Loving

みりん

第1話   白く舞う、桜色

「I’m loving you.」

夕日の筋が差し込む教室の中、彼が呟いた。

独り言として聞き流そうとも思ったが、「love」という単語が入っている以上、それは恋人である私に向けられているのだということに気付き、言葉の真意を彼に尋ねる。

「英語の居残りをしている私への挑戦状?」

「そんなわけないだろ。君に『愛』の姿を教えてあげようと思って。」

胡散臭いなぁ、という感想は口に出さず、彼の言う「『愛』の姿」についての話に耳を貸してやることにした。

愛してる、という感情は、そう思えている間は永遠のもの。

「つまりそれを進行形にしちゃうと、あなたへの愛は一時のもの、つまり、君とはお遊びだよって意味になるんだって。」

そんな話を教えてくれた彼は、ロマンチストな人間だけど、愛し合っている私たちの間に、「Loving」なんて言葉を押し込める辛辣な人でもあった。

「ところで、まだ終わんないの?」

錆びかけの南京錠を人差し指にかけた彼がそう投げかける。

長い時間多国語を眺め続けた私は、居残りだということも忘れて荷物をまとめ始めた。

「いいよ、もう帰ろ。」

教室から一歩足を出しただけで、突き刺すような寒さが全身を駆け巡る。

昨今メディアを掻き立てる地球温暖化が嘘だと思えるほど、今年の日本は寒気におおわれていた。


いつものように県道を通る。

手と手を重ねながら、特に会話もなく、二人の分岐点まで歩き続け、彼の姿が見えなくなるまで、幼児みたいに大きく手を振り続け、自宅まで残りの帰路をとぼとぼ歩く。

吐いた息が白く濁って、空を、舞う。


ここまでが私の日常であって、同時に私の至福の時間でもあった。



その日が最後だった。

遠野 和泉と田上 信也、私と彼の「Love」で結ばれた関係はそこで終わった。

恋には賞味期限があるというのは有名な話だったが、食べ物と同じように急に腐りきってしまうことはないと信じ切っていた。

終わりがあるなら、その終わりまでは緩やかに続いていくものが恋なのだと。


恋は盲目だ。本当に何も見えなくなる。

終わって気付いて、私はなにも見えなかった自分を悔やんだ。


まず一つの失敗は、彼を愛してしまったことだろう。

盲目、と一言に言っても、他の人とは違う感性が私には働いた。

一般論は、視界が狭くなることを盲目とあらわす。私の場合は、明かり一つない山の中の小屋に閉じ込められたという風な心地だった。

彼を愛してしまった以上、いつか嫌われる日が来るのを恐れた私は。とにかく彼に愛されようとした。「愛してる」という響きを味わいたいんじゃなくて、「愛されている」実感がほしかった。

私は彼に愛されようとすることに、あの1年をかけた。

それだけの時間を惜しまないほど、私は愛がほしかった。

「Loving」ではなく「Love」を。


2つ目の失敗は、彼の愛を受け取れなかったことだ。

さっき言ったことと相反対なことを言っているのは自分でも気づいている。

端的に言うと、私は求めすぎた。

例えば、私たちが日常的に使用するスマートフォン。

あのAI付きの便利な小型ロボットは私たちの時代を大きく変えた。

知りたいことをすぐに知れる。話したい人とすぐに話せる。

100年前には想像もできなかったであろう「魔法」が、今の時代は誰彼構わず繰り出せてしまう。

これだって、求めすぎてしまうものだ。

およそ半世紀前には、電波を経由することで遠くの人と会話が可能なことだけで十分商品の売りになり、たくさんの人が目を輝かせたものだ。だがいまはどうだろう。

最高の画質、軽量化、そんなキャッチフレーズをつけないと人の目には留まらない。

これこそが私たちが求めすぎた結果だろう。

人間は決して現状に満足しない。向上心を輝かせ、より良いものを創造することは、人類の進歩には欠かせないことだが、同時に行き過ぎたそれは、人類を退化させる道具にもなるのだ。


