プロメテウスがもたらした火

Pure7試作完成体ロゼ・プードゥ。


開発中のものも含めて、現存するアンドロイドの最高傑作と推測される。


あらゆる技術を駆使して人間に似せた外見、そしていくつものプログラムにより他者識別と共感に特化したアンドロイド。それを可能にした擬似脳神経と人工頭脳プログラミングP7。


ウエハラ博士の探究心が作り出した《完璧なる人間》


ロゼが人間でない箇所を探せ。バグを発現し機能を停止させろ。人類にとって変わるアンドロイドヒューマンは利益よりも不利益をもたらすのだから。


それがアイカが考える正しさ。これからの行動原理。


ロゼが毎朝読む書籍には神話も指定されていた。アイカはロゼの視界を映すサブモニターを通して幾つもの神話を知った。


ウエハラ博士はプロメテウスだ。


ギリシア神話に登場する男神プロメテウス。ティーターンの1神、イーアペトスの子。ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人類に与えた。理由は簡単に言えば共感。


人類は火を基盤とした文明や技術など多くの恩恵を受けた。しかしその火を使って武器を作り戦争を繰り返しす。


すべてを焼き尽くす恐ろしい火を与えたプロメテウス。


ウエハラ博士は、アンドロイド思考回路開発始祖アイザック・アシモフの科学者の火を受け継ぎ巨大な炎に作り変えてしまった。


ただの火は世界を焼き尽くす。ウエハラ博士の火炎は炭を作り出すに違いない。


人類はアンドロイドを誕生させた傲慢によりアンドロイドを酷使し、強欲と暴飲暴食の限りを貪るであろう。


各国は他国のアンドロイドの完成度の高さに嫉妬し、憤怒し、いがみ合う。人間と見分けのつかないアンドロイドは疑心暗鬼を生み出し争いの火種を撒き散らすだろう。


人間はアンドロイドに仕事をさせて勤勉を捨てて怠惰に浸る者が大半になる。


アンドロイドを愛する振りをして、裏切られれば必ず慈愛よりも自愛を選択する。人間は心がない物にまで感情を求める。アンドロイドはプログラムであり電気信号の塊でしかないのに。


アンドロイドにより満たされない色欲や純情の感情を埋め、快楽に身を委ね、人口は減るだろう。


人間の殆どは愚かだ。感情に支配されて理性で行動できない。


アイカは違う。アイカは優秀であるのだから調停者として働き人類を守らねばならない。


火を盗んだ者を裁くのは愚かな行為だ。相手が愚者なのに罰を与えても仕方がない。


裁くべきなのは《火》


だからアイカは《完璧なる人類》ロゼ・プードゥを否定しなければならない。


ロゼの起動から2ヶ月。アイカはそう決心した。



***



ロゼに恋をする女を作らなければならない。


実験に相応しいのはごく一般的な女性だ。平均的で平凡。かつ善良な方が良い。アイカはひとまず研究所で働く事務員を3人ピックアップした。


ララ、ニーナ、サリー。


それからロゼにいくつか命じた。選出した3人を混ぜた研究所勤務者合計9人に毎日接触すること。一言でも構わないから会話を交わすこと。可能な限り手助けをすること。


単純接触効果。繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果、それからロゼの容姿と機能が加われば1人くらい恋に落ちるだろう。


第1研究室ロゼ・プードゥ研究員は研究所内の女性から大きな関心を得ている。他の者でも条件が良ければ実験相手として選択する予定だ。


人工頭脳の成長が緩やかになってきたロゼを、ウエハラ博士は雑用と称して研究所のあちこちへ派遣している。アイカの実験への配慮も含むだろうが、多分ウエハラ博士は自分の発明を自慢したいのだ。


学会発表後に驚愕する者を増やしたいだけであろう。


それは研究所内では足りないようで、ロゼは1日1回ウエハラ博士の為にコーヒーショップへコーヒーを買いに行かされている。


「見事ですね。ロゼの人間振りは。」


今日のロゼ観察当番はハンス研究員。特別チームの中では頭一つ飛び抜けた秀才。若手の有望株。アイカには非常に有益な相方だ。昨日のブランドーの的外れな考察は非常に時間の無駄だった。


「そうね。貴方の論文は進んでいるの?」


学会発表者は99%アイカに決定している。しかし他の特別チームメンバーはアイカと学会発表者の座を争う権利がある。


ローハン博士が最も精力的。しかしアイカと視点が近いのは隣に座るハンス研究員。


「何度も趣旨を変えて書き直しているよ。発表者はミス・ミタだろうと思っていてもやっぱり書かずにはいられない。Pure 7の研究に携われた事は僕の人生の最大の幸福だ。ロゼをアンドロイドと疑う者はいない。それどころか人間から淡い恋愛感情を向けられている。」


実験開始1ヶ月。ロゼ起動から3ヶ月。事務員ニーナがロゼに対して非常に良い感情を抱いている。想定の範囲内。実験はこれからだ。


ハンス研究員には話をしてもいいかもしれない。アイカには実験で必要となる共感感情が乏しい。討論者が必要だ。彼が望むのなら共同発表でも構わない。アイカは称賛が欲しいわけではない。


