常敗無勝と無神経の抗い

drink

第1話

「でっか…」

 一人の少年、悠はため息に近い声量でそう言った。梅雨明け空を背景に、輝きを失いつつある瞳へ写し出されているもの。それは彼の住処の廃れたアパートではない。ましてや、最近アルバイトを始めたブラック企業でもない。

 ヒノキ林からすっぽりとくり抜かれた異質の空間が、悠の目の前にはあった。悠は目を強く擦りつけ、再度首を降る。

 右を見れば広大な庭園。左を見れば豪快な噴水。そこは彼の生涯とは程遠い位置にあるはずの大豪邸だった。

 中世貴族ご用達の空間を、悠はにわかに信じられなかった。ここは間違いなく信頼と実績を謳う日本である。そして何より、泣く子も鼻で笑うゆとり教育を掲げる現代なのだ。しかし、この光景はあるべき事実を否定している。

 緑の端部に滴る露と、微弱に射し込む光のラインがあるはずの無い幻想を魅せる。民草には立ち入る事すらおこがましい、風景はそう物語っているようだった。「これは夢だ……そうだ夢なんだ!」と現実逃避をしては、自らの頬をつねる。何度やっても痛いものは痛い。それでも悠は同じサイクルを繰り返し続けた。

 惨めで味気ない我が人生に、こんな白昼夢のような世界は存在しない。悠は、そう目の前の現実を否定したかったのだ。

 頭の中がカオスになっている悠を見るに見かねたのか、彼の隣にいた少女は口を開いた。

「何度見たって景色は変わらないよ。ほら、早く中へ入りましょ。私のジョーカーさん♪」

 無理矢理、悠の手を引っ張り─それでも握る力は優しかった─黒髪美少女は屋敷へ駆け上る。しかしながら、悠は少女を見つめ、腑に落ちない何かに違和感を感じながら思った。

 どうして、こうなったんだっけ?



 悠の過去を語るには然したる苦労はない。常敗無勝。人生の負け犬。その言葉に尽きる。

 ゆとり教育の甘々な蜜を余すことなく吸い付くし、高校受験で合格確実と言われたところで綺麗に転び、泣く泣くアルバイト生活をすることになってみればブラック企業に当たる。

 特別不幸という訳ではないが、人生の分岐点、いわば勝負所という場所で派手に転びまくる。そんな男だ。ついでに言えば、両親は本人の知らない場所で蒸発し、行方不明ということになっている。この際、死んでいようが、生きてようが、最早彼には関係ないことであるが。

 悠の前に少女が手を差し伸べたのは、そんな矢先のことだった。

 霧雨で僅かに"もや"がかかっている中でも、その姿は鮮明に記憶へ刻み込まれた。

 艶のある黒髪ではあるものの、大和撫子などの和風美人とは言い難い。もっと、どこか茶目っ気のある感じだった。おしゃれな服の装飾に負けず劣らず、少女の顔立ちも可愛らしい。百万ドルもはたいて魅せる夜景なんて、比べるまでもないくらいに美しさが際立っている。

 一目惚れ。まさにその通りだった。

 このテンプレートな状況。そして謎の美少女の出現。本来フィクションでしか描かれることのないワンシーンが、悠を中心として現在進行で繰り広げられている。

 悠はこの後の壮大な勝ち組人生をふと想像した。いや、してしまったのだ。

「君の人生を全て変えてあげる。代わりに、私のジョーカーになって♪」

 ジョーカー、道化師の意味を持ち、トランプなどでは切り札となり得るワイルドカード。そのはずなのに、美少女の口から発せられたその言葉は、その笑顔は、異様であり、威容だった。

 悠がそれに気づいた時には、既に美少女の手を握っていた。彼女の後ろには既にリムジンが待ち構えている。後戻りの出来る状況では無かった。

 常敗無勝の少年は、再び人生の分岐点で間違えた。心底そう思った。



 悠が屋敷に一歩踏み入れると、早々に目を細めた。視線の先には玄関の天上に釣り上げられている輝きが燦々と降り注ぐ。それは、いわゆるシャンデリアというものだ。もちろん、現代格安物件の最前線を突っ切る悠は見たことがない。そして、生涯これっきり見ることもないだろう。