言い訳をしてしまえば、私は世の中を生きている大多数の人と同じ「志」をもってしたことであるが、それが彼にとって大きな負担であったことは言うまでもない。

『君に「愛」の姿を教えてあげようと思って。』

今考えてみると、彼は本心を吐き出したのではなく、閉じ込めていたのだ。

この言葉は間違いなく私に向けられていたのだと、非情な現実が教えてくれた。






そんな私の主に苦みでできた青春は、高校卒業の節目で儚く終わった。

素敵な彼との別れ以降、自分のそばに異性を置かなかった。

彼氏ができなかったんじゃなくて、作ろうとしなかっただけだ、というテンプレーションな言い訳をしていたが、心の底では、また同じことを繰り返してしまうような、貪欲にまみれて幸せを見逃してしまう自分がいることが怖くて、大切な人を見つけられずにいた。

大切だと思った人は、なぜだかすぐに離れてしまうから。


高校生でもなく、大学生でもない期間は体感的にとても長い。

中学から高校に上がるときは、果てしない量の課題という名の予習があったものだが、大学にはそんな制度がないので、私は暇をもてあそんでいた。

住んでいるところは一人暮らしのワンルームマンション、築15年なので壁や共用の廊下にシミや亀裂が見える。

カレンダーは4月下旬を示している。ほこりをかぶって半透明になった窓ガラスには見合わない桜の花が丁度満開のようで、近くの公園では、家族連れやカップルが各々の弁当箱を開いてお花見という名の昼食会を始めている。誰もメインであるはずの花には目もくれていない。

昼夜反転、1日2食、不規則でだらけた生活から脱出するために、地域を模索してみることにした。

日本三大都市に惜しくも選ばれないこの県は、それでも稀に見る都会であると思う。

もともとは首都圏に住んでいた私は、新しい生活、というよりも誰も自分のことを知らない場所を求めてここまで来た。

もちろん、この県までわざわざ引っ越してきた人は私以外いないので、私の目的は無事に遂行されたわけだ。


満開の桜が非常に見どころだと言われている私の近所は、もちろんこの春が観光客のピークで、家から出ただけでお祭りのような騒ぎ具合。ただ、ここが桜の名所として知られることについては納得ができた。

桃色の雨の中を少し鼻歌交じりに抜けていく。これだけ人がいるので、私という人間が歌を歌いながら歩いていても、周りの騒音にかき消される。

途中で好物、タピオカを販売している屋台があったので、ココナッツミルクを1つだけ買って、帰宅した。

近所の模索という目的を完全に忘れ、春のお祭りを謳歌してきただけの私は、ここに引っ越してきた自分の判断を褒めながら、半分ほど減ったタピオカに舌を巻く。

屋台の割には意外ともちもちしてて美味しい…。

あぁ幸せ。生きててよかったと月並みに感じる。

こういう日々のちょっとした幸せを掴めるようになったのは、間違いなく彼が教えてくれたからだ。

彼は食堂のフライドポテトと某ファストフードのフライドポテトを食べ比べては、「食堂最高、生きててよかった!」と、よりおいしいのがどちらかを追求するような変わった人間でもあった。はじめこそそんな不可解な言動に意味を求められなかった私だったが、時間を重ね、彼に染められていくにつれて、少しずつ彼のような「日常に幸せを求める」ことが、どれだけ難しく、どれだけ素敵なことかということを知った。

日常の至るところに彼の面影が残っている。私の思考だったり、プレゼントだったり、言場だったり。でも、別れた後もこうやって思い出す瞬間に感じる胸の締め付けは、半年前に比べると幾分もゆるく感じるようになった。それくらい時間が過ぎたのだ。


夕暮れに日が沈む。

花見客が夜桜を楽しんでいるのを見て、夕食はなんにしようかと悩んだ末、近所にあるご飯屋さんを探してみる。

和食、フレンチ、焼き鳥、いろいろある食のジャンルの中で、私が迷うことなく選んだのは、タピオカに続く好物、ピザだ。しかも徒歩4分のところにある。

電話で予約の確認を取り、「遠野」という苗字を告げる。

一人だけで行くお店に予約を入れることも珍しいのかもしれないが、用意周到、準備万端。意味は少しずれているが、すべてを計画していることで、約束された日常の幸せを得られるのだと思う。

気分を高めて、ナイキのスニーカーに足を突っ込む。

財布の中に現金が入っていることを確かめて、スマートフォンに表示されるマップを眺めながら、桃源郷まで足を動かす。

つい数時間ほど前に見えた桜の木々が、月明かりに身を躍らせて別の顔を見せる。

桃色の雨という可愛らしい例えは夜桜には似合わない。


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