※山田慎吾 ~その1~

「何を読んでらっしゃるんですか?」

 山田慎吾は同僚の馬場大貴に声をかけた。休憩中に何やら文庫本を読んでいるので気になったのだ。文庫本にはカバーが掛けられていてどんな本であるのか外からみても分からない。


「ああ、はは……ちょっと」


 馬場は読んでいた本をぱたんと閉じてなにやら気まずそうな顔をした。文庫のサイズからして小説のように見えるが、人に知られると気まずい内容の本なのだろうか。馬場のリアクションから山田はそんな風に感じ取った。


「ああ、すいません。別に詮索するつもりはないです」


 馬場が言いにくいのならと山田は質問から身を引いてコンビニで買ってきた弁当を食べようと、自分の席に向かった。

 すると、馬場がなにやら慌てたような顔をして、山田の隣までやってきて、読んでいた小説を開いて見せた。


「い、いや、別にいかがわしいヤツじゃないッスよ」

 山田の気配りに、馬場は何を誤解したのか自分の読んでいた小説を広げて見せる。

 山田としては別に馬場の読んでいた本自体にそこまで大きな関心はなく、ちょっとした世間話の一環で声をかけただけだったため、その慌てっぷりに少しばかり苦笑した。

 そのこけた頬と色白の肌が力なく笑うかんばせは、少々儚くも見える。


「……『異世界転生で最強スキル生活』?」

 その馬場の開いた小説は、そういう名前の作品だった。日頃小説を読まない山田は、その題名を読み上げてもいまいちピンとこなかった。


「いやぁ……こういうラノベを読んでるのって、なんか恥ずかしくて」

「ラノベ?」

「あれ、山田さん知りませんか? ラノベ、ライトノベル」

「ライトノベル……すみません。あまり小説を普段読まないので。ジャンルも詳しくなくて」


 山田が申し訳なさそうに眉を寄せてすまなそうな顔をしたのを見て、馬場はそれなら、ラノベの『異世界チート』系を読んでいることをバカにされることもないだろうと考えたらしく、少々饒舌に何も知らない山田へと『異世界転生』小説にハマっていることを述べだした。


「いま、ラノベのジャンルの大半がこの異世界転生モノなんですよ」

「異世界、転生……?」


 山田はそれもいまいちよく分からず、馬場の言葉におうむ返しをするばかりだった。


「主人公が話しの最初に死んじゃうところから始まって、次に生まれ変わると全然違う世界にいて、そこで大活躍するってヤツです」

「……へえ、死んで蘇るんですか。昔のマンガに似たようなものがありましたね」


 そういうものが今流行っているのか、と馬場の話をそれなりに相槌を返しながら弁当に箸を進めていった。


 その仕事帰り、山田はほんの些細な気持ちから本屋へと向かい、『ラノベ』のコーナーを覗いてみたのだが、確かに馬場の言う通りだった。

 ラノベコーナーに敷き詰められている作品の数々はどれを見ても『異世界』の文字が入っていて、本当に流行っているんだなあとぼんやりと小説の背表紙を流し見ていた。

 正直なところ、背表紙だけを見ても、どれも同じような名前だったし、あらすじを読んでもこれもどれも似ていたので、結局山田は無作為につまみ上げた小説を持って会計をした。

 帰宅してから、本を開いて、その本の題名が『異世界転生スローライフ。眠るだけで世界最強!?』というものであったことを知った。


 本当に気まぐれだった。今の流行りとはどういうものなのだろうと思っただけだ。

 それで購入した本をぱらりとめくると、随分と可愛らしいが性的な色気を散りばめた少女のイラストがカラーで描かれていた。どうも、作中の一場面を切り取って巻頭に入れているらしい。

 ぱらぱらと読み進めていくと、文体は非常にラフで話の内容はコミカルだった。

 活字もそう多くなく会話がメインで話しが進んでいくために、普段小説を読まない山田でもスラスラと読み進めていくことが出来た。


 第四幕という、巻の中頃まで読んで山田は小説を閉じた。


「……異世界転生、か」


 山田はそのラノベを途中まで読み、それ以降読む気が急速に薄れていくのを感じていた。

 それは自分が、『転生』することにだけ興味を持っていて、『転生』した後の事はわりと興味がないためだと分かった。

 その小説の主人公は、ある日『女神様』の手違いで事故によって命を落とすわけだが、それを申し訳なく思った女神様が別の世界に転生して、残りの余生を楽しんでほしいという出だしから始まっていた。


