良きゴブリンは夜逃げを嗜む

卯堂 成隆

とある帽子屋の不幸と幸せ

 ――遠い昔から伝えられた、古い御伽噺を君に語ろう。

 あるところには、ホッブ・ゴブリンという良い妖精がいて、夜毎に捧げられた一杯のミルクと引き換えに、家に幸運を運んできてくれる。

 だが、よく聞きなさい幼子よ。 彼らに衣服を贈ってはいけない。

 人から新しい衣服を与えられると、彼らはそれを身に着けて妖精の国に住む仲間たちのもとへと自慢しに行ってしまい、二度と戻ってこなくなってしまうのだから。


***


 俺の名は、アントニオ・ギャレス。

 この街に住む、新進気鋭の帽子職人である。

 ……と言いたいが、今現在、俺は廃業のピンチに陥っていた。


「これ返品ねぇ。 話になんねぇわ」

 その若い執事はわざとぞんざいな扱いで、俺の作った帽子を机の上に投げ捨てた。


「そんな!? いまさら返品されても困ります!!」

「だって、若奥様が気に入らないって言うんだからしょうがないじゃない。

 恨むなら自分の腕の悪さにしてよね、ほんと」

 執事はうっすらと軽薄な笑みを浮かべ、執事らしからぬ言葉遣いで俺を馬鹿にすると、やれやれといわんばかりに肩をすくめる。

 おい、誰の腕が悪いって? その言い分は納得できんぞ!


 俺が作ったのは、大きな蝶結びとシルクのレースをあしらったベージュピンクのトーク帽。

 やや幼い感じはするものの、若奥様のハニーブロンドの長い髪にはこの上も無く似合うはずである。

 それに、若奥様自身がデザインを見せたときにあんなに喜んでいらっしゃったのだ。 いまさら気に入らないから返品だなんて言うはずがない。

 なによりも、彼女がこんな不義理なことをするはずが無かった。


「まったく、なにこの少女趣味。 あの人、もう二十歳過ぎてるんだろ? 依頼人の歳も考えろよな。 ……ほんと、あんたって使えないねぇ」


 ――余計なお世話だ、この唐変木!

 やや幼い感じの愛らしいデザインは若奥様の趣味だ! お前、あの家の執事になって一年近く経つのにそんな事もしらんのか!? そもそも、あの人が好きで自分に似合うものを身に着けて何が悪い!!

 言いたい事は山のようにあったが、それを言えば商売人として失敗である。 俺は震える肩をなだめながら、じっと沈黙していることしか出来なかった。


「……とにかく、こんなものに支払う金は無いから」

 言いたいことだけ言い終わると、その執事は気障ったらしく前髪をかき上げ、道化のように珍妙な足取りで店から立ち去っていった。

 なんだよ、そのしぐさ。 もしかしてお前、それが格好いいとでも思っているのか? この嫌みったらしいキツネ顔の二枚目半が。

 俺はすぐさま箒を片手にとると、奴が立ち去ったあとの玄関り地面に柄のほうを使って大きく×と記す。

 これは、この地方に伝わる嫌な客と縁を切るためのおまじないだ。

 だが、しばらくして怒りが収まったころ、俺はふと我に返る。


「あぁぁ、これ、どうしよう……まだ生地の料金も支払ってないって言うのに」

 そう、帽子が返品された以上は、全ての材料費と人件費が損失となるのである。

 俺は店の机にもたれながら、返品された帽子を見つめて溜息をついた。

 たかが帽子一つと侮ること無かれ。 この帽子には、この国の平均的な男が一年で稼ぐのと同じぐらいの金がかかっているのだ。 特に生地はとてもよいものを使ったせいで、代金を後払いにしなければならなかったのである。