「俺、シャンデリアとか初めて見た」

「大げさだよ。絶滅危惧種じゃあるまいし」

「絶滅危惧種というより未確認生物のほうが近いけどな。1Rアパート一筋舐めんな。あぁ、目がこそばゆい」

「すぐそんな事言う。今日からあなたのお家になるかもしれないの。文句言わない!」

「なにそれ、初耳なんだけど」

「私も初めて言ったもん」

「え?」

「え?」

 屋敷に入ってから話がいまいち噛み合わない。紅いカーペットの敷かれた廊下に踏み込んではすぐさま立ち止まり、二人は顔を見合わせた。微妙な雰囲気が周囲に漂う。いや、正確には悠の周りのみ。少女は微々たるほどに首を傾けただけである。

 鈍感、思春期真っ只中の少年の頭にはそんな言葉がよぎる。いや、世の中そんな都合の良いものはない。そんな現実主義的な考えにたどり着いた。悠は脳裏に浮かんだ『鈍感』という言葉をかき消し、何の迷いもなく『無神経』と記した。

「そんな事は良いから行きましょう♪」

 何も無かったかのように振る舞う少女は陽気に歩みを進めた。


 ほら、やっぱり。何でも可愛い仕草すれば許されると思いやがって…ハチャメチャ可愛いわ!!


 悠は心中で半ば乱心気味に叫んでいるものの、おくびにも出さず少女の後を追う。カーペットの中央を大股で歩くのが彼にとって唯一の抵抗だった。

 その微かな抵抗も報われるはずもなく、気付けば廊下の一番奥の扉前まで来ていた。そのあまりの大きさと迫力に悠はたじろいだ。

「よし、とうとうラスボスだ!装備品の確認は今のうちにしとけよ。ポーション忘れるとか洒落にならないからな」

「ぽー……ごめん、ちょっと何言ってるか良く分からない」

「気にすんな。こっちの話だ」

 残念ながら無神経にはこの手の会話は通じない。

 そんなくだらない会話を交えつつ、悠は肩に下げていたショルダーバッグの中身を漁る。痩せた財布や妙に多いレシートと請求書を掻き分け、そして目当ての物を取り出した。プラスチック製の小さな瓶である。

「それがポーなんたらってやつ?」

「ちげーよ、ただの胃薬だ。まぁ、ある意味同じようなものか」

 常敗無勝の最強装備『胃薬』。特性、水なし服用。胃の痛みを抑え、緊張を緩和させる。負け犬の気分的に勝負所で勝率を高める効果があるらしい。ちなみに結果は黒星一辺倒である。

 悠は瓶から胃薬を二錠取り出すと、口の中へ放り投げ、すぐさま飲み込む。

 それを見届けた美少女は扉を力いっぱい押し上げた。鉄の擦れた音が打ち付けるように部屋へと響き渡る。どうやらリビングルームのようだ。そこにいた人々は刹那的に驚いた後、奇怪な眼差しで悠達を見つめる。緊張が走った。

 漂う空気と世界観が場違い過ぎる。悠はそう思わずにはいられなかった。それどころか、今すぐUターンすれば、ボロアパートも超のつく高級マンションに見える勢いだ。

「皆さん、ごきげんよう。こちらは私のジョーカーよ。これで私も参加資格を得たようね。短い時間だけどよろしく」

 淡々と言い放った美少女に向けられた視線は、より冷酷なものへと変わる。

 悠は、この神経に針を刺されたような感覚を知っていた。幾度となく味わってきたものだ。親友にも、教師にも見放されたあの時、常敗無勝と呼ぶにふさわしい、肝を嘗めるかのような苦い思い。


 もしかしてこいつも……


「さぁ、挨拶はもう終わったよ。早く部屋へ行きましょ!案内するから!」

「あ、あぁ……」

 美少女は悠の手を握る。嫌に冷たい。少女の手は密かに震えていた。それでも少女はなんとか引きつった笑顔を浮かべている。

 悠は思考を遮られ、ぶっきらぼうな返事をすることしか出来なかった。

 悠には今の状況を理解する知識もなければ、打破する手札もない。あまつさえ、明らかに無理をしているであろう少女を慰める器量もなかった。悠はこんな時に胃がきりきりしない自分にすら、冷酷さを感じ、怒りの念を覚えた。