 山田は思った。

 そんなことが行えたならどれほど素敵だろう、と。


 天命というものがあるとして、その半ばで死んでしまった場合、その残りの分をきちんと補填できるとしたら――。

 それをこんな世界ではなく、幸せな異世界で暮らせるのだとしたら――。


 それはまさに夢物語だろう。

 だが、山田はその『異世界転生』に強く感心を傾けることになったのだ。


 それから山田は、『異世界転生』モノの小説を冒頭だけ読んでは、『転生』する条件だとか設定、人物像などを次々に読み漁っていった。

 それからいくつかの小説を読み進めていくと、ネット小説というものがある事を知った。書籍として出版されているものはネット小説で人気になった作品が多いのだとか。

 それからはネット小説の『異世界』モノを読み漁ることになった。

 どれも『転生』のシーンだけを読み、転生後はどうでも良かったので、大抵山田が読んだのは『プロローグ』とか『第一話』の部分ばかりだ。


 なぜ死んで、どうして転生するのか。山田は異常なほどにそこに拘って小説を読み漁った。


 ――やがてそれから数か月が過ぎた。


 そんなある日のこと。


 山田は突然、無断欠勤したのだ。

 その日、電話に連絡を入れるも折り返しの電話がかかってくることはなかった。


 山田はきちんとした性格をしていたから、無断欠勤するなんてピンとこなかった。

 職場にいつまでたってもやってこない山田に連絡を入れた事務員は、いくら鳴らしても応答しない山田の電話に不信感が生まれ、山田の住所まで足を運んだ。

 山田の住まいは賃貸住宅で、狭いワンルームアパートだった。

 山田のポストを確認すると多くの郵便物が詰め込まれていて、まったく回収されていないことが見て取れた。

 山田は家に帰っていないのだろうか?

 訊ねてきた事務員は大家に事情を説明した。大家は怪訝な顔をしながらも、マスターキーをもって山田の部屋の扉を開く――。


 中に入って、その暮らしぶりの無色さにまず驚いた。

 生活感のない部屋。がらんどうともいえるほど、家具は最低限しかなく、インテリアと呼べるものもなかった。

 寝床になるベッドは備え付けの物で、ベッドの下には押入れがある。


「山田さーん、いらっしゃいませんかー」


 大家がまさか家賃を払わないままに夜逃げでもしたのではないかと何か行先の証拠になるようなものがないか家探しを開始した。

 そして、ベッド下の押し入れを開こうとした時だ。


「んっ……?」


 がた、と押し入れの戸をスライドさせようとして開かないことに疑問の声が上がった。

 何かで固定でもされているのか押し入れの戸が開かない。


「ぐっ、何かで、固定、されてるっ……」

 大家が押し入れの戸を力任せに引こうとチカラを込めて広い額に汗を浮かばせた時、べりべりべり、と何かがはがれるような音とともに、押し入れの戸はスライドして開いた。

 思わずごろんと転げてしまった大家は押し入れの戸が、内側からガムテームで締め切られていたことを理解した。押し入れの内部の戸の部分の隙間にビッチリとガムテームが張り付けられて、力任せにそれを引きちぎったせいで、びろぉんと押し入れの戸にガムテープがくっついたままに垂れていたのだ。


「!?」


 大家の後ろで事の成り行きを見ていた事務員が、持っていたカバンを取り落とした。

 開いた押し入れの奥に、驚愕の状況を確認したのだ。


 なんだなんだとのっそり押し入れのなかを覗き込んだ大家は、そこに横たわるやせ細った男性を見付けた。


「ひっ……」

 そして、今度は腰を抜かして転げた。


 そこで横たわっていたのは、息をしていない山田慎吾その人であった。

 押し入れの中には七輪と燃えた練炭1個、ガムテープと睡眠薬1箱があった。そして、多数の『異世界転生』モノのラノベ、第一巻が散らばる様に山田慎吾の傍にあったのだ。


 慌てて救急車を呼んだ事務員と大家は、続けてやってきた警察に事情聴取を行われることとなった。

 状況から自殺を計画し、実行したのだろうと推測ができた。


 救急病院に担ぎ込まれた山田慎吾は、発見が速かったためなのか、両親の必死の願いもあり、蘇生装置で息を吹き返した。

 ――が、その瞳を開くことはなかった。

 山田慎吾は一酸化炭素中毒により、意識を取り戻さないまま、ベッドの上で寝たきりになったのである――。


 医師が言うには、脳波は奇妙なほどに正常らしく、まるで覚醒状態のような脳波を発信しているとのことだった。

 まるで魂だけ、別の世界で過ごしているようだという。


 山田慎吾の回復を祈り、看病を続ける両親に、自殺未遂に追いこんだその原因を判明させるべく警察は職場の環境などの捜査を行うことになった。


 山田慎吾は、異世界転生のための第一歩、『死』に踏み出したのだということは、当の本人すら予想もしていなかった――。

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