。詩泥棒はその板切れを指先でみょんみょんさせた。なんていうべきか表現に困ったけれど、『みょんみょん』させるという表現が絶対にぴったりだとノコちゃんは思った。

 だから、その板切れを『みょんみょん』と呼ぶことにした。


「みょんみょん」

「え?」

「それ、みょんみょん。みょんみょんでしょ」

「あ、はぁ、ええとこれはスマホと言って……」

「みょんみょん、触らせて!」


 大きな詩泥棒の掌に握られているみょんみょんに触りたくて仕方なくて、ピョコピョコと跳ねまわってしまうノコちゃんはすっかりみょんみょんの虜になっていた。


 ――♪


「おっ」


 と、不意に板切れから詩が流れ始めた。

 その詩はノコちゃんも知っている詩で、お祭りのときに歌うヤツだとすぐに気が付いた。


「みょんみょんから……詩が!」


 そしてハッとした。そうだ、こいつめは詩泥棒であった!!

 まさかあのお祭りの詩を盗んでいたなんて!!


「この詩、いいですね」

「そうよ! しらーなっ、かったよー♪」


 みょんみょんから聞こえてくるお祭りの詩は、ずっと昔から歌い継がれてきた伝統の詩だ。

 とてもいい歌であるのは間違いないに決まっている。


「この詩を聞いて、僕は『無駄を楽しむ』ということをやってみたくなったんです」

「それで、『釣れないこと』をしていたの?」

「ええ、『つれないこと』をしてきました」


 ノコちゃんは針のない糸をまじまじと見つめた。


「ちょっとさせて」


 釣り針のない釣りが楽しいという詩泥棒の言葉に、ノコちゃんは「まじかよこいつー」と思った。だけれど、このちょっと変わった詩泥棒に興味が沸いたノコちゃんは『釣り』を一緒にしてみようかなと釣り竿を手に取った。


「ほりゃ」


 ひょーん、ぽちょむ。


 釣り糸が小川の流れに投げ込まれると、川の流れに糸がさらさらと泳いでいく。水の光がランランと、釣り糸をきらめかせ、波紋フェアリーがぱしゃんぱしゃんとアートを描いていく。それはなんというか、芸術家の世界みたいで、意識高い系のノコちゃんの心を心地よくさせてくれるものだった。


「どうですか?」

「うーん……これはパラドックスのリノベーション」

「ちょっと何言ってるか分からないですね」

「うふふ!」


 ノコちゃんも意味が分かっていなかったので笑って誤魔化したよ。


「こうして、川の流れをじっと見ていると、自分のことを考えたりしませんか?」

「自分と向き合うの?」

「そうです」


 詩泥棒がそんな事を言うので、ノコちゃんは暫し、じっと川の流れに揺れる釣り糸を眺めていた。

 

「……迷子じゃないんですか?」

「迷子じゃ、ないよ……」

「歩けなく、なっていませんか?」

「…………」


 さらら、さらら……。

 小川の流れる音と、ぴちゃんぴちゃんと波紋フェアリーが躍る音。それが静かな水辺から共鳴するみたいにノコちゃんを包み込んでくれた。

 じっと見ている釣り糸は、陽の光をキラキラと跳ね返らせている。


「あのねー。キリちゃんとか、フォライちゃんとか、すっごいの」

「はい」

「私も、キリちゃんとフォライちゃんと一緒にやってたの」

「はい」

「ふたりは、特別なのかも」

「そうなんですね」

「すっごい早いの」

「へえ」


「私は、……私は……」


 釣り糸は流れながらも、垂れさがったその位置から動かずに同じ場所でふよふよと泳ぎ続けている。

 波紋フェアリーはぴっちょんちょん、と、次々にわっかを作って踊り跳ねて遠くへと流れていくのに、なんにもつけていない釣り糸はその場でふらふらしているばかり。


「ぐるぐる、してる。まえ、見てあるいているのに」


 ノコちゃんは釣竿を「えいやっ」と引き上げた。

 すると、やっぱり、何も釣れていない糸がノコちゃんの下へともどってきた。


「釣れない」

「無駄だと、思いますか?」


 詩泥棒はにっこりと笑っていた。水面の反射の重なりが、表情の色んな所に陰や明るみを作るのが、面白い。


「君の詩は、キリちゃんとフォライちゃんには作れなかったかもしれませんね」


 ノコちゃんは『釣れない』釣り竿を詩泥棒に返した。


「ねえ、詩泥棒?」

「はい?」

「私の詩、盗んでくれた?」


 みょんみょん。

 みょんみょんの中には綺麗な詩がたくさん入っているんだ。

 宝石箱みたいだとノコちゃんは思った。


「もちろん」


 詩泥棒はキラキラする光の中、ホントに大事そうにみょんみょんを撫でた。


「だめねえ! あなた!」

「返す言葉もございません」


 ノコちゃんは大きな声で笑った。

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