 無神経な彼女はそんな彼の複雑な思いには気付かない。ただただ少女は自身を押し殺し続ける。

 リビングを出る二人の影はひっそりと消えていった。



「遺産相続戦?」

「うん…」

 こじんまりとした一室で目尻の赤くした少女は頷いた。こじんまりとは言ったものの、悠のボロアパートの数倍の広さを誇る。内心そわそわしていたのは言うまでもない。

 そんな中で飛び交った『遺産相続戦』という言葉。字面からして、まともでないことは確かだ。悠は固唾を呑んで、話の続きを聞いている。少女は静かに口を開いた。

「私の叔父が亡くなって、遺産分割をしなくちゃ行けなくなったの。でも、叔父の残した遺言には『ゲームの勝者に遺産であるこの屋敷を渡す』って…」

「なるほどな。さっきあんだけ睨み合ってたのも納得いく。にしても、いい歳してゲームとか変わった爺さんだな。遺産分与までゲームで決めるとか、相当なゲーマーと見た」

「そうね、私もよく教えてもらったから」

「へぇ、意外。何やってたの?」

「ポーカーとかブラックジャックとか、そんな感じ」

「ゲームって、そっちかい」

「他に何があるの?」 

「もういい、これだから金持ちは…」

 小首をかしげる少女を横目に悠は悪態をつく。少女の事情を簡単に知った反面、貧乏と裕福の価値観を見せつけられた気がしなくも無い。


 と言うか、ここはシリアスな雰囲気で二人の距離感を縮めるところではないのか。何これ、もう漫才じゃん。ラブコメイベントよ、お願いだから仕事をしろ。あぁ、こいつの無神経さじゃ無理か。


 改めて現実というものを見て、悠の口から深いため息が自然と漏れる。その表情は既に諦めたとでも言いたげだった。

「で、その遺産相続戦になんで俺がお呼ばれしたんだ?生まれてこの方、負け犬街道まっしぐらだから、関係なさそうだが」

「そんなことないよ。君は私のジョーカーなんだから」

「そのジョーカーってのもなんなの?俺なんか悪いことでもした?」

「もー、なんですぐにそういう事言うのかなぁ君は。いいかい?ジョーカーってのはね」

 少女は頬を膨らませ、不貞腐れた態度になる。それでもやはり、真面目な性分からか、ジョーカーというワードについて丁寧に説明をした。

 ジョーカーとは、遺産相続戦において大事な役割を持つ。相続戦の参加条件の一つで、所謂パートナーというものである。ジョーカーは少女の叔父がそのパートナーを比喩として遺言書に書かれていたのだ。

 遺産相続戦を砕いてに言うならば、パートナーとチームを組んでゲームをする、ということだ。実に単純明快だ。

 これは泥沼であるはずの遺産相続を少しでも和らげさせよう、という叔父の粋な計らいだったのかも知れない。悠は直感的にそう考えた。常敗無勝の勘など高が知れているが。

 一通りの話を聴いたところで、少女は時間になったら迎えに行くと言い、部屋を出た。先程のこともあり、少女を一人にする事にはいささか不安が残る。しかし、少女には行く所があるらしく、無理矢理引き止めることが出来なかった。行くだけ野暮と言うものだろう。悠にもそれくらいの善意はあった。

 少女が居なくなると、悠はベッドに腰をかける。何もやることが無い。振り返ると悠がここに来るまで、少女と行動を共にしていた。僅か半日のことが、それよりずっと前から続いていたかのように感じていた。

 いつの間にあそこまで仲良くなったのだろう。数分前の会話を思い出しながら、そんなことを考える。すると、ふと悠は気付いた。

「そう言えば、あいつ質問に答えてねーじゃん」

 どうやら少女に上手く本題をすり替えられていたようだ。悠の脳裏には少女がしたり顔でVサインを決めている。やりかねない、という妙な信頼感があった。小さく舌を鳴らす。耳元でしか聴こえないはずの音が、部屋中に響きわたった。

