ペンテシレイアとの出会い その3

この世界には争いが絶えない。その原因は「狂霊」という存在にある。こいつに憑りつかれるとほとんどの生物は理性を失う。死体に憑りつくこともあり、それらは「狂霊憑き」と呼ばれる。それらの狂霊を静める事の出来る人物はごく一握りで、大抵は殴り飛ばすか殺すかして「狂霊憑き」を退治する。傭兵団の主な仕事はそれらの荒事だ。そしてそれらの仕事を仲介・斡旋するのがギルドである。


「まあ、モンスター退治だけじゃないがな、種族間や国家間、部族間、宗教間……あらゆる間に起こる諍いも、傭兵団は依頼があれば引き受ける」


ギルド内にある巨大ボードに張り付けられた紙を指差しながらリチャードは説明する。


『急募、猪退治 ⅠⅠ 狂霊憑き』

『商隊護衛 Ⅰ 海月の街 往復』

『ギルド護衛兵募集中、都市法に明るいミノタウロス種なら優遇』


数枚の依頼書に目を通す。内容もリチャードが言うとおり物騒なものがほとんどだ。


「この依頼書を受け付けに持って行って受注するわけか」

「そうだ……しかし、本当に何も知らないんだな」

「……俺のいたところにはギルドなんてなかったから」

「ふむ、ということは城塞都市も初めてか、どこ出身だ?」

「えーと……東の方だ」


あまり深く追求しないでくれ、と心の中で懇願する。

事情を洗いざらいすべて話せればどんなに楽かと思うが、あのオークの少女のように「頭のおかしい奴」扱いされるのだけは避けなければならず、そうならないためにも探り探りの返答しかできない。


「東……私はあまり行ったことがないな」

「そうか、それで質問なんだけど、この依頼書を受付に持っていけば仕事が貰えるってことなんだな?」

「その通りだ」


話を逸らすためにも依頼書を一枚手に取る。


『狂霊付き死体の討伐 ⅠⅠⅠ 魔貌の森:毒蛙の池』


たまたまにしても、ずいぶんおどろおどろしい依頼書を手に取ってしまった。


「危険度3か、人間種にはおすすめしにくい依頼だな、君が熟練の傭兵ということなら問題ないが、そういうわけではないのだろう?」


リチャードが俺の取った依頼書を覗き見る。

危険度3……というのは、おそらく依頼書の題名の横にある3本の線のことだろう。


「危険度3ってのはかなり危険ってことか?」

「その線はギルドが戦闘を前提とした依頼につけるものでな、だいたいは1、2本あらかじめ引かれていて、前任者が失敗したりなんかすると1本ずつ付け足されていくのさ」

「……つまり、この依頼はすでに2回くらい失敗している?」

「かもな、詳細は受付に聞かなくてはわからんが」


俺は依頼書をボードに戻した。

戦闘前提とした依頼で失敗した、ということはつまり、依頼を引き受けた傭兵は怪我をしたかもしくは死んでしまった、ということだろう。恐ろしいことだと思うが、これがこの世界の日常なのかもしれない。


「さて、私の方の用事も済ませなければな……」


リチャードは受付の前まで来ると、一枚の紙を取り出して受付の男性に見せた。


「依頼を完遂した、報酬を頼む」


受付はそれを受け取ると、机の引き出しから分厚い書類の束を取り出し、そこから一枚の紙を引き抜く。

受け取った紙と引き抜いた紙を見比べる事数秒……


「……はい、確かに依頼人からの受領印を確認しました、お仕事ご苦労様です」


受付の男性は神妙な面持ちから笑顔になると、別の引き出しから紙束……見た目からして紙幣の束だ……を取り出し袋に入れ、それをリチャードに差し出した。

なるほど、報酬を受け取るのもギルドからなわけか。職業安定所のようなものを想像していたが、どちらかといえば派遣紹介業者に近いのかもしれない。


「おや、あなたは……」


受付の男性はリチャードの後ろにいる俺の方を見た。


「ど、どうも……」


俺はぎこちない愛想笑いを浮かべた。先ほど追い出されたばかりの男が、またギルドに入り込んでいるのだ。咎められてもおかしくはない。


「あまり怒ってやるなよ、どちらかといえば彼は被害者の側だ」

「もとより怒ってなどいませんよ、あんなのをいちいち気にしていてはここの受付など務まりません」

「違いないな」


リチャードと受付が同時に笑う。どうやらこの二人は気安い関係らしい。


「あなたも大変でしたね、彼女の事は知らなかった?」

「まったく……とても有名人らしいな」

「ええ、悪い意味でね、彼女と関わった不幸に同情しますよ」


受付の男性の受け答えはさわやかだ。そしてその分、毒が際立っている。


「そんなに……なんというか、素行不良なのか?」

「今回のこともそうですが、彼女はこちらが決めた手続きを一切無視します、いくら無理だと説明しても聞く耳を持ちません……他の傭兵団とのトラブルも絶えませんし、彼女によって負傷した傭兵もいます」

