Hunt Would!!

織間リオ

Hunt World


 今から約五百年前、ニコラウス・コペルニクスという天文学者が、地動説を唱えた。太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているという学説である。

 だが、長期に渡る議論、検証、そしてその遥か未来で宇宙へのシャトル打ち上げによって俯瞰的に自分たちの生きてきた大地を確認した結果、その地動説が誤りであることが証明された。人類が生活していたのは極一部の狭い世界。人類は、まだ見ぬ外界大陸への夢と希望、あるいは不安を、その結論から抱いたのである。

 地動説が完全否定された後、外界大陸の調査は、各国の軍隊と、有力な学者によって編成された調査隊によって何度か行われてきたが、その調査そのものは難航していた。そもそも外に対しての調査を行う知識や経験、あるいは才能というのが、決して軍人達に備わっているわけではなかったこと、もう一つは、利益と権力を求めるがために、他国との水面下での争いが静かに行われていたからだった。過激な国においては、別国を直接攻撃し、調査を妨害するという手段を取ったものまでいた。

 多くの人間が夢見た異大陸への冒険は、他の誰でもない人間同士の争いによって、この数十年間で端とされた地点から僅か数十キロ程度しか進められなかった。これを受けて、国連は今後、各国の正式な調査隊による活動を全面的に禁止した。このままでは、いずれ外界大陸の領土を求めた戦争になる可能性があると危惧されたためである。では、その外界大陸の調査及び処遇をどうすべきか、各国による密な話し合いが行われた。数か月の協議の後、その結論は下された。


「おい倉田ぁ! ちゃんと訓練してたのか! もうちょい歯ぁ食いしばれや!」

強い口調で罵ってきた上司の言葉に、若干苛立ちながらも、言われた通り歯を食いしばり、足に力を込める。太陽光の大半が頭上高くに繁る大木から伸びた枝葉よって遮られた密林の中で、決して良くない足場を確実に進めていく。

「ほんと、上川さん容赦ないなぁ、もうちょっと後輩に優しくしてほしいものだよねぇ、倉田くん?」

同期の高宮詩織たかみや・しおりに、そう言いつつ支えとなってもらいながら、ゆっくりと身体を起こす。大きく深呼吸し、上司――上川俊文かみかわ・としふみが進んでいった方へと、歩みを進める。こういう時、銃や短剣であれば動きの制限も少なくて済むというものだが、生憎身を守る手段となる得物は大振りな弓しか持ち合わせていなかった。


 倉田稔くらた・みのる。株式会社イースト・ハント・コーポレーション神奈川第四支部上川調査班所属。新卒一年目。普遍的な言い方をするならば――職業、トレジャーハンター。

 国際社会は国単位における調査を禁止し、その調査を民間の企業によって行わせることにした。当初、議論の中ではそんな命知らずなことをする者がそうそう多くいるとは思えない、という意見もあったが、雇用の拡大、選択肢を増やすという意味もあり、その案が採択された。反対意見を述べた国の憂いをよそに、トレジャーハント稼業は急速にその需要を伸ばしていった。まだ見ぬ大地、まだ見ぬ世界への期待と興奮が、当時の少年少女たちを突き動かしたのである。

 かくいう倉田もその一人であり、トレジャーハンターを夢見て高校、大学と探索や地形について学び、弓道部でその腕を磨いた。そして、日本でも有数の大企業、イースト・ハント・コーポレーションへの就職を決めた。