「まあいいや。後で絶対聞き出してやる」

 悠は誰もいない部屋で一人、決意を固める。それはお世辞にもおとぎ話のような美しいものとは言えない。泥臭い負け犬根性そのものだった。

 悠が暗闇へ意識を手放したのは、それから間もなくのことである。



「確かに時間になったら迎えに行くとは言ったけど、熟睡してるってどーゆう事?多少なりとも緊張感は持って欲しいな」

「知るか。そんなものは最底辺の高校に落ちた時点で棄ててきた。ってか、こちとら訳も分からずここに連れて来られたんだよ。少しくらい見逃せ」

「むー」

 不機嫌、少女はいかにもそんな顔で悠に訴えかける。悠のひねくれた返答はお気に召したようだ。悠は片手で数える程にしかしたことのない勝ち誇った顔を浮かべ、更に追い討ちをかけようとする。

 しかし、その時には既に悠の数歩先を駆けていた。悠の顔など見向きもしない。やっぱり彼女は無神経だ。悠はそんなことを考えつつ、結局、いつもの負け犬面で少女の後を追った。

 そして、再び目前にするのは、あの大きな扉である。二人はそれを静かに見上げる。時間はゆっくりと二人の中で流れていく。

 今度は事前に胃薬も呑み込んだ。悠は準備万端を告げるように少女へ目配せをすると、少女はいつぞやの時と同じく勢い余る力で扉を開けた。ギィィ、という音が嫌に耳に残る。

 中にいたのは、先程も顔を合わせた相続候補の人々だ。二人組のまとまりを見渡す限り、候補はざっと三組ある。

 そして、やはり、常軌を逸する絶対零度の視線が二人に降り注いだ。こちらもやはりと言うべきか、少女は自らの冷たさを演じつつ、怯えていた。

 けれども、その中でたった一人、その空気を破った者がいた。悠である。悠は少女の小さく白い手を、自らの大きく薄汚れた手で覆い隠した。

「ほら、行くぞ」

 本当にらしくない。気持ち悪い。吐き出したい。悠は心底思った。

 いつもなら、諦めて、逃げ出して、全て周りのせいにして、最後は見捨てられる。

 そんな常敗無勝の人生を送り続けるはずだった。それでも、この少女だけは違ったから。少女だけは悠を見捨てなかったから。だからこそ、負け犬は立ち上がった。転んでも、逆行に抗うことができた。

 たった半日、それだけのことかもしれない。ただ少女の無神経さに、厄介事に巻き込まれただけかもしれない。しかし、少女へ手を差し伸べたあの時から、悠は密かに救われていた。言葉にしようのない何かに満たされていた。

 夢物語のように特別な力が目覚めた訳ではない。相変わらずヘタレで、勝負所で最弱の結果を導き出す。正真正銘の負け犬だ。それでも目の前の少女を助けたいと思ってしまったから、あの時、彼女にされたように手を伸ばした。今度は自分がクイーンを守るジョーカーとして、彼女の隣にいたい。それならば、彼女だけの切り札になろうではないか。ただ、それだけだった。

 依然として糸が張り詰めた状況下で悠は話を始めた。

「やあやあ、皆さんご機嫌はいかが?俺はこの黒髪美少女のジョーカーを勤める悠だ。今日は仲良く円満に行きたいのでよろしく・・・つー建前は置いといて、」

 一拍の間を置き、悠は汗ばむ手を少女の手に強く絡めると深く息を吸い込む。そして、意を決した。

「こいつに何の恨みがあるのかは知らんが、勝つのは俺達だ。お前らの空っぽ頭に容量MAXで詰め込んどけ。以上!