 さて、なぜ俺がこんな窮地に陥っているのかと言えば、おそらくお屋敷に住んでいるクソガキのせいだ。


 ……といっても、若奥様の産んだ子ではない。 去年、若奥様のところに入り婿としてやってきた因業貴族の連れ子である。

 先日そのクソガキが街で犬をいじめている現場を目撃し、俺はそいつを叱り飛ばしたのだ。

 だが、そのクソガキは反省するどころか最後に逆恨みの台詞を吐く始末で、まるで反省などしていなかった。


 おそらく昨日俺が届けた帽子を見つけ、執事に命じて若奥様の承諾無く返品させたのだろう。

 後悔させてやるとはほざいていたが、まさかここまでのことをしてくるとは……

 いや、あのガキは自分が何をしたのかにすら気づいてはいまい。 なんという忌まわしい低脳。


「くそっ、呪われろクソガキめ! 呪われろゲス親父!!」

 俺は開店休業中の店の中で、恨みをこめた呪詛を吐き散らす。

 あぁ、わかっているよ。 こんなの、ただの負け犬の遠吠えだってことぐらいはな。


 若奥様がその一回りも歳の違うコブ付きの貴族と結婚したのは、聞くところによると去年なくなった先代のお館様の遺言であったらしい。

 なんでも、そのクソ貴族の父親にとても世話になったからなのだとか。

 だが、その恩返しとして自分の娘を不幸に陥れるのはどうかと思うんだよな。

 婿としてやってきたその男は、金遣いも荒ければ態度も悪い。 当然ながら、街の住人はもとより若奥様もまたその夫のことが嫌いであった。


「あぁ、かわいそうな若奥様」

 子供の頃は俺のことをお兄ちゃんと呼んで付いてまわり、街の人間からもそれはそれは可愛がられて育てられてきたというのに。 どうしてあんな不幸な結婚をせねばならなかったのだろうか?

 いや、正直に告げよう。 俺は彼女を一人の女として好きだった。 だが、どうにもなら無い現実を嘆き悲しんだところで俺には何も出来ない。 俺は無力だった。

 そして翌日。 俺は更なる無力を噛みしめることとなる。


「なぁ、わかってるのかアントニオさん? ウチも商売なんだよ」

「はぁ、それは十分わかっております」

 翌日、何の予告も無くいきなり生地の料金を取り立てに来たのは、なじみの商人ではなくて見たことも無いならず者だった。


「いや、わかってもらったところでどうにもならんのよ。 悪いけどさぁ、生地の代金、借金してでも今すぐ支払ってもらえる?」

 そう言いながら、男は俺の目の前に借金の証文を広げて平手でバンと叩く。 融資元として名前が記されていたのは、この街でも最悪といわれる金貸しだった。

 こんな奴から金を借りれば、なんだかんだと理由をつけて一生しゃぶりつくされてしまうことだろう。 つまり、人生の破滅だ。

 おそらくこの陰謀の黒幕はあのクソガキだが、入れ知恵をしたのはその取り巻きの連中に違いない。 あの低脳に、こんな知恵が回るはずも無いからだ。


「そんな……ちょっと待ってください! 今、若奥様から返品されたの帽子の新しい買い手を捜しているところなんです!!」

「ナメてんのかお前。 あんな高い帽子の買い手、そうそう見つかるわけねぇだろカスが!!」

 男は俺の胸倉を掴み上げ、借金の証文を右の頬にグリグリと押し付けてくる。 おそらく最初からこちらの話なんて聞くつもりは無く、無理やりにでも証文にサインをさせるつもりなのだろう。

