腹黒小悪魔系後輩がおっさん宅にお泊りを要求してきました……

識原 佳乃

守りのおっさんVS攻めの腹黒後輩

「先輩! ……せんぱ~いっ!」


 昼食後の眠気を堪えて業務を行っていたら、甘えるような声音が背後から絡みついてきた。

 何事かとタイピングの手を止めて振り返ると、ふんわりとしたブラウンのボブヘアーを微かに揺らした8コ下の新入社員で俺の後輩――宮内みやうち光希みつきが眼前で手を合わせていた。こちらの様子を窺うような上目遣いをしているが、表情は人好きのする笑みが一面に広がっている。


 ……一体今度は何をやらかしたんだ。


 宮内は仕事で何かミスをすると決まってこのポーズをとるのだ。

 知らない奴からすれば「可愛い後輩が上目遣いに何かお願いしてるな」程度に見えるかもしれないが、教育係の俺――弓削ゆげ明弘あきひろからすると胃が痛くなるポーズである。


「はぁ~……お前はもう少し申し訳なさそうな顔してそのポーズをとろうな」


 漏れたため息にのせて心の愚痴もこぼす。

 基本的に宮内は仕事は出来る方だ。一を聞いて十を知る、とまではいかないが要領が良く、機転も利き、おまけに庇護欲を湧き立てるような若干のあどけなさを残す容姿で愛想もいい。


「なんでですか~? 私まだ何にも言ってないんですけど?」

「俺のとこに拝みに来たってことはなんかやらかしたんだろ?」

「何ですかその言い方! せっかく可愛い後輩が遠路遥々えんろはるばる先輩を訪ねてきたって言うのにあんまりです! ヒドイです! 言葉のDVです!」


 おい、今サラッと自分のこと「可愛い」って言いやがったな? ……はい、その通り可愛いです。


 あと何が遠路遥々だ。向かいの席で徒歩5秒だろうが。という言葉を漏らそうものならば「DVです!」と喚く姿が容易に想像できたので、すんでのところで飲み込んだ。


「はいはい、誤魔化すな誤魔化すな」


 一見仕事でミスをする以外の欠点がないように思える宮内なのだが……、


「……ちっ」


 ――この通り腹黒いのである。


「先輩に向かって堂々と舌打ちするな。何もないなら仕事に戻るぞ?」


 普通だったら激怒するようなものだが、宮内が本気でやっていないことと、もうコイツの個性だこれ、と半ば諦めている。


「ま、待ってください先輩! 確かにミスはしたんですけど……」

「やっぱりミスしてるのか」

「はい!」


 宮内は頬にわざとらしいえくぼを作り120%の笑みを湛えて、これまた芝居がかった大きな動作で首を縦に振った。

 どう見ても反省はしていない。……良い返事だなチクショウ!


「大体なんでいつも俺がプロジェクトリーダーになってる業務だけミスるんだよ?」

「簡単なことじゃないですか~? ……先輩に構ってもらえるからです!」


 俺に責任がある業務のみミスを犯す宮内の決まり文句である。

 先輩に対するDVです! と俺も喚いてみたいが、そこはグッと堪えた。


「はいはい、聞き飽きた聞き飽きた」

「飽きるまで言ってるのに構ってくれない先輩が悪いんです! 無視のDVです!」

「…………」


 無視のDVとやらをご所望したのでPCへと向き直り、業務を再開した。


 え~っと、明日の課内会議のスケジューリングと連絡メールのそうし――あががががッ!?


「ホントに無視のDVだっ!?」


 ふざけんな! ふじこちゃん降臨しちまったじゃねぇか!?


 宮内に両肩を掴んで揺さぶられ、ディスプレイには“くぁwせdrftgyふじこlp”の文字が。

 すかさず宮内の方を向いて「やめろ!」と訴えたが「マッサージです!」と謎の言い訳を展開し、そのまま揺さぶりを続けてきた。


「わかったわかった、揺さぶるな! ……それでどうしたんだ?」

「え~っと実はですね、ミスは私の方でリカバリーできるんですけど……」

「そうか。なら頑張ってくれ」


 なら、わざわざ呼ぶなよ。

 なんてことを考えながらPCへ向きなおろうとクルリと椅子を半回転させたら、そのまま止まることなく1回転して何故かまた宮内が正面に……おいっ! 酔うだろうが!


