005.「月額報酬」

「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね」


 通されたのは、やや狭いながら応接室と言われても違和感のない、くどくない程度に彫刻が施された木造の調度品が、狭苦しく感じないバランスで備えられた部屋だ。勧められるままに一人がけのソファに腰を下ろしたら、レイルズからそう話を切り出してくる。

 本名をそのまま名乗っても良い物かどうか一瞬迷ったけど、エミィからは何も言ってこない。


「……高円寺勇斗です。よろしく」

「コーウェン=ジュート? ファミリーネームみたいな名前だね。あ、失礼」

「いや、名前は勇斗です。高円寺は苗字で」

「苗字が先ってことは、出身はトキハマかな。名前の発音もそうだし、あそこの住人は好んでそうするから」

「まあ、そんなところです」


 音の響きからそう感じていたけど、トキハマという街は日本のような街らしい。


「では、早速だけどユート。助けてくれたこと、生き残れたことへの感謝と、この出会いを祝して乾杯といこう。アルコールは飲めるかい?」

「えーっと……」


 試しに飲んではみたいところだけど、


『控えてくださいね。気が緩んで変なことを言っても私は何もできません』


 とエミィも釘を刺してきたことだし。


「未成年なので……」


 と言えば、納得という顔でレイルズが頷く。


「なるほど。顔を合わせたときから、若いかなと思ってはいたんだけどね。では、ジュースでも持ってこさせようか」

「お願いします」


 俺がそう答えると、レイルズの部下なのだろう、後ろに控えていたシャツにワークパンツというラフな出で立ちの女性が、頷いてそのまま外へと出て行った。部屋には、俺とレイルズの二人だけが残される。


「さて、食事や飲み物が届くまでの間、少し話でもさせて貰えるかな」


 言われ、無意識に耳元のヘッドセットを触る。話をしてこいと言われているし、エミィもフォローすると言ってくれたしな。


「お話しできる範囲で、になりますけど」

「ありがたい。聞きたいのは、あの機体の出自のことでね。仕事の関係上、私もそれなりにリムには詳しくてね。その上で言ってしまえば、君が乗っている機体は見たことも聞いたことも無い型だ」


 何時の間にか、レイルズの目つきが気持ち鋭くなったような気がした。獲物を見る目……ともちょっと違う、何か重要なことを知りたがっているような。

 ただ、とレイルズが続ける。


「仕事の関係では見たことも聞いたことも無くても、それ以外では思い当たらないわけじゃなくてね」

「……それはどういう意味ですか?」

「そうだね、単刀直入に訊こうか。……あの機体は、電脳人バイナルに由来したものじゃないかな」


 言われた言葉の意味を、俺はうまく理解出来ない。

 さっきエミィは、電脳人バイナルは一般の人にほとんど認知されていないと言っていた。それを、彼は知っているという。


『ユート。今すぐここを離れましょう』


 耳元でエミィの声がそう告げる。合わせて、外で何かあったのか、急にざわめくような声。


「どうやら、同行者がいるようだね」

「エミィ!? 何してるんだ!」


 レイルズの言葉に、外で控えているアンダイナスが何かをしたということは察しが付いた。しかし、問う俺には返答は無い。代わりに、昨日預かったままポケットに入れてあった端末から、エミィの声が届く。


『射撃体勢に入っています。何かこちらに危害が及ぶような真似をすれば、即座に撃ちます』

「ちょっといきなり過激な! エミィ落ち着け、ステイ!!」

『犬のように言わないでください』

「随分と野蛮なことだ。こんなところに何故電脳人バイナルがいるのかと思ったが、暴れ回るためだったのかい?」


 慌てる俺に対して、レイルズは平静そのもので煽りの姿勢だ。内心焦っている素振りも無い。やめて、火に油!


