2-8 地下の大乱戦

 中には地下へと続く如何にもな鉄板作りの階段があり、照明はなく、アタシたちの背後からの自然光のみが照らしている。

 7段ぐらい下のところに小さな踊り場があり、そこから右手へさらに下っている。自然光の届かない先まで伸びている階段の奥には薄っすらと階下の光が見える。

 1歩踏み出すと、ヌチャ……という音が聞こえてきた。目を凝らすとところどころにヌメヌメしてそうな黒い液体が付着してる。まだ足と草履の間には入っていないが、入った場合の事と液体に足をとられたときのことを想像して、せっかく引き締めた気合が少し飛びそうになった。

 滑らないように慎重に降りていくと階下の光が強くなり、一番光が強くなった段差から少し降りた先には、巨大な空洞が広がっていた。

 左側が壁となっており、右手の眼下には6基の巨大な水槽が並んでいる。この階段が地下1階となる部分まで伸びており、そこから右手に曲がり、3つずつ並んだ水槽の中央の上空を貫通するように、鉄筋製の渡り廊下が続いている。ちょうど、空中の廊下から左右の水槽を観察できるようになっている。

 渡り廊下の先にある空洞の反対側には2つの全開となっている扉が見え、さらに右手に行くと、水槽のある階に降りれる階段へと続いている。

 と、空間の状況を冷静に言えばこんな感じなのだが、実はとあるものを省いて認識しており、正直直視したくない現実がそこにある。

 どの水槽にも数体のヒト型の影が浮いていたり、沈んでいたりしており、水槽から這い上がってこようとしている。水槽の周辺にも何体か倒れたり、ゆっくりと起き上がろうとしているものもいる。

 先日のスケルトンという徘徊骸骨と違ってまだ肉片も多く残っており、周囲に充満する腐敗臭から、頭がソレらを見ることを一瞬にして自然と拒絶している。

 こみ上げてくる嗚咽を必死に抑えながら階下に再び目を向けると、まだ活動を続ける不死者たちが色も雰囲気も全く異なる2つのヒト型に対して歩み寄っていた。

 一人は男性で自分たちの真下で戦っている。藤紫のような髪色で男性に多いとても短い頭髪。深緑の肌着のようなものと、その上に更に袖なしのほんのり光を反射する鼠色の上着。

 この上下は体の線がはっきりと分かるぐらいの薄手で、両腕には拳まで防護された腕甲をつけており、殴って不死者たちの頭部を次々と破壊している。

 もう一人は女性で、階下に下りる階段の傍で巨大な鎌を振り回して近づいてくる不死者たちを退けている。そのヒトは、すらりとした細身のジャケットと呼ばれる丈の短い黒革製の羽織の下に、深い切れ目の入った丈の長い空色の綺麗なスカート。

 何より特徴的なのが、綺麗な緑色の髪から突き出している耳だった。

「エ、ルフ……!?」

 その声に振り向けば、ダインの後ろにいる3人がまるでお化けでも見たかのような引きつった顔をしている。特にネフェさんは口元を押さえながら、あまりの驚きに目が見開かれていた。

 樹人族とも言われるエルフは、自らの体内にただ唯一の植物に宿し、植物と共に一生を過ごすといわれる種族である。種族の特徴として、髪の毛の色が必ず緑の系統色となり、耳が枝を模したかのように細長く尖っている。まるで頭そのもので樹を現しているようだ。

「そんなにエルフが珍しい?」

 背にしている階段に手をかけ、まだ歩み寄ってくる周囲の不死者を狩ながら、ゆっくりと階段を上り始めた。

「エ……エルフはあの大戦で皆殺しにされたと……」

「完全って存在するのかしら? 身を潜めた者もいるでしょう、捕虜になった者もいるでしょう。ダメよ、信じちゃ。フェザニスのお嬢さん。特に……貴方が知っているのはあくまで敵国からもたらされた情報。それに今、私がこうしていることが何よりの真実」

 大鎌のエルフさんが一歩踏み出す度にカツンと響く音。

 鳴り響くたびに、耳の置くがこそばゆく感じる。

 同時に、足の裏から小さな痛みが走る。音の度に縫い針が刺さるような痛み。

「さて、貴方達は何者なのかしらね? ……コイツの仲間?」

 エルフさんが昇りきると、階下にいる紫髪の男に目をやっている。

 肩で息をしながら、エルフさんに来ていた不死者も一手に受け持ってしまっている。

「そいつ等は関係ない!」

 階下から聞こえた男性の声だが、エルフさんは歩みを止めない。

 そして、アタシは……動けない。動かない。足が膝まで動かなくなっている。アタシだけじゃなく、ダインも小さく動けないと呻いている。

「へぇ、ホミノス、ガルムスにフェザニス……すごい、ホーンドもいるなんて。私も含めて人種の博覧会でもできそうね」

 アタシは被り物をしているため、角は一応見えないはず。後は髪の色で判断されたのだろうか?

