終章

終章



 短い冬は終わり、厳しい暑さをもたらす乾季がやってきた。

 統一されたマリンゴートは、西に工業地帯、東に田園地帯をもつ未来型都市国家へと成長を始めていた。

 もと、東マリンゴートと呼ばれていた場所にある大きな森に囲まれた教会や公園には、たくさんの人が訪れている。その森の中に交じりながらも、ひときわ大きな存在感を放つ銀の木は、静かに風に揺れながら都市国家を見守っていた。

 今まで東の人間は中央を知らず、中央の人間が東を知らずに生きてきた。しかし、その二つの都市が交わった今、大きな混乱が起きないのは、ひとえに、都市国家連合の国王の力だと言われている。

 マリンゴートが統一されて、もろもろの問題が解決した後も、国王はしばらく地球に帰らずに、都市国家連合の安定を見守ると宣言した。せっかく即位した国王が役割を十分に果たさないまま退位するのは、民意にそぐわなかったからだ。

 マリンゴートの君主であったメティス・ランダーは、統一されたマリンゴートを後に、その位を降りた。そして、国境近くの刑務所から呼び戻したエドガー・オリンフェストにその役割を託した。メティスに都市国家のリーダーは似合わなかった。一つの教会を守り、運営していく。それが分相応と知り、それ以上は追及しなかった。メティスにはそれが向いていた。人々の生活の中にいて、その苦楽を共にする。そこに喜びを見出すようになっていた。

 国王アース・フェマルコートは、クリーンスケアの核の撤廃を、従弟であるアルバート・グレーンに確約させた。戦術核の完全撤廃の条約は昔からこの都市国家群にあったものだ。一時的にとはいえそれを破ってしまったテルストラとクリーンスケアには、その廃棄をする責任があった。どのような形で核弾頭を処理するのかは定かではなかったが、この暁の星から核爆弾が消える日は確実に近づいていた。

 こうして、テルストラ都市国家連合は国王アース・フェマルコートを筆頭に、ハノイのアレクセイ・ゲイラー、クリーンスケアのアルバート・グレーン、そしてマリンゴートの二人の元首・エドガー・オリンフェストとルーティン・カーランドを配置した一大都市国家群を築き上げていくことになった。

 ナリアは、事態が収束するまで静かに見守っていたが、都市国家連合がしっかり動き出すようになると、自分のいるべき星に帰っていった。

 そして、テルストラ都市国家群が動き始めたある日。

 マリンゴートの街中にある、ある喫茶店に、何人かの人間が集まって、ささやかな宴が催された。平日の昼間なので、普通の人間ならば働きに出ている時間帯だ。

 メンバーは、マリンゴート教会神父、メティス・ランダーをはじめ、国王であるアース・フェマルコート、ジャーナリストのリシテア、警察府の刑事であるカロンとその妻であるリーア、その娘のシャロン、狙撃手のシリウスとその恋人であるネイス、救護隊隊長モリモトとその養子であるエル、そして、看護師のケン。総勢十一人にも上った。

 彼らは軽食と、マスター自慢のコーヒーを食べたり飲んだりしながら、楽しい会話を交わしていた。リーアが連れてきたシャロンを中心に笑いの輪ができ、皆が幸せな時間を共有していた。

 マスターは、たくさんの客が営業時間内に来ているので喜んでいた。街中では美味しいコーヒーを飲んだことのないケンも、マスターの淹れたコーヒーに笑みを浮かべていた。

 マスターのコーヒーは地球から取り寄せた豆を焙煎して、手で挽いて一杯ずつ丁寧に淹れている。地球のものだからおいしいというわけではないので、中にはこの土地で根付いたコーヒーを使うこともあった。紅茶やハーブティーも絶品だった。紅茶に使われる茶葉は暁の大地に根付きはしたが、変種になってしまったためすべて地球のものを使っている。ハーブは、暁の星の、マリンゴートの草原や森で採れた天然のものを干して使っていた。

「マスターは、いろいろな部分でこだわりが強いんですね」

 ケンが、マスターであるロイ・ヒューレンに、カウンター越しに話しかけた。彼はこの暁の星で新しく覚醒した地球渡航者だった。だから地球のものを新鮮なままこちらに持ってくることができた。それは、最近になって判明したことだったが、不思議と誰一人としてそのことで疑心暗鬼になるものはいなかった。

 マスターは、ケンの言葉に笑って答えた。

「そうですね。でも、私が一番嬉しいのは、営業時間内にお客さんが来ることですよ」

 マスターはそう言って、目の前にある紅茶のポットから湯を捨てた。ポットを温めて紅茶の茶葉を開きやすくするためだ。そこへ茶葉を淹れて、丁寧に湯を注いだ。蒸らし時間を計ってはいたが、味見をして納得のいく味や香りが出ない場合は、やり直すこともあった。暖かいセイロンティーを注文していたケンの前にそれが現れると、ケンはその香りに酔った。ダージリンのような華やかさはないが、その香りは上品で、控えめながらも強い存在感を放っていた。高地で摘み取られるその茶葉を思い浮かべ、地球への思慕を馳せる。

 ケンの母は最近、地球の話をよくしてくれるようになっていた。彼女の故郷にもお茶はあって、紅茶のように発酵されるのではなく、そのまま煎じて飲むのだという。水色が緑なので緑茶と呼ばれているそのお茶を、彼女はよく友人と話を弾ませながら飲んでいたという。

 母から地球の話を聞くようになって、ケンは自分のルーツのある地球へ行ってみたくなった。アースにそれを話すと、自分が地球に帰るときに母親とともに連れて行ってやろうという話になった。ケンは嬉しかった。マリンゴートに平和が訪れたことも、地球に行くことができるのも。

 それを見ていたリシテアが、ふと、マスターを見てこちらにやってきた。

「マスター、僕は、ずっと政治関係の争いごとばかりを記事にしてきました」

 そう言って、リシテアは真剣な顔をしてロイ・ヒューレンを見た。

「でも、それも少々疲れました。今回はあなたの、喫茶やバーに対するこだわりを、記事にさせてください」

 すると、マスターは笑って快諾してくれた。

 リシテアは嬉しくなって、拳を振り上げて皆の環の中に入って行った。

 すると、それを見ていたアースが、そっと、ロイ・ヒューレンのほうを向いて微笑んだ。

 その瑠璃色の瞳には、もう、哀しい色は宿っていなかった。

 マスターは、それを見て、再び紅茶を淹れることにした。誰のためでもない、自分のために。

 紅の光を放つ暁の星、そして、瑠璃色の光を投げかける地球。

 その二つの星が繋がり、絆を深めてゆく。

 多くの命が宿るこの二つの星で、様々な人間がその思惑を持ち、時には争い、ときには手を取り合う。

 この星も、地球と同じようにたくさんの経験をして、たくさんの喜びと悲しみをこれからも味わうことだろう。それを乗り越えるための力が、人間にどれだけ備わっているかは分からない。もし、途中で挫折したり力不足で倒れてしまったりしたら、そこで人間は滅びるのだろう。

 命は永遠ではない。

 地球も、暁の星もいずれは死ぬ。すべての物が移り行き、変化するこの世界でどのように生きていくか。楽しみでもあり、不安でもあった。

 ロイは、自分のために淹れた紅茶を味見し、鼻に抜ける若葉の香りをしばしの間、愉しんだ。

 そして、少しだけ、笑みを浮かべると、目を閉じた。



残月 終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

残月 瑠璃・深月 @ruri-deepmoon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