源流十三家ルート13関係者の言葉ではありませんね。エヒトで何人死んだと?』

「私が加害者のように言うのはやめてくれないかな。こちらは被害者でしかない。加害者は誰なのかは言うまでもないが」

『元を質せばあなた方が回帰派と手を結んで、無謀な実験を繰り返したことが原因でしょう』

「そちらではそのように都合よく曲解されているわけか、言ってくれる。派閥は違っても君達と関わると不幸な者を生むのは同じことだがね。折角だ、被害者を増やす前に彼も解放したらどうだい?」

『ユートは自分の意思で私と同行して頂いています。余計なお節介は止めて頂けますか』

「信用できないな。我々を人間扱いせず一方的に巻き込むのは君達の常套手段だ」


 売り言葉に買い言葉。剣吞な空気がこの場に充満してるのは人生経験少なめな俺でもよくわかる。それも、どうやら話の焦点は俺。こんな大岡裁き俺は望んでない。

 というか俺の懐から声出して口喧嘩するのやめてくださいませんかエミィさん。

 とまぁこんな空気でも割と冷静に実況中継できているのは、少なくとも俺がここに居る限りは本気で撃ったりなんかはしないだろう、という希望的観測からだ。


『言うものですね生体人エンティ。本当に撃ってやりましょうか』

「今まではただのブラフだったのかい? 随分と舐められたものだね」


 ちょっと前言撤回いいいいいい!?


「ストップ! ちょっとやめろ、二人とも!!」


 すっかり蚊帳の外にいた俺も、危険な空気はさすがに見過ごせない。声を張り上げると、二人の口撃がぴたりと止んだ。


「エミィ、俺達ここに喧嘩しに来たわけじゃないだろ。何が何だか知らないけど、少し落ち着け。レイルズさんも、飛び道具出されて怒るのは無理ないですけど煽ったりはちょっと違うんじゃないかなぁと俺思ったり」


 台詞が尻すぼみに勢いを失うのは仕様です。


「とにかく平和的解決を望みます!」


 俺がやっても意味無いけど諸手を挙げて攻撃の意志無しを示し、そう叫べばレイルズさんが肩をすくめて見せた。俺がやるよりもずっと似合ってる、貴族め。


「調子に乗りすぎたかな、こちらとしても話し合いをするのは望むところだよ。お礼のつもりで呼んだこと自体に偽りは無いしね。……そういうわけだ、エミィさんだったかな。鎌を掛けるような真似をした非礼は詫びよう。私は不利益を回避するための情報が欲しかっただけだ。こちらの知ることも教えるから、武器を下ろしてくれないかな」

『……わかりました。私達も、情報は欲しいところです』


 納得したエミィの発言と合わせて、外から重量物が出す振動が伝わる。砲口を下ろしたのだろう、ざわめきも小さくなり、外の気配が落ち着き始めたことを感じる。


 ほっとしつつ上げたままだった手を下げると同時に、部屋の中には先ほどの女性が飛び込んできて、酷く慌てふためきながら言う。


「社長! お客様のリムが、」

「わかっている。すまないね、遠隔操作構文リモートスクリプトの実装形式を教えてもらっていたら、操作ミスで暴発したらしい。動いたのは射撃モーションまでだそうだし、今はロックしてもらったから問題無いよ」


 白々しくのたまうレイルズに面食らう俺に、目配せがされる。


「……すみません、お騒がせして。以後気を付けます」

操作構文スクリプト扱いは甚だ遺憾ですね』

「黙ってろ暴発メカ娘」


 頭を下げると同時に耳元から聞こえてきたエミィの声に、小声で突っ込みを入れるのも忘れない。


「というわけだ。ラナ君、外にいる者達にも説明を。ドリンクはその後で構わない」

「……承知しました」


 人の上に立つ人間として堂に入った態度のレイルズに、ラナと呼ばれた人は不承不承といった感じだが応諾する。どうやら、何とか場はうまく収まったようだ。

 さすがに、社長と名乗るのは伊達では無いらしい。


 ◆◆◆


 話は、テーブルの上に料理が並べられ、飲み物も出揃ったところで再開された。エミィも参加するため、端末は丁度良いブックスタンドを持ち出して置かれた状態だ。

 並べられた料理は、腸詰めやミートローフ、ピクルスなんかの日持ちしそうな物ではあったけど、つまんでみるとどれも美味かった。アンダイナスに積み込まれていた保存食も充分美味いと思っていたけど、それ以上だ。もしかして、この世界の人たちってとんでもない美食家揃いなのか。