「こんにちは先輩! ちゃんと聞いて下さいよぉ~」

「ふざけんな後輩! コーヒーカップじゃないんだから椅子回すな!」


 俺の肩をハンドル代わりにしてまた椅子を回そうとした宮内に釘を刺す。

 何が楽しいのか言葉とは裏腹に、ニコニコとした上機嫌な笑みを浮かべて……、


「ちょっと先輩! ひどくないですか!? さっきっから冷たいです! 対応がDVです!」

「なんだよ? 今日はやけに絡んでくるな……マジで用件ないんならデスクに戻れ」


 いつもより遥かに長い絡みを続けてきた。

 普段ならば「デスクに戻れ」なり「ちゃんと仕事しろ」と言えばある程度素直に従ってくれたのだが……そうしないところをみると、どうやら本当に用事があるらしい。


「ありますよ! むしろ用がなかったとしても来ます! 徒歩5秒は伊達じゃないです!」

「はいはい、それで?」


 ……さっき遠路遥々言ってただろうが!? という当然のツッコミは唇を噛んで抑え込んだ。


「……ちっ……実は、先輩にお願いがあってきたんです!」


 ……舌打ちするんじゃありません!! という当たり前のツッコミは面倒だったので流した。


 お願い……心の底から嫌な予感しかしない。


「お願い?」

「はいっ!」

「それでそのお願いってなんだよ?」

「え~っとですね、ちょっと……その……言い難いので、耳貸してもらってもいいですか?」

「……あぁ」


 その言葉を聞いて嫌な予感は確信へと変わりつつあった。

 聞きたくないと思う反面、聞いておかないと面倒なことになりそうだと考えながら、耳を傾けた。


今日、 せんぱいの おうちに 、お泊り させて ほしい なぁ~…… なんてっ♡


 直接耳から脳に囁くような甘い声音が突き刺さった。

 頭を殴られたようなあまりの衝撃に目がチカチカする。


 ……昼間っから何言ってんだこいつは。


「……宮内って本当にアホだったんだな」

「しみじみとアホとかヒドイんですけど!? ……それで先輩、お返事は?」


 言うまでもなく態度で察せ!

 お断りします以外ないだろうが!


「ノーに決まってんだろうが。大体独身男の家に上がり込もうだなんて……一体何考えてやがる!? むしろ何も考えてないからアホなのか?」

「それを言うなら私だって独身です! 彼氏も“今は”いないフリーです! それなのに何の問題があるんですか!? そもそも先輩ヘタレの癖に私のことアホアホ言わないで下さいーっ!!」


 スーツの裾を掴んで涙目で反論してくる宮内は素直に可愛い。アホ可愛い。 


 あ、あれ? 互いにフリーなら何も問題なくね?


 一瞬そう考えたが、一度断ってしまった手前発言を撤回するのがなんだか恥ずかしかったので、ノーで押し切ることにした。……サラッとディスられたような気もするが多分気のせいだろう。イヤ、気のせいってことにしておこう。


「……と、とにかくダメだ! 理由もなしに泊める気はない」

「……今、なんて言いました?」


 宮内の瞳が鋭く光った気がした。

 獲物を捉えた肉食獣のように、その鋭い視線は一直線に俺に向けられている。


「とにかくダメだ」

「違います! その後ですー!」

「なんだ? “理由もなしに泊める気はない”……か?」

「はいっ! そこです!」

「それがどうした……?」

「先輩は言いました……理由もなしに泊める気はないと……それはつまり……ちゃんとした理由があれば泊まって良いってことですよね!?」


 腕を組んでその場をテクテクと歩き周り、言い終わりにこっちに向き直って俺が愛する某ゲームの異議ありポーズをしてきた。


 コラ! 人に向かって指を指すんじゃありません!


