2.虎ぱんち

 なんだか、木々のざわめきが聞こえる気がする。ギャァギャァとした鳥の鳴き声? 意識が少しずつ浮上する。


『オハヨウゴザイマス』

『オハようゴザイます』

 どこかのスーパーマーケットの朝の放送みたいなノリのあいさつが聞こえる。


『おはようゴザイます』

『おはようございます』

 語調が変わらないあいさつが繰り返されてる。うるさいな・・・・・。


『おはようございます』

『おはようございます』


「うがー、うるさい!!・・・・・・・?」

 森だ、森にいる。

 しっとり湿った苔が茂った倒木の上に寝ていた。こんなに寝心地悪いのに、今までよく目覚めなかったな、僕。


『おはようございます』

『おはようございます』

「おはよう?・・・って誰、どこ?」

 透明感のある女性の声が聞こえる。

 僕は周囲を見渡す。どこを見ても木。上を見ても木。結構薄暗い。


 声の主が見当たらない。

 自分を見下ろすと黒い全身タイツみたいな服装だ。

 首から上と手首から先以外は全て黒い。靴まで一体成型されている。これトイレどうするんだ?


『おはようございます、お目覚めになられて安心しました。』

「え、ほんとに誰?」

相変わらず姿は見えないのに声だけははっきりと聞こえる。


『私は勇介様のサポートAIです。3時間前にセルグリッドシステム上にセットアップされました。緊急の状況により、勝手ながら音声設定を実行させていただきました。』

「あ、はぁ、緊急って?」

『3時方向、生命体が接近しています。』

 右を見た。

 虎だ。木々の隙間から虎がこっちを見て唸りあげている。


『対象、ベンガルトラと認定、こちらに対し威嚇行動を行っています。回避もしくは退避を提案。』

「か、回避!?」

 虎は瞬時に飛びかかり、僕を引き裂こうと右前足の爪を立てて振り下ろしてくる。

 大きい! あまりの威圧感に視界すべてがその右前足で塞がれているかのような錯覚を覚える。


 刹那、視界に攻撃の軌道予測が映し出される。

 虎の前足は、僕の顔から胸にかけてを引き裂く軌道を描く。


 その軌道を右側にずらすように右手で払い除ける。

 僕の右腕の表面を滑るように虎の右前脚が流れていなされる。

 右腕の袖が粘着質になっていた。この黒い粘着質が攻撃を往なしたのか?

『退避してください。』

 AIの声に体を捻りつつ、焦って後退する。


 身を翻しながら踏み込んだ一歩は、僕の想定以上の速力で僕を打ち出した。

 想定を大幅に超える速度で体が飛び上がる。森の木々から上に飛び出した。

「うっは・・・・、」

 感嘆の声が出てしまった。なんだか体が異常に軽い。

 森の上は雲一つ無い晴天だ。そして見渡す限りに森が続いていた。


 身体は再び森に沈み、木々の合間に着地する。

 結構な衝撃があったと思ったが、あっさりと着地できた。これなら虎にも勝てたんじゃないだろうか。


『ベンガルトラは保護動物に指定されています。攻撃は禁止されています。』

 攻撃してはダメらしい。

「とりあえず、もう少し離れよう。」

 僕は繰り返し数回ジャンプして数キロほど移動したのち、樹上の枝に着地し腰掛けた。

 虎は木登りもできると聞いたことあるが、地上よりは安全だろう、たぶん。


「さてと、それでここはどこ?」

『旧中国南部、インドシナ半島の北部です。』

 どうやら地上らしい。そして夕べのWebカメラ映像とも似ているし、現実世界と考えてよさそうだ。


「君は誰?」

『私は勇介様のサポートAIです。3時間10分前にセルグリッドシステム上にセットアップされました。緊急の状況であったため、勝手ながら音声設定を実行させていただきました。』

 あ、そういえば、それはさっきも聞いたな。

 説明の中にいろいろと不明な単語があるが、とりあえず会話を続けるにあたり名前が無いと話しかけづらいな。


「君名前は?」

『初期セットアップをスキップしており、名前は未設定です。勇介様ご設定ください。』

「僕が決めるのか・・・・、えーっとどうしよう、・・・・・AIだから、アイとか・・・・・・?」

『・・・・・・・』


 沈黙が痛い。だめだ、僕って名前付けのセンスなかったみたいだ。

『名称:アイ に設定しました。以後、アイとお呼びください。』

 普通に受け入れてくれたのか、呆れられたのか。よくわからないが、とりあえず気にしないことにしよう。


「せ、セルグリッドシステムって?」

『有機素材にて構成された細胞サイズのロボット群です。生命活動強化、身体機能強化などを行いつつ、並列化によりコンピュータシステムを構築しています。ログ情報によると、4時間30分前に勇介様の体内に注入。現在も肉体機能の強化、改修を実行中です。』