『ユート。夢中になるのはそれくらいで』


 気付けばつまみ食いが止まらなくなっていた俺を、エミィがそう窘めてくる。対するレイルズは半分苦笑しながら、


「キャンプ用のありあわせばかりで申し訳なかったんだけど、口に合ったようで何よりだよ」


 と余裕の態度だ。


「さて、君達の事情は概ね理解した。一人は元人間の電脳人バイナルと、もう一人は元いた場所すら分からない、と」


 顎に緩く握った拳の親指部分を当てて、何か思案している様子でレイルズが言う。

 こちらの事情は、俺の経緯だけぼかして伝えてある。正直言えば元いた場所の話をすれば何かが分かるかも、という期待も無かったわけじゃないけど、エミィからは話が混乱するだけだから控えるように言われていた。

 ただ、落ち着いて考えれば異世界からやって来たんです、なんて真顔で言えば頭の病院をお勧めされるのがオチだろう。話に信憑性を持たせるなら、この判断は間違っていないとは思う。


「そして、エミィさんは人間の身体に戻ることの条件に、ユートを連れている。……繰り返すが、これを命じた人物についての情報はほとんど無いんだね?」

『ほとんど一方的に命令された形です』

「俺なんか命令すら無くて一方的に連れて来られた感じっすね……」

「なるほど。そんな状況では私を疑うのも止むを得ないというところか。しかし、かなりイレギュラーなケースだが、君やユートも、例の計画に巻き込まれたと考えていいのかな。因縁ってものは恐ろしいね。偶然助けられた人が、関わりたくも無いことの関係者とは」

『偶然、なのでしょうか?』

「私としてはそう願いたいけどね」


 話の筋は全く見えないが、どうも話から察すると、源流十三家やアトルマークとやらの単語に関連する形で、『例の計画』というものが存在するらしい。そして、恐らくは俺やエミィもその関係者。

 逆に言えば、俺に分かるのはそこまでだ。こうも未知の情報ばかりの話になると、全く脳みそが追い付かない。

 とは言え、分からないなりに自分の疑問は晴らしておくべきだろう。


「あの、話が全く見えていなくて申し訳ないんですけど。……そもそも、レイルズさんは、何で俺が電脳人バイナルの関係者って分かったんですか?」

「なるほど、そこから説明するべきか。……当たり障りの無いことで説明をしておこうか。つまり、私も電脳人バイナルの関係者だったことがあるのさ。その絡みで、あの機体……アンダイナスだったか、に似たリムを見る機会もあった。まぁ、それが置かれていた実家は無くなってしまったんだけどね」

「無くなった?」

「文字通りだよ。もう五年ほど前だけど、私の生まれたエヒトという街は消えた。総数一万にも上るバグの大群によって消し去られてしまった」


 自嘲気味なレイルズの声と共に淡々と告げられた話は、しかし。

 背筋を凍らせるような、過去にあった事実を告げる物だった。


「電脳人の関係者になるということは、そうした災厄との接点が多くなるということでもあるからね。危機回避のために話を聞かせて欲しかった、というわけだ」

『私としては、そのような事態を引き起こすことを望んではいないのですが』

「君自身が望もうと望むまいと、反対勢力というものは常に存在する。そして、電脳人バイナルの都合で振り回されるのは常に我々の側だよ」


 諭すような口ぶりに、エミィは沈黙した。

 こんな言われ方をされると、俺達が厄介者扱いされているような気分になってくる。


「……その、俺達はただ、元の居場所に帰りたいだけなんです。何か手掛かりになるようなこと、知ってたりしませんか?」

「真っ先に候補に挙がるのは、ユートがいたというレドハルト丘陵の施設だろうね」

『そちらは私の方で一通りのアクセスは試行しましたが、めぼしい情報は得られていません。権限も不足していましたし、何より現在は破壊されて使用不可能です』

「え、何時の間に!?」

『ユートが部屋の中で引き籠もっている間です』


 抜け目の無いエミィさんである。というか、ここで引き籠もりって言わないで欲しい。事情を知らない第三者に聞かれると死にたくなるから。


「となれば他の施設を当たるのが筋なんだろうが、受肉インカルナチオ設備システムを併設した賢人の雲バイナルクラウドの接続拠点は源流十三家ルート13でも首脳級の機密事項だ。傍流の私では、残念だが」

「……そうっすか」


 意気消沈して呟く俺。

 気になってエミィの方を見てみれば、意外にも落胆した様子などは見えない。折角見付かった手掛かりになりそうな情報があまり解決に結びつかないとなれば、もう少し落ち込んでもいいのに。

