第17話束の間の勝利

11時15分、雄物川郷土資料館の見学を終えた聡史達一行は金沢柵推定地(金沢柵も沼柵同様、考古学的には実証されていない)に向かう。

「ゆかりん、また寝てる・・・」

「こうなるとちょっと異常じゃない?寝過ぎだよ」

「昨日、何時まで起きてたの?」

「11時位かな・・・10時に電気消されちゃったからね。お腹減った、ってぶつくさ言ってたくせに、真っ先に寝たの優花里だったし」

「寝不足ってわけじゃないね・・・」

「しかも、今朝、最後まで布団の中に籠ってたのも優花里だから」

「それでよく間に合ったね」

「布団から起き出して旅館出るまで20分かかってないよ・・・」

「じゃ、朝、お風呂に入ってないよね?」

「そうなんだよね・・・温泉旅館に泊まってるのにさ、もったいない」


「着きましたよ」

30分程車を走らせると、後三年の役金沢資料館に着いた。

「恵理香、試してみたら?」

「そうだね・・・金沢柵!」

「・・・ふぇ?」

恵理香が優花里に声をかけると、優花里はすぐに目を覚ました。

「おもしろい!ホントにお城の名前に反応する!」

「僕は入館料を払ってきますから」

縣氏は車から降りると、足早に後三年の役金沢資料館の中に入っていった。聡史達4人も車から降り、後三年の役金沢資料館に向けて歩き出した。

「恵理香、今日はゆかりんの子守役だね」

「そうだね。ホントによく寝る子だ。優花里ちゃんはどんな夢を見てたのかな?」

「電車の中から、同じ夢を繰り返し見てた。赤糸威と黒革縅の着背長を着用した2人の武将が、城中にいる婦女子の身の安全を祈ってる・・・何でだろう?その城を包囲してる側なのに・・・あの赤糸威の着背長、何処かで見たことがある・・・そうだ、縣朝信が着用してた着背長だ・・・」

朱美が厭味のつもりで言ったにも関わらず、全く意に介さない恵理香が頭を撫でながら優花里をからかうと、優花里がぼそぼそと話している。

(まずい、こんなところで・・・)

「ちょっと、トイレ行ってくる。大きいのだから時間かかるかも」

優花里の話が終わるや否や聡史はトイレに駆け込んだ。

「クンビーラ、露骨に言うことないのに。もうすぐお昼だってのにさ。優花里も何寝惚けてるの?」

走り去る聡史を眺めていた恵理香が振り返り優花里に語りかけた瞬間、優花里のネックレスが突然強い光を放った。

(何なの、ネックレスが勝手に光だすなんて・・・)

恵理香は呆然として優花里のネックレスを見ている。

(これで3回目だ・・・でも、今度は2人の武将が助けを求めてる。私を呼んでる。1人は縣朝信と同じ着背長を着用して・・・何故なんだろ?・・・でも・・・)

これまでとは異なる情景に困惑しながらも、強い焦燥感に駆られた優花里は黙ってネックレスの金属板を握り締めた。

「優花里!」

「ゆかりん!」

恵理香は急に倒れ込んできた優花里を咄嗟に支えると、その場にしゃがみこんだ。少し離れた場所にいた朱美は驚き駆け寄る。

「優花里、どうしたのよ、優花里ってば!何でこんな時にトイレなんかに行くのよ!あの役立たず!」

直前にトイレに駆け込んだ聡史を苦々しく思った恵理香が大声で叫ぶ。

「返事してよ!ゆかりん!・・・縣さんは?どうしよう・・・誰もいないよ・・・」

「朱美!携帯は?」

優花里を両手で支えているために身動きが取れない恵理香が朱美を質す。

「えっと、えっと・・・あっ!鞄の中だ!」

朱美はワゴン車に向かい走り出した。


=====

Episode 3  後三年合戦


「権太郎殿、潮時かと」

縣小次郎次任が清原権太郎清衡に進言する。

「義家直属の軍勢には多くの凍死者が出ており、生き残りの者も多くが凍傷を負っています。義家の軍勢は実質的に壊滅状態、兵糧も底を突き、馬を殺して食っている始末。これ以上の戦闘継続は不可能です」

「我勢の状況は?」

「兼行、説明を・・・」

「兵糧や武具は随時補充していますので問題ありません。郎党達も輜重の護衛を兼ねて定期的に交代させています故、士気も十分維持されています。凍傷を負う者もいません」

次任に促されて、次任の筆頭郎党、君島太郎兼行が清衡に報告する。清衡は暫くの間、考え込んでいた。

「そうだな、此度は止めだ。出直そう。これから撤退を義家に具申する。撤退の際には小次郎主、殿を頼む」

「御意」


応徳3年12月30日(新暦で1087年2月4日)、清衡は源義家と共に清原家衡が籠る沼柵を秋から包囲していたが、家衡を完全に侮っていた義家は、家衡が早々に降伏すると思いこみ、長期戦になるから冬期装備を厳重にとの清衡の忠告を無視して軽装備のまま包囲戦を開始したことから、義家直属の軍勢は多くの凍死者と凍傷者を出し事実上壊滅していた。清衡の具申でこれ以上の戦闘継続は不可能と悟った義家は、残存の軍勢をまとめ沼柵からの撤退を開始する。

(追撃が無い・・・敵も余力が無いのか)

殿を務める次任は、家衡もまた痛手を被ったことを理解した。


江刺郡豊田郷に帰還した清衡と次任は直ちに今後の対応を協議する。

「小次郎主、太郎殿(清原一族の大鳥山頼遠)は?」

「太郎殿は義を重んじる御方・・・私も権太郎殿に御味方するように三度説得に赴きましたが、頑なでした。秀武(吉彦秀武。家衡の叔父)も義家に与していると説得しても、あのような愚者と一緒にするなと・・・」

「残念だな・・・あの清原一族の中でも唯一我々のことを真摯に案じてくれていたのだが・・・それにしても義家は戦下手だ。基本ができていないし、家衡を侮りすぎる。彼奴の采配だけでは清原一族を滅ぼすことはできない。小次郎主に匹敵する軍略に長けた武者がもう1人いれば良いのだが・・・」

清衡は溜息をつきながら呟く。

「心当たりがないわけではありませんが・・・」

次任が答える。

「縣一族は元々は下野国梁田郡縣郷の住人でした。600年前、一族の1人がわけあって下野国を離れ日高見国に居を移しましたが、縣郷には新皇様の御戦(承平天慶の乱)までは縣一族の本家が続いていました。その本家は今なお存続しているはずです。彼らが長元の乱(平忠常の乱(長元元年(1028年)~長元4年(1031年)))を経験していれば、我々以上の軍略を引き継いでいるかもしれません。当主でなくとも、本家の誰か1人でも加勢してもらえれば・・・」

「岩手郡におわす新皇様の御子孫、平舘長者殿に仕えている縣一族がいたはずだが?彼らではだめなのか?」

「私は彼らより軍略と武術を学びました。しかし、戦には関与しないとの平舘長者殿の御意思により彼らも戦を拒否していますので、加勢を依頼できるのは下野国の本家しかありません」

「できるか?」

「やってみます」

「春の雪解けと共に動いてくれ。今度こそ清原一族を滅ぼし、義家を日高見から追い出して、この地を[日本]の支配から必ず解放する!」


寛治元年5月14日(新暦で1087年6月17日)、小雨が降る夕刻、縣郷の縣館を2人の武者が訪れ、当主である縣太郎朝将に書状を渡した。

「この書状は・・・」

朝将は驚愕した。

「評定を行う。明日の朝、一族の者を全員集めよ。評定が終わるまで使者を丁重に労うように」

朝将は傍らにいた郎党に指示を出すと、再度書状を読み直した。


その日の晩、朝将は母の部屋を訪ねた。

「母上、陸奥国にヌクテ殿の御子孫が健在でした」

亡き父の位牌に向かい合掌すると、朝将は母に次任から届いた書状を見せる。

「これは・・・あなたはどうするおつもりですか?」

「近日中に29騎を率い、権太郎殿の日高見国独立を賭けた闘いに加勢しに参ります。小次郎主と共に、必ずや倭の支配から日高見を解放してみせます」

「やはりそうなるのですね・・・」

母は小さく呟くと立ちあがり、部屋の奥にある小物入れから錦袋を取り出し、その袋の中から銀製の金属板を出すと朝将に手渡す。

「これは・・・コカゲ殿の紋章ではありませんか」

「この金属板は100年程前、桔梗様が晩年に自ら造られたものです。危急の時、これに向かい真摯に祈ればユカリ様に願いが伝わるようにと、真心を込めて造られたと聞いています。これをあなたに預けます。戦は常に弱き民達が犠牲になります。その者達を救わなければならなくなった時、祈りを捧げてください」