「ナノマシン的なものかな。」

『概ねその通りです。』

「で、アイはそのコンピュータシステムで動いているサポートAIであると。」

『はい、その通りです。セルグリッドシステムおよびサポートAIの機能詳細についてご説明が必要ですか?』


「あ、いや、さっきの虎との遭遇で、なんとなく能力は分かった気がする。また細かいところは後で聞くけど・・・・・、音声設定を勝手に実行したっていうのは?」


『本来は初期セットアップ時、音声種別をご選択いただくのですが、緊急の状況であったため、選択事例の多い音声種別を設定いたしました。音声種別を変更しますか?』

 声を変えられるってことか、でも今の声は悪くない。

「いや、今のままでいいや。それで、僕は何で森で寝ていたの?」

 昨夜のRimとのやり取りから考えて、森で目覚める展開が想像できない。


『2時間15分前にジアース連邦住民管理システムにて異常発生、住民管理システムは最低限の保守機能以外が全停止。現在状況対応中です。同時に住民管理システムのシステム中枢設備棟が物理攻撃を受けました。処置棟で外界転換処置中だった勇介様の処置カプセルは、緊急対応措置として処置棟から射出。落着時の衝撃で処置カプセルが破損し、先ほどの地点に勇介様のみが着地しました。』


「えーっと、つまり、Rimは今動けなくて、なんかの事件が起きたために、僕は外に放り出されたと、そういうことか。」

『概ねその通りです。』

「森で放置されてどうしようかと思ったけど、Rimが治るのを待てば、迎えに来てもらえるかな。寒かったり暑かったりしないのは助かるな。」


 今の僕は、黒い全身タイツのようなぴっちりした衣服だけを着ている。

 表面はしっとりしているような張り付くような、不思議な感触だ。着心地は悪くない。

 先ほど虎の前足攻撃をいなした右袖はの粘着質は既に無くなっている。これはこれで動きやすくていいかも。


『セルグリッドの機能により、代謝機能や体感温度など調整されています。生命維持に問題が出る場合には私から警告させていただきます。』

 そうか、セルグリッドの機能で快適に過ごせるようになっているのか。3500年代の技術すげぇ。


『加えまして、住民管理システムの復旧については、現在目途が立っていません。断続的に攻撃を受けており、現在は防御対応のみを行っている状態です。この状況が続くと、1時間30分後には仮想世界に居住している住民の管理に重大な問題が発生する危険性があります。』

 それはつまり、のんびり構えていても、迎えは来ないかもしれないってことか?

 それどころか、今の仮想世界を形作っている仕組みが崩壊するかもしれないってこと!?


「その攻撃って、もしかして、昨日僕が襲われた黒い女の仲間?」

『はい。昨日の襲撃者は"解放軍 ジハド"と名乗る組織の一員であることが判明しています。現在住民管理システムを内外から攻撃しているのも"解放軍 ジハド"であると推測されます。』



 仮想世界で生き続けることの正否は、僕も一概には言えない。

 正直、仮想世界に閉じこもって生きているって言えるのか、疑問に感じる気持ちもある。それもあって、外の世界に出てみようと思ったことも事実だ。


 でも昨日Rimと話をして、Rimは全ての希望や要求を実現するための苦渋の選択として、仮想世界を維持し続けているように感じられた。

 なにより、Rimは誠意をもって話をしてくれていたし、僕としては、割といい印象を持っている。

 対して、昨日の黒い女は僕を力づくで襲ってきた。思想の正否は別としても、あの女のやりようには納得できない。


「僕でRimを助けることはできるかな。」

『・・・・・可能です。既にレガシハンターとして、必要な処置はほぼ完了しています。肉体機能の強化、改修処理も80%程度完了しています。戦闘行動可能最低ラインではありますが、可能です。』

「よし、なら行こう。」

 僕は木の枝の上に立ち上がった。

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