「お前からちゃんとした理由なんてでないだろ? はいはい、無駄無駄仕事しろ」

「ありますよ! ちゃんとした理由が!!」


 そう言って俺のデスクを両手で勢い良くバシーンと叩く。


 コラ! 他の人の迷惑になるんだから叩くんじゃありません!


 見れば周りにいた同僚のほとんどがこちらを見ていた。

 時折「またやってんぞ夫婦漫才」だの「押し倒せ宮内!」だの訳の分からん言葉が飛び交っている。


 ……なんだよ「夫婦漫才」って。同僚たちにも宮内のアホが感染しつつあるようだ。


「……言ってみろ」

「私明日早番なんです! 早起き苦手なんです♪」(テヘペロ(・ω<))

「知るかッ!?」


 テヘペロ顔をした宮内に堪えられなくなってツッコミを入れてしまった。不覚だった。


 理由が心底どうでもいい。アラームセットしろよ。


「もちろんこれだけではありません!」


 外人がするような人差し指を立てて左右に振る“ちっちっちっ”のジェスチャーをどや顔でやる宮内。

 普通ならイラつくのだろうが、一周回ってただのアホにしか見えなかった。


「実は今日マンションの水道管更新工事が入ってて、お風呂に入れないんです」


 訂正。アホにしか見えないではなく……ただのアホだった。

 ……知ってた。


「……いや、銭湯行けよ」


 これまたどうにでもなる理由だったので、冷静に返答した。

 最近気が付いたのだが、ツッコミし始めてしまうといつの間にか宮内のペースに乗せられてしまうのだ。

 なので極力抑えるようにしている。

 本当はツッコミを入れたくて入れたくてウズウズしているのだが……、


「銭湯とか行ったことないから嫌です。先輩が一緒に付いてきてくれるなら行きます」

「子供かッ!?」


 なんて考えていたのにまたしても即ツッコミを入れてしまう自分のさがに泣きたい!


 ……だってしょうがないだろ!? もうツッコミでも入れないとこの話しが纏まらなくなるのは目に見えてるんだ。これは必要な行為であって、仕方のないことなんだ……と自分を正当化した。


「それにここからお台場の大江戸温泉伝説まで行くの遠くないですかー?」

「なんでそこ限定なんだよ? 近所の銭湯行けよ」

「初めては素敵な思い出にしたいじゃないですか! ……これだから先輩はモテないんですよ?」

「やめろぉぉぉぉッ! 俺の心を抉るな!」


 そう思ってしまってからはもう宮内のペースだった。

 俺は心を抉られたこともあって、もうどうにでもなれ! と開き直ることにした。……やめて! 憐れむような視線向けるのやめてぇ!


「“だから先輩のおうちにお泊り”で手を打とうとしてるんです!」

「家ならノーカンってことか……そうかそうか、それなら仕方ない………………ってなる訳ないだろ!?」

「ノーカンってことでいいですから、とにかく泊めて下さい!! お願いします!」

「ヒュゥゥゥ!」

「宮内攻めるな!」

「光希~がんばー!」

「弓削~ヘタレー!」


 黙れオーディエンス! 俺の悪口だけはしっかりと聞こえたぞ!


 眼前で手を合わせる宮内の例のポーズ。

 このポーズ万能かよ!? と胸中でツッコミを入れながら口を開いた。


「会社にシャワールームあるだろうが」

「男ばっかりのうちの会社でシャワー浴びろって言うんですか!? 何ですか!? 変態プレイの一種ですか!? ……望むところです!」

「望まんでいい!」


 男子用よりも広くて豪華な女子用のシャワールームがあるだろうが!!


 男のが多いのに一部の施設などは女性社員の方が優遇されている社会人あるある早く言いたい~♪

 なんて脳内でどうしようもないことを考えていたら、


「せーんーぱーいー! お願いしますよぉー! 今夜飲み奢りますからー!」


 俺にとっては甘い誘惑の言葉が……悪魔の囁きが放たれた。


 チクショウ! 反則だぞ! アルコールを交渉材料に出されて、酒好きな俺が乗らない訳がないだろうが!?