「母上・・・ありがとうございます」

「あなたには繰り返し言ってきたことですが・・・武者は弱き者を助けるためにのみその存在が許されているのです。このことだけは絶対に忘れないでください。そして、郎党衆も含め、皆無事で帰ってきてください。郎党衆にも家族がいることを忘れないでくださいね」

「わかりました。肝に銘じます」

朝将は金属板を錦袋に入れると、丁重に懐に入れた。


翌朝、縣一族の全員が広間に集まり、評定が始まった。使者が持参した書状を皆で回し読みした後、議論が始まる。

「これは実か。ヌクテ殿の御子孫が陸奥国に健在とは」

「それだけではない。新皇様の御子孫や新皇様の御子息を護衛した我が一族の者の子孫も陸奥国にいるとは・・・」

「小次郎主は権太郎殿の[日高見国の独立]を支援するために我々に加勢を求めている。今は清原姓を名乗っているが、権太郎殿は亘理権大夫殿(藤原経清)の御子息。亘理権大夫殿は将軍殿(鎮守府将軍藤原秀郷)の御子孫だ」

「権太郎殿の添文には、先の戦(前九年合戦)で非業の最期を遂げられた亘理権大夫殿が夢見た日高見国の独立を我が手で成し遂げ、理想郷を日高見に建設するとあるが・・・」

「暫し待たれよ。鵜呑みにして大丈夫か?何か証拠になるものはないのか?」

「そうだ。使者に確認する必要があるのではないか?」

「書状にはヌクテ殿や新皇様の御子息と我が一族の者に関する記述がある。これで十分ではないか?」

「いや、念のために確認したほうが良い。無駄にはならぬ故」

「使者を連れてくるように」

黙って一同の議論を聞いていた朝将がようやく口を開く。


「お主達の名は?」

「君島太郎兼行と申します」

「広瀬三郎鬼武と申します」

「出自は?」

「三郎主は代々日高見国江刺の住人です。私の祖先は元々常陸国筑波郡豊浦郷の住人でした。祖先は倭の坂東侵攻により故郷豊浦を追われた後、下野国梁田郡縣郷に居を移されていたアガタ一族の長、サジャ様に仕えました。新皇様の御戦の際には、亡くなられた新皇様の御子息を大葦原四郎殿と共に縣次郎太郎殿の従類として御守りし、日高見国まで御供しています」

兼行が答える。縣一族は最初のうちは極当たり前の質問をしていたが、全ての質問に対して兼行が淀みなく正確に答えるので次第に粗探し的な質問に終始するようになる。

「新皇様と共に戦われた我が一族の当主は?」

「縣太郎殿です」

「戦場にて桔梗殿をお救いした御方の御名は?」

「ユカリ様です」

「もういいだろう。ここまで正確に作り話ができるものではない。兼行殿、疑ってすまなかった。我々も陸奥国に同族が健在とはにわかに信じることができなかった故、勘弁してくれ」

朝将が際限のない粗探しを止めさせる。

「皆様のお疑い、ごもっともです。当方も長きに渡り音信不通でした。御容赦ください」

「皆の衆、加勢に異存はないな」

朝将が一同に意見を求める。

「異存ない」

「大至急、陣立をしようではないか」

「では、これより陣立を行う。兼行殿、鬼武殿、今暫く待たれよ。出陣の際には江刺郡までの道案内を頼む」

「かしこまりました」

兼行と鬼武が退席した後、陣立に関する評定が始まった。

「此度の出陣には部隊の半分を投入する。つまり30騎だ。全体指揮は俺が執る。俺と俺直属の4騎以外の25騎だが・・・」

朝将が切り出すと、皆我こそはと言いだし収集がつかない。長時間、誰も譲らない言い合いが続く。

「仕方ない・・・各自、適任と思われる郎党を2~3人推挙してくれ。俺だけで郎党29騎の指揮を執る」

朝将が苦肉の案を出す。

「誰も譲らないのであれば仕方ないかのう・・・」

「確かに。下手に禍根を残すよりよいかもしれん・・・」

「増援の際には如何する?」

「それは無理だろう。紫苑殿や皐月殿、幼き茜殿、薺殿を御護りするには久平一族と我ら30騎は必須・・・」

「よし、決まりだ。では、太郎殿、よろしく頼む」

「わかった。皆の衆には申し訳ないが、此度は俺1人で出陣する。後事は三郎太郎殿、よろしくお頼み申す」

「心得た」

朝将は最年長の宗頼に後事を託す。

「使者を再度連れてくるように」


暫くすると、兼行と鬼武が再び広間に入って来た。

「兼行殿、鬼武殿、準備ができ次第、30騎で出陣する。出陣の準備には3~4日かかるだろう。陸奥国の情勢は大体のところは昨晩兼行殿から聞いたが、出陣までの間、陸奥国の情勢を更に詳しく教えてほしい」

「かしこまりました。三郎主はこれより江刺に戻り、事の次第を小次郎殿に伝えなければなりません故、私が日高見国の情勢をお伝えします」

「わかった。よろしく頼む。皆の衆、明日の昼までに郎党を推挙してくれ。準備が整い次第、出陣する」

各自に指示を出し、朝将は評定をまとめた。


4日後の5月19日(新暦で1087年6月22日)の早朝、朝将が出陣のために赤糸威の着背長を着用し兜を手にしたその時、6歳になる嫡男の太郎が2歳になる弟、小次郎を連れてきた。小次郎は左手の親指をしゃぶりながら珍しいものを眺めるが如く好奇心に満ちた眼差しで甲冑姿の朝将を見つめていたが、既に軍事訓練を始めている太郎は出陣の意味を理解していた。

「父上!御武運を!」

悲しげな眼差しで太郎は朝将に声をかける。

「大丈夫だ、多門(太郎の幼名、多門丸)。必ず帰ってくる」

朝将は太郎の前で片膝を突くと傍らに兜を置き頭を撫でる。部屋の入り口には今年生まれた娘を抱いた妻と母が不安げな眼差しで立っていた。

「大丈夫、郎党達も誰一人死なせることなく帰ってくる!」

朝将は立ち上がると自らに言い聞かせるように大声を発して広場に出た。そこには出陣の準備が整った縣勢29騎と兼行、残留の一族の者11人と郎党達が待ち構えていた。

「これから奥州へ出立する!今回は我々にとって初めての本格的な戦となるが、我々はこれまで必要な鍛錬を繰り返してきた。怖気づくことはない。どのような状況になっても訓練どおり正確に対応すれば必ず敵に打ち勝つことができる!権太郎殿と小次郎主の待つ奥州へ、皆の衆、出陣だ!」

「おおおおおっ!」

残留の者達が挙げる勝鬨の中、朝将は29騎の郎党を率いて縣郷を後にした。


7日後の昼過ぎ、縣勢30騎と兼行が陸奥国伊達郡国見駅(厩牧令に基づき、現福島県伊達郡国見町に設置された駅家)の手前に到着すると、駅の前面に完全武装した12騎の武者が待ち構えているのが見える。

「我は日高見国の住人、縣小次郎次任と申す!そこにおわすは太郎主か?」

縣勢の案内をしている兼行の姿を確認すると、黒革縅の着背長を着用した武者が数歩前に進み出て大音声で名乗りを上げる。

「いかにも!我は下野国梁田郡の住人、縣太郎朝将と申す!小次郎主、此度の出会い、この上なく嬉しい!」

赤糸縅の着背長を着用した朝将が数歩前に進み出て名乗りを上げると、次任は馬を走らせ朝将の傍らに駆け寄る。

「まるで旧知の友に再開したかのようだ。長きに渡り音信不通ですまなかった。此度は急な依頼にも関わらず迅速な出陣、実に感謝する」

年齢が1歳違いで年長の朝将の仮名が太郎、年下の次任の仮名が小次郎であった偶然もあり、2人はすぐに打ち解けた。


6月2日(新暦で1087年7月4日)、陸奥国江刺郡豊田郷に到着した朝将一行は、次任の館に案内された。翌日の昼過ぎ、次任に案内されて朝将は次任の館からほど近い清衡の豊田館に赴いた。