 だが、予想よりも基礎的なことばかりをやらされた研修生活を抜けた先にあったのは、今まで積み重ねてきたものを全て投げ捨てざるを得ない光景だった。

「倉田稔――学生時代は弓道部か」

「はい、外界では、まだ生態が謎に包まれた、凶暴性の強い生物が多くいるので、遠くから射貫くことで、その脅威を――」

「全く、俺も飛んだクソ雑魚を引いてしまったか」

それが、彼が配属となった調査班の班長、上川俊文に言われた最初の言葉であった。


 それから約一か月、訓練期間を終えて、同期であった高宮詩織を含めた三人で編成された上川班は、班編成後初となる外界調査に赴いていた。

 実際、上川の初対面での発言は全くもってその通りであった。何より、今まで積み上げてきた弓道の経験は恐ろしいほどに何の役にも立たなかった。矢を番え、弦を引き、撃ち出す。その一連の動作を満足にこなすことができないのだ。太陽光は中途半端に遮られているうえに障害物が多く、対象に向かって狙いを定めることができない。だが、それだけならばまだましだ。問題は足元だった。平面平地、万全の状態で弓を構えるのが弓道では「普通」だ。だが、ここにはその普通は完全に存在しない。地面は凹凸が激しく、そこら中に倒れた木や枝、小石から洗濯機大の岩まで散乱している。この状態ではそもそも弓道における構えを取ることそのものが不可能なのだ。それを悟った瞬間、倉田は自分が選ぶべき人生設計を五年以上も間違ってしまったことに気づいた。だが、今更それまでの時間を巻き戻せるわけではない。

 今やれることを、やるしかない。

「倉田、高宮。見えるか?」

屈んだ状態の上川がそう二人に問いかける。倉田はその視線を追い、上川の言う対象を視界に収める。

「あれは――オオカミ、ですか?」

対象を見て発言したのは高宮だった。三人が見つけたそれは、日本では既に絶滅してしまったオオカミに酷似した生物だった。図鑑や映像で見たオオカミと違うのは、全身が白い体毛で覆われていながら、背の部分が少し盛り上がって黒くなっていることだった。

「データベースにはない――おそらく外界個体だろうな。まだ誰も見つけてないってなら、でかい収穫になる」

上川は端末を操作して対象の情報を確認し、その結果を報告してくる。未確認の生物。外界においては自分たちの常識は通用しない。十二分の警戒をした上で、行動を行避ければならない。

「対象をアンノウン・ウルフと仮称。フォーメーションはカタパルトだ――倉田」

「っ、はい」

突如名指しで声を掛けられて倉田は少し上ずった声で反応を返す。

「初撃はどこを狙うべきか、分かっているな?」

「――はい、相手の動きを封じるために、足を狙います」

運が良ければ、その初撃で勝負が決まる。もちろんそうならば問題はないのだが、この環境でそれができるかどうかは分からない。恐らく、うまくいく確率の方が、はるかに高いだろう。

「そうだ。だが殺すなよ。殺すくらいなら外せ。タイミングはお前に任せる」

「――分かりました」

そう言われ、倉田は片膝を立てて弓を構える。弓の下端は地面すれすれの位置になってしまうが、この地形で少しでも弾道を安定させるためにはこうするしかない。

「倉田くん、こっちもいつでもいいよ」

倉田の数歩先で、大きく身をかがめた高宮が振り返りながらそう告げる。倉田は深呼吸を一つして返事を返す。

「――ああ」

入社して一か月、初となる外界調査。初の戦闘、初の一矢。

(落ち着け――ウルフはまだ気づいていない……よく狙って、会心の一発を打ち込め――!)

引き絞った弓から、渾身の一発を、ウルフの右後足へと放つ。ヒュッという風を切る音と共に、矢が真っすぐに飛翔し、その軌道を指し示す。

 だが、放った瞬間に倉田は気づいていた。手を離れる感触、弓の反動とそこから生じるブレ、それらが、「この攻撃が狙った場所には命中しない」ことを決定づけていることに。

 倉田の予測通り、矢はウルフの足元に、若干右側に逸れて突き刺さる。それを見たウルフが、こちらへと向き、倉田の姿を捉える。両者の視線が交錯する。それは、戦闘が始まる合図。躊躇することなく、ウルフは倉田へと走り出す。倉田はその様子を見ながら、矢筒から次なる一矢を引き抜く。弓、特に倉田が扱うような長弓は、隠密性と静穏性も高く、射貫いた時の威力もある。矢を引き抜くこと自体、簡単なことではない。貫通しているなら猶更だ。だが、それと引き換えに一発毎のインターバルが長い。それを知っていようがいまいが、獣が突っ込んでくるのはもはや本能的な部分があることは間違いないだろう。

 故に、このフォーメーションなのだ。

「はぁっ!!」

息を吐きだすように声を挙げた高宮が、カタパルトから打ち出される大岩の如く、草陰から飛び出し、走り込んできたウルフの右前足を、逆手に握りこんだナイフで切りつけながらすれ違う。着地の衝撃を転がることで緩和しながら立ち上がり、すぐにウルフの方へと向き直る。ウルフは右足の負傷によって体勢を崩し、一度その場に倒れ込む。その間に倉田は矢を番え、次の攻撃に備える。