「はぁ~……ビール1杯とか無しだぞ?」


 半ばあきらめながらも大事なことだけはシッカリと確認しておいた。

 実際、タダ……と言っても半分以上は出すつもりだが、ある程度安く酒が飲める上に、8コも年下の外見は可愛い女の子と飯が食えるなら悪くない条件だ。

 その代償がツッコミ疲れと一晩だけ泊まらせるというなら何も悪いことなんてない。


「はいっ! 好きなだけ飲んでくださーい! なんならスピリタスをストレートで飲んでもらっても構いませんよ?」

「アルコール度数96をストレートとか死ぬぞ!? ……いいか? ちゃんと焼き鳥も頼んでくれよ?」


 えッ!? コイツ実は俺を暗殺するつもりなのか!?

 なんて適当なことを考えて気分を紛らわした。


 ――どうやら俺は自分が考えている以上に宮内とふたりで飲みに行くことが楽しみなようだ……。


「はいっ! それじゃあ先輩また後でー!」


 手を振って自然なえくぼを頬に咲かせて自席に戻って行く宮内。

 心なしかその表情はほっと安堵しているようなものだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 タイピングの手を止めたら向かいの席からニコリとした笑顔を湛えて、俺のことを見ている人物がいた。言わずもがな宮内だった。


「せーんぱいっ? お仕事終わりましたかー?」


 その笑みに少しだけ癒された気がする。

 それと同時に待たせてしまったことへの罪悪感が募る。


「あぁ、今丁度終わった。待たせてしまってすまない」


 正確には終わっていない。一区切りついたというだけだ……社畜辛い。


「私のワガママですし、先輩が気にすることじゃないですよ? それじゃあ行きましょっか?」

「はいよ」


 俺が立ち上がったら宮内がこちらに向かって歩いてきた。何故かゴロゴロと何かが転がるような音が聞こえてきたので目を向けたら、大きめのキャリーケースを宮内が牽いていた。

 男に比べて荷物が多くなるのは分かるが、さすがに1泊2日の量を超えている気がする。数泊くらいなら余裕でできそうな感じだ。 


「「お先に失礼いたします」」


 それからふたりそろって退勤の言葉を口に。

 ところどころから「お疲れ」やら「お疲れちゃ~ん」「俺を見捨てて先に帰るのか!? 我ら生まれた時は違えど死ぬ時は一緒だと誓ったであろう!」という声が返ってきた。

 時刻は22時過ぎだというのに大半の同僚がデスクにいる。

 果たしてこの中で日付が変わる前に帰れるやつはいるのだろうか? ……多分いないと思うが……ブラック辛い。


 それとそんな桃園の誓いをした覚えはないぞ! 勝手に死んどけ! それに喜べ! 最近は過労死も異世界転生のキッカケになるらしいぞ! ……よかったな!



 会社を出て徒歩10分ちょっと。駅近くの繁華街では無く、逆方向の閑静な住宅街に連れてこられた。

 人通りもあまりなく、どう考えてもこの辺りに居酒屋がありそうな気配は微塵も無い。

 なのでいいかげんどこに行こうとしているのか聞こうと考えたところで、横を歩く宮内が立ち止まって異議ありポーズ……じゃなくて、建物を指さして立ち止まった。


「ここでーす!」

「マジか……」


 指さしたのは看板も出ていないかなり大きめな古民家風の一軒家だった。

 瓦屋根の立派な数寄屋門から店の入り口まではちょっした石橋が架かっており、下には水が張られている。

 敷地内の庭と呼ぶべき場所には灯篭のような間接照明が並び、小さな滝まで流れていた。

 住宅街にポツリと存在する世に言う隠れ家的居酒屋なのだろう。


 ……一言でいえばおしゃれ過ぎた。スーツ姿のリーマンが入っていいような雰囲気は一切漂っていない。


「行きますよー! とつげきーっ!」

「……おっしゃぁー! たらふく飲み食いしてやるぞー!」


 ドレスコードは大丈夫なんだろうかと考えていたら、背中を押して俺を先頭にして居酒屋に突撃しようとする宮内。

 俺も開き直って覚悟を決めて1歩を踏み出した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「……あ~。いつの間に家に帰ってきたんだ?」


