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 お母さんからの迎えが来るまで、私はヒースくんと遊んでいた。どちらかの親が迎えに来るまで、二人で一緒に過ごすというのが毎日の日課だった。その日は、初めてのことだったろうか、私のお母さんとヒースくんのお母さんとが、同時に迎えに来た。


「貴方がヒース・イシャーウッドくん? 初めまして、メリエルの母です」

「はじめまして、ヒース・イシャーウッドです。よろしくおねがいします」

「とてもきちんとした息子さんですねー」


 道中知り合って話しながら此処まで来たのか、私のお母さんとヒースくんのお母さんは楽しそうに談笑していた。


「ヒースったら家ではメリエルちゃんの話ばかりなんですよ」

「家もですよ。こんな良い子がメリエルと仲良くしてくれて、嬉しいです」

「いえいえ、こちらこそ、こんな可愛いらしい子となんて」


 早く玩具を片付けて帰る用意をしなさい、といつもは口を酸っぱくして言う側のお母さんたちは、暫くその場でお喋りに夢中になっていた。私とヒースくんが遊んでいた積み木を片付け終わっても、帰る支度を済ませても、お喋りを中々切り上げない。

 ヒースくんはじっと静かに待っていたが、私は待ちかねてお母さんの服の裾をくいくいと引っ張った。


「おかあさん、かえらないのー?」

「メリエル、もうちょっと待ってくれる?」

「えー、おしゃべりするなら、うちにきてもらえばいいのにー」


 私が耐えかねてそう言うと、お母さんは「その手があったか!」とでも言うような顔をして、ヒースくんのお母さんを家に誘った。最初こそ遠慮していたヒースくんのお母さんだったが、こちらもまた話し足りなかったのか、イシャーウッド親子を自宅に招くことになった。


 私のお母さんとヒースくんのお母さんがお茶をしている間、私はヒースくんを家の庭に誘った。


「うちね、さいきんはたまに、ねこがあそびにくるの」

「ねこ?」


 それを聞いたヒースくんは、いつかのように目を輝かせた。


「どこかのおうちのねこ?」

「わかんない。でも、ひとなつっこいよ」

「なでれるの?」

「うん。だっこもしたことあるよ」


 わくわくと期待していたヒースくんを裏切らないかのように、その猫は鳴きながら姿を現した。脚だけ靴下を履いたように白い、その他は真っ黒な毛並みの猫だった。


「くつしたー」


 私はその猫を〝靴下〟と呼んでいた。見たままの安直な名前だったが、そう呼ぶと猫は一鳴きして私に擦り寄って来るのだ。私の脚に纏わりつく黒猫の背中を撫でながら、私はヒースくんを誇らし気に見た。

 呼べば応える猫に、ヒースくんは更に目を輝かせた。ヒースくんも〝靴下〟と呼ぶと、今度はヒースくんの手に体を押し付ける。その様を見ていたヒースくんは、感動と驚きの綯交ぜになった顔を私と合わせ、嬉しそうに笑った。


 猫を可愛がっていると、猫の耳がぴくりと震え、すたすたと私たちの元から離れて行った。この猫はサービス精神旺盛だが気まぐれで、いつも突然庭から居なくなってしまう。

 残念そうに猫を見つつも無理には引き留めないヒースくんを見て、私は思い付いたことを提案した。


「ヒースくん、くつしたをおいかけようよ」


 お母さんには聞こえないように、ヒースくんの耳元でひそひそと言った。ヒースくんは吃驚していたが、私とヒースくんのお母さんたちをこっそり振り返るタイミングが重なって、可笑しくなって小さく笑い合った。

 庭から玄関に回り込んで、靴を履いて、私とヒースくんは猫を追いかけた。塀を悠々と歩いているところを見付けて、二人でその塀に駆け寄る。猫は私たちをじっと見下ろした後、興味を無くしたようにまた歩き出した。私とヒースくんも、その猫の後をついて行ったのだった。


 私はヒースくんと一緒に居ることで、気が大きくなっていた。そして、何処に行くかも分からない猫の後を大人に秘密にして追いかけるというのが、背徳感を擽って浮かれていた。

 だから、私を誘拐しようとしている人たちが今も狙っているかもしれない、という意識が彼方に飛んでしまっていた。


 塀を降りた猫は道路をすたすたと歩いた。私とヒースくんも、その後に続く。猫はするりと車の下に身を隠した。私とヒースくんも、屈んで車の下を覗く。「あれ?」私たちの声は重なった。猫は何処にも居なかった。

 瞬間、車のドアが勢い良く開き、口元を抑えられ車内に引き摺りこまれる。


「ふっう……! ぐうぅう!!」


 純粋な力技のもとには、私の超能力も抵抗も意味を成さなかった。

 車のドアが閉められようとした時、ヒースくんの瞳に冷酷な光が過る。ドアから座席から、車一台が丸々氷漬けになった。ドアに手をかけていたその人の腕に至るまでもが凍っており、怯んだその人は力を緩めた。その隙を突いて腕から逃げ出す。


「メリエルちゃん!」


 ヒースくんに手を引かれながら、私たちは走り出した。後ろを振り返ってみたが、其処には氷漬けの車が停まっているだけで、誰かが追ってきている気配は無い。軈て角を曲がり、それも見えなくなった。


「メリエル! ヒースくん!」


 家に近付くと、私のお母さんが駆け寄ってきた。ヒースくんのお母さんも居る。どうやら、私とヒースくんが家を抜け出したのに気付いて、探しに来てくれたようだった。


「良かった……っ、二人とも、無事?」

「うんっ」


「おかあさん、メリエルちゃんをつれていこうとしたやつが、あっちに」


 ヒースくんは冷静に報告し、顔を青くしたお母さんたちは直ぐに警察に通報した。現場には氷漬けの車しか残されていなかったらしく、実行犯の確保にまでは至らなかった。私とヒースくんは警察に詳しく事情を聴かれ、解放されたのは空の端が黒く染まりつつある頃だった。


「ヒースくん、たすけてくれて、ありがとう」

「ううん、ぼくがもっとちゃんとしてれば、」

「なにいってるの! わたしのせいだよ」


 猫を追いかけようと提案したのは私なのに、その時のヒースくんは酷く思い詰めた顔をしていた。銀色の前髪が、湖のように青い瞳に影を落とす。


「ヒースくんは、わたしのヒーローだよ」


 その言葉は本心からだ。ヒースくんには一度ならず二度までも助けられ、彼が居なければ今頃どうなっていたか考えたくもない。

 ヒースくんはゆっくりと伏せていた顔を上げた。先程まで揺れていた瞳には強い意志が灯り、私を真っ直ぐと射抜く。


「これからは、ぼくがまもるから」


 夕焼けが色素の薄い髪に映り、真剣な顔をしたヒースくんが、まるで知らない人のように見えた。私は綺麗なその色から目を離せないまま、こくりと一つ頷いた。

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