「グルルルル……」

息荒くウルフが唸る。この距離ならば、先程よりも精度が出せる。確実に、足を狙い撃つことができる。

「よし、これで――」

「倉田! 離れろ!!」

口を開いたのは上川だった。倉田は咄嗟に、狙いをつけていた足から、ウルフの全身へと、その視界と意識を広げる。

「なっ――」

倉田の目の前で、ウルフは背の黒い隆起部分を展開していく。犬や猫のように、単なる模様の異なる個体差のあるものだと思っていたが、それは大きな間違いだった。ここは外界なのだ。

 オオカミが飛ばないなんて常識は、ない。

 ウルフは背から広げた翼で空中へとその身を浮かせていく。その場でのホバリングができるところを見るに、飛行能力が低いとは思えない。それに、空中に浮いてしまえば、いくら足が負傷していたとしても関係ない。地面を蹴る必要がないならば、いくら足を狙ったところで意味はない。

「くっ!」

上空から飛び込んできたウルフを、横方向に跳んで回避する。弓にダメージを与えないような体勢のまま地面で一回転し、体勢を立て直す。そして、弓を構え、再び矢を放つ。どうにか放った矢は、ひどく精度が悪いのもあったが、それ以上にウルフの反応速度が命中を許さなかった。

「速い……!」

「上川さん!」

「高宮はウルフの気を引け! 倉田は下がって攻撃準備!」

高宮の問いかけを聞くや否や、上川は素早く両名に指示を出す。倉田はそれに従って一度ウルフから距離を取り、それと入れ替わるように高宮が前に出る。近くにあった小石を手に取り、ウルフへと投げつけて注意を逸らす。

「とにかく奴の翼を無力化だ! そうすれば勝機はある!」

そう言いながら、上川がアサルトライフルを構える。翼へ向かって、経験と技術に裏打ちされた精度の高い射撃が、弾丸となってウルフの翼へと直進していく。しかし、まるで翼に同極の磁石でもついているかのように、弾丸を翼が回避してみせる。意識は完全に高宮の方に向いていながら、命中を許さなかったのだ。

「なんだあの反応速度は――!」

翼に当てることができない。それではこの状況を打開することができない。ウルフは相変わらず高宮の方に意識を集中させてはいるものの、このままでは矢や弾の数に限界があるこちらがジリ貧となる。そうなる前に手を打たなければ――。

「くそっ、翼の反応速度が攻略できん……!」

苦虫を噛み潰したような顔で上川が呻く。高宮一人にヘイトを集め続けるのも、彼女自身の体力を考えたら得策ではない。何か、何かないか――。

 倉田は、そこで一つ、異様なものを見つける。

 ウルフの尾が、まるでレーダーのようにいろんな方向へとその先を向けているのだ。

「上川さん、あの尻尾、狙えますか!」

倉田はすかさず進言する。上川もその進言を聞いて、ウルフの尻尾の挙動に注視する。

「なるほど、翼への危機を尻尾で察知して、脊髄反射的に回避してる――そういうことだな?」

「あ――はい!」

この上川という上司は、口は悪く当たりも強いところがあるが、物事を理解するのが早い。あるいは、頭の回転が速いというのかもしれない。どちらにしても、こうも話が早いのは、こちらとしても助かるし、班をまとめる長としても適任であるのだろう、と倉田は思った。

「やってみよう。お前は次撃準備を急げ」

「はい!!」

倉田は返事を一つして走り出す。矢を弦に引っ掛けながら走り、なるべく足場の良い場所を探す。そして、その場所に両足を踏みしめる。百点満点の地面ではないが、土と砂だけの場所だった。軽く足でならし、弦を引いていく。

「ふっ!!」

上川が正確な射撃で、ウルフの尾を射貫く。恐らく、尾は翼に対し連動している。あのウルフにとって、翼はおそらく生命線そのもの。生きるための第二の足。それを防衛するための反射的反応を実現するために、あの尾がある。だが、尾そのものに、危機を察知する能力があっても、それを対処する能力がない、という倉田の仮説は、射貫かれたというその事実に裏付けられただろう。