 だが、俺はふとあることを思い出した。


「も、もともと、その生地を買った店とは月末に支払う約束なんです! 今日いきなり払えといわれても困ります!!」

 だから、今すぐ借金をしてでも払えというのは違法だ。 これ以上借金を強制すれば、この男のほうが法に裁かれることとなる。

 だが、その男はよいことを思いついたとばかりに嫌な笑みを浮かべると、その場で一枚の書面を書き上げた。


「……いいだろう。 なら、月末までは待ってやる。

 ただし、月末を過ぎても払えなかったら、お前は奴隷になるというのはどうだ?」

 男の手にした書面には、確かにそのような事が記されており、後は俺のサインを待つばかりである。

「そんな……むちゃくちゃだ!!」

 一度奴隷に落とされれば、それはもう人としては扱われない。

 おそらくこいつは例のクソガキのところに俺を売り払い、いろんな意味でおもちゃにしてなぶり殺しにするつもりなのだ。

「やかましい! 何でもかんでも嫌だ嫌だで済むと思ってるのか、このカスが!! つべこべ言わずにサインをしやがれ!!」

 男は俺の体を床に投げ飛ばすと、俺の腕をまっすぐに引き伸ばした。

 まて……お前、何をする気だ!?


「約束に当たって手付金をもらおう。 職人にとっての手ってやつは、命よりも大事らしいな?」

「や、やめろ……やめてくれぇぇ!!」

 嘆願する俺の顔を気持ちよさそうに眺めながら、男はゆっくりと足を上げる。


「いやだね」

 その瞬間、激痛と共に俺の右腕からベキッと枯れ枝を折るような音が鳴り響いた。 何度も、何度も。


 気が付くと、俺は誰もいない店の中で一人呆然としていた。


 あぁ……あぁぁ……もう全てがおしまいだ。 どうしてこんなことになった?

 俺が……俺がいったい何をしたというんだ? ただ、かわいそうな犬を助け、不道徳にガキに道を示しただけだろう?

 これが社会の現実というものだって? だったら、そんな忌まわしいものは今すぐ呪われて砕け散るがいい。


 激しい痛みを訴える腕を見れば、それは関節の無いところからぐにゃりと曲がって力なくぶら下がり、指は砕けてみるも無残な状態になっている。 これではもう、傷が治ったとしても職人として働くことはできまい。

 結局、腕と一緒に心までへし折られた俺は、男に脅されるがままに奴隷となる約束にサインをしてしまっていた。


 月末まではあと七日。 もはや神が直接降りてでもこない限りはどうにもならないだろう。

 このような地獄が許されるところを見ると、神などとっくに死んでいるに違いないしな。


 窓から差し込む光がゆっくりと動き、やがて赤みを帯びた西日へと代わり行く様を眺めながら、俺は取りとめも無いことを考える。

 何を考えたところで、どうせパンくずほどの役にも立たないが。

 ――あぁ、もう何もかもが嫌でしょうがない。

 不幸に疲れた俺は、ただその場に座り込み、全てを時の過ぎ行くままに任せることにした。


 やがて太陽も沈み、差し込む光がかぼそい月光の青に変わった頃である。

 ふと耳を澄ませれば、チャリン、チャリン、と暗い店の隅からなにか小さな金属がぶつかるような音がした。


「何の……音だ?」

 俺は好奇心にかられ、音がした方向に目をやる。

 そっちには、この災厄の原因の一つであるトーク帽が置いてあったはずだ。 なんとなく気になって、俺はゆっくりと体を起こすと、その音の源を確かめる。

 もしかして泥棒だろうか? だが、いまさら何を失ったところで結果は変わらない。 むしろ、今すぐ殺してくれたほうが楽ではないのだろうか?