 さぁ、席に着いて、さっさとゲームを始めましょう!」

 悠は少女の手を引き、恐らくゲームを始めるであろう豪華な丸テーブルの一席へと颯爽と向かった。他の人々も悠の発言を気に止めることなく、席へと向かった。負け犬の小さな抵抗などその程度の影響だったのだ。

 それでも──

「らしくないね。今の悠はすごく格好悪い。でも、ありがとう、私だけのジョーカーさん」

 柔らかい笑みを浮かべた少女が悠の傍にいた。その事実だけで良かった。それだけで、負け犬の抗いに意味があった。全てを肯定させてくれた。

 肩を並べる二人は笑顔で満ち溢れてる。それは戦いをする者の雰囲気ではない。純粋にこのひとときを楽しもうとしているのだ。常敗無勝と無神経にしか成し得ない、たった一つの物語を。

 ついに遺産相続戦の幕は切って落とされた。




「「それではゲームの内容を説明します」」

 白い仮面を被ったディーラーらしき二人の人物は言った。ずっしりとした体格で野太い声、細く甲高い声、男女一人ずつのようだ。

 悠達以外にも、身を乗り出す勢いで聞き逃すまいとしている。皆が目が血なまこになるぐらい必死だった。悠は改めて、現実に引き戻された気がした。

 男のディーラーは手慣れた動きでトランプをシャッフルすると、一番上のカードをおもむろに取り出す。ジョーカーだ。

「これから皆さんにはババ抜きをしてもらいます」

「ババ抜きって、あの?」

「そうです。ですが、今回は特別ルールとさせていただきます。ジョーカーが残ったペアの勝利、所謂逆ババ抜きと言ったところでしょうか」

 悠の質問に女のディーラーが丁寧に受け答えをした後、ルールが明らかになった。

 今回につき、全てのマークの1から5までの二十枚と一枚のジョーカー、合計二十一枚のカードで行うものとする。勝利条件は四ペアでババ抜きをしてジョーカーを最後まで持っていること。ペアごとに相談をしてから、取るカードを選んでも良い。相談の時間は最大一分。それ以上は反則と見なし、脱落となる。その他の不審な行為で反則と見なされた者はその時点で脱落となる。ざっとこんな感じだ。

 ディーラーは説明をし終えた後、全てのペアにカードを配る。悠は配られた五枚カードに手をかけ、中身を確認した。

「うわぁ、ポーカーだったら圧勝だったな」

 悠は吐息を交えた微かな声で言った。悠の瞳に飛び込んで来た数字、22233、ポーカーならばそれをフルハウスと呼んでいた。だが、残念ながらこの場では何の意味もなさないと言えよう。枚数が少ないだけに確率はそこまで引くない。しかしながら、初っ端一枚スタートとは余りについていない。辺りを見渡すも、そこまで手持ちが少ないものはいなかった。それどころか、依然五枚のままの者もいる。まさに常敗無勝ここに極まれり。

 早々にこの舞台から消える予感がしてならない。悠は海より深いため息をついた。

「大丈夫だよ。うん、大丈夫。だって、これからペアを引かなきゃいいんでしょ」

「簡単に言うな。後、それは俗のフラグだ。乱用するなよ」

「フラ…?…って本当に大丈夫だってば!私には何より最高のジョーカーがいるし」

 少女は胸を張り、自信満々に言った。悠は一瞬、目が点になる。そして、少女の言葉を理解すると、思わず笑ってしまった。根拠としては余りに稚拙で、最底辺にも程がある。過去十数年に渡る数多の前科を省みては率直に思った。

 悠の胸の奥底から何かが込み上がる。濁流が押し寄せてくる。悠自身、それが何かさっぱり分からなかった。それでも、悠の笑いが止まらない。

 凛々しく、愛しい少女の姿を見た。鼓動が鐘のように打ち付ける。彼女が無神経で良かった、そう思うほどに喜びが隠せなかった。

 ここでやらなきゃ負け犬以前に男が廃る。そう思い、自らを奮起させた。

「そこまで言うには何かあるんだろ?さすがに無策で挑む訳には行かないからな」

「少しね。とは言っても、他のペア見たいにメンタリズムは使えないよ?」

「何それ初耳!?他のジョーカーはそんなの使えるかよ。さすが金持ちだな、優秀な人材を雇うのに惜しむものは何も無いってか」

「まぁね」

 少女は短い返事で会話を切ると、左の人物のカードに目を向ける。ここに来てようやく、悠達の引く順番のようだ。手元に二枚のカードを持っているふくよかな男性は、あからさまに一点を見つめる。左側のカードだ。