「束縛系の術のようです……恐らくこの鉄板の一つの素材を指定して、あの人がその素材に接してる間は、素材が連続する限りの全範囲に影響を及ぼす型のようです……」

 エルフさんの足場はアタシたちがいる階段の延長であるため、使用されている素材は手すりも含めて同じである。そのために、魔法の影響範囲は階下の水槽がある床以外はほぼすべてということらしい。

「あと、魔力抵抗しても無理よ。フェザニスの貴方では属性の相性が少々悪いわ。それに、エルフにとって樹のマナは手足そのもの。そして、ここは酔っちゃいそうなほど溢れてる。そこのホーンドさんは魔力操作が苦手のようだから安心だわ」

 マナや魔力に備わってる属性には、相克のように属性同士での得手不得手が存在する。基本的には自然の摂理に沿ったものであり、この場でならネフェさんの基本属性である雷とその上位に当たる風は、電流を受け流す作用を持った樹やその上位である地では相性が悪い。替わりにカキョウの持っているはずだった炎とその下位に当たる熱の属性は、植物が燃えやすく、地に含まれる金属や鉱物は熱によって変化するため、樹に対して優位性を持つ。

(このヒト……アタシのちっぽけな魔力すら読み取ったんだ……)

 それだけこの空間はこの女性に支配されているといっても過言ではない。

 刀さえまともに構えれれば、打開の余地はあったかもしれないけど、足元から伝わる束縛の痛みは既に腿を越えて、腰や手首に差し掛かっている。術は体の中を伝っているのではなく、単純に発生源の鉄板からの高さのようで、首や肩以外はその空間に固定されているような感じだ。身体をよじればよじるほど、束縛の昇ってくる早さがあがってくる。

「まったくどういった集団なのかしらね。まぁいいわ。希少種が減ってしまうのはとても惜しいけど」

 渡り廊下の中間あたりまで来ると立ち止まり、右手に持っていた大鎌を前に突き出した。

「始末しましょう」

 ゆっくりと振り上げ、両手で構えなおしながら更にこちらへ歩んでくる。

 階上へ上がる最後の曲がり角まで差し迫った。

「――クルーセルフィクション!」

 階下の男性の呪文と思しき怒号が響き渡ったのと同時に、エルフさんは天井へとめり込んでいた。鉄板を突き抜けた無数の光の鎖と共に。

 術者が足場から離れてしまった為に、束縛から一気に解放された。

 すでに喉元まで上り詰め、首締めを受けている状態へとなっていたために、肺に大量の腐臭に包まれた空気が入り、予期せぬ嗚咽がこみ上げてきた。

「なるほど、おっさんエクソシストか」

 トールが見上げる天井を見てみると、光の鎖によって天井に貼り付けにされたエルフさんがいた。

「聞こえてるぞ。維持してやるから、こいつらを片付けてくれ」

 全員が顔を見合わせて、唯一つうなづいた。

 トールはガルムスの身体能力を生かし、その場から階下へ飛んだ。

 アタシとダインはそのまま渡り廊下を走って、階段を数段下りてから飛び降りた。これで、トールと挟み撃ちの状態で戦える。

 ネフェさんは渡り廊下から下を見下ろしつつ、頭上から援護攻撃をする姿勢へ。

 ルカは、オロオロしながらもネフェさんの後ろに控えていた。 


 

 床には壁を突き破って伸びてきた根っこと、水槽から溢れた水、そして動かなくなった不死者によって、立ち回りづらいものになっていた。

 一体、どれだけの数のヒトが水槽の中に入れられていたのだろうか……。6つの巨大な水槽から次々と出てくる不死者達。

 昨晩のほぼ白骨のみのものに比べたら、保存状態がよかったのか落ちた肉も少なく、ヒトだった頃の顔として個性が分かってしまう。男性の比率が圧倒的に多く、痩せていたり太っていたりと体格はまちまちだ。

 まるでヒトを切るみたいで、正直ためらってしまう。

 でも、むき出しになって変色した臓器、爛れ腐れ落ちた皮膚、血が流れることの無い身体。

もうすでにヒトではない。アタシたちが止めることで、彼らは救われるのだと言い聞かせながら、何度も何度も刀を振る。

 何度も……何度も……。

 何度も……あれ?

 変でだった。この不死者たちは核であるはずの頭を破壊されても、首無しの状態で動いているモノがいる。

「どういうこと……?」

 どんなに首をはねても、どんなに頭を真っ二つにしようとも、動きが止まることがない。

「カキョウ、胸だ!! 心臓の位置!」

 ダインから飛んできた指示自体は、不死者相手には若干疑問の残るけど、実際に彼の盛大な横薙ぎによって、複数体の胸が一度に切り払われると動きを止めた不死者がいくつもいた。

 中には頭部を失ってもなお動いていたヤツも、胸を切られることで動かなくなっている。

「分かった!」

 首の無い不死者に対して、胸部分を横に一閃。脇の高さより少し低い位置。勢いがついたために腕付の肉と、足つきの肉に分割してしまった。ダインの言う通り、確かに動かなくなった。

「……!! これ、何? 植物!?」

 切断面に目をやると、本来心臓があったと思われる位置に、質感の全く異なるソレがあった。

「ソイツがここのゾンビの正体だ」

 紫髪の男性から聞こえた答え。まるで大き目のタマネギ程の球根とそこから数本の根っこのようなものが、朽ちて出来た隙間を縫うように伸びている。

 近づいてくる不死者の中に、胸元が爛れ落ちて剥き出しの奴がいた。

 樹のマナの色である新緑の色に光った球根が心臓の位置に座していた。心臓代わりならと刀を突き刺してはみたが、光が収まらない。

 伐採のように完全に真っ二つにしなければ、樹は穿った穴すら閉じて生きつづけるのと同じく、活動を止めないのだろう。

 やり方はわかった。でも、毎回身体を輪切りにしていたんじゃ体力が持たない。

 ダインはある程度不死者を引きつけると大剣で思いっきり薙ぎ払うことで、複数体を相手にしている。

 トールは、グローバスとの戦いのときに見せたブラストネイルという風の付与を武器にかけていた。ダインのように手持ちの斧槍で横一文字を描きつつ、付与で発生したかまいたちによって、さらに周囲の不死者にも切り傷をお見舞いしている。中には樹の心臓に見事命中して、相手を黙らせていたりと、数打てば当たるような戦い方をしていた。

