9

「放免?」

叔母の言葉を聞いて、アレクセイの頭は、一気に真っ白になった。

「放免って、じゃあ犯人は、ナオミを撥ねて死なせて、それでも無罪放免になったのか!」

叔母は、言葉もなく頷いた。

「そんなはずはない! 人を殺したんだぞ! それも白昼だ。叔母さんも見たんだろ? 他にも、たくさんの人間が見ているはずだ!」

「それはそうだけど、でも、仕方がないのよ」

「仕方がない? 何が仕方ないんだ?」

アレクセイは完全に混乱していた。

白昼で人を殺した。証人もたくさんいる。どうして無罪放免なのだ? 訳が分からない。

「仕方がないのよ。彼女は劣等民だから」

「劣等民? なんだ、それは?」

「劣等民よ。原住民のこと。法律は知っているでしょう? 移民は優等、原住民は劣等。劣等民は殺されても仕方がないのよ。それに、撥ねたのは優等民。優等民に劣等民が殺されても文句は言えないわ」

「法律って、ここはクリーンスケアだぞ! 移民も劣等民もない! それに、優等民だからって、交通事故で人を撥ねて許されるわけがないじゃないか! 人を殺したんだぞ!」

「確かに、クリーンスケアは差別の法律を受け容れてないわ。でも、撥ねたのはマリンゴートの優等民よ。暗黙の法律があるのよ。仕方がないの。ナオミさんは家族もいないし、友達も少なかったでしょう。弁護する人もそのためのお金もないし、私たちにも、もちろんそんな権利はない」

「暗黙の法律って、何だよ、それ!」

声を上げて、アレクセイは立ち上がった。

体中の震えが止まらない。怒りに頭がどうにかなってしまいそうだった。強く握った拳を更に強く握り締める。爪の先が掌に食い込んできてもまだ強く、まだ強く握り締めた。

「それじゃあ、優等民族なら、移民なら何をしても許されるのかよ! 人を殺しても、何をしても! それじゃあ戦場と変わらない!」

「そうだね」

うなだれたまま、叔母は言った。

「ここも、戦場と変わりないかもしれないわ。何だかんだ言っても、この様だものね」

そう言って、叔母は俯いた。俯いて、声を殺して泣いた。

悔しかったのだ。

目の前で自分の息子同然に可愛がっていたアレクセイのガールフレンドが、それこそ娘同然に付き合っていたナオミが撥ねられても、何にもできなかった自分の事が、許せなかったのだ。

叔母が見てきたものは、アレクセイの見たこと、知っていることよりもずっと残酷な事実だっただろう。

血まみれで道路の真中に倒れるナオミ、過ぎ去る車、ただ見ているだけの周りの人間たち。救急車を呼んでナオミをここまで運んだのは誰だったか。倒れている彼女を見て駆け寄ったのは誰だったか。

今なら、分かる。

姉、ヘレンの感じたこと、そして、その気持ち。

「戦場と変わりがないなら」

アレクセイは、慟哭する叔母を見ながら呟いた。

「戦場と変わりがないなら、変えていけるほうがいい。戦わないで嘆いているよりも、何かをしていたほうがいい」

でないと、おかしくなってしまう。悲しみと怒りに支配されて何もできなくなってしまう。そう感じて、アレクセイは恐ろしくなった。

するべきこともないまま、ただ怒りを押し殺して悲しみに塞ぎこんでいる毎日。用意されたかりそめの平和に乗りかかって悶々とする毎日。

それに埋もれてしまう自分が怖かった。

「叔母さん、僕は、マリンゴートへ行く」

叔母が、俯いていた顔を上げた。

「ナオミの犠牲は、無駄にできない」

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