「小次郎主、歩いて行くのか?」

「2町も離れていない。馬を使うまでもない」

「ところで、他の縣一族は何処におるのだ?小次郎主しか見当たらないのだが」

「新皇様の御子息を護衛した縣一族の子孫は、岩手郡におわす新皇様の御子孫、平舘長者殿に仕えているのでここにはいない。俺の一族は・・・」

次任は声を詰まらす。

「どうしたのだ?」

「後で話す」

次任は一方的に話を終わらせてしまった。


豊田館に着き、次任が家人に取り次ぐと、2人は主殿に案内される。そこには既に清衡が待ちわびた面持ちで座していた。

「貴殿が太郎主か?下野国から遠路かたじけない」

「早速ですが、此度の戦、深遠な計略があると小次郎主から聞き及んでいますが」

朝将が清衡に尋ねる。

「太郎主、坂東がそうであったように、日高見も元々は[日本]の版図ではない。陸奥などと言う名は[日本]の朝廷が勝手に名付けたに過ぎないのだ。今に至るまで、阿弖流爲殿や母礼殿をはじめとする数多の勇敢な戦士達、我が祖父殿(安倍頼良)、親父殿、伯父殿(安倍貞任)も[日本]の侵略に抵抗し命を落とされた。先の戦で漁夫の利を得た清原一族は真衡(清原真衡)亡き後凋落著しいが、それでも義家の軍勢を家衡だけで撃退する力がまだ残っている。此度は武衡(清原武衡)が家衡に加勢したが、今度こそ我が妻子と数多の郎党・家人を殺戮したあの忌々しい清原一族を滅ぼし、返す刀で義家を日高見から追い出して、日高見を[日本]の支配から解放しこの地に理想郷を建設する、これがわしの長年の夢であり、憎き頼義(源頼義)に惨殺された親父殿の御遺志だ」

清衡は朝将に感情を露わにして力説する。

「聞くところによると、家衡と武衡は金沢柵に立て篭もったとのこと。現地で金沢柵を検分しないことには何とも言えませんが、通常、援軍が期待できない状況下での籠城は袋の鼠です。したがって、家衡と武衡を滅ぼすことは可能です。問題は、八幡殿(源義家)を奥州から追い出すことですが・・・」

「そこなのだよ、何か知恵はあるか?」

清衡は腕を組み難しい顔をして朝将に尋ねる。

「家衡に対する追討官符は出ているのですか?」

「いや、出ていない」

「であれば、太政官に追討官符を出さないように働きかけ、此度の戦を八幡殿の私戦にしてしまえばよい。それでも八幡殿は勧賞目当てに後付けの追討官符を太政官に要請するでしょうが、これを潰せば八幡殿は立場を失い、場合によっては陸奥守を罷免され奥州から退散するしかなくなります。多少の鼻薬が必要ですが・・・」

朝将が答えていると清衡は笑いながら頷いている。

「何かおかしなことを言いましたか?」

朝将は清衡の態度を不快に感じていた。

「すまない、許してくれ。太郎主が小次郎主と全く同じことを言うのでな・・・」

清衡が朝将に詫びる。

「実は、小次郎主から話を聞いた時、理にかなっているが実際にはどうなのかと半信半疑でいた。今、太郎主からも全く同じこと聞き疑念が解消した。わしも藤原の一族故、朝廷に窓口が無いわけではない。追討官符を出さないように裏から手を回そう。貴殿らも都で噂を流すなり、協力してほしい」

「わかりました。権太郎殿の朝廷への使者と合流し、連携して都で事を進めるよう、縣郷に残置した一族の者に指示を出しましょう」

「ありがたい。よろしく頼む」

その後、朝将と次任は清衡と暫し懇談した後、豊田館を後にした。


「太郎主、先程の話の続きだがな、阿弖流爲殿はヌクテ殿の御子孫だ。俺は阿弖流爲殿の血を引いている」

豊田館を出て暫くすると、次任が朝将に唐突に話しかける。

「何?権太郎殿は御存知なのか?」

「いや、話していない。信じてもらえそうにないからな・・・」

「急に言われても、俺もにわかには信じ難い」

「太郎主の家の記録に、奇妙なものはなかったか?」

朝将が記憶を辿っていると、確かに腑に落ちない記録があった。

「確か、阿弖流爲殿の戦の時、征東大将軍紀古佐美の軍に合流するために我が一族の長が率いて出陣した100余名が全員未帰還というのがあった・・・我が一族の戦で全員が未帰還というのは後にも先にもこれだけだし、他の記録には全て名前や人数が正確に記されているのにこの個所だけが曖昧で、一族の長老達に聞いても皆わからないと言っていた・・・」

「それだよ。その部隊は最前線に到着した直後に生起した巣伏の戦いで全滅したふりをして部隊丸ごと阿弖流爲殿に合流し、その後は阿弖流爲殿と共に大伴弟麻呂(史料に見える初の征夷大将軍)や坂上田村麻呂(征夷大将軍)と戦った。阿弖流爲殿と共に[処刑]された母礼殿が、太郎主の家の記録にある[一族の長]なんだよ」

「しかし・・・」

「巣伏の戦いは・・・」

次任は小枝を拾うと地面に地形や両軍の配置を描き、未だに信じられない朝将に巣伏の戦いを詳細に説明した。

「この戦い方はヴァイシュラヴァナ殿の・・・」

阿弖流爲は朝廷軍の中軍と後軍をあえて渡河させてから小部隊で敵を拘束・誘引し、隊列が伸びきったところで強力な主力を投入して側面から攻撃、更に退路を遮断し半包囲して敵を北上川に追い落としている。敵の前軍は阿弖流爲軍の別動隊により渡河を阻止され中軍・後軍と分断されてしまい、征東大将軍紀古佐美率いる朝廷軍の中軍と後軍4000は壊滅した。続日本紀によると、朝廷軍の損害は別将の丈部善理ら戦死者25人、矢に当たる者245人、川で溺死する者1036人、裸身で泳ぎ来る者1257人とある。阿弖流爲軍の戦死者は89人。阿弖流爲の圧倒的な勝利であった。

「そうだろう?ヴァイシュラヴァナ殿率いる旧仲国王宮親衛隊第2大隊が寡勢にも関わらず蛮族の大軍を撃破した紅河(中国雲南省に発しトンキン湾に注ぐ大河。水中に含まれる酸化鉄で水の色が赤いことから紅河と呼ばれる)の戦いの応用だ。これが何よりの証だ」

「ヌクテ殿が乎獲居を暗殺して出奔して以来、今回で2度目と思っていたら、これまでにも幾度か交流があったのだな・・・」

「阿弖流爲殿と母礼殿はな・・・」

次任は次第に厳しい顔付になっていく。

「阿弖流爲殿と母礼殿は延暦21年(802年)に坂上田村麻呂に降伏したことになっているが、延暦21年の早春に母礼殿の奇襲を受け軍勢が壊滅した坂上田村麻呂が日高見の自治を認める代わりに胆沢城を築き形式的に鎮守府を北進させて欲しいと阿弖流爲殿と母礼殿に懇願したのが実態だ。阿弖流爲殿と母礼殿は坂上田村麻呂の説得を受け入れ、和睦を結ぶために坂上田村麻呂と共に倭の朝廷に赴いた。それを・・・」

次任は声を詰まらせる。

「倭の連中は日高見国を征服するために、名将坂上田村麻呂でも対抗することができない優秀な軍事指導者だった阿弖流爲殿と母礼殿を亡きものにしようと画策した。この不穏な動きを察知した坂上田村麻呂は2人の命を守るために倭王に直訴を繰り返したが、倭は騙し打ちとしか言えない卑劣な手段で阿弖流爲殿と母礼殿を[処刑]した・・・それでも残された者達は阿弖流爲殿と母礼殿の闘いを引き継ぎ、岩手郡の前面で倭の侵入を阻止していたんだ。そして、ついに安太夫殿(安倍頼良)・厨川次郎殿(安倍貞任)父子と亘理権大夫殿が全面的な反撃を開始し、倭を伊達郡まで押し戻した。しかし、安太夫殿は一族の裏切りで討死なされ、厨川次郎殿と亘理権大夫殿は清原の日和見の結果、頼義に滅ぼされた・・・これが日高見国の、俺達の倭に対する抵抗の歴史だ」