 ……確かやたらとオシャレな居酒屋に行って、酒も料理も美味くて調子に乗ったというところまでしか記憶にない。

 それ以降はどうやって帰ってきたのかすら曖昧で、見れば壁掛け時計の針は深夜2時過ぎを指していた。


「ん~っ! さっぱりしたぁ……あっ! 先輩起きたんですね? お風呂お先にいただきました。ありがとうございます」


 その声に顔を向けたら何故か我が家に宮内の姿があった。

 言葉通り湯上りなのか、部屋着と思われる黒いフリルの着いたキャミソールに身を包み、艶めいた髪に火照った頬。

 普段の底抜けに明るい宮内からは到底想像できないような色香を纏った女性がそこにいた。


 なんで宮内がいるんだ?

 ……そもそもどうして居酒屋に行ったんだっけか? 


「あ? あぁ」

「まだ酔っぱらってるんですか? それとも寝ぼけてるんですか? ……とにかく早くお風呂に入ってきて下さいね?」

「んあ」


 鈍った思考回路はまともな答えを出そうとせず、促されるまま俺は風呂へと向かった……。



「…………」


 熱めのシャワーを浴びてやっとまともに頭が回り出し、手早く済ませて上がったら……宮内がベッドにうつ伏せに横たわって俺の枕に顔を埋め、両足をパタパタと動かしていた。……うむ、大変エロい。


「何やってんだ?」


 俺の存在に気が付いていないようだったので声を掛けたら、音がしそうな勢いで顔を上げて一言。


「この枕……先輩の匂いがします!」


 見た目は妖艶な美女と言っても差し支えは無いのに、中身は相変わらずのアホだった。なんと言うかもの凄いギャップで、正直ムラムラする。 

 このまま宮内を見ていたら変な気を起こしそうだったので、さっさと寝るに限る。


「当たり前だろ。……それじゃ、宮内はベッド使ってくれ」

「……えっ? 先輩は?」

「俺は床で寝る」


 ごく当たり前なことだが、布団は一組しかない。

 そうなれば客人……と言うべきなのか定かではないが、とにかく俺が床で寝るのが普通だろう。

 そもそも女性を床に寝かす気なんて毛頭無いが。


「ダメです! 家主を床で寝させるなんて出来ません! 私も一緒に床で寝ます!」

「なんで床で一緒に寝るんだよ? それならベッドでいいだろうが?」


 何故わざわざ床で眠るのか? アホ過ぎる……、


「……はいっ! ってことで……先輩? 早くベッドこっちに来てください?」


 なんて思っていたらアホなのは俺だった……。さ、酒がまだ残ってるだけだし!?


 時間もかなり遅いので“寝れればいいか”と考えて、宮内の誘導にのせられて首を縦に振った。

 

