ハサン、幸せになる

 二人は家を出、町を歩き、そして王城へと入って行った。堂々と門をくぐっていくターヒルに驚き、ハサンは声をかけたが、ターヒルはまあまあと言うばかりで、特に説明をしなかった。なのでハサンも黙ってそれについていくしかなかった。


 門をくぐって、そして中央の宮殿へ。ますますもってハサンは混乱したが、ターヒルは何も答えてくれない。仕方がないので、ターヒルを信じてただ進むしかない。やがて一つの部屋に通された。どこか私的な匂いのする、小ぢんまりとした客室だった。


 座るように言われ、そうして待っていると、戸口に人が現れた。その顔を見て、ハサンはあっと言った。アジーズであった。懐かしい、端正な顔立ちがそこにあった。しかし、アジーズはアジーズなのだが、やはりターヒル同様、そのいでたちが大いに変わっていた。彼は洗練された、艶やかな衣装を身に着け――それは確かに、王者か王侯か、とにかく身分の高いもののそれであった。


「アジーズ!」


 思わず立ち上がって、ハサンが叫んだ。「一体どうしたんだ、何があったって言うんだよ……。ターヒルといい、おまえたちものすごい幸運を手にしたのか?」

「幸運……というか、まあ、私は王になったのだよ」

「王?」

「そう。この国の国王にね」


 アジーズの一言に、ハサンは言葉を失った。少しの間は何も言えなかった。しかし、ようやく唇を動かした。呟くようにハサンは言った。「……おれがいない間にこの国はどうなってしまったんだ? アジーズが王になるなんて……。天地がひっくり返るようなことでもあったのか?」


 それを聞いてアジーズとターヒルは笑った。そして、ハサンを座らせると、二人もその近くに座って、本当のことを話し始めた。今回の航海がどのようなものであったかということを。ハサンは大人しく聞いていた。


 全てを聞き終わり、ハサンは少し、口をとがらせた。


「――つまりおれを騙してたのか?」

「騙していたのはそちらもだろう」


 そう言われれば、返す言葉はなかった。アジーズはさらにハサンに向かって言った。


「今日ここに呼んだのは、この秘密を明かすため。それからあともう一つ。――ハサン、おまえにお礼がしたかったのだよ」

「お礼?」


 ハサンはきょとんとした。ちょっとの間、なんのことだろうと考えて、そして神妙な顔になって言った。


「ああ、なるほど……。考えてみれば、おれは今回の旅の英雄であった。捕らわれの身になった王太子を、勇敢にも救い出したんだ。……ふむ、おれのその、称えられるべき行為に対するお礼だな」


 そばでターヒルが大いに呆れていた。


「何を言ってるんだ、おまえは。そもそもおまえがあの珠を失敬しなければ、あの変な島に行くこともなかったわけで……」

「失敬じゃないぞ。おれはちゃんと返そうと思って……」


 アジーズが二人をなだめ、ハサンに笑顔を向けた。


「いや、救われたことは確かだ。それにも感謝している。けれどそれ以上に、楽しい旅ができたお礼だよ」


 アジーズはそう言って、何かの合図をした。召使たちが、ご馳走の乗った銀の皿を持って現れた。アジーズはハサンに言った。


「今日は存分に飲み食いしていってほしい。そして聞かせてくれないか。あの後、どんな旅をしたのかを。何を見て、何を体験してきたのかを」


 ハサンはご馳走に大いに喜び、そしてそれらをせっせと胃袋に収めながら、こちらもせっせと口を動かして、旅の話を語った。風に乗って渡った大海原を、高価な香辛料が実る国を、象に乗る王たちを、宝石の島を、黄金の像と火を噴く山を、東の果ての国の奇妙な風習を――。


 アジーズは心地よさそうに、それらに耳を傾けていた。お腹もいっぱいになり、話も一段落した頃、アジーズはふと、ハサンに質問をした。


「ところでこれからおまえはどうするつもりなんだ?」

「それがまあ……まだあんまり決めてないのだよ。船乗りになるのがいいかなあとは思っているんだが。旅は大変だけど楽しいし、それにおれは、船乗りとしてそれなりにやっていけるんじゃないかと思ってね。ただ、つてがないんだ」

「ふむ……それなら、王宮に出入りする豪商の一人が船乗りを探していたはずだ。私が紹介しておこう」

「本当か!」


 ハサンは喜んだ。「いや、ありがたい。そうしてくれると助かるよ」


 アジーズはそんなハサンを見て微笑んだ。アジーズもまた、嬉しそうだった。アジーズはハサンに言った。


「それで旅から帰ったら……私のところへ寄ってくれないか。私は広い世界の話が聞きたいんだ。おまえの旅の話が聞きたいんだ。そして楽しく美味しいものを食べよう。私は――ずっとおまえと友達でいたいんだよ」


 これには、ハサンもふと胸を突かれたような心地がした。けれども、感動をそのまま素直に現すのも癪なような気がした。ハサンは居住まいを正し、すまして言った。「いいよ。それならば、その際には、シャトランジでもするのはどうだい?」


「おまえも懲りないやつだな」


 からかうように横からそう言ったのはターヒルであった。ターヒルはもちろん、ハサンがアジーズに何連敗もしていたことを覚えているのだ。


「うむ。確かに昔のおれなら弱かったかもしれない。けれど、今のおれは違う。おれは王を――あの時は王太子であったが――見事に救い出すことができた男なのだからな。盤上の王を敵から守り、その相手方の王をとるなんて容易いことよ」


 ハサンの言葉に、アジーズもターヒルも大いに笑った。部屋には明るい日が差し込んでいた。日差しは柔らかく、少し傾きつつあった。そこに並ぶ三人は、彼らはみな幸せで、満ち足りた思いを顔に表していた。日は傾きつつあったが、楽しい一日が終わるまでにはまだ時間があった。彼らはまた、旅の話を日常の話を世界の話を続け、それは尽きることがないのであった。

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ハサン、海に出る 原ねずみ @nezumihara

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