 そんな後ろ向きな事を考えながら、俺はゆっくりと音のした場所へと近づく。


 あぁ、動くたびにへし折れて腫れあがった右腕が痛い。 だが、俺はすぐさまその痛みすら忘れるほどの衝撃を味わうことになる。

 なぜなら、そこにおいてあったはずのトーク帽が忽然と消えており、代わりに金貨の山がそこにあったからだ。


「これは……夢か!?」

 慣れない左手で金貨の山を数えると、それは生地の代金を支払ってもまだ半分以上残るほどの金額である。

 だが、いったい誰がこんなことを? まさか神と言う事は無いだろう。 そもそも、神がやったのならばずいぶんと手癖の悪い神もいたものだ。


 いずれにせよ、せっかくおいていってくれた金だ。 ありがたく使わせてもらおうか。

 一瞬、罠の可能性も考えたが、いまさら俺を罠に嵌めたところで誰も得をすることも無いだろうしな。 その時、天啓のような考えが俺の脳裏をよぎる。

 そうだ、これは売り上げだ。 どこの誰かは知らないが、これはあの帽子を買い上げていった代金なのだ。

 ――よし。

 若干の後ろめたさを感じながらも、俺はその金を使ってこの状況をひっくり返すことに決めた。


「それよりも……まずは医者だな。 くっそ、涙が出るほど痛ぇ」

 のた打ち回るほどの痛みの中にいるはずなのに、なぜかその悪態に喜びが混じっていた。

 あぁ、痛い。 嬉しい。 痛い。 嬉しい。 痛い。 嬉しい。 嬉しい。 嬉しい! 嬉しい! 嬉しい!! あぁ、ちくしょう、最高に嬉しい!!

 気が付くと俺は泣きじゃくりながら狂ったように笑っていた。


 そして、奇跡の夜が明けた後のこと。

「おい、これはいったいどういうことだ!?」

 額に青筋を立てながら怒鳴り込んできたのは、昨日帽子を返品してきた執事である。

 その手には、俺の店から消えた例のトーク帽が握られていた。


「どうしたも何も、昨日俺が意識を失っている間にどなたかがお買い上げになってゆかれましたよ。

 で、どこにあったんですか? それは」

「ふざけるのも大概にしろ!! お前が若奥様に泣きついて購入させたのだろうが!!」

 なんと馬鹿なことを言うのだろうか、この男は。


「誰が? いつ? どうやって? 俺は大怪我をしてひっくり返っていたんですよ?

 右腕が折れた状態で、お屋敷の警備をくぐって、若奥様のところまで?」

 俺は包帯でグルグルまきにされた上でギプスで硬く固定された右腕を、これ見よがしに振ってみせた。

「そんなまねが出来るなら、今頃あんたの首をかき切って地面に埋めてから、どっかで祝杯をあげてますよ」

 わざと嫌みったらしく鼻で笑ってやると、その執事の男は噛み付かんばかりの表情で歯軋りをする。

 ――あぁ、スッキリだ。


 だが、その時である。 執事の後ろから太ったブタのような姿をした中年の男が前に出てきた。

 こいつがあのお屋敷の今の主か。 まるで自堕落をそのまま絵にしたような面だな。

 俺が品定めをする中、中年男はおもむろにそのソーセージのように丸い指を伸ばし、机の上に投げ出されたトーク帽を掴む。 そして一瞬だけ犬をいじめていたクソガキにそっくりな笑みを浮かべると……そのまま帽子を地面に投げ捨てた。


「とにかくこのような物は、我が家には不要だ。 お前が責任を持って始末しておけ」

「な、何を!?」

 だが、中年男は俺の問いかけには見向きもせず、さもつまらなさそうな顔で足を振り上げ、俺の作った渾身の作品を汚い靴底で踏みつけた。 二度、三度と踵で踏みにじり、靴底の泥をこすり付けるかのように。

 ――やめてくれ!?

 言葉にならない俺の悲鳴を、ブタのような男があざわらう。

「これは、ゴミだ」

 平坦な声の中に暗い愉悦をにじませながら、その男は仕上げとばかりに引きちぎれた布の塊を俺のほうへと蹴り飛ばす。

 そのまま中年男は興味を失ったとばかりに鼻を鳴らすと、悠々とした足取りで店の外へと去っていった。 その後ろを、例の執事が腰ぎんちゃくよろしく薄ら笑いを浮かべて付いて行く。 そんな彼らの後姿をぼんやりと見つめながら、俺は口の中でボソボソと暗い言葉を呟き続けた。 もう、涙すら枯れ果てたのか、目蓋の中に湿り気すら感じない。


