003.「事情説明」

 どこかに世界的な手品師でもいるのか、もしくは別の部屋だったのか。

 一時間と少しぶりに戻った、俺が10時間ばかりを過ごした部屋は、何もかもが無くなっていた。


「……なんで?」


 呆然と呟く俺に、


『やはりこうなりましたか』


 予想通りという感じの声で、中の人が言った。

 コオロギの化け物との命を掛けた鬼ごっこから大人げない威力の砲撃で救出されて、しかしどこか納得がいかない俺が連れて来られたのは、歩いてでも行くと言ってきかなかったこの部屋だ。

 部屋の入り口前で待機したメカゴリラから降りて、すぐに様子がおかしいことに気付いた。壁が全て消えて無くなっていたのだ。そして、トンネルとを隔てるものが無くなった部屋は、がらんどうと化している。

 あのメカムカデが食い破った跡も、薄ぼんやりと光る用途不明の機械の山も、それ以前にトンネルに散乱していたメカムカデの残骸も、何も無い。


「なんで?」

アルモルファムカデ型を確認した時点で、こうなるとは思っていました。あの種は、挟所の探索と金属資源の回収を行いますし、他の個体が捕食を始めた場所に集合する習性があります』


 二度目となる問いに、変わらぬ淡々とした声の返答。それは、ただ一つの事実を意味する。


「帰れないのか、俺」


 帰れない。

 その言葉が、今はただ頭を埋め尽くしている。


 ◆◆◆


 つまり、元の場所に帰れないと言ったのも危険と言ったのも、メカムカデ……アルモルファか、が大挙して機械を貪り食っていることを予測していたから、というわけだ。

 最初からそう言ってくれていれば、こんな徒労感も絶望感も味わうことは無かったのに。そう考えてしまうけど、実際は勝手な言い分だろう。言ったところで、その時の俺が素直に聞き入れたとも思えない。

 大体、今日一日だけで俺は二回も命を救われている。一体どこのヒロインだって話だ。それも、一回目は巻き込まれていたからまだしも、二回目はどう考えても勝手に暴走して、あろうことか付いて来るなと言った相手に助けを求めている。これで八つ当たり染みた発言でもしようものなら、目も当てられない。不人気ヒロインでもそこまで酷いのはそういない。


「死にたい」

『折角助けたのに、自ら命を無駄にしてどうするのですか』


 いやただの心理描写的な比喩表現です実際に死にたいわけじゃありません、と口に出すことすら億劫で、俺は操縦席の上で膝を抱えたまま。

 そして、そんな俺のことなんて知ったことではないという風に、メカゴリラは歩みを進める。既にあのトンネルは抜け出して、ひたすらに赤茶けた荒野を突き進む。


『……ユートはそんなに帰りたいのですか』

「決まってるだろ。いきなり知らない場所に放り出されて、ただ好きなところに行けって言われても困る。その上、帰れないとかどんな冗談だよ。おかしいこと言ってるか、俺」

『いえ。そう思うのが当然かと』

「なら放っといてくれよ……」

『理解はできますが、このまま放置もできません。ユートには、私と共に行動する意思があるかを確認しなければいけませんから』

「またそれか。あのさあ、さっきも聞いたけど何で俺なの。俺じゃ無いと何かまずいの? 大体、あんたも見ず知らずの男と二人で、目的も無く旅して来いとか言われて、文句とか無いわけ?」


 連れ回される方も大概だけど、案内をする方の負担だって相当だと思う。その上、同行者は言うこと聞かずに帰ろうとして、勝手に死にかけて助けを求める。……我ながら酷すぎる。

 だが、文句の一つも出てくる物と思っていれば、返された答えは意外なものだった。


『私には、果たすべき目的があります。それに貴方を巻き込んでしまうのは、申し訳ないのですが』

「全くだよ。意志を確かめるとか言ってたけど、普通そう言うのって連れてくる前にすることじゃないの?」

『私も、有無をも言わさずに連れてくるとは思っていませんでした』


 どうやら俺が何も知らずに呼び出されたことについては、想定外ではあったらしい。最初から微妙に会話が噛み合っていないとは思っていたけど。

 なら、ここで文句をこれ以上言ったところで、何にもならないんだろうな。釈然とはしないけど。


「……まあいいか。一応教えてよ、あんたの目的ってのを」

『ご協力頂けるのですか?』

「話す内容次第。つっても、帰れないんじゃ付き合うしかないんだろうけど。こんなとこに一人で放り出されても死ぬだけだし」


 それはもう身を以て体感した。理不尽極まりないけど、今の俺が安全を確保出来る場所は、このメカゴリラの腹の中だけだ。

 膝を抱えた姿勢を脱し、再度シートに座り直す。姿勢を正すことで、話を聞く姿勢を整えたことを示す形だ。


『感謝します。では』


 言葉を切って、同時に機体の歩行が止まる。脚の運びに伴った振動も無くなり、辺りは静寂の中。


「ユート、こちらを」


 聞こえた声は、今までの操縦席全周に響くものではなく、何故か真後ろから響いた。その方向に何があったかと思えば、今俺が座るものよりもいくらか小さいシート。

 振り返るとそこに、彼女が座っていた。

 黒髪のショートボブにつり目がちな目は、今までの淡々とした言葉に対してあまり似つかわしくない、と思うくらいには可愛らしい。

 着ている服は、白のワンピース。座っているから断定は出来ないけど、身長は百五十センチ前半くらい。声だけで感覚的に二十歳くらいと思っていたら、実際はどう見ても十四、五歳くらいだった。


