3

 ベルナは剣を外して近くに置き、袋から串焼き肉を一本取り出してエクセルに見せる。冷えずに焼き立て近くのままなのは、ベルナが持っていた異人石と呼ばれる温度を短い間ある程度一定に保つ石を一緒に袋に入れていたからだ。


 その石は汚いのではないかと疑問を抱かれるだろうが、ベルナもエクセルも、そして大勢の人たちもあまり気にしてはいない。


 それならば気に留める人は大勢にどう思われるか。


 異人との長い戦いはまた新たな技術、異人の技術との出会いの機会にもなった。よって異人と戦う前と後のレメリスは大きく変わっている。

 レメリスに生きる人の現在の平均寿命はおよそ六十歳。以前は四十に満たないほど。異人との戦いは三世代にわたって続き終わったが、その三世代というこれまでのレメリスの歴史からすればひどく短い間に技術は劇的に飛躍した。


 その流れは今でも続き、人々は今の技術とそれによって成り立つ生活に慣れてしまっていた。生活は楽になり、死ぬはずだった人が生きられるようになり、世界は、レメリスは華やぐ。もう絶対に手放すことはできない。

 今でも敵視し続ける異人から由来するものだというのに。


 それならば気に留める人は大勢にどう思われるか。


「多めに払って串も貰ってきた。こっちのが食べやすいでしょ?」


 串は金属製。雑に作られている。本来その場で食べて返すもの。

 だから店主は串から肉を抜こうとしたが、宿で食器を借りてばらばらになった肉を食べるより、串のまま食べる方が雰囲気もあってよりおいしく感じるかとベルナは思い、串ごと買ったのだ。


「ありがとう」

 マントから右手だけを出してきて、

「食べ物に感謝を」

 串に向かって指で円を描いたあと受け取る。


 昔の彼は何を受け取るのにも利き手である左手を出してきていたが、今はもうそれもできない。彼は左腕をベルナに見せてくれないので、今どのようになっているかは想像するしかない。

 なくなってはいないのは、おぶっていたときの感触で確かだが。


 手に持った串焼き肉を特に眺めることはせず、エクセルは一切れを噛み、串から引き抜いて口に入れた。そこからもぐもぐと口を動かすが、特に表情は変わらない。


「ん?」


 飲み込んだあとの彼の言葉にわくわくしながら眺めていたベルナに、彼は言った。


「食べないのか? ベルナ」


 あっけにとられてしまう。


「異人石でも長くはもたないぞ?」


 そういうことではない。


 あっという間に一串分食べ終わると、汚いマントの端で口を拭った。串は近くの机に置き、それに向かってまた指で円を描き、ふうと一息つく。

 完食の仕草。

 我慢できずにベルナは喉から声をはがした。


「まだあるよ?」


 自分が食べられないくらいに多く買ってきていた。それはすべてエクセルのため。大食漢の彼を考えるとこれでも少ないと思ったくらいだ。

 袋の中を覗き込むことなく、彼は首を横に振った。


「いや、これで十分だ」

 さらに思わぬことが重ねられ、ベルナにおかしな気持ちが芽生える。

「……なんで?」


 彼女の声色が変わったことに気づいたのか、エクセルはやや眉を下げて右腕をマントの下に隠す。そしてまた中でもぞもぞと動かしているのは左腕をさすっている動き。彼は何度か喉から声をひねり出そうとするが、どうにもうまくいかないでいた。


「……うまくなかった?」

 首を横に振る。

「……遠慮した? それなら気にしなくていいから」


 エクセルの気の抜けたような瞳を力強く捉えてベルナが言うと、彼は逃げるように目を伏せて意思を示さないままに黙り込んだ。


「どこか具合が悪い?」


 もうこうするしかないと思ったのだろう、エクセルはおずおずと右手を伸ばしてきて、彼女の持つ串焼き肉の袋へと近づけていった。

 が、彼の手から袋を遠ざける。

 ベルナは答えを言わないことが気に入らない。このように情けないことをするのが気に入らない。ベルナの知るエクセルがこんなことをするはずがないのだと、彼女の中で感情がうねり削り、捨てたはずの考えを掘り起こす。


「もういらないんだろ?」


 袋から串を一本取りだし、彼に見せつけるように肉にかぶりつく。汚らしいとわかりつつも雑に噛み、まだ飲み込める大きさでもないのにむりやり飲み込む。それを串に刺さった肉ですべてやろうとしたところ。


「げっ、げほっ! げほっ! げほっ!」


 むせてしまった。

 たまらず。


 それでも口の中の肉をみっともなく吐いてしまわないよう、必死になって押さえ込もうとする。そう思えば思うほどせきは止まらない。

 おぼれている感覚と同じ。もがけばもがくほどに助からないのに、しかしもがくのをやめられない。そのまま沈みやがて。ベルナは不安に全身を引っ張られる。


「いけない」


 エクセルが席を立ち、フードを被って部屋から飛び出た。ベルナの耳に下の階からの彼の声が入ってきた。


「すいません、誰か、すいません、誰か」


 慌てているのを隠さない声。

 しばらくすると水の入ったグラスを持った彼が戻ってくる。

 手でグラスを持っているので、足を使ってさっきまで座っていた椅子をベルナのそばに寄せ、そこにグラスを置く。空いた手は迷いなくむせてせきを続けるベルナの背中につけ、優しくさすり始める。