「あの子も傭兵なのか?」

「いえ、彼女はどこの傭兵団にも所属していません」

「傭兵団に所属しないと傭兵とは認められない、傭兵が個人でギルドから依頼を受注することはできない、あくまで依頼を得るのは傭兵団なんだ」


事情を知らない俺を察して、リチャードが補足説明をしてくれた。


「傭兵ってのは個人ではやっていけないわけか」

「いや、傭兵団を創設するのは一人だけでも十分だ、だから『一人傭兵団』というのも珍しくはない」

「一人なのに団を作らなきゃいけないのか」

「その辺りはこちらギルドの手続き上の問題もありまして……まあ、そもそも一人で結成するメリットがほとんどありません、あるとすれば報酬を独り占めできる、ということくらいですが、ここにくる依頼は命のやりとりが発生することもざらですから、リスクが大きすぎますね」


なるほど、確かに一人だけでは怪我を負って動けなくなりでもすれば致命的だろう。二人以上で組んだ時のメリットの方が明らかにデカい。


「……あれ、でも一人傭兵団も珍しくないんだろう?」

「依頼を選べば一人傭兵団も可能だ、ただ、よほど自分の腕に自信のある熟練の戦士か、傭兵団を抜けた傭兵が、他の傭兵団に入る前に一時的に創設する場合がほとんどだ」


なるほど、傭兵が傭兵としての仕事を出来なければ食べていけない、ということだろう。


「ならなんで彼女は傭兵団を作らないんだ? だって傭兵団がないと依頼を受注できないんだろ?」


彼女が傭兵団に所属できないという理由はわかる。素行不良の具合はこの街では有名らしい。


「彼女は字が書けないんです、それと本人に名前がありません」

「字が書けないっていうのはわかるけど……名前がない?」

「ええ、リチャードさんも知ってますよね?」

「ああ……彼女の事を見かねて一度、私の傭兵団に引き入れようとしたことがある、その時彼女に名前を尋ねたが、そんなもん知らねえ、と言われた」


それは俺も言われた。

どうやらあのセリフは俺を警戒して言ったものではなく、本当に名前がないらしい。そんな人間……まあ、彼女はオーク種だが、そんな種族がいるとは。


「名前がなければ書類が作れません、名前欄に『オークの少女』なんて書かれている書類受理できるわけがありませんから」

「それは……本人に言って……」

「勿論言いましたが、本人は聞き入れません、自分の名前が必要だとすら考えていないようで」


受付の男性が肩をすくめる。


「……なあ、名前がないっていうのは、つまり親や身内が……」

「いないのでしょう、どういう経緯でこの街に流れ着いたかは知りませんが、この街に来た時から彼女は一人だったようで……」


この街に来た時から一人。

いや、名前がないということは物心ついた頃から一人だったということだろう。

彼女のあの粗暴な態度を思い出す。もしかしたら、あの態度は誰も彼女に人付き合いの仕方を教えていないからああなってしまったのではないか。

生まれてから天涯孤独。だれも彼女に手を差し伸べなかった。そして、社会から見捨てられた彼女はますます社会に適合できなくなって……この悪循環は彼女一人では止められない。誰かが助けないといけない。


「……まあ、日常のように殺し合いをするのがオーク種ですし、彼女に家族がなぜいないのか、その理由は考えるまでもありませんね」


受付の男性はどこまでドライだ。同情の余地すらないと言わんばかりに。

リチャードの方を見ると、彼は眉間にしわを寄せ、目をつぶっている。獅子の顔をしているが、それが「沈痛な面持ち」であるということは理解できた。

受付とリチャードには彼女に対してだいぶ温度差があるように見える。受付は彼女に対して冷淡だが、リチャードの方は何かと気にかけているみたいだ。


「その、リチャードの傭兵団であの子を引き取れないのか?」

「やろうとしたが無理だった、私はともかく他の傭兵たちが彼女を拒否するのだ」

「リチャードさんが率いる団ですら受けられないのであれば、少なくともこの街で彼女を引き受けられる傭兵団はないでしょう、リチャードさんはこの街の傭兵たちの中で一番の人格者ですから」