「改めまして、ユート。貴方の水先案内人ナビゲーターを任されている、エミィです。そして、この子は”アンダイナス”。よろしくお願いします」


 この世界に放り出されてから、半日と少し。ようやく見ることが出来た同行者の姿に、しかし俺は何も言わずに立ち上がり、そのまま後方席まで歩く。

 その間、誰かが隠れることが出来る隙間やスペースが無いかも見て回った。着替えのツナギが入っていた小さなラゲージスペースは、似たような大きさの物が他に二つほどあったけど、人が入れそうな大きさじゃ無い。


「……ユート?」


 不審がる声を無視して、席のすぐ傍まで辿り着く。彼女、エミィは変わらずそこにいる。改めて言うとなんだが、こうしてまじまじと見てもやはり可愛い。じゃなくて、ただの女の子にしか見えない。

 けど、メカゴリラ……アンダイナスに再度乗り込んだ時、ここには誰も居なかった。それは確かだ。二人分のスペースが取られているとは言っても、そう広いわけじゃないから誰かが隠れていたとも思えない。

 意を決して、手を突き出す。しかし、


「……突然何をするのですか」


 エミィの肩を狙って出した手は、目で見えている物に反して何の感触も無い。となれば。


「幽霊?」

「違います」

「思念体とか」

「幽霊と何が違うのですか」


 いや、お約束として言っただけだ。概ね察しは付いている。


「立体映像ってこと?」

「そのようなものです。実際はユートの網膜に直接像を投影していますが」


 告げてから、彼女の姿が目の前から突然消える。


『顔も見せないで挨拶をするのも失礼かと思いましたので』


 今度は操縦スペース全体に響く声が聞こえ、またエミィが姿を現す。目の前で姿を消したり現されたりすると、そういうものだと理解はしていても頭の中が混乱してきそうだ。


「凄いな、本物の人間にしか見えない。でも、なら何で最初から姿を見せなかったんだよ」

「操機中は割り当てられた演算能力リソースの問題で、映像の生成と出力が出来ないのです」

「……エミィはこいつに同居してる人工知能か何かなの?」

「いえ、一応は人間です。ただ、貴方とは在り方が異なりますが」


 そこから説明しましょうか、とエミィは目を伏せる。


「私のような人間は、電脳人バイナルと言います。技術的なことは省略して説明しますと、人としての思考、感情、生体反応、身体的特徴や遺伝形質といった個体差まで、人間という存在を量子ビットバイナリー化して、高性能な演算装置上で作られた生活空間で生きる人間のことです。私の人間としてのデータは、今はこの子アンダイナスの中に存在しています」


 つまり、エミィは仮想空間で生きる人間の一人ってわけか。通称があるってことは、他にも彼女のような人間は複数存在するんだろう。

 異世界転移からのVRものとは、随分とジャンルのつまみ食いが激しいことだ。


「貴方と共に行動することと引き替えに、私には見返りが約束されています。それは」


 そして彼女は、目を開き俺に対して視線を向けてくる。


「人間の身体に戻ることです」


 ◆◆◆


 日が沈み、ディスプレイ越しに夕闇が迫っているのが見えた。赤い荒野はさらにその色を増して、空との境界をあやふやにしている。


「シート後方の右上の方にパネルがあります。はい、それです。開けたら中に糧食レーションが。その隣のパネルからは、飲料水の補給用チューブが出てきます」

 

 そして俺が何をしているのかと言えば、夕食の準備だ。思えば目覚めてから今まで、何も口に入れていない。そんな状態でよく外を歩き回ることができたもんだ。帰りたい一心だったとは言え、人間気合いで何とでもなる。と言いたいが、一度空腹を意識してしまえば気合いではどうにもならない。

 腹の虫が盛大に鳴ってくれたのは、エミィが自身の目的を打ち明けた矢先だった。耳聡く聞きつけたエミィが話の中断を提案してくれたのが幸いだ。緊張感の無い音を出しながら真面目な話を聞くのは間抜けにも程がある。