 アタシには、彼らみたいに複数を同時に相手することはできない。

 だから、1匹ずつでも確実に斬るしかない。

 木製の心臓に突き刺した刀を横に無理矢理薙ぎ、一旦距離をとってから不死者の胸に対して流れるように袈裟切りをくれてやった。

 ありったけの、なけなしの魔力を注いで、刃を赤く染め上げて。

 思いっきり振りかぶった時、足元に根っこがあることを忘れて、少し蹴躓いてしまった。よろめいた状態で無理矢理切る形になり、真っ二つにすることに失敗して、ほんのり傷をつける程度になってしまった。

 ところが、ほんのりついた傷口から異様な変化が生じた。

 傷口を中心に泡のようにブクブクと肥大化してゆき、肥大化した部分がまるで断末魔をあげるような悲痛なヒトの叫び顔になり、叫び終わると停止した顔から炭に変化し、炭化した球根だけがボロボロと崩れ消えた。動かなくなった不死者の身体を残したまま。まるで燃える枯れ草のように。

 あくまで可能性だけど、この木の心臓は熱だけでも、自らを維持できなくなり、構成しているもの全てが炭へと変化してしまうのではないか?

「試してみる価値はあるね……なら! 鳳流剣技――紅燕(ベニツバメ)」

 続いて背後に迫った奴に左下から心臓を通過するように逆袈裟に斬り上げ、流れのままに右にいる新しい不死者の心臓だけを真っ赤な一線で切り払った。

 紅燕は、素早い剣裁きと刀が帯びている熱の赤で生まれる剣線が、縦横無尽に飛び回る燕のように見えるという技であり、対象に熱した刃で軽く切りつけるだけであるために本来の殺傷能力は低い。

 でもこの状況なら紅燕は大きな意味を持つ。

 次、次、次と新しい相手を選んでは、赤い剣線を作りながら、ただ心臓にひたすら切れ込みを入れていく。

 予想は大的中。不死者の木製心臓は炭へと変わり、完全に動かなくなった腐った遺体だけがどんどん増えていく。

 調子に乗っていると、背後から新手の不死者が襲い掛かってきたが、振り向いた途端巨大な氷柱が不死者の心臓と入れ替わるように深々と刺さっていた。

 渡り廊下にいたネフェさんは水槽が傍にあるため、感電を考慮してか雷系統の魔法は一切使わず、氷系統の魔法で不死者の足止めをしたりと援護をしてくれていた。

 ルカはネフェさんの後ろにいたかと思っていたが、手に持っている彼女専用のワンドと呼ばれる杖を使い、フォトンと呼ばれる聖属性に属する小さな光の玉を打ち出す魔法を使って、不死者たちの気を引いている。

 このワンドとは以前話した特殊術器の一種で聖フェオネシア教会では、各シスターやクレリックなど修道している僧が巡礼の旅に出る際に、何らかの専用アイテムが旅のお守りとして渡すらしい。

 わざわざその人専用のものを仕立てるだけでも手厚いと思うのだけど、それを旅に出る全員にするあたり、教会ってすごい組織なんだと感じるようになった。

 そんなことを考えれる程度に余裕が出てくるほど、不死者の数は前衛として直接戦っているアタシたち3人の目の前にいる1体ずつのみ。

 鈍足と表現できるぐらい緩慢な動きの相手に遅れをとるはずもなく、紅燕でサッとむき出しの球根心臓を撫で切ると、ダインもトールも手持ちだった最後の各1体を切り伏せていた。

「よしっ! オッサン、大丈夫か!」

「オッサンじゃない! それよりコレがもう持たな……つっ!!」

 次の瞬間、天井に突き刺さっていた光の鎖がガラスを割ったような音を立てながら、粉々に砕け散った。

 束縛を自ら解除した大鎌のエルフさんは、物が落下するそのままの速さを保ちながら、2階分よりも遥かに高い高さをもろともせず、平然と地下2階の地面に降り立った。あんな高さから降ったのにもかかわらず、傷ひとつなく余裕の笑みを浮かべながら、ゆっくりと紫髪のお兄さんの下へ近づいている。

 かわって紫髪のお兄さんは立ってはいるものの、両腕からは夥しいほどの血が垂れていた。

 血の量から受けた痛みは相当のものだろうし、実際お兄さんは立っているのもやっとと言わんばかりの引きつった表情だった。

「あらあら、ずいぶん綺麗に掃除されちゃったわね……なら、今度は私がお掃除する番ね」

 エルフさんは鎌を振り上げ力強く一歩前へ踏み込むと、一陣の暴風のごとき突進で距離を詰めにかかった。

(間に合わない……!)

 こちらも身体は動き出しているが、相手のほうが早い。

 その時、暴風とは別の一陣の風が巻き起こり、金属のぶつかり合う甲高い音が地下に響き渡った。

 振りかぶられた大鎌は、トールから差し出されたバルディッシュによって遮られ、獲物を捕らえることはできなかった。

 トールの身体にはブラストネイルの時のような空気の渦が張り付いている。

 まるで風と風がぶつかり合い。流れる方向の違う風同士では、互いの流れをかき消しあい、相殺するように、先ほど起きた双方の風はもう一切吹いていない。無風の空間に戻った。

「あら、さすがガルムス。よく追いついたわね。……どいて」

「お二人の関係は良くわかんないけど、そこのニーサンに死なれても困るんで、ね!!」

 バルディッシュで大鎌を振り払い、エルフさんとの間にトールが割って入った。

 アタシもダインもその間に追いつくと、トールの左右につき、紫髪のお兄さんを守るような陣形になった。

「アイスニードル!!」

 エルフさんの後方移動にあわせて、大きな氷柱が数本飛来した。牽制のためか、相手に当たらなかったものの、回避するために大きく後ろへ飛びのき、こちらとの距離を確保することができた。