 神よ。

 もしも貴方が存在するというのなら、あのようなの存在が息をしている事をなぜ許すのか。

 悪魔よ。

 もしもお前が存在するというのなら、今すぐ破滅の炎を解き放って我が怒りを世界にしろしめせ。

 この身がただ呪うしか出来ないというのなら、俺はこの命が尽きるまで全てを呪い続けよう。

 いや、たとえ地獄に落ちたとしてもこの恨みは忘れまい。


 だが、全てを呪うような鬱屈した生活はたった二日で終わりを告げた。

 なぜならその日の朝、目が覚めると店の郵便受けの中に見覚えのあるズタズタになった帽子と金貨と手紙がおいてあったからである。

 手紙の中身を見ると、それは帽子の注文だった。 なんでも、この帽子と同じサイズの帽子がほしいとのこと。 特に材料やデザインの指定はなく、ただ帽子には綺麗な鳥の羽を飾りとしてつけてほしいとだけ記されていた。


 うぅむ、いったい何者だろうか? もしかしたら、先日の帽子を買って若奥様に差し上げた人かもしれない。 でなければ、俺がゴミ箱に捨てておいたはずのこの壊れた帽子を一緒に入れておくはずが無いからだ。

 だとしたら、その人は命の恩人だ。 先日、借金の催促に来た男の頬を金で殴り飛ばして追い返すことが出来たのも、その人あってのことである。 出来れば応えてやりたいがこの腕ではなぁ……と右手を見ようとしてふと気づく。


「あれ? ギブスは?」

 俺の右手をガチガチに固定していギプスがどこにも見当たらない。

 しかも……

「動く」

 俺の右手は、先日の怪我など夢であったかのように元の状態へと戻っているではないか。

「これは……奇跡か!? 奇跡だ! 奇跡がおきた!!」

 あぁ、今ならば、神の存在を信じてもいい。

 俺は歓喜に震えながら右手を天に掲げると、子供のように大きな声を張り上げた。


 あぁ、姿も知らない恩人よ。 貴方にはどんな帽子が似合うだろうか? 俺は想像力を高めながらどんな帽子を作るかを夢に描く。

 あれだけの金を惜しげもなく使えるのだから、きっとものすごい金持ちだろうか。

 いや、俺の手をいつの間にか直してしまったのだから、徳の高い聖者か魔法使いだろうか?

 もしかしたら、ものすごく美しい女神様かもしれないぞ。

 妄想が次から次へとあふれ出し、楽しい想像は尽きることが無い。


 あぁ、そうだ。 楽しいのだ。

 こんなに楽しいのは、若奥様のために帽子を作ったあの時以来だろうか?

 俺は心地よい夢に半分うずもれたような状態でしばらく恍惚とした時間をすごした後、自分の一番得意な帽子を仕立て上げることに決めた。

 やがて出来上がったのは、先代のお館様からもよく注文をうけた帽子……真っ黒なシルクハット。

 出来上がったそれを見て、俺は思わず溜息をついた。

 あぁ、すばらしい。 自分で言うのも何だが、最高の出来だ。

 願わくば、これを身に着けた恩人の姿を見てみたいものだが、おそらくそれはその方の望むところでは無いのだろう。 だが、どうしても一言伝えたい。

 ありがとう……貴方のお陰で俺は救われた。

 俺はメッセージ用のカードにペンを走らせると、俺はそれをシルクハットの鍔の根元にそっと挟み込んだ。


「少し……疲れたな」

 少し休んだほうがいいかもしれない。 目をこすりながら戸締りをし、寝室に滑り込む。 そのままベッドに横になると、俺は瞬く間に睡魔の腕へと滑り落ちていった。

 それからどれほどの時間が経ったのだろうか? 俺は誰かに体を揺さぶられて目を覚ます。


「……起きて。 ねぇ、起きてよ。 悪戯しちゃうぞ?」

 あれ? 戸締りはしたはずなのだが。 うっかり忘れて誰か入ってきてしまったのだろうか?

「……君は?」

 目を覚ますと、そこには見たことの無い美しい少年が、俺の顔をじっと覗き込んでいた。

 その頭には、俺が恩人のために作ったシルクハットが乗っかっている。

「お、おい……それ……」

「はじめまして、僕はシーリー。

 メッセージを読んだよ。 僕のためにこんなステキな帽子を作ってくれてありがとう!