 あとは、自分の仕事だ。

 すでに矢を構え、発射の体勢は整っていた。尾を射貫かれたことでウルフの動きに明らかな変調が見られる。その機会を、逃すわけにはいかない。本来の弓道における的よりもずっと高い位置にある目標だが、足場の状態は初撃の時よりもずっといい。外すビジョンが、微塵にも見えなかった。

「いけっ!!!!」

大きく引き絞った弦から、矢から、あてがっていた右手を放す。それと同時に、左手で構えていた弓を素早く反時計回りに傾ける。先ほどの初撃が右に逸れたのは、弓本体に矢が接触し、その狙いが右に逸れてしまったからだろう。だが、あの時とは足場も姿勢も違う。この動作を行うこともできる。

 弓返りゆがえり。弓の右側への接触を減らし、軌道に正確性を与え、更にはその副産物として、矢と弦の接触時間を増加させる。そこから発生するのは――矢の加速能力の向上。初撃、二撃よりも遥かに速い、韋駄天の如き速度の矢である。

 その弓返りの動作を相まって加速づいた矢が、寸分違わずウルフの右翼を貫き、その勢いを殺すことなく直進し、左翼からその矢先を見せつける。一本の矢によって固定された両翼が飛行能力を発揮できるわけもなく、ウルフは地上へと落下する。地面に着地するものの、高宮が切った右足の負傷が響いたのか、そのまま横倒しとなった。

「よし、拘束だ! 再び動き出す前に足、翼、口を抑えろ!」

「はい!」

倉田と高宮は、上川からの指示に応えながら、各々拘束具を取り出し、ウルフの拘束に取り掛かった。


 外界大陸で新たに発見された生物や植物、あるいは地名等は、発見者の所属国籍が決定権を持つことになっている。今回上川班が持ち帰った翼をもつオオカミは、コクヨクオオカミという名前で登録されることが決まった。だが、名前が決まった段階では公表されることはなく、トレジャーハンター達に待っているのは膨大な書類の処理と整理である。

「駄目だ。もっと上の連中が分かりやすいように、簡単な言葉を使って説明文を作れ。これじゃ通せん」

作成した書類に目を通した上川は、倉田にその書類を突き返した。

「えぇ……上川さんさっき『専門用語を詳しく調べて詳細に書かないと返される』って言ってたじゃないですか……」

「それは研究班への提出レポートの話だろうが! ほらさっさと直す直す!」

「うぅ……了解です……」

現地での任務とは全く別次元の作業は、結局現地を体験した人間にしか書けないことだらけだ。倉田もまた、トレジャーハンターという夢のある仕事の中で、こうした一社会人然とした作業をこなしていかなければならないのである。

 結局、一週間という中々の時間を超えて、山のように三人の上に積まれていた書類は片付いた。最後の一枚に判を押し終えた上川の号令によって、現地調査トレジャーハントは本当の意味で終了した。


「いやぁ、終わってよかったぁ。研修で流れは聞いてたけど、まさかここまでかかるとはねぇ」

会社から出るなり、隣にいた高宮が大きく伸びをしながらそう呟く。

「確かにな。別の意味で現地よりも疲れたよ」

「ははっ、結構突っ返されてたもんねぇ、倉田くん」

高宮が言っているのは、報告書のことであることはすぐに分かったが、倉田が言い返せる材料は少なかった。

「ま、まぁ初めてだし? これから少しずつペースも突っ返される回数も減らしていくさ……多分」

俯きがちに頭を掻くのが、抵抗不可能の白旗になってしまう。だが、もはや倉田にとってはそうするしかない状況になってしまった。ペースが悪かったことは紛れもない事実なのだから。

「あ、そういえば第一支部の木島くんと川野さんも今日報告あがりなんだって! 誘って四人で飲みにでもいこうよ!」

そんな倉田の敗北感をよそに、高宮はいつの間にか飲みの場をセッティングしていた。

「――そうだな。明日は休みだし、また来週からの調査に向けて英気でも養っておくか」

「さっすが、話が分かる!」

そんな会話をしながら、倉田は高宮と共に、同期と待ち合わせをした居酒屋へと足を進めていくのであった。


 またいつか、未知なる世界を知り広げるために。

 彼らは歩みを進める。

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