ep.4 夢のキラキラキャンパスごっこ


 そんでもって今、なぜあたしが一年生と二年生に交じって教養の授業を受けているかというと。


「学生生活最後の思い出に、『夢のキラキラキャンパスライフごっこ』をしてみたいのよ」


 バイト先のカフェで後輩に向かってアホな相談を持ちかけたのは、つい先日の事。


「『ごっこ』なんですか?」

「そうそう、ごっこ。今まであたし、なんか大学生ちゃんとやってなかったなーって思って」


 閉店後の店内、食器を手際よく洗いながら、しれっと後悔を口に出す。お前さんは同じ過ちを繰り返すなよっていう願いもこめて。――こういうところが「お局さん」と言われてしまう所以なんだろうな、なんて思う。


「でも優里乃さん、キラキラして見えますよ? おしゃれですし」

「……一年のリア充に言われたくないわ」


 キラキラしてるのはあんただっつーの。彼の子犬のような目から視線を外す。天然人たらしな後輩(彼女持ち。バカみたいに彼女一筋なんだけど、なにせ誰にでも優しいから勘違いされがち)に手を焼くのはいつものことだ。


「うーん……優里乃さん、まずはちゃんと授業を受けたらどうですか?いっつもバイトのシフト入ってますよね。結構サボってらっしゃるんじゃないですか」

「まさかの説教?いや、あたしもう卒業に必要な単位全部取っちゃってるから講義は履修してないの」

「そうだったんですか……あ、ゼミはちゃんと行ってますよね」

「まあ、卒論のないゼミだからくっそ暇なんだけどね」


 何事も前もって片付ける。何事も、楽な方を選ぶ。あたしはこうやって、いつもいつも失敗を回避してきた。


「キラキラってことはつまり、一年生の頃のような気持ちを取り戻せばいいんですよね」

「まあ、そういうことね……って言っても、もうあの頃のように尖った人間では居たくないけど」


 若い頃は、尖っていた。出来るヤツ認定されたくて、肩肘はって強がって、気づいたら何時だって貧乏くじを引いていた。


「ん……なんかあんまりピンと来ないんですけど」

「あなたも四年生になったら分かるわ」

「俺はたぶん、一生こんな感じで楽しく生きていきますよ!」

「うん、羨ましいぞ。その調子」


 優里乃さんに誉められた。彼は嬉しそうにつぶやいた。――あとはもうちょっとドジなところが直れば、バイトリーダー(=マスターの息子さん)にも誉められるのにね。


「でもとりあえずキラキラした人間になりたかったら、キラキラした場所に行ったら良いんじゃないでしょうか」

「……例えば?」

「一、二年生がたくさん集まるキャンパスとか……?」


 自分でも何言ってんだろう、という顔をしながら後輩くんは間抜けな提案をした。


 突然、バイトリーダーの大声が横から飛んでくる。


「おい田口! こっち来い、昨日教えたエスプレッソの作り方、復習するぞ」

「えー、キャラメルフラペチーノが作りたいです」

「お前いい加減にしろよ」

「はい!……あ、優里乃さん、キラキラキャンパスライフ頑張ってくださいね」


 にこにことしてあたしにエールを送ると、彼はコーヒーミルの前で仏頂面を浮かべたバイトリーダーの所へと駆け寄っていく。最近の彼はいい感じに力が抜けてるな、なんて思ったりする。


 キラキラねえ。後輩くんの後ろ姿を眺めながら、心の中でつぶやいた。後輩くんはあたしと同じ大学に通う一年生。そういえばあの崎田くんも一年生なんだっけ。そうか、この子達、同級生なんだ。でも――崎田くんはこの子ほどキラキラしているとは思えない。ってか崎田くんがキラキラしているかどうかなんてどうでも良いことなんだけど、その差ってどこで生まれるんだろうなって思っちゃうわけ。