 貴方の用意してくれた帽子がとても気に入ったので、この家にお邪魔してもいいかな?」

 なんだと? こいつが俺の恩人なのか!?

 恩人の姿については何通りも想像してみたが、その中にこんな姿は存在していなかった。

 しかしも、お邪魔するってどういうことだ?


 思いもよらない恩人の正体に俺が混乱していると、さらに追い討ちをかけるようにして寝室のドアのほうから聞き覚えのある声が響いてくる。


「大丈夫。 彼を受け入れあげて。 彼は家に金運を運んでくるホッブ・ゴブリンよ」

「若奥様!?」

 それは、お屋敷の中にいるはずの人の声であった。

 すると、彼女はまるで悪戯をとがめるように苦笑を浮かべながら、俺の狭い寝室の中に足を踏み込んでくる。


「そんな他人行儀な呼び方をしないで、アントニオ。 昔みたいにマデリーンと呼んでよ」

 そういわれても、今と昔じゃお互いの立ち居地が違いすぎる。 いまさらハイそうですかと簡単に名前を呼べるものか。

 俺がベッドに腰掛けたまままごついていると、マデリーンは勝手に俺の隣に腰をかけ、さぁと笑いながら肘でつついてきた。

 ――こういうところは、相変わらずだな。


「なぜ、こんなところに?」

 話題を逸らすためにそんな質問をすると、マデリーンは急に真顔になって黙りこくった。 つづいてひどく腹ただしげな顔にかわり、思いもよらない話をし始めたのである。


「あの家にも、あの男にも、もううんざりなのよ。 そもそも、私はあの家の付属物じゃないわ!

 どうして愛してもないクズのような男を夫と呼ばなくちゃならなくて、おまけに私の生まれた家の中を好き勝手にされなければならないの!?」

「そうそう。毎日一杯のミルクをくれる約束も、あの男がきてからてんでおざなりになっちゃってさ。

 別にミルクがもらえなくても飢えて死んだりはしないけど、姿を見せないからって、いないものとして扱われるのは辛いんだぞ!」

 マデリーンが愚痴をこぼし始めると、横にいたシーリーまでもが聞いてくれといわんばかりに便乗してくる。


「ごめんなさいね、シーリー。 家のことをよく知っている古株たちはみんなあの男が追い出してしまったし、私も思うようには動けなかったの」

 なんてことだ! 俺が知らないうちにあの屋敷の中はそんなことになっていたのか!!

 結婚してからも時々帽子の注文を受けるために顔を合わせていたというのに、俺は彼女がこんなにも苦しんでいたことに気づきもしなかったとは、我ながら情け無い。


「ずっと……孤独だったんだな。 ごめん。 何も知らなくて」

「ううん、いいの。 わざと知られないようにしていたから。 そんな情けない現状を知られて、貴方に同情されるのが嫌だったのよ」

 俺の謝罪の言葉に、マデリーンは小さく首を横に振る。


「でも、もう限界。 私だけでなく、貴方や他の人にまで迷惑をかけているとあってね。 もはや私が意地を張っていることが許されない話になってしまったわ。 だから……私は家の守護妖精を、あの家から開放しちゃうことにしたのよ」

 笑顔で告げるその手には、教会に出すための離婚届け。 寝ている間にこっそり押したのか、夫の署名のところには、しっかりと赤い親指の指紋が捺印されていた。


「なんだって!? それ、相手の同意が得られてないってことだろ?」

「いいのよ。 どうせ夫婦生活なんてまるでなかったわけだし。 離婚して家を逃げ出さないと、あの家にかけられた呪いに巻き込まれちゃうわ」

「呪い!?」

「そう、呪いよ。 守護妖精を失ったからには、もうあの家は終わり。 今まで裕福であった反動で、恐ろしい貧困が襲い掛かるわ」

 あぁ、御伽噺でも、それは定番だな。 幸運をもたらすモノが去った後は恐ろしい災厄がやってくるのがお約束である。


「これ以上、あの男に富と権力を与えてはいけないのよ。 これは、あの男を婿として迎え入れてしまったあの家の責任。 そしてあの家の契約からシーリーを解き放つには、彼に帽子を贈る必要があったの。