 ただ、発想としてはゲームクリアの条件をショートカットして、裏技的に目的を果たそうとしているだけだ。元から命令通りにすることを念頭に置いているのかもしれない。期待を持ちすぎるというのも良くないって事だ。


「すまないが、私から提供できる情報はこのくらいだな。何か役に立てばいいんだが」

「いえ、助かりました。むしろ、あんな真似してこっちが謝るべきです。……ほら、エミィ」

『……感謝します』


 砲撃する真似までしたことについて暗に非難すれば、不服そうだがエミィもさすがに頭を下げた。普通謝っても許されないからな。ノーモア威力脅迫。


「いや、こちらも少しばかり回りくどい言い方をした覚えはあるからね。両成敗、でいいんじゃないかな。……ところで、今までの話を聞くと君達は次の目的地をまだ決めかねているようだね?」

「そうっすね、街道まで出たら一旦何処かの街まで行こうかってくらいで」


 俺がそう答えると、レイルズが我が意を得たりという風情で笑顔を浮かべる。


「そうか。では、一つ提案が有るんだけどね」


 ◆◆◆


 翌朝である。

 いったん寝た後に大立ち回りの上で夜更かしして話したものだから、ちゃんと睡眠がとれたかと言えば全くそうとは言えないけどとりあえずは朝だ。


「眠いんだけど」

「そうですか。でも、レイルズ達はもう出発の準備を始めていますよ」


 眼下を見れば、レイルズの部下たちが世話しなくリムの間を走り回っている。どうやら、彼らはキャンプ中はテントで過ごしていたらしい。

 レイルズは社長なんだから居住性の高いリムの中で過ごしても不思議じゃないし、旅程ではテント生活が一般的なのかもしれないけど、この扱いの差はあんまりじゃないかな、とやはり至れり尽くせりなアンダイナスの中から俺は思う。

 が、見ればバーベキューグリルやらダーツのようなゲーム盤やらも片付けているところを見て、すぐに意見は引っ込む。大いに楽しんでるっぽいな。

 半笑いでそんな様子を見ていれば、ディスプレイの片隅で点滅するのは昨日も見た音声通話ウィンドウだ。


「レイルズからですね」

「俺らに音声通話してくる人、あの人しかいないしな」


 友達がいないやつの電話帳みたいだな、と思って、自分の携帯のアドレスをふと思い描き、そのまま頭から振り払う。


「そういや不思議なんだけどさ。なんで音声だけなの? 普通に映像で顔見て話すこともできるんじゃない?」

「プロトコルが音声に限定されていれば、侵入検知が容易ですから」


 外部からの侵入、つまりクラッキングが死活問題になるから、リムを動かしている間は必要のない通信をすべて切るのが基本なのだそうだ。同じ理由で、有人型リムの自動操縦や戦闘用リムの遠隔操縦も行われない。昨日あんな面倒くさい手段でレイルズが音声通話の希望をしてきたのも、この世界では割と一般的らしい。

 あらゆる攻撃に対して備えた結果が有人操縦ってあたり、技術の進歩でむしろ退化してるような気がするのは気のせいだろうか。


「あまり待たせるのも良くありません。繋ぎますよ」

「うん、頼んだ」


 通信が確立してわずかなタイムラグの後、声音まで優男なレイルズの挨拶が耳に届いた。


『やあ、おはよう。昨日は何だかんだと遅くなってしまったけど、よく寝れたかな』

「残念ながらあまり。まあ、眠いだけで他は問題ないです」

『エミィさんに操縦を任せて、移動中少しでも仮眠を取るわけにはいかないのかい?』


 それはいい案だなあ、と思ったが。


「移動中の操作は、ユートの希望で彼に任せることになっていますので」

『なるほど。ただ甘えるだけでなく、自分でできることは自分でというわけか。見直したよ』


 あっさりと逃げ道は絶たれた。まあいいよ、やりますよ。自分で言い出したことをあっさり翻すのもかっこ悪いし。


「レイルズさんの方は、準備にまだ少し掛かりそうですか?」

『キャンプ道具だからね、そう時間はとらない。あと十分もあれば出発できるはずだ。そちらは?』

「今すぐにでも動けますよ」

『わかった。では、すまないけど今後の予定と報酬については道中でいいかな。出発前はせわしなくてね。余裕ができたら呼びかけるから、通話チャネルはそのまま開いておいてほしい』

