とある主任と謀議(4)

 聞くともなく円卓の会話を聞いているだけでも、ソフィア派とそうの違いが見えてくる。

 最大派閥のソフィア派は数の力で押したいところだが、大きすぎて派閥内に対立を抱えており、それを反映して龍山たつやまちょうも力攻めはして来ない。

 その課長のすごいところは、「持ち帰る」や「上に確認を取る」という逃げの言葉は使わずに、自分の責任で交渉を進めようとしている点だ。

 判断を間違えれば上司たちの叱責が待っているのにである。

 しかし、責任を取って仕事をしなければ出世が遅くなる。

 絶対にやりたくないし、僕にはできないやり方で課長は仕事に励んでいた。


 社内与党のソフィア派に対して、野党第一党の雨相派は数こそ負けているが、雨相家の権限が強いので組織としての意思決定が早い。

 雨相次長が入社する前は派閥の規模は今よりも大きかったらしいが、彼女が発言力を持つに従い、徐々に減って行った。

 トップが独断専行、人の話を聞くのが嫌いな人間だと下につける人間は限られてくる。優秀な人間ほど担いでいるのが辛くなるのだろう。

 結果、僕のようなイエスマンだけが残るのが世の常である。

 気に入らないことは面従腹背でいけばいいのに、それができない人もいる。

 まあ、人としてはそちらのほうが立派ではあるけれど。

 立派であることにどれほど価値を認めるかという問題もあるが。

 ちなみに雨相派総帥である桐尾開発の雨相社長は我が社の重鎮中の重鎮だが、最近は溺愛できあいしている娘の操り人形と悪評を立てられている。

 そういう事情があり、いま行われている人事調整でも、次長の判断が即雨相派の決定になる。

 そのため、議論は次長ペースで進んで行き、どうしても課長は受け身にならざるを得ない部分があった。

 たまには次長が他人にやりこめられている姿も見たかった僕は、課長がんばってくださいと心の中でエールを送りつつ、早く話し合いが終わることを祈っていた。


 あとから確認したところ、二十分以上の話し合いの末、いちおう調整がついたようだった。

 遠くからきょうの音がまだ聞こえていた。

 前事務局長がじょうぶつする前に後任が決まったので、彼も安心してあの世に行けるだろう。

 前事務局長がどんな人で、あの世があるのかどうかも僕は知らないが。

 しかし、フェニクアなどという異世界が現実にあるのだから、死後の世界もありそうである。


 前事務局長の後任は雨相派の推す人物に決まったが、その他の人事もしくは今回は貸しとすることで満足したのかはわからないものの、課長にもあんの表情が浮かんでいた。

 その様子を見て、立ち上がりながら次長が課長にやや挑発的な口調で言った。

「ご婦人たちが騒がしいだろうが、この線でよろしく頼むよ」

 ソフィア派は社内で「彼女たち」や「女ども」と呼ばれており、「ご婦人たち」と言えば、ソフィア派の幹部たちを指す。

「あなたのお父上や弟くんのように女性の扱いは上手うまくはないが、何とかします。そうだ。後ろの彼に手伝ってもらおうかしら」

 課長が僕の方を見上げたが、どうして良いのかわからなかったので、次長の形のよい後頭部に視線を移した。

 次長が言葉を返さなかったので、課長は沢井書記局長に顔を向けて「女性陣は私が抑えますから、若者たちはそちらでお願いしますよ」と話を向けた。

 書記局長は苦笑するだけで回答を与えず、手元のコーヒーを一気に飲み干した。

 五丘労働組合いつおかろうどうくみあいは、もともと存在した組合の青年部が独立した組織なので、陰では「青年たち」と呼ばれている。


 三人とも派閥に帰ってそれなりの報告ができ、それぞれの立場を傷つけずに済みそうで良かった。

 仕事ができる人たちは人たちで、いろいろと周りの目が厳しくて大変そうである。

 しかし、こんな派閥間の争いを年中やっているのはずいぶんと労力のムダのように思える。

 くじ引きで決めてしまったほうが、結果的に人件費などの費用は安く済み、時間の節約になるのではないだろうか。

 次長の口癖は「時間は金で買えない」だが、はてさて本当に意味を分かってらっしゃるのやらと思わぬではない。

 もちろん思うだけで死んでも口にはしないが。

 きりも他社と変わらず、大企業病にかかっているようだが、まあ、人間のやることなので仕方がないのかもしれない。

 それで仕事がもらえている人間もいるのだし、人材育成の場にもなっているのだろう。


 出棺の立ち会い中、横の次長は始終無表情だった。

 彼女は何事もたいていポーカーフェイスで済ませるのだが、付き合いが長いとその同じに見える無表情にもいろいろな種類のあることがわかる。

 いまは課長の発言を受けて、ご機嫌が斜めのようだった。

 謀議中、たまには次長がやりこめられる姿が見たいと思ったが、よくよく考えなくとも、その後に害をこうむる可能性がいちばん高いのは僕であった。

 変なことを願うものではない。


 今日の決定に関する報告と指示を次長が片付けている間に、参列者のほとんどは帰ってしまった。

 ただっ広い駐車場にぽつんと止まっている高級車に乗り込む前に、交通安全のご利益を求めて寺の本堂に向かって手を合わせた。


 「何をしているの」と黒縁眼鏡をサングラスに替えたそう佳南子かなこさんが運転席から刺すような声を発した。

 僕が慌てて左の助手席に坐ると、佳南子さんが首にかけていた真珠のネックレスを細い指でつまみながら独り言のように言った。

「食事の予定だったけど、お母さまの大事な形見だからこれを早く外したいわ。それに喪服も早く着替えたいし」

 話す彼女の姿が黒いバラを連想させたので、思わず「きれいだからもうちょっと着ていたら」と口から出てしまったところ、佳南子さんはまんざらでない様子ながらも鼻で笑い、次のように拒否した。

「愚か極まりない提案ね。ダメよ、疲れているんだから、あなたがホテルで早く脱がせなさい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る