受付の言葉に、止めてくれ、と言わんばかりにリチャードは顔の前で手を振った。

リチャードが人格者なのはわかる。何も知らない俺にここまで丁寧に接してくれるのだから。


「……彼女は傭兵じゃないんだろう? どうやって生活しているんだ?」


彼女の荒っぽい性格は荒事を扱う傭兵向きのように思えるが、傭兵ではない以上、仕事を受注できず、報酬は手に入らないはずだ。貨幣経済が成り立っているらしいこの街で生活するのはかなり難しいと思うが。


「それは本人に聞いてみたが、町の外で狩りをするか、もしくはギルドの依頼をこなしているらしい」

「いや、傭兵じゃないのなら依頼は受注できないんだろう?」

「自分たちが受注した依頼を彼女にやらせる傭兵連中がいる、ということだ」


なんだそれは。

構造は理解できるが、なんでそんなまどろっこしいことを……


「彼女は戦闘力だけは高い、そして頭があまり良くない、そこに目を付けた連中がいて、危険な仕事受注しては彼女に投げて、成功すればその成功報酬を彼女と山分け……まあ、実際は半々になどしているわけではないだろうが、とにかくそれをしている連中がいる」

「……それはギルドとしていいのか?」


そんなことがまかり通るのはあまりにも理不尽だ。彼女は正当な報酬を得ていないことになってしまう。


「ギルドとしては何の問題もありません」

「何でだ、傭兵団のメンバーじゃない奴がその傭兵団の仕事をしているんだぞ!?」

「ギルドと契約関係にあるのは傭兵団であって、傭兵団内でどう仕事を割り振るかについては関知するところではありません」

「だから、彼女はその傭兵団に所属していないんだぞ?」

「実際に依頼を受注するのも、依頼達成の報告をするのも、依頼の報酬を受け取るのも、全て傭兵団です、それについては何の問題はありません……繰り返しますが、ギルドはそれ以上傭兵団に踏み込むことはありません」


受付の男性は淡々としている。ギルドにとって彼は職務に忠実でさぞかし優秀な職員なのだろう。

しかし、俺の心にはこの理不尽に対する炎がくすぶり始めていた。


「……君の気持ちもわかるが、こればかりはどうしようもない、それに傭兵団とギルドの構造を理解しようとしない彼女にも責任はある」

「……」


リチャードに諭されるが、そう簡単に納得のいくものじゃない。

そもそも彼女の今現在の境遇でそれらを理解しろ、という方が無茶じゃないのか。

俺の中で怒りがはっきりとその形を成してきた。誰かがもっと彼女に親身になって助けてあげるべきじゃなかったのか。

俺は彼女の境遇を決して他人事だとは思えない。何せ、俺も同じなのだ。この見知らぬ世界に放り出され、たった一人だ。おそらく家族も身内もこの世界にはいないだろう。それならば俺は彼女になっていたかもしれない。いや、これからなるかもしれない。

それならば誰かが、彼女を救ってあげるべきじゃないのか。不当な搾取から救い、まともな社会生活が送れるまで面倒を見てあげるべきではないのか……


「それでしたら、あなたが引き取ればいいのでは?」

「……え?」

「あなたが傭兵団を設立し、彼女を引き取ればいいのではないですか?」

「俺が……?」


受付の男性は、至極当然、とばかりに言う。


「……でも、俺は……」


この世界の事を何も知らない。

そんなやつが死と隣あわせの傭兵団なんて出来るのか。もししくじればどうなるかわからないのに、そんなリスクを背負えるのか。

そして何よりも俺自身、明日どうなるかわからない身なのだ。そんな俺が彼女の面倒を見れるのか。


「それが出来ないのであれば、あなたに出来ることは何もありませんね」

「……」


受付の男性の視線は冷たい。

まるで俺の怒りは偽善の怒りだと責めたてているような眼だ。


「……あまりいじめてやるな、彼は初めてこの街に来て、ギルドや傭兵という仕事も今日初めて知ったらしいのだ」

「いじめてるつもりはありませんし、そういうことでしたら、むしろギルドの事をよく理解してもらえてよかったと思います」


この受付の男性に何か言い返したい。しかし、何も言い返せない。彼の言い分はもっともなのだ。筋が通っている正論。俺は、自分が出来ない事を他人に押し付けようとして、誰も押し付けられてくれないから怒っている……ただそれだけじゃないか。


歯を食いしばることしかできない俺の肩にリチャードがポンと手を置いた。


「……これから何かあてはあるか?」

「……あて? いや、何も……」

「それならどうだ、食事でもして、今後の事を少し冷静に考えてみるのは?」


リチャードは俺に頭を冷やせ、と言っているらしい。

俺は素直に頷いた。このまま俺の中にある怒りの炎と葛藤しつづけても何の意味もない。


「良い店を紹介しよう、味もいいし値段も安い『ドラゴンの前足亭』というんだ」


リチャードに連れられ、俺はギルドを後にした。

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