「了解です」


 こちらの返答を聞いてから、通話ウィンドウは緑色のままで音声だけ切れる。マイクのミュートでもしたんだろう。


「こちらも音声入力だけ切っておきますね」

「だな」


 見た目は大仰でも、やってることはゲームのボイスチャットなんかと大して変わらない。

 人間が使う以上は、こちらの常識から飛び出した突飛なものなんて出て来ないんだろうな。なんて思っていたら、レイルズ達のリムが折り畳んでいた脚を伸ばした。

 出発の時間だ。


 ◆◆◆


 レイルズの提案とはつまり、行き先が定まっていないなら一番近い街であるトキハマまで同伴して護衛をして欲しい、というものだった。何でも行程の遅れが発生しているとのことで、明日一日で一日半分の距離を消化するために夜も数時間歩く必要があるのだけど、夜間の移動は危険だから護衛が欲しいところだったのだという。電脳人バイナルに関わりたくは無いと言いつつも、さすがに護衛戦力無しでの陸路には懲りたらしい。

 正式な報酬は相場に則って払うし、お金以外にももう一つ報酬を用意するとのことで、片や身体無し、片や身寄り無しの一文無し二人は、そりゃ二つ返事で引き受けざるを得ない。話に乗ってもこっちは何も損しないんだから。

 とは言え、相場に則った金額というのが一般的な給料の一ヶ月分に相当する額だってことには流石に面食らった。戦闘用リム三機編成での対応が必要なマントデア型を一蹴できたことからすると、戦力で換算すれば妥当な額だって話だけど、その上でもう一つ報酬を用意すると言っているんだからどう考えても破格だと思う。

 そんなことを言ってみると、レイルズは笑いながら、


『昨日命を救われた分まで考えれば、充分釣り合うと思うよ』


 と言ってのけた。貴族は気前がいい。

 そしてもう一つの報酬は何かと言えば。


『君達がこれから活動するに当たって、身元の保証が何も無いのは良くないと思ってね。戸籍を用意しようと思う』

「戸籍……って、そんな簡単に用意できるものなんすか?」


 今後いつまでかわからないながら、身分が保障できなければ何かと困るだろうから、という話だった。考えてみれば、お金の遣り取りに必要な銀行口座にも身分保障が必要なんだから、作れる物なら有り難い限りではあるけど。


『普通ならね。ただ、今は少し特殊だ。昨日話したエヒトの話を覚えているかな』

「あー、確かレイルズさんの実家があったっていう……」

『戸籍情報は、基本的に各中核都市の管轄だ。だからエヒトが消失した際、そこに住んでいた人達の情報も失われた。もちろんバックアップもあるけど、暗号化されていたからデータはあっても元には戻せないという話でね』


 何しろ都市がまるごと消えるなんて事態は想定されていなかったからね、と少しだけ沈んだ声。


「じゃあ、それに便乗して?」

『その通り。エヒトが消失しても、戸籍があった住人が一緒に死んだわけじゃない。私のように他の都市に移動していたりね。だから、戸籍情報が失われた人のために有期措置で、紹介を受けた場合は他の都市で新しい戸籍が作れるようになった』


 つまり、紹介者がいれば簡単に戸籍が作れるって言う、穴だらけの制度になっているらしい。ただし二重での登録は生体情報も併せて登録することで避けられるようにはなっているってことだけど。まあ、今までこの世界に存在すらしていなかった俺には関係の無い話だ。


『あとは、名前も変えるべきかな』

「名前も?」

『私の遠縁ということで登録してしまうから、トキハマ風の名前は具合が悪いんだよ』


 意外と名前の響きはお国柄が出るし、設定上はレイルズの血縁になるのなら、響きも似た感じにした方がいいんだろう。

 と、理屈で考えると同時に、俺はこうも考えた。いや、大したことじゃない。むしろ、本当にくだらない。名前を決めるなんて、ゲームのセーブデータを新しく作る時みたいだな、なんて。ただ、それが俺の新しい名前のヒントだ。


「昨日、レイルズさん面白い名前の間違え方してましたよね」

『ああ、あれかい? その節は失礼した』

「いや、あれ使わせて貰います。元の名前からがらっと変えるのは、俺の性にも合わないし」


 つまり。


「ジュート=コーウェンで登録してください」


 これが、新しい俺の名前だ。

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