「そう、いいわ……私に歯向かうということの意味、教えてあげましょう」

 不敵な笑みを浮かべながら、エルフさんは構えを解いて、鎌の柄尻を力強く床にたたきつけた。

 甲高く響き渡った金属の音が空間の空気を換えた。文字通り、今まで腐敗臭で溢れかえった空間は、音と同時に深い森の中のような深緑の匂いに入れ替わってしまった。

「……わお、見事な領域支配」

 トールが零した言葉に、昔授業で教わった世界魔術共通知識をひねり出した。

 一定の範囲を術者の望む属性に染め上げる儀式(ハイマジック)級の少々大掛かりな魔法であり、支配主は常に高濃度のマナ供給、軽傷の即治癒などの恩恵を受けることができる。本来は儀式魔法と言われるだけあって一人で支配できる範囲は高が知れており、広くても10畳ほどの部屋程度である、と。

 しかし、ここは地下の閉鎖空間とはいえ、巨大な水槽が6基も並び40体近い死体が動き回れる程の広さと建物2階分をぶち抜いたような階高を持つ場所である。エルフさんがこの空間に及ぼした影響、技量、魔力量に圧倒され、息を呑んでしまった。

「危ない!!」

 頭上のネフェさんの叫び声が聞こえたときには既に手遅れだった。

 太もも、腹、手首、二の腕、胸、そして首としたから徐々に下から細い蔓が身体に絡み付いていた。蔓は、この地下空間のあちこちに蔓延っている根から生まれ、すでにダインやトール、紫髪のお兄さんまでもが蔓まみれになりつつある。

 1本1本がが細い為に、引き千切っていけば何とかなると思った自分が馬鹿だった。

 瞬く間に蔓は数を増し、簡単に千切れなくなっていく。刀で切っていっても、切っている最中に別の部位が絡めとられ、相手の増殖の速さについていけなくなった。

 仕舞いには首に巻きついた蔓に左手の指を引っ掛けることで、辛うじて窒息しないようにすることがやっとだ。

「かわいいでしょ? 手のひらよりも小さな葉っぱ。アイビーやヘデラって名前が有名かしら。これが私の固有植物。1本1本は細い木蔓なんだけど、束になると引きちぎるのはかなり難しい子なのよね」

 アイビーと呼ばれた木蔓の先が白い小さな葉っぱを一撫でするたびに、各部位がギチギチと音を立てて圧迫されていく。

 身体も捻れない状態になり、頭上の二人を確認することができないが、うめき声が聞こえてきてるため、二人ともこっちと同じ状況なのは分かった。

 刀を持っている右手はほかの部位よりもさらに多くの蔓が巻きつき、意識も遠のき始め、締め付けに耐え切れず、右手に握っていた愛刀を落としそうになる。

「フフッ……ハハ」

 もう飛び出ている耳と尻尾以外はアイビーの蔓で全身が見えなくなるほど包まれているトールが、ここにきて気味の悪い笑い声を出した。

「あらボウヤ、気でも狂っちゃった?」

「いやーちょっとね、痛くしますよーっと!」

 トールの声と突然室内に暴風が吹き荒れた。まるで強力な台風の風みたいで目を開けることが出来ない。風の轟音のせいで、周囲の他の音も聞き取れなくなっている。

 次第に水槽や足元の水が風に巻き上げられて豪雨の最中にいるようで、さながら台風の一番風の酷い時を思い出した。

 そんな想像が出来てしまう程の好転。暴風によって蔦の拘束が解かれ、体が楽になった。

 が、ついでに体のあちこちに大小様々な切り傷ができていて、遠のいていた意識を現実に引き戻した。

 この室内台風と体中の切り傷がトールのブラストネイルによって引き起こされた鎌鼬だったことはすぐに分かったが、彼の指先が血だらけのボロボロになっており、何か無理をしたのは明白であった。そのため、風の刃は制御が出来ておらず、この場にいた全員がアタシと同じように大小様々な切り傷を全身に受けている。

 その反面、恩恵も大きかった。ここに点在するほとんどの水槽が見るも無残に崩れ落ちてしまっており、アタシやダインとってはかなり戦いやすそうな地形へ変化していた。

「……小ざかしいマネを!」

 エルフさんから放たれる怒りが空気を通して肌を刺さんばかりに向けられ、植物たちがそれにあわせて、再び襲い掛かってきた。

 だけど、もう遅い。

 蔦の発生源は、そこら中に蔓延った根の節であり、アイビーとは別の植物の根であっても強制的にアイビーへ変化させている。節の場所さえ分かれば、後はそこを切ったりして潰していくだけだ。

 また、エルフさんは何故かまったく動こうとせず、アイビーをひたすら生み出していくだけ。

 動けない原因があるのなら、相手の手の内が同じものだと分かった以上見切るのもたやすく、既に愛刀は赤みを帯びながら、襲い掛かる蔓を次々と切り落としながら、一つずつ節も切り裂いていく。

 動けるようになったダインは、「へへっ、無理しちゃったぜ」と笑いながらうずくまってるトールを「次は勘弁」と愚痴りながら守るよう盾となり、襲い掛かるアイビーの束を足元に蔓延った根と一緒に豪快な振り回しで引き裂いでいる。