「小次郎主・・・」

「先の戦では、俺の一族は亘理権大夫殿と共に戦った。俺の親父殿は厨川柵で討死し、他の者達は討死するか捕えられて1人残らず処刑された。女達は慰み者にされた後、皆殺された。俺の母上もだ!そして、幼い子供達も皆殺された!・・・だから、俺1人しか残っていない・・・家衡が権太郎殿の館を襲った時も、権太郎殿と俺は急な用事で多賀城の陸奥国府に出向いていたから助かったが、兼行の親父殿は館に詰めていたために討死なされた。俺を厨川柵から助け出してくれて元服するまで領地を守ってくれた、この上ない恩人を俺は家衡に殺されているんだ!」

次任は叫ぶように話す。異民族間戦争・紛争においては、このような大量虐殺あるいは民族浄化は容易に起こり得る。この場合、虐殺する側が相手を[異民族]と認識すれば十分であり、虐殺される側が正確な意味で異民族である必要はない。

「すまない・・・そうとは知らず・・・」

「・・・いいんだ・・・ところで、倭王が[天皇]と自称している理由を太郎主は考えたことがあるか?」

「いや・・・」

「中華の政治思想では、皇帝は王の上に君臨する唯一至高の存在だ。つまり、皇帝にとって王とは所詮一地域の君主、単民族を支配するにすぎない存在となる。それ故、皇帝は多民族を支配する、あるいは支配しなければならないという発想に至る。倭王が[天皇]と自称し、俺達のことを[蝦夷]と呼んで蔑んでいる真の理由は、倭族と異なる[蝦夷]や西国の[隼人]を支配しこの列島の皇帝として君臨したいということだ。所詮中華の猿まね、実に浅ましい・・・」

「小次郎主はこれだけのことを誰から学んだのか?」

「長年に渡る権太郎殿との議論の末にこう考えるに至った。権太郎殿も基本的に俺と同じ考えだ。しかし、権太郎殿は何もかも承知の上で、日高見国の独立のためなら一時的に倭と手を結ぶことも辞さない。陸奥守である義家の力も利用する。そういう人だ・・・だがな、目の前で御尊父が頼義に惨殺され、奥方と和子、数多の郎党や家人を家衡に殺されているんだ。事情を知らない者が安易にとやかく言えるものではない・・・この話はここだけにしよう。他の者に話してもややこしくなるだけだ。まして義家には禁句だ」

「そうだな・・・」


次任の館の近くまで戻ると、館から鼻血を流した家人が1人駆けてくる。

「殿!館が乱闘騒ぎになっています!」

「何だと!」

「とにかくお急ぎを!」

次任は家人と共に館に向かい走り出した。急な事態に朝将ものんびり構えているわけにもいかず2人の後を追う。次任と朝将が館に戻ると、庭先で双方の郎党達が総出で乱闘していた。家人達は制止しようにも逆に殴られ蹴られて何もできないでいた。鬼武に至っては1人で6人の朝将の郎党を相手にし、普段は冷静沈着な兼行までが衣服を乱して暴れている。しかし、さすがに武器を手にする者はいない。皆素手で暴れていた。

「客人を相手に何をしているか!」

次任が大声で怒鳴ると一瞬で乱闘が収まる。

「兼行!この乱闘の原因は何だ!」

「・・・」

兼行は数発殴られたのか、顔に青痣を作り鼻血まで出している。

「答えろ!兼行!」

「・・・当初はお互いの御主人の自慢話をしていたのですが・・・やがてどちらが優れているかで口論になり・・・」

「何をしているんだ・・・」

次任は溜息交じりに呟くと朝将に視線を向ける。朝将も複雑な表情で頭を掻きながら次任の顔を見ていた。

「明日の朝、戦勝祈願も兼ねて流鏑馬を行う。準備しておいてくれ」

朝将の意がわかったのか、次任は兼行に指示を出した。

「かしこまりました・・・」


翌朝、館内の祠で戦勝祈願をした後、朝将と次任は館の脇にある馬場に出た。この祠には、コカゲ、ヴァイシュラヴァナ、バイシャジャ及びアーディティヤ十二将の立像が祀られている。各像は前九年合戦の際に全て失われたので、次任が記憶を辿りながら、時には郎党達にも手伝わせて、時間をかけて再現してきたものである。馬場では既に流鏑馬の準備が整っている。

「太郎主、こうでもしないと皆納得しないだろう。すまないが付き合ってくれ」

「わかっている。だが、流鏑馬は神事だ。真剣に取り組もう」

「もちろんだ」

次任は馬に跨ると兼行から弓を渡された。一呼吸した後、次任は馬を走らせる。疾駆した馬上から射られた矢は、全て的に当たった。

(なかなかのものだな)

朝将が次任の騎射術に感心している。

「太郎殿、どうぞ」

朝将が馬に跨ると兼行から弓を渡される。弓を渡された朝将はそのまま走り出した。次任に匹敵する速さで馬を疾駆させながら、朝将は続け様に矢を放つ。放たれた矢は全て的に当たった。

(さすが本家の当主だ)

「太郎主、次は的を馬手(右手)側に置いてみないか?」

朝将の騎射術を目の当たりにした次任は、当初の目的を忘れたかのように子供のような眼差しで朝将に語りかけた。

「面白い。やってみよう」

朝将も快諾する。新しい的に取り換えられると、次任は馬場を逆走し始めた。

「おおっ!」

双方の郎党達がどよめきの声を上げる。次任が先程と変わらぬ速さで馬を疾駆させ、体を右側に思い切り捻りながら矢を放つ。放たれた矢は全ての的に当たった。

「おおっ!」

今度は驚きの声を郎党達が上げている。

(素晴らしい柔軟性だ。あれは真似できない。ならば・・・)

朝将は箙を左腰に付け直すと、弓を右手に構えた。やがて的が取り換えられる。

(何をする気だ?)

馬場の反対側から次任が興味津々と眺めている。朝将は走り出すと左手で矢を弓にあてがい、続け様に矢を放つ。放たれた矢は全ての的に当たった。

「おおおっ!」

(これは!太郎主は弓手(左手)でも馬手と同様に矢を射ることができるのか!)

「皆の衆、これでわかっただろう!見てのとおり、術は違っても縣一族に優劣の差は無いのだ!どちらが優れているかなどと議論すること自体愚かなことだ!」

馬場を走り抜けた朝将が次任の所まで戻ってくると、次任が大声で郎党達を諭す。暫くすると、双方の郎党達は照れ臭そうに自己の非を詫び始めた。

「すまなかった、太郎主。世話の焼ける連中で・・・」

「これで良かったのではないか?結果、結束が強まっただろうからな」

「太郎主が弓手でも矢を射ることができるとは驚きだ」

「俺は小次郎主ほど体が柔らかくないからな。苦肉の策だ」

「どのようにすれば弓手でも射ることができるようになるのだ?」

「そうだな・・・箸を弓手でも使えるようにすることから始めればよい。それができるようになれば、常時弓手を使うように心掛けることだ」

「よし、今日から始めてみよう」

郎党達を見ながら、朝将と次任は語り合っていた。


「こうか?いや、ちょっと違うな・・・」

その日の昼下がり、中庭に面した主殿の縁側に座った次任がブツブツ言いながら何かをしている。

「殿、先程から何をされているのですか?」

怪訝に思った鬼武が次任に尋ねる。鬼武がよく見ると次任は両手に箸を持ち、手前に米粒が入った茶碗を2つ置いていた。

「太郎主のように弓手でも矢を射ることができるようになりたくてな、その基礎的な練習を始めたんだ。かれこれ半刻(1時間)程しているのだがどうもうまくいかん」

(何をされているかと思ったら・・・)

鬼武は一緒にいた兼行と顔を見合わせる。

「箸の持ち方に問題があるようだ。力が入らず米粒すら満足に掴めん。馬手と同じように持っているつもりでも微妙に違うようだ」

「殿、このようなこと、一朝一夕ではやはり御無理が・・・」

「太郎殿は元々左利きで、幼少の時に右利きに矯正された結果、左右双方の手で弓を射ることができるようになったと先程太郎殿の郎党衆から聞きました。やはり三郎主が言うとおり、一朝一夕では・・・」

「そうか・・・気長に鍛錬するしかないようだな・・・おおっ!1粒掴めたぞ!この調子で・・・」

(何かに触発された時の殿は幼子のようになる・・・)

兼行は我が子を愛でる父親のような眼差しで次任を見つめていた。


数日後、清衡に付添い、朝将と次任は義家のいる胆沢城を訪れた。胆沢城は清衡の豊田館からさほど離れていない場所にある。

「そなたは朝将ではないか?何故ここにおるのだ?」

朝将の姿を目にした義家は驚き尋ねる。縣一族は義家が下野守だった当時(延久2年(1070年))、陸奥国で国司の印と国の正倉の鍵を奪い下野国に逃亡して来た藤原基通を義家の命で捕えていた。