 大きくなっても、エクセルの手。今でも小さな、ベルナの背中に。


「吐いてもいい。楽なのを選べ」


 それをしたくないからここまでむせているのだが、彼はそれをまったく理解していない。

 反射性の涙でぼやけているが、なんとか視界に捉えられたグラスを手に取る。女主人はまだ戻ってきていないはずだったので、勝手に注いできたのだ。ベルナは少しためらったが、唇をつけて少しの水を飲んだ。


 だいぶん楽になった。肉はなんとか食道を流れていって、呼吸はしやすくなって息が整う。せきは止まり、グラスの残りの水もすべて飲み干す。涙も引いた。

 背中をさすりながらエクセルが顔を近づけてきて、彼女の瞳を見つめる。

 間近で見た彼の顔。伸びた髪は傷みがひどく、瞳はくすみ、肌は古い壁のようで、とても十七歳の同い年には見えない。それでもベルナは鼓動を強くしてしまう。血の勢いが血管をよりこすって熱を生む。


 そのせいでつい自分の背中をさする彼の右手を払いのけてしまう。しかしすぐ悪いことをしてしまったと気づき、


「ありがと……」


 むせたのが落ち着くと、頭の中まで落ちつく。落ち着いてしまうからこそ自分がどれだけみっともないことをしたのかバカみたいな痛みをともなって理解してしまう。

 ひどいことを言われ、されたのに、エクセルは一言も責めず文句も言わず介抱した。だからより自分が嫌になる、みじめになる。

 自分が望んでいた反応、それも勝手に望んでいた反応をしなかったからといってこうも嫌らしく当たってしまうなど。


 だから突然いなくなってしまったとき、すべてを投げ出してまで追いかけようとはしなかったのだ。


 先ほどの涙とは違う涙がまた視界をにじませた。

 エクセルはフードを脱ぎ、何かを言いかけようとしたが。


「ごめん」


 たまらなくなってベルナは部屋から逃げるように出てしまう。後ろでエクセルが小さく声を発していたが、彼は追いかけては来なかった。それが今のベルナには良く、助かるが、寂しい。

 選ばれし者北の剣、竜刺姫ベルナ・ルーラーは異人の王を倒した一人。英雄、竜刺姫。その若さで多くの人が経験しなかったことを経験した彼女だったが、だからといってまだ大人ではなかった。

 ほとんど飛び下りる形で階段を下り、宿の玄関から飛び出す。


「あっ」


 すると玄関から出たはずなのに、壁があった。どこかで見た壁。当たらないように寸前のところで止まって見上げるとやはりその壁は。

 この宿の女主人のコランだった。用事を済ませて紙袋を持ち戻ってきた彼女の姿がそこにあった。飛び出てきたベルナにたいして驚きもせず、目だけを動かして目の前の小柄な少女の様子を観察している。

 視界をにじますものを恥じたベルナは、ごしごしと力強く目元を拭う。だからこそより目立ってしまうのだが、今の彼女にはそれしかなかった。静かな夜の時間の中で、彼女の情けなく乱れた呼吸音がする。

 とにかくここから離れたい。その気持ちでいっぱいのベルナは、目を伏せながら女主人の横を通り過ぎようとしたが、


「お待ちなさい」


 呼び止められる。無視して走っていけば良かったのだが、ベルナはつい足を止めてしまう。


「自分の宿で揉め事が起こるのはいい気分になりません」


 背後から聞こえてきた、あまり感情が乗っていないようなコランの声にベルナは向き直って否定する。


「揉め事なんかじゃ、ないです」


 うわずった声だったのだが、それは発した本人も気づかず、女主人もまったく反応しなかったためになかったことになった。

 女主人はじいっと仄暗い瞳で少女を捉え続けている。少女を止めたが一言も発さず、そもそもちゃんと呼吸もしているのか怪しいくらいに微動だにしなかった。弱く降り注いでいた月の光が厚い雲に遮られ、力をなくす。


 多くの異人と戦い命の危機を何度も経験してきたベルナでも、その視線に打ち勝てないでいた。


「……一緒に食事はいかがですか?」

「え?」


 ベルナが勝手に抱いていたコランの、そのらしくない言葉が気の抜けるような返事をさせた。


「あえてお客様ということを忘れ、提案したまで。どうするかはご勝手に」


 こくりと頷く。偽名らしき女に怪しい印象を抱き続けているが、ほとんど考えもしないで首が動いていた。

 提案にのったベルナを確認してすぐ、コランは歩き始める。その後ろをベルナはついていく。先ほどの賑やかな円形広場に案内してもらったときのように。

 先ほどと違うところといえば、彼女の腰にフィンバル二世、剣が差さっていなかったということ。


 それに気づいたのはついていき始めてしばらく経ってからのことだった。

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