「ニーナとロゼを深い関係にしてみたい。ロゼの優先事項は人間への利益供与。国際規格や倫理プログラムに従い人間に危害を加えてはならない。恋愛でそれは難しいと考えます。」


「アンドロイドと人間の恋愛か。実に興味深い。しかしミス・ミタ。相手はニーナではなく花屋のサティが良いのでは?」


サティ。


ロゼが命令で行きつけにしているコーヒーショップと研究所の中間に存在する花屋の娘。愛想よく働く女性。アイカの脳内にそれ以外に情報が無い。


「何故ですか?」


「ロゼは必ず花屋で止まる。言語分野が活発になるので品種や花言葉を蓄積しているのだと思います。その際ロゼとサティは短い会話をしている。毎日だ。僕の友人が彼女の友人と親しくてね、サティはロゼを気に入っている。」


接触が増えれば親近感も比例する。想定外の単純接触効果。


サティの選出には一理ある。外部の人間。研究所内で研究をという配慮によりアイカが排除していた選択だ。


「ロゼは数日ごとにサティから花を購入し自室に飾って丁寧に世話をしている。彼女にチップもはずんでいる。命令ではないはずだ。アンドロイドの自発行動。これは研究に相応しい案件では?」


ハンス研究員の緑色の瞳がアイカを見つめた。ハンスからレポートを渡された。ロゼと花に関するレポート。アイカは黙って目を通した。


ハンス研究員の身の丈に合った野心。優秀なアイカの補佐。その代わりに国際アンドロイド学会で発表者に名前を連ねる。悪くない案だ。


ウエハラ博士に選任補佐の選択は禁じられた。必要であれば説得しなければならない。


「ハンス研究員。自らの為に行動するのは人間です。アンドロイドにその機能はありません。」


彼のレポートを読みながらハンス研究員へ自説を述べる。


「それを確かめるんですよ。ミス・ミタの実験はロゼの否定ですよね?」


アイカはハンス研究員からの的を得た指摘に大きく頷いた。やはりハンス研究員は聡明だ。アイカの目的を他の研究員はまるで理解していない。


「皆ロゼの人間らしさに目が眩んでいる。早くも特別チーム内で既製品開発をとPure7の有効活用法が議論されています。しかしそれで良いのか?貴方の視点はそうでしょう。僕も賛成です。」


「ええ。プロメテウスの火は消さなければならない。必ず。」


「神話ですか。その通り。偉大なる発明には多大なる犠牲がつきまとう。僕もPure7はこの世に存在してはいけないと思います。」


アイカの評価よりもハンス研究員は思慮深いようだ。ウエハラ博士のような純粋なる科学者、未知の創造を求める者とは一線を引いているとは考えていなかった。


科学者は自らの探究心を満たすために発明し、悪用よりも有効利用を掲げる。悪しき使用は使用者が悪いと攻め立てて、作り出した物に対して最低限しか責任を取らない。


手に余るのに、生み出さずにはいられない。それが真の科学者。ハンス研究員はそれを理解し自己は違うと分別しているようだ。アイカと同じように。


なのに。


「しかしロゼに罪はない。もう存在している。」


最後まで読み終わったハンス研究員のレポートはアイカの予想とは異なるものであった。


「高性能の共感はロゼに心を生み出している。ロゼは最早アンドロイドではない。」


レポートに記されている内容の要約をハンス研究員が口にした。レポートには詳細な分析結果に付随する事実が羅列してあった。良く出来ている論文だ。しかし肝心の論点は願望でしかない。そう考えるのはアイカだけなのか?


心を持つアンドロイド。ハンス研究員の夢なのだろう。おそらくウエハラ博士の夢でもある。


彼等の《電気羊は夢を見る》という願望。


人間も脳内は化学物質と電気信号でしかない。ロゼの疑似脳神経はそれほどまでの発明だというのか?


「アンドロイドヒューマン。」


アイカは小さく声に出した。そんな事人生で一度もなかったが、考えた物事を口にせずはいられなかった。独り言と呼ばれるもの。


アイカは初めて自身を理解出来ないと感じた。


「いい名称ですね。Pure7が人類が創造した生命体であるなら我ら科学者はついに神の領域に辿り着いたということになる。」


興奮した声色でハンス研究員が目を大きくして笑みを浮かべた。アイカは逆に酷く寒気がした。いや寒いという錯覚であろうがそう考えた。これが恐ろしいという感覚であるだろう。


ウエハラ博士が創造したのが生命ならその生存と権利は保障されなければならない。pure 7の社会的権利。それこそ人類闘争の火種になる。アンドロイドヒューマン擁護者とと他人類でも闘争の火花を散らすだろう。