「八幡殿、御無沙汰しております」

「太郎主はここにいる小次郎主の遠い縁者にて、姓は藤原です。したがって私の同族でもあり、此度の戦のために下野国より遠路御足労いただいた次第です」

朝将が義家に挨拶すると、清衡が義家に事の次第を説明する。

「朝将、大義である!ところで、遠い縁者とは?何時下野国と陸奥国に別れたのだ?」

「我々の祖先は下野国梁田郡におりましたが、小次郎主の祖先は約600年前に下野国から離れました。それ以降、音信が途絶えていましたが、先月小次郎主の使者が我が館を訪れ、加勢を依頼された次第です」

下野国と陸奥国の縣氏に興味を抱いた義家が尋ねると、朝将が説明する。

「何と!600年とな!」

義家は驚愕する。控えている義家直属の武将達も驚きのあまり顔を見合わせている。


「これは・・・」

朝将は青ざめた。2月半後の8月26日(新暦で1087年9月24日)、出陣の準備が整った義家率いる軍勢は金沢柵に向かうために胆沢城を出発した。出羽国平鹿郡に入り原野を暫く進むと、軍勢が進む右手の空を整然と飛んでいた雁の群れが軍勢の先頭から1町程先でにわかに乱れた。

「太郎主、このまま行軍しては危険だ!」

次任が馬を走らせ朝将に駆け寄ると声をかける。

「皆の衆、知らぬふりをして馬を進めよ。伏兵に気付かれたらまずい」

朝将は縣勢に指示すると、義家の傍らに駆け寄る。

「八幡殿、暫しお待ちを」

「どうした?何事だ?」

「八幡殿、これから行軍の露払いをします故、ここで暫くお待ちください。ちょっとした余響も御覧に入れます」

義家が振り向き朝将に尋ねると、朝将は義家に具申する。

「そうだな、一息入れるとしよう」

「では」

朝将は後ろを振り向くと、次任に合図した。次任は手勢23騎を率い義家勢の右前方に展開する。朝将も手勢29騎を率いて右側に大きく迂回して遥か前方に展開した。

(何が始まるのだ?)

完全に休息状態に入ってしまった義家が呑気に縣勢の動きを興味津々と眺めていると、いきなり次任勢が密生したすすきの茂みに矢を射掛けた。続けざまに矢を射掛けると、3斉射目で茂みから多数の敵兵が湧き出てくる。それを確認した次任勢は敵兵に的を絞り更に矢を射掛ける。

「何と!」

「八幡殿を護れ!」

義家は驚愕し、休息していた武将達は慌てて弓を取ると義家を囲み警護する。義家の軍勢を奇襲するつもりが不意に一方的に射掛けられ、混乱した敵兵は応戦しながら後退を始めた。しかし、その後退方向には朝将勢30騎が待ち構えている。後退する隊列の脆弱な横腹を朝将勢に散々射掛けられ、次任勢の追撃を受けた敵兵は多くの死者を放置したまま少人数が辛うじて逃れることができた。次任が戦果を確認して義家に報告する。

「敵兵を31人討取りました。これで余興は終わりです。八幡殿、御安心して軍をお進めください」

「うむ。露払い、大義であった」

義家は次任に労いの言葉をかけると行軍を再開した。しかし、義家配下の武将達は何も言えないでいる。もし縣勢がいなければ、伏兵の奇襲で義家の軍勢は大損害を被っていたはずだ。

(縣・・・長きに渡り音信がなかったにも関わらず、あの阿吽の呼吸は何だ。如何にすれば郎党に至るまであのような正確で素早い動きができるのか・・・)

義家は答えを見出せないまま、黙々と軍を進めていた。


「清原勢、恐れるに足らずだな」

「ああ、楽な戦だ。こちらには負傷者もなく、一方的に31人討取った」

「我々縣勢の前には敵無しだ」

「この戦、意外と早く終わるかもしれんな」

「早く帰って、娘の顔を見たいものだ」

郎党達が勝ち誇っている。

「敵を侮るな!油断すれば明日の我が身と思え!」

郎党達の雑談を耳にした朝将が大声で叱責する。

「たまたま伏兵に向かって雁が飛んでいたから伏兵を察知できただけだ!雁が飛んでいなかったらどうなっていたか、想像してみろ!」

郎党達は押し黙る。しかし、朝将とっては自分に言い聞かせるためのものでもあった。


「しかし、沼柵で八幡殿を押し返したからといって、この地に立て篭もるとは・・・」

「ああ、しかも今度は武衡まで一緒だ。自ら袋の鼠になるとは、これ以上の愚策はない」

義家率いる軍勢が到着する以前から伴次郎助兼率いる先遣隊が金沢柵に取り付き家衡・武衡勢と小競り合いをしていたが、金沢柵に到着後、朝将と次任は助兼から状況を聴取すると直ちに少人数で金沢柵の外縁部を偵察し、義家の陣に戻ってきた。

「さてと、敵の配置も概ね把握できたから御味方軍勢の配置を検討するか」

「そうだな・・・意外と要害堅固な柵だ。迂闊に攻めたらまずい」

「小次郎主ならどう攻める?」

「援軍が期待できない袋の鼠だ。気長に兵糧攻めにする」

「俺も同じだ。しかし、包囲するならここが気になる」

朝将が盾に広げた金沢柵の粗図面の一点を鞭で示した。

「ここか・・・確かに逃げ道になるな・・・」

「再度確認しておくか?」

「そうしよう。兼行、鬼武、ついてこい」

朝将と次任は郎党を4人連れて再度偵察に出て行った。


「あの2人、実の兄弟のようですな」

義家に従う三浦平太郎為継が再度偵察に出て行く朝将と次任を遠目に眺めながら義家に話しかける。

「そなたにはそう見えるか?わしにはそれ以上に、何かとてつもなく深い理を共有しているように見える。その理があるから阿吽の呼吸ができるのだ。それが何だか全くわからぬが・・・」

義家は17年前、元服すらしていない年少の朝将がいともたやすく基通を捕えた時の様子を思い出していた。

(あの時は子供に捕えられた基通をこの上ない阿呆だと思ったが、先日の伏兵に対する素早い対応といい、何かある・・・)


「俺がここを抑えれば、逃げ出してきた連中は嫌でも向こう側に逃げることになる。小次郎主は向こう側に陣取るがよい」

「いいのか?太郎主の手柄はなくなるぞ」

「この戦、俺が手柄を立てても誰も喜ばない。小次郎主と権太郎殿の手柄にすればよい」

「かたじけない。もし俺が家衡か武衡を討取ったら、事の経緯は義家に説明する。手柄を一人占めにはしない」

「よし、決まりだ。陣に戻り詳しい図面を作り御味方軍勢の配置を八幡殿に具申しよう」


翌日の夕刻、朝将と次任は金沢柵の詳細な図面と義家勢の配置を記した図面を清衡に渡した。清衡は叔父の吉彦秀武に相談すると、秀武は図面に全く手を加えることなく即座に義家に提出し、兵糧攻めまで提案してしまう。

「おお、実に良くできた図だ。軍勢の配置も適切。大義であった。して、兵糧攻めにする理由は如何に?」

金沢柵の詳細な図面と我が意を得た軍勢の配置を記した図面を手にした義家は上機嫌で秀武に尋ねる。

「それは・・・」

「金沢柵は天険の要害、いたずらに攻めても御味方の損害が増すばかりです。此度は家衡と武衡は援軍が全く期待できない状況にも関わらず金沢柵に立て篭もりました。これはこの上ない愚策。御味方が金沢柵を厳重に囲んで兵糧攻めにすれば家衡と武衡はやがて自滅します」

秀武が窮すると、清衡が話に割って入って来た。

「兵糧攻めはそなたの立案か?」

「いえ、太郎主と小次郎主が作成した図面を基に叔父殿と相談した次第です」

義家が清衡に尋ねると、清衡は角が立たないようにその場を取り繕った。

(兵糧攻めも朝将と次任の立案だろう・・・この者達、何者なのだ・・・)

「しかして朝将と次任、そなた達は柵の外れの山道に陣取っているが、そなた達のような武芸だけでなく軍略にも秀でた者達がこのような場所では宝の持ち腐れではないか?働く場なら他にも幾らでもあるぞ」