 陽動だろうか、そう見せかけた罠か、あの一枚には手をつけないほうがいいのではないか。負け犬の思考はそう語る。

 対して、少女は一向にカードを引こうとしない。それどころか、無神経であるが故に相手の陽動にすら気付いていない。残り十秒、ディーラーは告げる。

 悠は自身の血の気が徐々に引けていくのが分かった。これ以上は流石に待てない、悠はとっさの判断で男のカードに手を伸ばす。勿論、陽動していない安全だと思ったカードへと。

「なるほど、そっちか」

 ちょうどその時、悠は手を伸ばす傍らで、そんな言葉が耳に入る。とても透き通った声だった。半日間、ずっと隣にいた声だとコンマ一秒で分かった。そして、悠は少女に反射的に振り返ろうとした。瞬間、少女は悠の腕を押し上げた。その先には躊躇していたであろう、男の視線と重なるカードへと導かれる。引いてしまった。

「あ、あー!」

 叫喚が轟く。悠は横目で少女を睨んだ。しかし、勝ちを枯渇する負け犬の眼光は、無慈悲にも少女には届かなかった。否、気づかなかった。

 少女は舌を軽くだし、自らの頭を小突いて言った。

「手が滑っちゃった。てへっ♪」


 せめて謝りやがれ無神経。


 最早、反論する気にも慣れなかった。取ってしまったものはしようがない。どうにでもなりやがれ。悠は半ば項垂れた状態でカードを見た。そして、不意に呟いた。

「なぁ、俺の見間違えかな。このカード、数字書いてないけど」

「うん、そりゃね。だってそれジョーカーだもん」

「そうか、そうだよね、そうですよね...どうやったの?」

「私は自分の切り札を信じてただけだよ?」

「おいまさか、秘策って」

「名付けて、『100%外れを引くなら逆手に取ってみよう!きっといい事があるはずさ!』作戦」

「まんまじゃねーか」

 思わず、悠は少女にデコピンした。少しスッキリした。少女から小言を言われたが、悠は甘んじて受け入れる。


 兎にも角にも、少女は同じように悠を巧みに遣い、何とか一対一にまでもつれ込んだ。悠達が一枚で相手が二枚。悠達が引く番だ。

「どうするの?ちなみに、俺は右だけど」

 悠は何度か当たりだすと開き直り始め、遂には進んで意見を言うようになった。少女はそれを信じ続けた。

 「分かった。じゃあ、引くね」

 今回もまた、少女は間もなく返事をした。しかし、少女の動きは遅かった。何かを考えているようなそんな素振りだった。

 少女はゆっくりと手を伸ばす。そして、引いた。

 悠は驚いた。

 少女はカードを見て静かに笑った。

 直後、遺産相続戦は終わりを告げた。




 高層ビルに囲まれ、陽射しが雀の涙ほどにしかない。だからといって、電気をつけようにも既に止められている。ガスは元々ない。水がかろうじて生きている状態だ。壁には青カビが群をなし、畳は古すぎてささくれが雑草のように生い茂る。その上、ゴミが散乱していて、若干の異臭が鼻につく。

 何を隠そう、これがジョーカー邸なのだ。

 お世辞にも良いとは言えない部屋を、白く小さな足が飛び跳ねながら、玄関から奥までわずか四歩でたどり着いた。その場でくるんと一周回ると、率直な感想を述べた。

「思ったよりおっきいね」

「どこがだ。俺の家を豚小屋以下だと思ってたのか?答えろ、居候」

「まぁ、この広さなら問題ないかな。あるとすれば、ちょっと臭いが...」

「話を聞きやがれ」

 眉をひそめて悠は言った。鼻をつまみながら、黒髪美少女は落ちていたゴミ袋に散乱している物を片っ端から入れはじめた。その姿はお嬢様の面影など欠片もない。良くてゴミ屋敷のお手伝いさんと言ったところだ。