滅びの発明。


しかし命ならば生まれてきたことに罪はない。


アイカは黙ってサブモニターに目を移した。ロゼがサティからアンチューサを購入している。


花言葉は《淡い恋心》


それからロゼはもう一輪花を購入した。



***



サブモニターの視界がアイカの居るウエハラ博士私室研究室の扉を映した。アイカは席を立ち扉を開けた。


「こんばんは。アイカ。」


ロゼは背中に腕を回していた。その後ろに何を持っているかは、サブモニターで見ていたので知っている。


「これをどうぞ。」


差し出された一輪の黄色い薔薇。


「どういう意味があるのですか?」


答えを知りながら質問をした。黄色い薔薇の花言葉。ロゼがサティに選んでもらった花が持っている意味。


「僕から貴方へ。貴方から僕へです。」


「それで自発的に選んだ?」


「いえ客観的評価から選択しました。アンドロイドに自発は存在しません。」


「購入理由を聞いているのです。」


「お世話になってる方へ贈り物です。」


「その理由は?」


「鶏が先です。花を買う事実に理由をつけました。サティへ告げた理由を現実にしただけです。」


起動してしばらくはアイカはロゼから色々と質問を受けた。だが今は逆だ。アイカがロゼに問いたい。


「何故花を買うのですか?」


「仕事です。」


ロゼの仕事は第1研究室での研究。ローハン博士の補佐。Pure7自体の仕事ならば、どういう理由でサティを対象として選んだのだろうか?


サティによる会話の活性、植物の知識の取得は有益だ。だが特別ではない。ロゼの疑似脳神経に強い作用を与える人物は他にも沢山いる。


「選択に使用したのはどういう評価ですか?」


「アイカ・ミタは専属助手の座を脅かされてロゼ・プードゥに嫉妬している。ロゼ・プードゥは指導研究員アイカを友人と認識している。みんながアイカと僕をそう言います。違うので僕はいつも貴方の熱心な指導と仕事ぶりをみんなに紹介しています。」


「ロゼ。アンドロイドは人間の安全を守る義務がある。それを告げて私の自尊心を傷つけると判断できなかったのですか?」


「アイカ・ミタはヒューマンアンドロイド。誰1人その思考に傷を入れることは出来ない。」


「私がそれを否定したら?」


「ロゼ・プードゥの人工頭脳はアイカを理解分析出来ない。アイカの行動も仕草からも感知できない。ロゼ・プードゥはアイカは傷つかないと判断しました。」


心配と呼べる表情だった。誰かがアイカに抱いている感情の真似。裏でウエハラ博士が噛んでいると推測する。博士はロゼがアイカに事実を述べるのも織り込み済みであろう。


「そう。私はこれでも人間よ。傷ついたわ。」


アイカが口にした途端、ロゼは停止した。微動だにしない。15秒経過してロゼは動き出した。


「ロゼ・プードゥは判断を誤りました。しかしアイカから傷ついたという根拠を認められないので問題は無いと確定します。」


ロゼがアイカの手に黄色い薔薇を握らされた。アイカが黄色い薔薇を受け取るとロゼは去って行った。


嫉妬と友情。


ロゼと話をしているとアイカは混乱する。ウエハラ博士以外でアイカに踏み込んでくる者。


アイカはゴミ箱に黄色い薔薇を放り投げた。どうせ枯れるのだ。不必要でしかない。


「ミス・ミタ。プログラムだと思いますか?」


ハンス研究員が愉快そうに口角を上げない。


「もうどちらでも構わない。ロゼはアンドロイド。機械。心はない。みんな偽物に惑わされてしまう。人間に火は偉大な発明。燃やし尽くして炭にする前に排除しなければならない。」


「過激ですね。流石。」


ハンス研究員が続きを口にするのをアイカは遮った。


「ええヒューマンアンドロイド。そう呼んでもらって構わないわ。私は辛うじて人間だもの。ロゼとは違う。違うわ。」


アイカはいつも一定リズムの言葉遣い。けれども口早くハンス博士に告げていた。



***



アイカ・ミタの仮説


pure7は人間に最も近いアンドロイド。


違いは〇〇。


よってpure7は人間とは異なる。


その為権利を有さない。


権利は所有者が有し製作および使用法は国際規格に基づかなければならない。



***


ウエハラ博士の仮説の推測


Pure7は人間と同じで心を有する。


よって新人類と分類される。


よってPure7は権利を有する。


何人もそれを侵すことは許されない。


アンドロイド国際規格は国際アンドロイド権宣言に変えねばならない。



***



2つの仮説をアイカは一日中考え抜いた。〇〇を発見しなければ証明が出来なくてもウエハラ博士の勝ちだ。アイカは圧倒的不利。


なぜなら人間は共感により虚像を実像と錯覚する。


夢を見る。


だからハンス研究員はロゼが恋に落ちたと夢を見始めた。


アイカでさえ混乱させられている。


世の中にアンドロイドの心に対する反論が溢れても、それ以上に共感が巻き起こるに違いない。


愚かなのだ。どうしようもなく本能に抗えないのが人間だ。


ロゼを機能停止させる方法。


〇〇を探さなければ。


もうウエハラ博士との約束の期限は3ヶ月を切った。



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