「この場所は柵外からは見えにくいため、敵兵が柵から逃亡する際の絶好の間道になります。兵糧攻めにすれば、やがて食料が尽き逃げ出す者も出てくるでしょう。こうした者達を捕縛し調べれば柵内の状況がわかります。兵糧攻めのような長期戦の場合には、敵の内情を知ることが不可欠です」

義家の問いに朝将が答えた。

「我々は戦闘に参加したくないのではありません。私の郎党に鬼武という一騎当千の剛の者がいます。他にも3人、剛の者を八幡殿にお預けします故、いかようにもお使いください。御期待以上の働きをするはずです」

次任が義家に提案する。事実、後に鬼武は武衡勢随一の勇者大森次郎亀次を激しい一騎討の末討取った。他の3人も家衡の主だった郎党を10人以上討取ることになる。

「そなた達の考え、よくわかった。逃亡者を捕縛したら直ちに陣まで引き立てよ」

義家が朝将と次任に下命する。


「何だと!投降してくる婦女子を殺すとは犬畜生にも劣る!」

包囲を開始してから2月後、金沢柵の外縁部に繋がる間道に陣取っていた次任に清衡から悲報がもたらされた。飢えの苦しみから逃れるために金沢柵から出てきて投降しようとした婦女子を義家の命で皆殺しにしたという。愕然とした次任は朝将に事の次第を知らせたが、朝将は激怒した。

「大方、柵から投降させないように見せしめに殺したのだろうが、兵糧を早く消費させるためとはいえこんな外道が許されるものか!小次郎主、権太郎殿は何をしていたのだ!」

「権太郎殿は何もしなかったわけではない。権太郎殿は強く反対され抗議もしたが、秀武が提案した愚策を真に受けた義家に押し切られたらしい。太郎主、気持ちはわかるがここで憤っても何も始まらない。今は我慢だ!それに、義家のこのような仕打ちに一番憤り悲しんでいるのは権太郎殿だ!」

朝将はやり場のない怒りに震えながら虚空を凝視している。平静を保っているかに見える次任も内心は腸が煮えくり返っていた。

(武者は弱き民達を護るためにのみその存在が許されているのだ。俺達は土地を有しているという理由だけで民達が作りし作物を只で手に入れている存在にすぎないのだから。その土地ですら民達と共に開墾したものだ・・・愚者が武力を手にすると弱き民達を虐げるだけなのか・・・)

朝将は拳を握りしめる。


その日の夕刻、朝将が郎党2人を連れて金沢柵の大手口に赴くと、虐殺された婦女子の死体が放置されたままになっていた。その死体を無数のカラスが突いている。死体は全て母子のもので、中には首を刎ねられた赤子の死体もある。我が子と同じ年恰好の無惨な死体を幾つも目にした朝将は驚愕した。

(惨いことを・・・この者達が何をしたというのだ・・・これが母上が話されていた戦なのか・・・)

「平太郎主!」

朝将は近くにいた為継に声をかけた。

「太郎主、何か?」

「この者達を葬りたいのだが・・・」

「だめだ。見せしめのためにこのままにしておけとの八幡殿の御下命だ」

「死体を長期間放置すると疫病が発生する。疫病が蔓延して御味方が犠牲になっても良いのか?」

「この季節、そこまで気にせんでもいいだろう?」

「疫病が発生しないと言い切れるのか?」

「・・・暫し待たれよ」

朝将がもっともらしい理屈を言うと、為継は義家の陣に向かう。暫くすると、為継が戻ってきた。

「すぐに死体を埋めろとの八幡殿の御下命だ。太郎主、引き受けてくれるか?」

「わかった。頼成、皆の衆を呼んできてくれないか。守義、適切な埋葬場所を至急探してきてくれ」

「かしこまりました」

朝将は郎党2人に指示を出すと、2人はすぐに任に赴いた。為継と郎党2人が去った後、1人残った朝将は死体に向かい両手を合わせる。しかし、涙が出るだけで朝将は弔いの言葉を言うことができないでいた。


その夜、次任が珍しく寝付けないでいると、朝将が忍び足で宿舎にしている掘立小屋から外に出て行く。

(何処に行く気だ?)

気になった次任が後をつけると、朝将は掘立小屋の脇にある巨石の上に何かを置き、その前に跪き祈り始めた。すると、巨石の上に置いた何かが微かに光り始める。

(これは、一体・・・)

「誰だ!」

人の気配を感じた朝将は鋭い小声で質す。

「俺だ、太郎主」

「小次郎主か。人の後をつけるとは、あまり良い趣味ではないな」

「そう言う太郎主こそこのような夜更けに何を・・・これはコカゲ殿の紋章!まさか、太郎主は・・・」

巨石の上に置かれた金属板に彫られている模様を見た次任は驚きの声を上げた。

「ああ、俺の母上はコカゲ殿直系の御子孫である紫苑殿だ」

「そうだったのか・・・でも、何をしているのだ?」

「いずれ金沢柵は落ちる。武者達はいい。自分の意思で戦に加わったのだからな・・・しかし、家人や婦女子はどうなる?」

「・・・」

「ユカリ殿は豊浦館からウツギ殿とシラン殿、クビラ一族、民達を救い出された。此度はコカゲ殿の御子孫とは全く関係ないが、それでも祈らずにはいられないのだ。小次郎主も知っているだろう?豊浦館の外にいて逃げ遅れた民達は一人残らず倭に虐殺されたことを。そして今日も・・・だから、豊浦郷や厨川柵の悲劇を繰り返したくない」

「俺も・・・一緒に祈ってよいか?」

「ああ、頼む。1人より2人の方がユカリ殿に祈りが届くだろう」


「太郎主、ちょっと付き合ってくれないか?」

翌日の夕刻、辺りが暗くなると次任が朝将に話しかけた。

「どうしたのだ?」

「金沢柵には大鳥山太郎殿が籠っておられる。太郎殿は家衡や武衡とは一線を画し、此度の戦には清原の一族だから、という理由だけで参戦しているに過ぎない。幼い権太郎殿や俺に良くしてもくれた・・・太郎殿にこれから矢文を送る。義家の手勢が城戸を突破したら、速やかに俺達の陣に婦女子と家人を逃すように、とな・・・こうしておいた方がより確実に婦女子や家人を保護することができる」

「わかった。だが、少しでも遠くから射た方がいいだろう。俺の郎党に遠矢に卓越した者がいる。この者を連れて行こう。盛嗣!こっちに来てくれ」

「殿、いかがなされましたか?」

「敵陣に矢文を射てもらいたいのだ。すぐに支度をしてくれ」

「かしこまりました」

朝将が指示すると、盛嗣は支度を始めた。朝将と次任も準備を始め、朝将は一旦は脱いだ着背長を再度着用する。

「太郎主、その鍬形は何とかならんのか?」

朝将が兜を被ろうとすると、次任が朝将の兜の鍬形に気が付いた。

「それでは月明かりを反射して敵に居場所を教えてしまう・・・兼行、何処かに暗い色の布はないか?」

暫くすると兼行が紺色の布を持ってきた。次任は朝将の兜を手に取ると、鍬形を布で覆ってしまう。

「不細工だな・・・」

「誰に見せるものではない。どうせ夜道だ」

朝将は不満であったが、次任の指摘は理解できる。多少不細工でも敵に居場所を教えるよりは遥かにましだ。

「そうだな・・・盛嗣、準備はできたか?」

「できました!いつでも出立できます」

「小次郎主、行こうか」

「よし、行こう!」


「小次郎主、太郎殿の居場所は見当がつくのか?」

「確実なことは言えないが、おそらく搦手の城戸を守っているだろう。此度の戦には消極的な御仁だからな」

明りのない山道を微かな月明かりを頼りに朝将、次任、盛嗣、兼行の4人がひたひたと金沢柵の搦手口を目指す。そうこうするうちに視界が開け金沢柵の搦手口が見えてきた。距離は3町程ある。

「ここから射ることができるか?」

朝将が盛嗣に問いかける。

「文が付いていますのでもう少し近付いた方が確実です。2町まで近付けば十分です」

「小次郎主、ここで待っていてくれ。4人だと敵に見つかるかもしれん。俺と盛嗣だけで射てくる」

「わかった。気をつけてな」

朝将は次任の肩を叩くと、盛嗣と共に搦手口に接近していった。


「敵襲!各々方、出合え!出合え!」

暫くすると、にわかに金沢柵が騒然とする。柵内から見えない敵に闇雲に矢を射かけているようだ。

「殿、大丈夫でしょうか?」

「2町離れていれば弓の有効射程外だ。甲冑を着用しているし心配無用だ。しかも太郎主の甲冑は2枚に1枚の割合で鉄小札を使っている。要所にしか鉄小札を使っていない俺達の甲冑より防御力が高い」