 好転したように見えつつもエルフさんのアイビーによる攻撃・防御はどちらも重厚であり、なおかつ周囲は樹木の根が蔓延った彼女の支配領域。一つの節をつぶしたところで、数は無数に存在する為、いずれ今行っていることは次第に自分の作業量を超えてきてしまう。

 さらにブラストネイルによって付いた体中の小さな傷も、無理に動けば傷口は次第に大きくなり、痛みが意識と身体を支配していく。

 はっきり言ってジリ貧状態であり、エルフさんそのものをどうにかしないとまずいのは分かってはいるものの、先に言ったとおり重厚と無数の蔦の防御姿勢によって、攻撃を与えることすらままならない。

「そこのシスター! サンクは使えるか?」

「は、はい一応、習った程度、ですけど……」

「充分だ。俺に合わせてくれ。――主よ、我らが望むは数多なる御霊を救う園」

 視界の隅では紫髪のお兄さんとルカが言葉を少し交わすと、何かの呪文の詠唱を始めた。ルカも胸の前で両手を握り祈るように構え、紫髪のお兄さんに合わせて言葉をつむいでいる。

「させない!」

 二人のやり取りに急に顔色を変えたエルフさんは、怒号と共にルカとお兄さんへアイビーを嗾けた。同じ床面で戦っているアタシ達と、上の渡り廊下でルカを守るように応戦していたネフェさんに、成人男性の二の腕のような太さに集まったアイビーが回転角のような螺旋の動きをしながら、幾つも飛来するのが見えている。

 そう、見えている。

「させません!!」

「こっちの台詞よ!!」

 地下に響き渡るアタシとネフェさんの声。

 相手の行動見てから余裕でした。なんて言葉が祖国で一時期流行っていたが、今がまさにそう状況なのだと思った。

 焦りと怒りに任せた攻撃は、速さと一撃の殺傷性を求めた直線的なもので、周囲の節からではなくエルフさんの足元数メルト範囲からのみ。

 ネフェさんは叫ぶと同時に、数日前人攫いに遭った時に遣っていたアイスウォールという氷の壁を、渡り廊下の手すりを軸にネフェさんと詠唱中のルカを中心に半球状に展開させた。

 次々と氷の半球体に突き刺さり、回転を利用して中へ侵入しようとするが、侵入よりも早くネフェさんの次のアイスウォールが発動し、刺さったアイビーごと氷の壁の中に封じ込めてしまっていった。

「「……の光で満たし給え……」」

 こちらは加熱した赤刃を前に構え直し、直線で向かってきた蔦の束をただただ受け止めた。

 赤刃によって刺突してきた蔦は引き裂かれ、纏っていた木のマナが熱に反応し、先の不死者の木の心臓のように、切断面がボロボロと灰へと変化した。

 違った点は、断末魔のようなヒトの顔の形にならなかったこと。かかっている術が違うのかは分からないが、おぞましいものを見ないで済むならこちらのほうが良いと思ってしまった。

 あまりにもあっさりと対策されたエルフさんは、顔をゆがませると即座にこちらへ全力投入してきた。

「「捧ぐは祈り。捧ぐは血潮……」」

 全力投入という名の数の倍増攻撃ではいくら撫でるだけでいいと言っても、全身に傷を抱えている以上、対応できる数も速さも限りがある。また、威力も速さも少し上がっているようで、刃が受ける衝撃が体中の小さな傷を揺り動かされ、体力と意識を蝕み、紅燕どころか赤刃で受け止めるのが精一杯となってきた。

 尖ってはいないものの、自分の胴体と変わらない程太い蔦の束が1本。あんなのが当たったら、全身の傷が拡大するどころか、どこか折れるだろう。

 頭の中で「嗚呼、無理無理。吹き飛ばされる」と分かっていながらも、身体は動かないし、動けない。

 でも、その時は訪れなかった。

「一人で無理するな」

 目の前に突き立てられた幅拾い両刃剣が、突進してきた太い蔦の束を真っ二つに引き裂いている。

 左肩を掴む大きな手。背中を這う左腕。シャラリと鳴る金属の肩当。

 戦闘中だというのに、包まれている、守られているという状況に思考が一瞬止まってしまった。

「「此の地、楽園へ回帰せよ」」

 相手の攻撃が一時的に止むと、すかさず左手を離し、アタシの前に立って大剣を前に構えた。

 ……そうか。一人で無理に抱え込む必要はなかった。

「そうだね……ごめん」

「そうそう、俺だって盾ぐらいにはなってやれるかもしれないしね」

 そう言ってダインの隣には、鼻高々に腕組しながら仁王立ちするトールが立っている。だが、両手は未だに血まみれで、白かったシャツも腕組みをしている箇所からみるみる赤く染まっている。顔色だって、笑ってるくせに青ざめつつある。

「……いや、大人しくしててよ」

「まったくだ」

「ちょっと、君たちヒドくない?」

「……貴方たち、いい加減にしなさい」

 明らかな怒りの表情を見せるエルフさんだが、その姿はアタシたちと同じように全身に切り傷だらけだった。肩で大きく呼吸するほど息も上がっているようである。トールのブラストネイルと紅燕が本人と領域支配の術に大きく効いたのか、彼女の支配領域にも拘らず、自身の治癒にマナをまわすことすらができていない。あの奇襲は一応成功したと言える。

「「彼の地、我らが前に顕現せよ」」

 だが、こちらも状況は変わらない。私は傷のせいで体力の限界。トールも両腕が使い物にならない。

 ダインは鎧と厚めのコートのおかげで見た目として傷は少ないように見えるが、それでも所々は裂傷しているし、頭からは血が流れている。

 トールのブラストネイルの傷以外にも、アタシが撃ち漏らした蔦の対応で付いたものもあるだろう。

 さらに一撃の攻撃力を優先し、回避よりも受け流しや受け止めを主体とした戦闘の型の彼が、詠唱中の紫髪のお兄さんに負傷したアタシやトールまで守りながら戦うのは、受け流しは使えない上に、受け止めるには一人でだと少々厳しい話である。

