3 キンカン頭の明智

「見事な説諭でございました。お屋形様。猿は途中で、感極まり、嗚咽が漏れやしないかとハラハラしてしまいました。一生ついて行きます」



 無事、タイムトリップポイントとなっている城の裏手にある祠から松田を未来に送り返し、物思いに耽っていると、背後から声をかけられた。


 振り向くまでもなく、声の主は我が家臣団随一の世渡り上手、羽柴藤吉郎秀吉はしばとうきちろうひでよしじゃと分かる。



「褒めすぎで白々しいわい。全く、そちはまた、わしと未来人の会話に聞き耳を立てておったのか」



「そりゃ、お屋形様のお言葉は、一言一句聞き逃しとうございませんからね。未来人どもの語る未来の話に、興味がないとは言いませぬが」



 彼奴は、数歩歩みいで、わしの隣に立ち、くくっ、と短く笑った。



「本能寺の後、光秀を討って、天下人になるのはそちだからな。さぞや興味津々じゃろうよ」



 こやつが悪い訳ではないが、少々棘のある言い方になってしもうた。自分に果たせぬ悲願を果たす未来が約束された家臣に、みっともなくもわしは嫉妬しておる。



「ええ。でも、最終的に天下泰平の世を完成させるのは徳川殿です。わしは1代限りの一発屋でございます。ダンディ秀吉です」



 猿は、何食わぬ顔で21世紀の芸人の名を上げ、自嘲した。



「どこで覚えたのじゃ、そんな芸人の名を」



「盗み聞きにございます。せめて、小島秀吉になりたかったものです」



「小島はもはや一発屋ではないらしいぞ」



「いかにも」



 それはそうと、と秀吉は話題を変えた。



「先刻の傍若無人な未来人への説教を聞き、恐れながら、お屋形様も分かっていらっしゃると感じました」



「どういうことじゃ?」



「キンカン頭の方の明智殿とのことです。ご自分が、謝ってもどうしようもない程に光秀殿を傷つけてしまった、追い込んでしまったとお分かりになっておられる。運命に抗おうとしても、抗えぬ程に、関係は修復不能なところまで来てしまっているとご自覚なさっておられるのでしょう? だからこそ、あやつには自分と同じ轍を踏まぬよう、傷が浅いうちに素直に謝罪し、仲直りの働きかけをしろと諭された。そんなところでは?」



 さすがと言うべきか、この男なら当然と言うべきか。わしの心理は手に取るように把握できておる。



「わしらはもう手遅れじゃが、あいつはまだ何とかなりそうじゃったからの。勝手者の先輩として、助言せずにはいらなんだ」



「左様ですか……。わしはまだ、お屋形様も手遅れではないと思っておりますがな」



「否、どう考えても手遅れじゃ」



 毎日の罵倒、叱責。不当な扱いへの不満。

 それらは積もり積もり、光秀の中で、爆発寸前となっておるのだろう。


 来年まで持ってくれるだけ、感謝すべきじゃな。


 だが、人心掌握の達人は、わしに意見した。



「果たしてそうでしょうかね? まあ、簡単に謝ったから許して貰える段階は過ぎていましょうし、1年後のお屋形様と光秀殿の死は避けられないでしょう。けれど、みんながもう少しマシな気持ちで最後を迎えられるようにはできないでしょうかね? 勝手なことを申せば、わしとて、お屋形様の仇とはいえ、長きに渡り、共に仕官した光秀殿を討ちたくはございませぬ」



 丸く窪んだエテ公そっくりの目が、真っ直ぐにわしを捉えていた。



「歴史の修正力には、わしらは逆らえませぬ。無理に捩じ曲げようとしても、辿り着く結果は同じです。でも、そこまでの過程はいじれやしませんかね? 光秀殿が心からお屋形様を憎み、謀反を起こし、わしが悲しみと恨みにもがきながらも、光秀殿を討つという過程を変えるのです。同じ悲劇でも、人は同じだけ死んでしまっても、僅かな『はっぴーえんど』要素を残しとうございます。運命や歴史を変えるなんぞ、大それたことはしません。ほんの少しだけ、神を出し抜くだけでございます」