朝将と盛嗣を気遣い兼行が問いかけると、次任は淡々と答えていた。

「小次郎主、今戻った」

暫くすると朝将と盛嗣が戻ってきた。背に数本の矢が刺さっているが、どれも小札を貫通することなく、ぷらぷらとぶら下がっているだけにすぎない。

「闇雲に矢を射かけてきた。矢文が届いた証拠だ」

朝将が盛嗣の背中に刺さった矢を抜きながら次任に話しかける。朝将の背中に刺さった矢は兼行が抜いていた。

「太郎主、長居は無用だ。ささっと帰ろう」

次任が殿となり、4人は陣に戻っていった。


「殿、矢文です!」

郎党が矢文を頼遠に渡す。

「ほう、小次郎からか。今時何を・・・そうか・・・あいつらしい・・・」

「殿、小次郎主は何と?」

筆頭郎党の杉沢小太郎高親が頼遠に尋ねる。

「義家の手勢が城戸を突破したら速やかに小次郎の陣に婦女子と家人を逃すように、とある。先の戦のような大勢の犠牲者を出したくないのであろう。小次郎の母親も慰み者にされた後に殺されているからな」

「小次郎主は優しい御仁ですからな。殿・・・」

高親が頼遠に語りかけると、頼遠は静かに頷く。

「女房頭を呼べ!」

「はっ!」

高親は矢文を持参した郎党に指示を出した。暫くすると、郎党が女房頭を連れてきた。

「こんな夜中に何の御用ですか?」

女房頭は不機嫌そうに頼遠を質す。

「これは・・・信じてよいものでしょうか?私達を虜にするための罠では?」

頼遠が女房頭に次任の矢文を見せると、女房頭は驚愕の表情を隠さない。

「信じてよい。小次郎は邪な策を弄するような男ではない。もし、城戸が破られたらこの矢文にある間道を辿り、柵内の婦女子と家人を連れ小次郎の陣に逃れるがよい」

「かしこまりました。殿はどうなさるおつもりですか?」

「知れたこと、義家の首を狙うだけだ」


「八幡殿の手勢が城戸を突破しました!」

数日後の11月14日(新暦で1087年12月11日)、朝将と次任の陣に清衡の伝令が駆け込んできた。

(これから地獄が始まる・・・)

朝将は懐の錦袋から金属板を取り出すと、床几の上に置きその前に跪く。

(ユカリ殿、かつてアーディティヤ十二将を遣わされて豊浦館の民達を御救いなされたように、此度も柵内の婦女子と家人を御救いくだされ。あの者達は戦とは関係がない。戦の犠牲にならないように・・・)

「太郎主!今、権太郎殿から・・・」

次任と兼行が朝将の陣に対応を協議しに来たが、祈りを捧げる朝将の姿を見た次任はすぐさま兼行に指示を出す。

「兼行!陣に戻り警戒を厳にしろ!柵から逃げ出してきた武者や怪しい男は全て討取り婦女子と家人は保護しろ!」

「はっ!」

兼行は陣に駆け戻っていった。

(太郎主・・・)

「俺も一緒に・・・」

朝将の返事はなかったが、次任は朝将の傍らに跪くと祈り始めた。暫くすると、それまで微かな光しか放っていなかった金属板が突然強い光を放ち、次の瞬間、天空から光の条が降りてきて金沢柵を覆う。その光の中に、12人の武将を従えた少女の姿がはっきりと見て取れた。

「太郎殿、小次郎殿、あれを!」

朝将の郎党が叫ぶ。朝将と次任が振り返ると、既に12人の武将は金沢柵に向け降り立つ途上にいた。

「ユカリ殿・・・アーディティヤ十二将・・・」

「太郎主、これで皆救われたな」

「小次郎主のおかげだ。感謝する」

「何を言うか。太郎主がコカゲ殿の直系の血を引いているからだろう」

朝将は再度金属板に向かうと祈りを続けた。暫くすると朝将は金属板を錦袋に納め懐に戻し、兜の緒を締め直す。

「小次郎主、そろそろ来るぞ」

「ああ、後は家衡と武衡を討取り、義家を日高見から体よく追い出すだけだな」

「そうなれば日高見には権太郎殿だけが残る。亘理権大夫殿と安倍殿の血を引く権太郎殿が日高見を倭の支配から解放し、この地に理想郷を造ることができる・・・」

「そういうことだ」

朝将と次任は向き合うと、笑いながらお互いの右拳を突き合わせる。

「皆の衆、警戒を厳にせよ!この道を塞ぎ、逃げ出してきた武者を全て小次郎主の陣に誘導するのだ!ただし、婦女子と家人は残らず保護しろ!」

朝将は郎党達に指示を出すと、太刀を抜き陣の前に構えた。初冬の冴えた陽の光を浴びて冷たく輝くその太刀は、朝将が着用している赤糸威の着背長と兜同様、148年前、坂東の独立を目指し将門と共に闘った縣朝信が使用した一族伝来の武具であり、縣一族当主の証でもある。着背長と兜の縅毛は縦取縅で古風であるが、構成と各部の機能は既に完成の域に達していた。2枚に1枚の割合で鉄小札を使用しているため、防御力も高い。この朝信が使用した赤糸威の着背長と兜、太刀は承久の乱に至るまで縣一族の当主が戦場で使用し続けることになる。


「殿、あの男は・・・」

兼行が不審な男を見つけた。落ちぶれた身なりの割には上質の太刀を帯びている。

「そこの男、止まれ!」

兼行が近付くと、男は慌てて逃げ出した。

「待て!」

兼行が叫び追いかけると、その脇を一筋の矢が走る。矢は男の脇腹を射貫いた。兼行が虫の息で倒れている男に近付き、被っている笠を取り男の顔を確認する。

「殿、こやつ、家衡です!」

「その太刀には見覚えがある。間違いない、家衡だ。首を取れ」

弓を手にした次任が歩み寄りながら兼行に声をかける。

「い、命だけは・・・」

家衡は兼行に命乞いをする。家衡の命乞いを聞くや否や兼行の血相が変わった。

「親父殿の恨み、覚えたか!」

家衡の命乞いに耳を傾けることなく、兼行は仰向けに倒れている家衡の体を強引に俯せにすると跨り、腰刀を抜くと左手で髷を掴み絶叫しながら首を掻き取った。

「武衡も既に討取られている。これで終わりだ・・・兼行、権太郎殿に使者を。家衡の首級は義家に差し出す前に権太郎殿に御見せする」

「かしこまりました」

血の滴る家衡の首級を左手にぶら下げながら兼行が答えた。


暫くすると清衡が単独で次任の陣を訪れた。別途、次任から連絡を受けた朝将も既に駆け付けていた。

「太郎主と小次郎主を残して他の者は暫くの間ここから遠のいてくれないか・・・できるだけ遠くに行ってくれ・・・」

清衡は地べたに置かれた家衡の首級を暫く見ていたが、やがて下を向いたまま声を震わせて話しかけた。郎党達は保護した婦女子と家人を連れて陣を後にする。清衡の脳裏には父経清や妻子、郎党や家人達等々、戦で命を奪われた者達の姿が浮かんでは消えていった。

「うお!」

郎党達が十分離れたことを確認すると、清衡は絶叫しながら家衡の首級を力任せに蹴飛ばした。首級は大木に当たり、地面を転がる。

「権太郎殿!」

いくら仇敵の首級とはいえ、それを蹴飛ばすとは尋常な行為ではない。驚いた朝将は清衡に詰め寄ろうとする。

「太郎主!」

次任は咄嗟に朝将の行く手を阻んだ。

「・・・いいんだ・・・これでいいんだよ・・・」

正面から両手で肩を掴み制止している次任の顔を朝将が見ると、次任は何もかも理解しているかのような静かな表情で朝将を見つめている。

「小次郎主・・・」

その場で立ちすくんだ朝将が清衡の顔を見ると、目から大粒の涙が零れている。清衡はその場にしゃがみ込むと、幼き日、目の前で父親が惨たらしい方法で斬首されて以来、今まで積もりに積もった心の澱を全て吐き出すかのように嗚咽していた。

(俺には想像もできない凄惨な半生だったのだな・・・小次郎主も同じ心境なのか・・・多くの身内を戦で殺されてきたのだからな・・・)