 一見すれば互いに満身創痍。ただし、時間を掛ければエルフさんのほうに分はある。

「……みんな、まとめて、お黙りなさい!!」

 最後の一撃だろうか。エルフさんの深呼吸に合わせて繰り出された蔦、蔦、蔦。周辺の根からいくつも伸びてくる無数の鋭く尖った枝。

 ダメだ。ダイン一人では対応できる量を越えている。

「「――サンクチュアリ!!」」

 無数の蔦と枝が差し迫る中、背後と頭上からの声と足元から突然発せられた白い光が炸裂し、視界が奪われ、全身がまるで毛布のようなやんわりとした暖かさに包まれた。

 そして、体中にあった傷口に感じていたチリチリとした痛みが消え、代わりに傷口がじんわりと熱くなるのを感じた。

 視界が正常になると、体中から痛み、熱、疲れなどが一切感じられない。傷口は綺麗に塞がり、跡形がなくなっている。

 また体の傷だけでなく、切り裂かれていた被服まで元通りになっている。

「すげー……服や傷は元通り、目の前は止まっているように見える。まるで時間操作だな」

 トールはシャツに滲んでいた赤もすっかりなくなり、真っ白になっていた。ダインも同様に頭や身体についた傷もなくなっている。

 そして目の前の光景。みんなまとめてと宣言されていた通りの無数の蔦たちは、まるでガラスの球体に張り付く無数のヒトデのように網目状に広がって、こちらには一切攻撃をしてきていない。いや、障壁のようなもので攻撃が防がれているようだ。

「後で解説してやる。それより、そこの赤いお嬢さん」

「は、はい?」

 振り向けば、ルカと同じ祈りの姿のように胸元で両手を組む、傷一つ消えた元気そうな紫髪のお兄さんの姿があった。

 負傷してたときには気づかなかったけど、お兄さんの腕にはガントレットと呼ばれる腕用の金属防具が装着されておいた。手の甲の部分が分厚くなっており、主だった武器が見当たらないあたり、打撃主体の立ち回りかもしれない。

 ガントレットの腕の板金には片腕それぞれに4つの模様のような溝が彫られており、今は4つそれぞれが“熟れた柿”“若葉”“空の青”“琥珀”のような色の光を発し、揺らめいている。

「コイツを解いたら、数秒ほど一人で戦えるか? その間にこの男二人に炎のえんちゃんとを施す」

 “えんちゃんと”が何を意味する言葉かは分からなかったけど、お兄さんの強く自信に溢れる瞳と施すの言葉から、何か勝機の一手を持っている感じだった。

「……やってみる。数秒、舞えばいいんだね?」

 お兄さんが大きく頷いた。その瞬間、腕に“熟れた柿”色をした溝が大きく揺らめいたように見えた。

(やれることを精一杯やり尽くす……!)

