07 大自然の雄姿


 口に含んだ時の糸玉は大きい飴のようだったが、口の中で転がしているうちに表面の糸が解け、それがもこもこと膨らんだかと思うと、次の瞬間にはフォームドミルクや焼いたマシュマロのような口溶けで消えていった。


「不思議な食感ですね、それに色んな果実の香りがします」

「野生の蜜壺蜘蛛は完熟した巨樹の実ならどんな種類でも食べるから、複雑な香りが楽しめるんだ。逆に養殖は一種類の実だけ食べさせて香りを強調してるのが多いかな。あと、お茶とかお酒に溶かしながらいただいたりもするね」

「へぇ、面白いですね」

「まぁ、面白さで言ったら天然も負けてないんだけどね。さ、着いたよ。ここが街の中心、大噴水大広場! ここから見上げるアーセムが一番雄大だって言われてるよ」


 整然とした木造りの街並みに囲まれる中、白い石造りの流麗な噴水の背後で視界に収まりきらない巨樹がそびえる。その様は、まさに圧巻の一言につきた。

 これを見るだけで、この街を訪れる価値がある。そう確信させられる光景だった。


「あの、『アーセム』って言うのは……」

「巨樹の名前。世界に6つある宝樹の中の1つ。巨樹『アーセム』。周囲の長さが大体30000メルで、高さは正確には分かってないけど50000メルはあるんじゃないかって話、しかもまだ成長中。天辺まで行ったことある人はいないんだけどね」


 アーセムを呆けたように見上げたまま、リィルさんと言葉を交わす。その言葉通りなら、この巨体は地球の対流圏を優に超え、成層圏にまで達していることになる。

 あまりのスケールの大きさに、想像すらおぼつかなかった。

 口の中に糸玉が入っていることも忘れ、間抜けにも口を開けて固まっていると、もぞもぞと何かが舌をくすぐるのを感じた。


「んう? なんらぁ?」


 糸が溶け残ったのかと思い、口の中に手を入れて引っ張り出してみる。

 すると、目の覚めるように鮮やかなサファイアブルーの身体に明るいグリーンのラインが入った、全長5センチほどの蜘蛛がルビーレッドの複眼を煌かせているのと目が合った。腹から出した糸にぶら下がり、手足をわちゃわちゃと動かしている。

 今度は、別の意味で言葉が出なかった。

 開いたまま閉じなくなった口が戦慄き、目からはポロポロと涙が零れてきた。


「リ、リィルさぁん……」

「んー。どうしたの? ……っぷ、あっははは! すごーい、イディちゃん。一発で当たり引いんだぁ!」

「あ、あたり?」

「そっ。蜜壺蜘蛛って蜘蛛なのに冬眠するんだ。その時に糸玉の中に籠るんだけど、たまにいる寝坊助が、蜘蛛が入っていない他の糸玉と一緒に街に運ばれて来ちゃうの。滅多にないし、それが人の口に入ることはもっとないんだよ。だからそれを食べた人には幸運が訪れる、ってこの街では言われてるんだ。まぁ、私は勘弁だけど」

「ワ、ワタシだって、無理だ、ってひぃう。あっ、あっ、登ってきた! リィルさん、どんすんの、これ。どうすればいいの?!」


 別に虫が苦手だとか、蜘蛛が駄目って訳でもない。でも、口の中から這い出てきたのに遭遇したら話は別だろう。

 震えの止まらない手に糸をつたって器用に登り、素早い動きで腕の上を駆けてくるのに、腰をおもいっきり引いてなるべく遠くへ手を突き出すことでしか抵抗できなかった。いつの間にか、尻尾もしっかりと股座で丸まっていた。


「ふふ、大丈夫だって。毒もないし、人を襲うこともないから。放っておけば、そのうちどっか行っちゃうよ」

「でも、はぁあっ! あ、頭に! ダメだ、登るなぁ。ああ、耳に! 耳にぃ!」

「ふ、っくく。似合ってるよぉ、イディちゃん。獣人でも耳に装飾をつけるのはよくあるから。お洒落さんだね」


 ピンッ、と立ち上がったままぷるぷる震えている耳から、蜘蛛がしがみついている感触が伝わってくる。リィルさんに向けて手を伸ばし助けを求めるが、お腹を押さえて笑うばかりで、どうにかする気はまったくないようだった。


「はぁ~、笑った。それじゃあ、その蜘蛛さんに合うように、しっかり御粧ししよっか。私の店までしゅっぱ~つ」

「ああ、待って。その前にこの蜘蛛どうにかして、お願いですからぁ!」


 涙混じりの嘆願もあえなく黙殺され、ワタシは油の切れた機械のようにぎこちない動きで、手を引いて歩くリィルさんに縋るようについて行くことしか出来なかった。

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