「神を出し抜く?」



「ええ、神様を出し抜くのです」



 中年になり、さらに猿に似てきた人好きのする顔を綻ばせ、秀吉は首肯した。



「ですから、お屋形様には、今からでも、光秀殿に素直な謝罪の気持ちを伝え続け、丁重に扱って頂きたいのです。わしなんぞが、このようなことを進言するのは、無礼千万でしょうけど、堪えて、聞いては頂けませぬか? 悲劇的な未来を知ってしまった以上、黙って従うなんて、わしは嫌ですし、最初から兜を脱いでしまうお屋形様も見とうない。わしらなりに戦い、最高の『めりーばっどえんど』を刻み付けてやりましょうや!」



 負けた。


 猿の演説を聞きながら、確かにそう悟った。わしが天下を取れず、こやつが天下人になるのは、わしの不慮の死によって発生した偶然ではない。必然じゃ。


 メリーバッドエンドという発想は、わしにはなかった。QOLなんぞ、ほざいておったが、結局、諦めていた。

 唯、諾々と定められた運命を受け入れているだけじゃった。


 殺される自分のことしか考えず、わしを殺したい程に憎み、苦悩し、行動を起こす光秀や、その光秀を殺さねばならぬ猿のこと、それ以外の多くの者たちのことなんぞ、全く考えておらなんだ。


 器の大きさの違いを見せつけられてしもうた。



「……やはり、お嫌ですかね? 今更、光秀殿に頭を下げるなんて。どうせ結果は見えておりますし」



 不安そうに見上げてきた猿に、わしは快活に魔王信長らしい高笑いをし、答えた。



「ふんっ、自分ができぬことを、偉そうに未来の若僧に勧めたりはせんわ。土下座じゃろうが謝罪文じゃろうが、慰謝料じゃろうが、精一杯する所存じゃ。いざ、メリーバッドエンドに向かって突き進むぞ」



 運命への叛逆も、メリーバッドエンドも21世紀の流行だと、転移者から聞いたことがある。


 いかにも新しい物好きで、時代の最先端を行くわしの最期にふさわしいではなかろうか。



 松田、お主ははっきり申して、何一つわしの心を揺るがすようなことはしておらぬ。

 奇行や独特な感性は印象に残ったが、所詮は、数多のろくでもない転生者や転移者と同じじゃ。


 然し乍ら、お主の来訪を切っ掛けに、歴史にほんの僅かな変化が生まれそうじゃよ。


 それは誰も気づかぬ些細な綻びでしかないかも知れぬが、わしらが運命に立ち向かった証じゃ。

 かけがえのないものじゃ。


 切っ掛けをくれたお主にも、礼を言わなければならぬ……とはならないの。


 うん。


 あっさり帰ってくれて助かった。


 二度と来るなよ、うつけ者が。




「そう言えば、お屋形様は松田に伝えなかったですね、日本が世界大戦で負けることや、暫く異国に占領されること等。あの男、戦争前の人間でしょう?」



「じゃろうな。もし、あやつがわしらにとっての未来を得意げに語るような無粋な奴だったら、教えて絶望させてやろうと思っておった。じゃが、無礼で傲慢な男だったが、あの男はその辺りの掟はしっかり守っておった。なら、わしも掟は守るべきじゃろう? 未来を知らされること程、興醒めすることはないからの。ネタバレ厳禁じゃ」



 未来人を多く受け入れてきたわしならではの、心遣いじゃ。


 まあ、あの男なら、激動の時代も図太く生き残るだろうよ。



「さて、そろそろ中に戻るとするかの。明日は光秀が来る。今からどう謝るか、考えねばならぬ」



 本能寺の変まで、10か月。織田信長、メリーバッドエンドに向けての第一歩を踏み出す。



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織田信長×諜報員松田一二三 十五 静香 @aryaryagiex

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