 みんなに背を向け、障壁にへばりついた蔦を睨むように障壁の天井を見上げた。固く握り締めなおした愛刀は自然と熱を取り戻し、いつでもアタシは舞いだすことができる。

 これまでに無いほど気分がいい。

 頼られている。こんな熱を発するだけの剣でも。

 頼られている。それだけで自分はより多く舞える。

 肩を引き上げ、胸を大きく張りながら深く息を吸い込んだ。エルフさんの術によって浄化された空気が肺を満たし、古くなった息と交換した。

「あと、フェザニス殿」

「は、はい!」

 上階の渡り廊下から身を乗り出したネフェさんと、それにつられるように顔を出したルカ。二人とも顔色がよければ、傷もなく、朝よりも状態が良さそうにみえた。

「障壁を解いたら先ずアイスウォール。次に、このお嬢さんの援護を頼む」

「分かりました!」

「よし、いくぞ……!」

 お兄さんの声と共に障壁が光の鎖が壊れた時のように大きなガラスの粉砕音を鳴らしながら、砕けて消えていった。続けて背後にはひんやりとした空気が肌をなでた。

 そして、障壁に張り付いていた蔦が一斉にこちら目掛けて飛来した。

 息を止め、目を見開き、引き裂くべき相手を見据える。

「はぁぁぁぁあああああ!!」

 1本、2本と、再び赤を纏った刃が流れるように飛来する蔦を切り裂いていた。

 更に天井から突き刺してくる尖った根を避けつつ、横に一薙ぎ。間をおくことなく、左右からくる根を一歩下がることで回避し、上段から叩ききる。

 向こうもこちらの回復に気づいてか、攻撃の勢いが増したように感じる。の地下の冷気とエルフさんから伝わる気迫のようなヒリヒリとした空気が、肌に突き刺さる。

「フフフ……」

「何かおかしいの?!」

 と、不敵な笑みに気を取られた一瞬の間に、細いが幾重にも束となったアイビーが両足首に絡まっていた。すでに足の力だけでは引きちぎれない。

 また、視界の左側の破壊された水槽の脇から、新たな蔦がこちらを狙っている。さらに右手の根っこから新しい蔦が生まれはじめている。

「しまっ……」

 またも身動きの取れ苦なった状況に、突き刺さろうとする予約済みの攻撃。

 急いで足首のアイビーを切るが回避に間に合わない。

 ……が、やはりそのときは訪れなかった。

 視界いっぱいに広がる“炎の剣線”。焼けた木々の匂いと炭へと変わる切られた根や蔦。野焼きのように植物を焼いた匂いが周囲に広がっている。

「待たせた」

 左側には炎を纏った大剣を持ったダインが、

「2度目はかーっこよくいかないとねー!」

 右側には同じく炎を纏ったバルディッシュを持つトールが立っていた。

「すまないな。君はその熱の剣術があったので二人に炎のエンチャ……属性付与を施した」

 そして後ろからは、ガントレット全体が炎に包まれている紫髪のお兄さんが立っていた。

 属性付与とは文字通り、それぞれの属性のマナを武器や防具に付与することで、属性ごとに持っている特性を発揮できるようになる強化の一種。

 男性陣の武器は炎のマナが与えられ、アタシの刀と同じく、根や蔦を攻撃するごとに燃やして炭にすることができる。

「それと君には上に上がってもらい、治療を受けてくれ」

「で、でもアタシはまだ……!」

「勘違いしないで欲しい。要は“俺たちに暴れさせろ”ってことだ」

 そうつぶやく紫髪のお兄さんの瞳はやる気と……溜めに溜めた静かな怒りに満ちており、それはダインやトールも同じだった。

「わかった」

 こちらの返答にお兄さんは1回頷くと、既に戦闘を再開している二人の後に続くように前線へと駆け、3人の背中を見届けた自分は上の渡り廊下へと駆け出した。

 階段を上りきると、こちらの姿を見たネフェさんが険しかった表情を一変させて、笑顔でこちらに振り向いた。

「カキョウさん! 準備したいことがありますので、ここをお願いします!」

「分かりました!」

 ネフェさんの準備となると、何か大がかりな魔法でもするのだろう。何のためらいもなく二つ返事で了承し、ネフェさんとルカの前に立った。

 駆け寄ってきたルカに治療を受けながら、階下の男性陣の背中を見つつ、迫ってくる蔦へ再び赤刃を走らせた。


◇◇◇


 紫髪の男が言うように、ようやく俺たちの時間が訪れた。

 彼女一人に場を維持させて、流れのままにただ守りに徹するしかない自分。

 自分は何をしているんだと、何回自問自答したか。

 彼女が上に移動してくれたおかげで、ようやく本格的に動き出せるというものだ。

 何より今、この剣に付与されている炎のエンチャントが心強かった。

 これは熱と炎の決定的な違いなのか? 振れば振るほど、付与された炎が大きくなり、空間からは澄み切っていた空気の感覚がなくなり、炎をさらなる輝きへと変えていった。

 彼女が繰り出していた赤い熱の刃以上に、炎のマナは触れた瞬間から蔦は燃えながら炭へと変え、空間に満ちていた樹のマナすらを食い荒らし、地下の湿気に臆することなくこの場の色を塗り替えていく。

 場の色が急速に変化するにあたって、エルフの女性は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

 下の階では俺たち男3人で炎を振り回し、上の渡り廊下ではカキョウが改めて赤い刃で舞っているようだ。

 相手として状況はよろしくないだろうが、そんなのは関係ない。

 一方的に攻撃されたのなら、黙らせる。止めさせる。そのために前進を続けるだけだ。

「さて……そろそろ詰めにかかろう。すまんが犬パツキン、俺と鎧の奴で道を作るから、あちらさんを体当たりで突き飛ばしてくれ」

「ああん!? 誰が犬だぁ! 俺は狼系だっつーの!」

(俺が鎧の奴ってことか。というか、狼は犬種ではなかったか……?)

「対して変わらんだろう」

「あんな牙抜いた連中と一緒にしないでくれませんかねぇ?」

 何やらガルムス内でも色々とあるのは分かったが、喋りながらも着実に自分たちに向けられた攻撃を退けていくのは余裕の表れなのか。それとも、相手の体力にも限界が来ているのか。

「いいからやれ。それと鎧の。もう少し派手に大きく暴れろ」

「……了解」

「ああ、はいはい。わーっりましたよ!!」

 一瞬の間をおいてトールが後方へ下がり、タイミングを見計らう体勢へ移行している。

 さて、派手に暴れていいとは言われたが、何をどうしていいのか。ひとまず範囲の大きい技で場の植物を多く消してしまおうか。

「なら……ば!」

 前構えだった大剣を左へ流し、右足を1歩前へ。後は体の捻じれを戻しつつ、力任せに炎を纏った剣を横一文字に振り払った。

 次いで前方から飛来する新たな蔦に1歩出つつ右下から素早く切り上げ、さらに周囲を巻き込むように大振りで切り下げた。

「さすがは大剣の範囲だな。負けてられんな」

 俺の剣線が止まる直前に間髪入れず、相手の次発へ殴りかかる紫髪の男。

 先程と違い、腕だけでなく脚にまで炎のエンチャントが付与されていた。駆けるたびに蒸発する音がリズミカルに発せられ、回し蹴りや飛び蹴りなど駆使しながら縦横無尽に飛来する蔦を捌く様は、まるで雑誌に見た炎の曲芸士だった。

 また、攻撃の間を縫うように飛来する氷柱が蔦を串刺しにしたり、着弾面から蔦を凍らせることで、相手の動きそのものを封じにかかっている。

 二人がかりで撒き散らされる炎のマナと、炭へと変化していった色の変わった蔦や根、ネフェさんによって使用されていく空気中の水分。狭められていくテリトリーを再構築させる暇を与えるつもりはない。

