第3話 契約書にサインするときは、小さな字までちゃんと読めってじっちゃんが言ってた。

 聞いてくださいよ、このツアーに参加するときに「参加受諾書ですのでサインお願いしまぁす」って名前書かされた書類、横書きの文章の中に、縦読みで『まんがいち、しんでももんくはいいません』って混ぜてあったのよ!


「気づくか馬鹿ぁっ!」

「一本取られたな」

 苦笑いするイケメンマッチョ。うるせぇよ、一本取られた、じゃねぇわ。

 ちゃんと、一通り目を通したうえでサインしたのに! 縦読みとか、マジねぇわ。その上『魔法』がかかっていて、一度サインしたら、強制力が働いてしまうという、凶悪仕様。

「そのうえ、異世界に置き去りとは、これ如何にっ!」

「確かに、その事については、文句が言いたくなるがな。さてと、取りあえず、行くぞ」

 手にしていた方位磁石と、添乗員に渡された地図を見比べていたイケマッチョであるところのネゴさんは、足元におろしていたスポーツバッグを肩に掛けると、ここに居ても仕方がないからと、私を促して歩き出した。

 私も渋々足元におろしていたリュックを背負う。

「ネゴさん、こんなことになったのに、随分余裕ですね」

 彼の半歩後ろを歩きながら、思わず口を尖らせてしまう。

 イケマッチョと会話するなんて、平常時の私なら恐れ多くてできないが、いまは非常事態なので、許されるはず。あれだよ、職場の粗野な有象無象おとこどもだと思えば、いける。

「生きてさえいれば、帰りは保証されてるからな。それから、俺はネゴじゃなくて、根古ねこだ」

 訂正されてその横顔をガン見する。

 ネコ!? どう見てもタチだろ!?

「……俺の顔になにかついてるのか?」

「なんでもありませんっ! 大丈夫です! アリです!」

 タチっぽいネコもありだろう。大丈夫、私の懐は深い。

 ネコさんの眉根がググッと皺を刻む。ヤバイ、わからないながらも不快さを感じているらしい、なんて察しのいい人だ。

「ところで、この世界、魔法があるらしいじゃないですか。となると、万が一の為に本名は隠しておいた方がいいかも知れないですね。まかり間違って、本当の名を知られたら存在を握られちゃうとかっていう、チューニ病設定が無いとも限りませんし」

「そういうものなのか? まぁ、用心に越したことは無いが、コレがある時点で不味いんじゃないのか?」

 そう言ってネームプレートを指すネコさんに、私はニヤリと口の端をあげた。

「……ああ、君も間違えられてるクチか」

「そういうことです」

 きっと、読みを間違えているだけだろう的な雰囲気だが、自分だけ彼の名を知ってるのを心苦しく思いながらも、本名は教えることができなかった。

「間違えてあなたの本当の読み方で呼んだら不味いので、名前で呼んでもいいですか? それとも、もっと別の渾名とか付けちゃいます? タチさんとか」

 ネームプレートを胸から外してリュックにしまいながら、何気なく尋ねる。

「タチ? 館ひろしのタチか? 似てると言われたことはないが」

 首を傾げるネコさんだったが、あまりにかけ離れた名だと自分だと気づけないので、名字では無く名前で呼んで欲しいと言われてしまった。

「じゃぁ私は、テンちゃんと呼んでください」

 空は飛べないし、虎柄パンツも穿いてないし火も吹けないけど。

「わかった。テンだな」

「『テンちゃん』だっちゃ!」

「……」



 ――滑った。

 

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