「糧食ね。これ、賞味期限とかは大丈夫なの?」

「極低温での非破壊乾燥処理を施されているので、パッケージに破損がなければ理論上は千年間問題ないそうです」


 フリーズドライ食品ってわけね。しかし千年ってまた大きく出たもんだな。

 そう教えられてから箱の重さに気を向けると、確かに一食分が収まっているとは思えないほどに軽い。


「使い方はパッケージに書かれているとおりです」

「書かれてるって言ったって、俺に読めるとは限らない……」


 ぼやきながら包装をぺりぺりと剥がしてみると、そこには多言語表記された中の一番下に見慣れた文字の一行が書かれていた。曰く、


 ---この糧食は水分還元調理専用です。注ぎ口から飲料水を指定量入れ、むらなく95度以上まで加熱して十分程度経過してからお召し上がりください。


 母国語が使えるって最高。


「と言っても、加熱なんてどうすれば」

「糧食の収納パネル横に、水分子振動加熱器があります」


 難しく言ったけど、つまりは電子レンジだ。見た目はシンプルな操縦席なのに、装備は至れり尽くせりだと思う。

 そして書かれた指示に従って待つこと十分と少し。

 手間とも言えない作業を経て出てきた食事は、ボイルドポークに魚肉のホワイトシチュー、味付き温野菜、クラッカーにコンソメスープと見た目にはそれなりに豪華な代物だった。嘘みたいだろ、これ保存食なんだぜ?

 だけど、見た目と味が一致しないのもよくある話。不味くても文句言わない、空腹は最高のごちそう、と言い聞かせて口に入れても。


「……いける」


 保存食という響きに味気ないものを想像していた俺には、大変衝撃的な味だった。旨いよ。空腹だってことをさっ引いても普通に旨いよ……。

 そういや、軍隊とかでも兵士のやる気に関わるから、食事には大いに気を遣うって話を聞いたことがある。とりあえず美味しいものを食べれば、たとえ一人の食事だろうが多少でも気分は上向く。そういうことなんだろう。

 そうして食事に集中し、スープまで飲み干したところで、エミィが俺を見つめている事に気付く。やや微笑んでいるように見えるのは、それは気のせいなのかどうか。


「ごめん、話の腰折っちゃって」

「いえ、構いません。私に食事は必要ありませんが、空腹が辛いのは何となく憶えていますから」

「人間に戻る、って言ってたもんな。その頃の記憶はあるの?」

「……曖昧にしか。自然が多いところで暮らしていたことは記憶にあるのですが、両親の顔も思い出せません。あとは、弟のような友達がいたことくらいで」


 懐かしむようにエミィが言う。電脳人とやらがどうやって生活しているのかは知らないけど、親や友達といきなり引き離されたとなれば、知らない場所に無理矢理連れて来られた経緯は、少なくとも合意の上でってわけじゃないんだろう。


「つーかそれ、今の俺の状況と同じなんだな」


 きょとんとした表情のエミィに、俺も自分の住んでた場所から知らない場所に放り出されて、天涯孤独の状態だ……と伝えれば、納得がいったらしい。


「状況から考えるとさ。エミィをそんな状態にしたのも、俺をこの世界に放り出したのも、わけ分かんない命令を出した奴も、全部同一人物と考えて良さそうだ。エミィはそいつのこと、知ってるの?」

「私も直接見知っているわけではないのです。ただ、ユートのことを私に伝え、実際に私をこの子アンダイナスの中に送り込んだことを考えれば」

「まず間違いは無い、か。けど、そいつ相当性格悪いな。誘拐しといて、身代金代わりに本人に命令するとか。手の込んだことする割に、やらせることに何の意味があるかも分からないあたりも不気味だ」


「ただ、私としては今のところ、言われたことに従うほかありません」

「それは俺も同じだよ。少なくとも、そうしなきゃ俺は冗談抜きで死ぬしか無い」


 仕組んだ人間が何を目的にしているかは全く解らないけど、俺もエミィも何かの思惑でこの状況に置かれたことは間違い無い。反抗しようにも、俺は一人になれば死ぬだけ。エミィは俺を連れ歩かなければ人間としての身体に戻ることも出来ない。

 回りくどいやり口ではあるけど、そうせざるを得ない状況まで追い込んでいる。仕組んだ奴は相当に底意地が悪い。


「……ユートには、どこか人が暮らす場所まで移動して、そこで降りるという選択肢もありますよ」


 しかし、エミィはそんなことを申し出てくる。

 それが何を意味するかは、彼女自身重々承知の上だろう。にも拘わらず、俺のことを慮ってそんなことを言ってくる。

 ——不本意ながら、貴方をここから連れ出さなくてはいけないことになっているので。

 あれは、こういう意味で言っていたのか。


「それで家まで帰れる保障があるなら、是非受け入れたい提案だけどね。たぶん、そうするには俺をこの場所に送り込んだやつを納得させるしか無いんだろうな、癪だけど」


 少なくとも、今の時点で俺は帰る手段が無く、そしてそれが出来るはずの黒幕に繋がる道は、エミィと一緒に行動すること以外に無い。大体、そこで俺が降りることを選択した場合、彼女がどうなるのか。


「エミィは身体を持った人間に戻りたい、俺は元の世界に帰りたい。一蓮托生ってわけだ。付き合うしかないでしょ」

「有り難うございます。……私を、人間にしてください。その代わり、私が貴方を元の世界に帰します」


 日はとうに沈み、あたりは闇に包まれて。

 画面越しに星明かりだけを取り込んだ暗い操縦席で、茫と浮かび上がるエミィは申し訳なさそうに、しかしどこか嬉しそうに、そう言った。

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