「グラインド……アッパー!!」

 今度は紫髪の男の攻撃の切れ目に、刀身へありったけの魔力を注ぎ、自分の腕の限界に差し迫るほどの加速付与を与え、大きく弧を描くように左上へと振り払った。

 急激な加速にも関わらず消えることのない炎のエンチャントに感心しながら、振るった刃がエルフの張っている防御の蔦や根の束を盛大に引き裂き、大穴を開けた。

「今だ!」

「しゃおらああああああああああああああ!!」

 男の号令に高らかに返事したトールはガルムス自慢の脚力に、さらに自分で高速移動の付与魔法を重ねて、あっという間に数十メルトの距離を縮めてしまった。

(ほんと、何でもできる男だな……)

 相手はどんなに戦い慣れている戦士であっても、トールより体格が下回っている細身の女性だ。2メルト近いの長身男性から貰った体当たりの威力に耐え切れず、エルフの女性は水平に5メルトほど後方へ吹き飛び、壁に激突した。

 鉄筋の渡り廊下での拘束呪文と同じように、足が床についていることで広範囲に展開できる術だったようで、吹き飛ばされた瞬間に空間にひしめいていたアイビーの蔓が力なく、その場にボトボトと落ちていく。

 このほんの数秒に生まれた隙を見逃さなかったヒトが一人。

「突き立てるは水精の嘆き。築き上げるは氷精の悲愴」

 突然、肌を突き刺すような凍てつく寒さになったこの空間。吐く息が白く、寒さを感じるまで赤く光っていた愛刀は急な変化のために魔力を保てず、元の色に戻ってしまった。

 最も大きな変化は、エルフの女に現れた。

 起き上がろうとしていた女の体の下半分は、既に天に向かって成長を続ける尖った氷柱によって覆いつくされていた。身動きを少しでもすれば突き出ている氷柱によって皮膚が傷つく状態だ。

「なる……ほど……ハイマジック級を一人で唱えるとは、本当にすごい魔力と技術を持っていたのね……誤算だったわ」

 彼女の見上げた先には、翼をこれでもかというぐらい目いっぱい全開に広げたネフェさんが両腕をエルフのお姉さんのほうへ突き出していた。

 ただ、今のネフェさんの翼は、ここ数日で見た太陽の光のような優しく淡い黄金色ではない。それは行使している魔法の属性に呼応して、薄っすらと水色の光に包まれ、まるで脈動のように強弱をつけながら点滅している。

「染め上げるは銀。書き換えるは白。彼の者を誘え、氷雪の棺。――アイスコフィン!!」

 紡がれた詠唱が空間に響き渡ると、室温は更に下がり、周囲には霜が降り、足元の水溜りには薄っすらと氷が張り始めた。地上は現在、春。地中となれば、地上よりは室温も少し下がると思うけど、そんな程度の話しではない。今、この空間は氷室と化している。

 魔法に二重掛けによって起きた変化が、コレだけのはずがない。目を離した合間に、エルフの女を覆っていた氷柱は更に勢力を伸ばし、既に首にまで到達していた。

「ここまでされると、植物すら動いてくれないわね……フフッ、いい? 私に楯突いたこと、覚えてなさい」

 そう言葉を残すと、女を覆っていた氷が再度動き出し、頭の先まで完全に氷漬けにしてしまった。

 目を閉じながらも、まるで楽しんでいたかのように口角が上がっている顔は、先程まで緊迫していたものとは思えない。

 吸い寄せられるように氷の塊に手を伸ばそうとしたとき、

「触るなっ!」

 突然の怒号に驚き、肩を大きく震わせ手を引っ込めた。

「怒鳴ってすまん。こういう魔法での氷結状態は直接触れることで解除されてしまうからな。術者が触れば話しは大きく変わるが……。

 何にせよ、コレだけではすぐに解除されてしまうから補強する。下がってくれ」

 男の指示に頷きながら数歩下がり、周囲の植物や遺体がもう動かないことを確認すると、大剣を背中の鞘に仕舞った。

 入れ替わるようにして巨大な氷塊の前に立った紫髪の男は一呼吸し、祈るかのように

胸元で両手を握り合わせた。祈りが始まると男の周りには煌々とした“夕焼けのような赤”、“はじめて見た海のような優しい青”、“風にたなびく草原のような緑”、“蜂蜜のような柔らかい黄色”の4色の光が、まるで男に周囲でじゃれあうように時に素早く、時にゆったりと漂いだした。

「四方の御使いに請う。百の足枷、千の杭、万の鎖、光の御柱の元へ集いたまえ。十字に切りて、封印と成せ――クルーセルフィクション!」

 呪文を唱え終えると、周囲に漂っていた4色の光は一同に輝きを小さくすると、一拍をおいて光が大きく“レモンのような淡い黄色”へと変わり、この空間に入った時に見た光の鎖をそれぞれ4本ずつ、全てが氷漬けにされたエルフの女に、金色のサナギといわんばかりに纏わり付いた。

 続けて、空中に印のような軌道を描くと、レモン色の光の鎖の束縛を維持したまま、エルフが氷漬けにされている背後に壁に吸い込まれ、各々が小さな魔法陣と変化した。魔法陣からは光の鎖が伸び、淡い黄色のサナギを壁に固定させた。

「よし、何もなければこれでクルーセル分だけでも半日は持つだろう」

 最低でも光のサナギだけで半日、さらにネフェさんの氷のおかげでどれだけかは分からないが、1日近い余裕が出来たことは僥倖と言える。

「うーっし、一旦ここを離れよう。ニーサンにも聞きたい事があるから、一緒に来てもらおうか?」

 トールの言う通り、早くここを脱出して、離れたい。

 地上施設を含めて、こうも薄気味悪い空間は苦手だ……。

「元よりそのつもりだ。急ごう」

 紫髪の男の指示もあったが、ここから出たいという気持ちが足に現れ、殿をトールに任せながら先に階段を上がっていった。

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