 悠の言葉に耳を傾けてくれない少女に呆れながらも、悠は靴を脱ぎ、自分の家に足を踏み入れた。途中、ささくれがいくつか刺さった。それでも何とかたどり着き、今度はより近づいて言った。

「本当に良かったのかよ」

「え?」

「屋敷のことだ。なんで最後だけ俺の言う通りに引いたんだよ。爺さんの屋敷が欲しかったんじゃなかったのか?」

「なんとなく、じゃダメかな?」

「上目遣いはとても嬉しいがダメだ」

 悠はそっぽを向いて答えた。少女の顔を見てしまうと嫌でもはいと言ってしまいそうになる。少女は片付けていた手を止め、明後日の方を向いて言った。

「ゲームの前に私ね、屋敷とか遺産とか手に入れて何がしたいんだろうって考えたんだ」

「あぁ」

「ただ、あいつらに叔父の屋敷が渡るのが嫌だった。だから、このゲームを邪魔してやろうって思ってた。そんな時にさ私、こっそり叔父の書斎に行ったら見つけちゃった」

「何を?」

「私宛の手紙。叔父が亡くなってから屋敷に行ってなかったから気づかなかった。中を覗いたら、『このゲームは君を守るためのものだ。負けてくれ。そして、あいつらと縁を切って、君のジョーカーと幸せに暮らしてほしい。』そう書いてあったの」

「そうか」

「ごめんね」

「なんで謝るのさ」

「あんなに勝ちたがってたのに、私が騙したから」

「お前、余計なとこで気が利くのな。それに勝ったじゃん」

「え?」

「勝利条件は負けること。俺にしか出来ない勝ち方だ」

「でも」

「反論は受け付けません。それでも納得行かないなら、俺の質問に答えて貰おうか」

 悠は頬を吊り上げた笑いを浮かべ、少女に差し迫った。少女はたじろいだ。有無を言わせぬ勢いだ。

「何?」

「なんで俺をジョーカーに選んだ?」

 屋敷では有耶無耶にされたままだったが、今回は核心に迫った。もう話は逸らさせない。悠の眼光が物語っている。

「それは──」

 少女は呟いたが立地が悪いからか、外からの騒音がそれらをかき消した。そのせいで、悠は上手く聞き取ることができなかった。

「ん?悪い、聞こえなかった」

 もう一度言ってくれ。そう言おうとした時、悠の頬に強い衝撃が走った。少女の方を見た。少女の顔が窓から差し込む微弱な夕焼けと重なっていた。

「ばーか!もう知らない!」

「ちょっと待って。お前、俺の財布を持ってどこいくの!?」

「シン!」

「は?」

「お前じゃない!私の名前はシン!さぁ行きましょう!」

 黒髪美少女──シンは語尾を強めて言った。そして悠の腕を掴み、そのまま外へ乱暴に引っ張った。

「分かったから。シン、腕引っ張んな。どこいくんだよ」

「いいから、付いてきて!」

 常敗無勝の言葉など無神経の耳には届かない。悠は何度出したか分からないため息をついて、流れに身を任せた。そんな中、騒音に紛れ、こんな声が聞こえた気がした。

── 一目惚れでした、なんて言えないよ。

 常敗無勝と無神経、二人の影は一つに繋がっていた。



「ほらやっぱり、私の言った通りになったでしょ」

 白い仮面をした女性は、悠とシンの走っていく姿を見てそう言った。

「そうだな。あの時から二人は出会い、こうして再開する運命だったのかもしれないな」

 同じく、白い仮面をした大男も納得するように言う。

「運命じゃない。これはもう必然よ。全てはおじ様のシナリオで成り立っている。これでおじ様ももう後悔なく成仏出来そうね。さぁ、私達ももう行きましょうか。まだ屋敷の仕事があるのよ」

「そうだな」

 颯爽と立ち去る女性を他所に、大男は後ろ髪を引かれるように二人を眺める。正確にはその視線の先は、常敗無勝の少年である。仮面から見える瞳は自責と後悔に満ちていた。

「これからは二人で頑張れ……我が息子よ」

 そして、大男も女性の後を追う。

 仮面の女性と大男、二人の影はとうの昔に繋がりを絶っている。




END.


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