「あぁ、もう分かったよ」

「ところで先輩? なんでベッドがセミダブルなんですか? ホントは彼女さんいたりするんですか?」

「俺寝相悪いんだよ。それでセミダブル。それと何回もいないって言ってんだろ。会社入って互いに忙しくなってすれ違うことが多くなってな……それで別れたよ」


 当時付き合っていた彼女は看護師として社会に飛び込み、夜勤などもあり休みは不規則で同じ屋根の下で暮らしていながらほとんど顔を合わすことがなくなった。

 そんな状況では気持ちも徐々に離れていって、互いに特にわだかまりもなく自然と別れるに至った。

 一般的に見れば不思議な別れだったのかもしれないが、強がりではなく本当に後悔などは無かった。……あるとすれば俺がモテないという関係のない僻みくらいだ。


「ふ~ん…… よかった……それなら同じ会社の人だったらすれ違わないですね?」

「あぁ、そうだな。ほら、明日早番なんだろ? 寝るぞ?」


 眠りたい一心で返事を待つことなくリモコンを押して豆電球へと切り替えた。

 薄暗い室内を淡いオレンジ色が包む。

 もし途中で宮内が目を覚ました場合、トイレなどに行くことを考えて暗くしていては色々と不便かと思ってそうしたのだが、


「先輩……真っ暗にしてくれないと私……眠れません」

「はいはい」


 その言葉に特に深く考えることもなく、俺は完全に照明を消した。


「せーんぱいっ? なんでそんな隅っこにいるんですか? ベッドから落ちますよ?」

「寝相悪いって言ったろ? もしかしたらお前のことド突くかもしれないからな」


 寝相が悪いのは本当のことだが、そんなことよりも今はまずかった。

 ……男ならわかってくれると思うが、酒が入っているのと疲れているのもあるのかムラムラが止まらないのだ。早い話、俺の息子マイサンが元気一杯。「男ってホント単純!」と女性が言うのも頷ける。


「ド突く……もっとこっちに来てください」

「遠慮しておきます」

「……なら、私から行っても……いいですか?」


 震えるような小声と遠慮がちに俺の服の裾を引っ張って。

 急にしおらしくなった宮内に理性と本能が激しくぶつかり合ったが、ギリギリで踏みとどまった。


「断る」

「……な、ならっ! 先輩がこっちに来てください! 家主がベッドから落ちるんなんてダメです! DVになっちゃいます!」


 ガラリと普段通りの調子に戻り、慌てたように早口で捲し立てる宮内をこれ以上興奮させるのは得策ではないと結論を出して、大人しく要求をのんだ。


「わかったから落ち着け! そしてはよ寝ろ!」

「んふふ~♪ はぁーいっ!」


 宮内の方を向かずに近づいていって、身体が触れ合うか触れ合わないかのギリギリラインで止まったのに……、


せーんぱ いっ? ……せんぱい?」


 思い切り背後から抱き着かれた。

 それもただ抱き着くだけではなく、足まで絡めてくる始末。

 どうせ「胸当たってんぞ」と指摘しようものなら「当ててるんです!」といった返事がきそうだったので、あきらめて寝ることにした。……全く眠れる気がしないけどな。


「…………」

「無視しないでくださーい!」


 次に宮内は「無視のDV」と言うだろう。


「…………」

「無視のDVはんたーい!」


 本当に言いやがった……くそ……笑いを堪えるのがつらい!


「…………」

「……寝ちゃったんですか?」

「…………」

「嘘ですよね?」

「…………」

「……せ、せんぱぃ? 本当に……寝ちゃったんですか? 今ならまだ嘘付いてても……許してあげますよ?」

「…………」

「……う……うぅっ…………そ、そんなに……私って……魅力、ない……ですか?」

「あぁ~もう泣くな泣くな」


 すすり泣きが聞こえてきたので反射的に返答してしまった。


 薄々は気が付いていたが……宮内はどうやら三十路の俺おっさんのことを慕ってくれているようだ。

 ……だが、実際嬉しさよりも戸惑いの方が大きい。8年という歳の差はそれなりに大きいと思うし、何よりも俺のようなおっさんを好いてくれる理由が分からないからだ。


「こっち……向いて下さい!」

「なんでだよ?」

「乙女を泣かせた罰です! 重罪です! DVです!」


 すすり泣いていたはずなのにやけに元気なことに一瞬疑問を持ったが、結局言われた通り宮内の方へと向いたら――、


「はいはい、分かった分かっ――んぐっ!?」

「――んんっ♡……刑を執行しましたぁ……」


 カーテンの隙間から差し込んでくる月明りだけが唯一の照明で。ほぼ何も見えないような暗闇の中、不意に距離を詰めてきた宮内。事は一瞬で、気が付けば俺の唇を柔らかい蓋が覆っていた。

 あまりのことだったので呆然とされるがままになってしまったが、まさかここまでグイグイくるとは思っていなかった。

 久しく忘れていた唇の感触に年甲斐もなく鼓動を早めて、長息とともに呼び掛けた。


「宮内……」

「……先輩から見たら私は8コも年下だし、ひよっこだと思います。

 だから恋愛対象に見てもらえていないのも、ちゃんと分かってます。

 ……私も初めは“それでもいい”って我慢できてたんです。

 けど……それでも! ……それを分かっていても!

