楽しくやりたいから

 私は作家を目指さない。

 苦しい思いをするのならそんなものはいらない。名誉もお金も、自分の追いかけていた夢も。

 楽しく生きなくて、今を大事にできなくて、何が得られる?

 私に、何かを追いかけるとか、そういうものは似合わないよ。合わない。好きじゃない。苦しむくらいならいくらでも捨ててやる。楽になるまで捨ててやる。

 私が作品を仕上げるのは、ほとんど自分のため。楽しいからやる。それがなければやっていても意味がないから。

 作家を目指すことでギンギンギラギラになっちゃって、読者の人気とることに躍起になって、やがては書籍化映像化なんて夢見るのは、なんか嫌だな。

 そんな人生は私には合わない。

 私は農業の傍ら作品を書いているし、病気もあるから、そうはうまく、定期的に更新なんてできない。人気の出る作品も書けないし、話題にもならない。

 でも、どちらかっていうとまったりゆっくりやりたいから。病気とうまく付き合っていくためにも、私は楽しいことだけをやっていく。

 作品が評価されたらそれはそれでうれしいけれど、別にそれはどうでもいい。自分のやりたいことをやれればそれでいい。楽しければもっといい。

 作品への執着はなくせばいい。栄誉や名声への執着はじゃまだなけだ。そんなものが来てしまえば、自由が利かなくなる。自分の脳みその自由も、自分自身の自由も。農業は忙しさにムラがある。だから、いっぱい書ける日とそうでない日がある。いいんだそれで。私のライフワークはなにも文章を書くことじゃない。

 なにかを、いろんな形で表現したいから文章を書いている。だから、絵も描く。

 そうやってできた自分の作品は、要するに、自分の満足いくものであればなんだっていい。流行に乗る気もない。だいたい、文学に流行なんてあるから、きちんとした文学がなくなってきているんじゃないか。まあそんなことはいいとして。

 私の作品を見てもらえばわかると思うけど、これほとんど自己満足だからね。多少読む人のことを考えて文章を読みやすくしたりライトにしたりはしているけれど、媚び媚びになる気は全くない。ていうかさ、みんなどうして作家を目指すの?本を出したいから? アニメや映画やドラマ化をしてほしいから? 

 私は、昔作家になると決めた時、自分の表現力がどこまで通じるのか、限界はあるのか、限界があるとしたらどのへんなのかが知りたかった。

 文章で自分の考えや問題提起をしていくうちに、世界が広がっていった。

 私の小説は、閉ざされた世界ではなく、常に開かれた世界を向くようになった。だぶん。

 短歌はちょっと言葉に頼りすぎだけど、楽しいからどんどん書ける。短歌フォーラムには出さないけれど、楽しいから書く。

 今。

 今、この時この瞬間にいったい何が必要で、どう行動したらいいのか。それが大切なんだと思う。それがブドウの出荷だったり剪定だったりすることもあるし、夕食を作ることやお風呂に入ることかもしれない。

 今、この瞬間やるべきことを大切にできない人は、何をやってもダメだと思うよ。過去には戻れないし、未来なんてわからない。

 一番怖いのは栄光にしがみつくことと、批判や批評にいちいち心を揺らすこと。そんなことで揺らぐことでは、つらいことに耐えていくことなど到底できない。


私は、病気を抱えているからこそ、障害を持っているからこそ、楽しく生きようと、そう決めたから

 

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