 御伽噺は知っているでしょう? ホッブ・ゴブリンに衣服を贈ると、それをもって妖精の国に帰ってしまうって」

 忘れるはずも無い。 あの物語は、子供の頃に俺がマデリーンのために何度も聞かせた話なのだから。


「あの注文はね、私がシーリーのために出したものだったの。 彼の帽子のサイズは、私とまったく同じだったから。 でも、彼が貴方を気に入って、ここにいると言ってくれたのは計算外だったわね」

 マデリーンがそう告げると、シーリーはその絵画から抜け出したかのように美しい顔を綻ばせ、俺に向かって手を差し伸べた。


「でも、君が了承してくれないと僕はここにいる事はできないんだ、アントニオ。 君が僕を望んでくれるなら、僕は君を心から祝福してあげる」

 そう言って笑うシーリーに、俺はかぶりを振ってから答えた。


「喜んで君を歓迎するよ、シーリー。 だが、一つだけ言わせてくれ。 たとえ君が幸福を運んでくることが無かったとしても、俺は君を歓迎しただろう。 なぜなら、君は俺の恩人だ。 それに……幸福なんて、たぶんほんのちょっとでいいんだよ。 食べるに困らなくて、威張り散らすには足りないぐらいがちょうどいい」

 すると、シーリーはプッといきなり噴出した。


「ぷはははは! いいね、君!

 僕にそんな願いをしたのは君が初めてだ! きっと、君の血を引く連中なら、末永く僕と付き合ってくれるだろうね」

 シーリーは嬉しそうにそう告げると、俺とマデリーンに向かい、まるで宮廷の楽人のような優雅な一礼をしてみせた。


「祝福あれ、アントニオ。 そして、マデリーンにも祝福あれ! 僕らの友情が末永くあらんことを。

 さて、お邪魔虫はこの辺で退散するよ」

 すると、シーリーの体はまるで無数の蛍のように細かな光となりながら、部屋の空気の中に融けてあっという間に見えなくなった。


 そして、暗い寝室に俺とマデリーンだけが残される。

 ……なんとなく気まずい。


「あのさ」「ねぇ」

「……君のほうからどうぞ」「いえ、貴方から……」

 そしてしばらく沈黙が続いた後、最初に口火を切ったのはマデリーンだった。


「ねぇ、アントニオ。 災厄の呪いを避けるために家を出てきたのはいいけど、行き場がどこにも無いのよ。 そして、いざどこに行こうかと考えたとき、最初に頭に浮かんだのが……」

 だが、俺は彼女の唇に指を当てて、そのよく回る口の動きを抑え込んだ。

 その続きの台詞を聞くわけにはいかない。 だって、それは俺のほうから言いたいことだったから。


「聞いてくれ、マデリーン。 君の居場所が無いというのなら、ここにずっといればいい。 いや……」

 顔に焼け付きそうな熱を感じながら、俺は勇気を持ってその言葉を告げた。


「ずっと俺の隣にいてほしい。 一人の女性として君が好きだ、マデリーン」


***


 ――遠い昔から伝えられた、古い御伽噺を君に語ろう。

 あるところには、ホッブ・ゴブリンという良い妖精がいて、夜毎に捧げられた一杯のミルクと引き換えに、家に幸運を運んできてくれる。

 だが……こんな話もあるのをご存知だろうか?


 自らの祝福した家の主に見切りをつけてしまった妖精が、その家の可愛い娘をつれて素敵な旦那様のところに夜逃げしていってしまったという物語を。


 これぞ彼らが良き妖精と呼ばれる由縁である。

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