 ――もう抑えられないんです!

 それほどまでに先輩を強く意識するようになって。

 ……あぁ、やっぱりかっこいいなぁって慕って。

 ほんの少し一緒にいるだけでも心は満たされて。

 一瞬目が合うだけで気持ちは舞い上がって。

 些細なことで喜んで。

 ちょっとしたことで勝手に落ち込むくらい。

 ……どうしようもなく。

 ……堪えられないくらい。

 ――好きになってしまったんです」

「そうか……」


 普段のお調子者な宮内はどこに行ってしまったのか。

 意を決したように揺らぐことのない瞳には、今にも雫が零れそうなほどに涙を漲らせ。僅かに唇を噛んで泣かないようにと必死に堪えているように見えた。

 それに庇護欲をかきたてられるのは男としての本能なのか、それとも宮内を想う気持ちがそうさせているのか。


 ……こんな正直な気持ちをぶつけられたのはいつ振りだろうか?

 ……一体どれだけの勇気をもって踏み出してくれたのだろうか?


 そう思っても尚、俺は踏み出せないでいる。

 うちの会社には俺よりも若くて、容姿に恵まれたイケメンだっている。

 だからこそ分からない。

 何故こんな俺を好きになってくれたのかと。


「ダメ……ですか?

 先輩の横にいたいと願っちゃ……ダメですか?

 ……好きなんです、せんぱいのことが。

 大好きなんです、あなたのことが。

 だから先輩……私と――」

「――落ち着け宮内。……ひとつだけ聞いていいか?」

「……はい」


 情け無い。

 非常に情けない。


「俺みたいなおっさんのどこがいいんだ?」


 言葉にしてもらわないと気持ちを汲み取ることもできず、何も知らない若い時とは違い、むやみやたらに好意というものを素直に受け取れなくなっているのだ。

 歳を重ねて臆病になり、ある程度酸いも甘いも嚙み分けてきたからこそ、慎重になったとでも言えばいいのか。この歳になると付き合うことのその先をしっかりと見据えなくてはならない。無責任な返答をしてはならないというプレッシャーもかかっている。


「……そういうところも含めてすべてです。

 いつも頼もしいところ。

 ノリ良く構ってくれるところ。

 時には厳しくちゃんと怒ってくれるところ。

 だけど、後から優しくフォローしてくれるところ。

 それに、内面だけじゃなくて……顔も好き。

 身体つきも好き……匂いが好き。

 ……これ以上言うのはさすがに恥ずかしいんですけど?」

「……俺よりも若くてイケメンなやつは会社内にだっているぞ?」

「……あぁ~もうっ!

 そういう変に自信のないヘタレなところも好きなんです!

 先輩が一番なんです! タイプなんです!

 私の中では先輩以外どうでもいいんで――んっ」


 変なスイッチが入った宮内を落ち着かせるために唇を塞いだ。


 こんな8コも年下の女の子にここまで言わせるなんて、俺は正真正銘のヘタレだと思う。

 ならばせめて年上らしいところ見せなくてはな……。


「――宮内光希さん。どうかヘタレな私とお付き合いしていただけないでしょうか?」

「……んふふっ♪ ……そんなところが大好きです。

 ――はい。

 未熟者のひよっこですが……こちらこそ、よろしくお願いしますね?

 ……明弘あきひろさん」

「……あぁ」

「……あの~早速なんですけど……明弘さん、私……その……初めてなので…………優しくして下さいね?」


 恥ずかしがるように顔の半分を掛け布団で隠した光希がそう口にした。

 心なしか楽しんでいるようにも見えるので、もしかしたら腹黒光希がでているのかもしれない。


 ――どうやらまずはこの掛け布団を優しく捲ることから始めなくてはならないようだ……。


――END――

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