 だからあたしは、答え合わせに来たんだ。――あたしは一体どうすれば「キラキラキャンパスライフ」を送ることができたのだろうか、と。そんでもって、下級生の集まる大教室でなぜか彼等と同じような顔をして、学部を問わない教養の授業に潜っている。


 社会心理学。確か一年生の時に初回授業だけ参加したけれど、教室があまりに混んでいて履修するのをやめたのだ。


「本日は先週の授業に引き続き集団力学についてお話ししていきます」


 うっわあ、懐かしい。40代くらいの女性の教授で、すごく声が綺麗なんだよね。この人、三年前もこの授業の担当だったんだ。大教室の後ろの方の席で、あたしは一人で興奮していた。――そもそもこの教室自体、あたしにとってはもはや思い出のひとつなのだ。


 授業が進むにつれ、初めは真面目に授業を聞いていた学生たちも飽きてくるのか、居眠りを始めたり友人とこそこそお喋りを始めたりする。あたしは――もちろん一人なので、とりあえず意味もなく授業を真面目に受ける、はずだった。社会心理学、なんかアーソナでの思い出にグサグサ刺さるような内容でウケる。『リーダーの特質と目標達成』のあたりなんて、なんだか逃げ出したいような気分になりながら聞いていたりした。


「すみません、隣いいですか」


 通路側の席に座っていたあたしは、声のした方を見上げた。そこに微笑を携え佇んでいるのは、目元ぱっちり系の(あたしみたいな潜りでない限りはおそらく)年下イケメン。


 キター!胸キュンイベントキター!キラキラキャンパスライフの醍醐味のひとつ。


「どうぞ」

「すみません」


 あたしが席を立ち、椅子を引くとイケメンくんはその後ろを通り、あたしの隣に座る。


「……あの」

「へ?」


 いや、だってさ。普通もう一度話しかけてくるなんて思わないじゃん。真面目に授業を受けるイケメンをこっそり盗み見てにやにやするだけの人生でした、ってのが通常の流れでしょうが。


「今日はプリントとか配られてませんか」

「あー、無い……みたいですね」

「すみません、ありがとうございます。ちなみにどこの学部ですか?」


 学部?なんでそんなこと訊くんだ。ってかちなみにって何にちなんだんだ。


「け、経済学部です」


 嘘じゃない。嘘じゃないぞお。


「え、本当ですか?俺も。……でも、お会いした覚えがあまりないというか」

「学年が違うんじゃないかと」


 こちとら四年ですから。


「ああ……じゃあもしかして一年?」


 そうかあ。あなたは二年なのね。唐突に敬語を解除するイケメンくん。


 そうかあ。あたし、一年っていってもおかしくないルックスなのね。そりゃそうだ、今日は『一女感メイク』頑張ったんだもん。ナチュラルなベースにベージュの目立たないアイシャドウ、アイラインは無し、〆に恋コスメで有名なピンクのリップグロスみたいな。全部1200円以下のアイテム。本当はアイラインを引くのは得意だし、なんならつけまだってつけようと思えば簡単につけられる。化粧に関しては結構上級者なのだ。


「……大丈夫?」

「えっ、あ、はい」


 ぼんやりしていたあたしに向かってイケメンくんが微笑む。やべえ、こいつアレだ、自分がイケメンだってちゃんとわかっている系チャラ男だ。そういうの見分けるのめっちゃ得意なのよ、だって経済学部って別名「ウェイ済学部」って呼ばれるくらい遊んでいる子の多い学部なんだから。そんなところに四年間も通ってたら、ね。


「そういえばお名前聞いてなかったね。俺は」


 ちなみに言うとこれ、全部授業の行われている教室でのこそこそ話。だから彼の声は少しくぐもっていたし、名前ははっきりと聞き取ることは出来なかった。あたしはあたしで「桜庭さくらば優里乃ゆりのです」と早口で名乗ると、


「……ゆりちゃんね」


 と勝手にあだ名をつけられる。きっとそこしか聞き取れなかったのだろう。

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