朝将は何も言えず清衡を見守っていた。


「権太郎殿、これで戦は終わりです。後は義家を日高見から追い出せば、権太郎殿の夢も実現できます。我々の、日高見国の勝利です!」

次任が清衡の傍らに片膝を突き話しかける。次任も涙を流していたが、その表情は希望に満ちた明るいものだった。

「そうだな・・・見苦しいところを見せてしまった。すまない。まだ為すべきことは山ほどある。今まで以上に油断なく精進しないとな・・・小次郎主、家衡の首級は小次郎主が義家に差し出せばよい。小次郎主の手柄だ。太郎主、これまでの協力、感謝する。豊田館に戻り次第、できる限りの礼をする」

やがて清衡は立ち上がり、朝将と次任に声をかけると次任の陣を去って行った。その後姿は独立した日高見国の首長を自覚した堂々たるものであった。清衡が次任の陣から離れて暫くすると、郎党達が戻って来た。

「泥だらけになってしまったな・・・兼行、薙刀を持ってきてくれ」

次任は家衡の首級を拾い上げ、手拭で首級に付いた泥を丁寧に拭うと、兼行が持ってきた薙刀に首級を突き刺した。

「さて、義家の陣に行こうか」

次任は朝将に声をかける。


「八幡殿、家衡の首級です。別途、家衡の郎党を48人討取りました。郎党達の首級はあちらに晒してあります」

次任の後には兼行が家衡の首級を刺した薙刀を垂直に構えて片膝を突いている。

「次任、実に大義であった。為継、例の物を」

義家が為継に指示する。家衡を討取った者のためにあらかじめ準備しておいた恩賞である紅い絹を掛けた鞍付の名馬を為継が引き連れてきた。義家は絹を為継から受け取ると、自ら次任の肩に掛けて労う。鞍付の名馬は為継から兼行が受け取った。

「八幡殿、此度の戦果は私だけで為し得たものではありません。太郎主が道を塞ぎ私の陣に敵を誘導してくれたからこその戦果です。今一つお願いがあります。分捕りし婦女子と家人の処遇は私の一存にさせていただきたく・・・」

「さようか、朝将を呼べ。婦女子と家人は慰み者にするなり奴婢にするなり、そなたの好きにするがよい」

「御意」

義家が朝将を連れてくるよう為継に命じる。暫くすると、為継が朝将を連れてきた。

「朝将、次任との連携、見事であった。家衡とその郎党達を討取りし働き、次任との協同と看做し、そなたには下野国に土地10町(1町=0.9917ha)を恩賞として与える」

「ありがたき幸せ」

朝将は義家に謝辞を述べると、次任と共に義家の座所を出た。

(まるで結果がわかっていたかのようではないか・・・)

義家は怪訝な目で朝将と次任の後ろ姿を見ていた。朝将と次任は、これまで敵の打つ手の先の先まで読み確実な布石を打っている。その結果、激しい戦闘でも犠牲者を出していない。しかし、家衡やその重臣達が特別阿呆とは思えない。現に義家は家衡勢が立て篭もる沼柵を攻めあぐね多数の凍死者を出して撤退するに至っている。

(わからん。一体何なのだ・・・)

勝利を収めたとはいえ、義家は釈然としない思いでいた。


「あれは・・・」

「どうした?小次郎主」

「太郎殿・・・それに小太郎殿も・・・」

次任の視線を朝将が追うと、首級が10程竿に括り付けられて晒されていた。次任は隣り合わに晒されている2つの首級の前で膝まづき、手を合わせる。

(太郎殿、小太郎殿・・・ありがとうございました。婦女子と家人は保護しました。もう大丈夫です。安らかにお眠りくだされ・・・)

「お前はこの蝦夷の縁者か?」

次任の背後から野太い声がする。

「俺は鎌倉権五郎平景政!こいつを討取った!」

次任が振り返ると、隻目の武将がふらつきながら大見えを切っている。どうやら酒を飲んで酩酊しているようだ。

(何だ、こいつは?)

まだ若いが横柄な景政の態度に次任は不快になった。

「お前は八幡殿に与したが、所詮小汚い蝦夷だろ?そうだろ?」

「何だと!俺は縣小次郎次任、日高見の住人だ!」

「ふん、蝦夷の分際で何を言う。こいつはな、分不相応に八幡殿に一騎打を申し出た。もちろん、八幡殿が応じるわけがない。俺達が八幡殿に代わり成敗したのさ」

(こいつが太郎殿を・・・)

「・・・許さん!」

次任は太刀を抜くと景政に切りかかる。

「小次郎主、止めろ!ここは八幡殿の陣だ!」

朝将が次任を羽交い絞めにして制止する。

「八幡殿の陣で何をしている!」

騒動に気付いた助兼が駆け寄り景政を取り押さえた。

(またか・・・本当に酒癖の悪い奴だ・・・)

「権五郎主、御味方同士で何をしているのだ!小次郎主、太刀を収められよ!太郎主、何があったのだ!」

「此奴が死者を弔っている小次郎主に言い掛かりをつけ、小次郎主を蝦夷と侮辱したのだ!小次郎主に非はない!」

「次郎!離せ!俺に楯突く蝦夷、ただでは済まさん!」

「権五郎主、頭を冷やせ!小次郎主、事情はわかった!この助兼に免じて今回は御容赦願い申す!酒を飲んでいるとは言え家衡を討取りし小次郎主への非礼、権五郎主を後で厳しく諭す故、今回は見逃してくれ!」

「小次郎主、次郎主は源氏八領の一つ、薄金を拝領した勇者だ。彼に免じてこの場を収めてくれ!」

朝将も次任を説得する。

「・・・糞ったれめ!」

次任は朝将の言に従い、太刀を収めた。


「兼行、保護した婦女子と家人は一旦江刺郡に連れて行く。ここに置き去りにすると義家の手勢が何をするかわからんからな。先に戻って宿舎の手配をしてくれ」

「かしこまりました」

義家の陣から離れた次任は兼行に指示を出す。

「さて、都はどうなっているかな?」

周囲に人気が無いことを確認した朝将が次任に話しかける。

「摂政(藤原師実)に鼻薬を嗅がせたうえに巷に絶え間なく噂を流したのだ。当然、太政官も此度の戦が私戦であると認識しているだろう」

「そうだな、果報は寝て待つとするか」

「ここにいても不愉快だ。郎党達にも長い間苦労をさせてきたし、恩賞も出た。早々に陣を払い豊田郷に戻り、皆を集めて酒でも飲むか?」

「いいな、そうしよう」

「もう冬だ。帰路で鹿を狩り、鹿鍋を作ろう。太郎主は鹿鍋を食べたことはあるか?」

「いや、まだない。縣郷界隈はもっぱら猪鍋だ」

「美味いぞ!特に鬼武が作る鹿鍋は最高に美味い」

「あの剛の者が鹿鍋を作るのか?」

「ここだけの話だが、鬼武は女房殿に頭が上がらなくてな、家では飯の支度をさせられているらしい。それ故、鹿鍋に限らず何でも美味く作ることができる。此度の戦でも、ほとんど鬼武が飯の支度をしていたんだ」

「それは知らなかった。あの者を尻に敷くとは、趙夫人のような女傑なのか?」

「いや、大人しい小柄な美女だ」

「そうか。一度お会いしたいものだな」

朝将と次任は談笑しながら宿舎に戻った。ちなみに、趙夫人(趙氏貞)はベトナムの反乱指導者。248年に兄の趙国達と共に呉(三国)に対して反乱を起こした。248年戦死。


その後、義家の必死の懇願にも関わらず、清衡、朝将、次任の策謀の甲斐あって、朝廷は義家と清原一族との戦闘を私戦と断定、勧賞を出すことはもちろん、戦費の支払をも拒否した。義家は陸奥守を解任され、失意のまま陸奥国を去る。清衡の悲願は成就され、直属の4騎以外の25騎を縣郷に帰還させて豊田郷に残り事の成り行きを見守っていた朝将に清衡は陸奥国産の名馬2頭と砂金100両を与えた。また、清衡は次任に砂金100両と江刺郡に土地15町を与えた他、平鹿郡と宮城郡の管理を任せた。


義家が奥州から敗者の如く立ち去るのを見届けた朝将は、次任と共に岩手郡に居住する縣一族を尋ねた後、磐井郡平泉で清衡に見送られて直属の4騎と共に縣郷への帰路に着いた。伊達郡国見駅までは次任とその郎党達が同行した。

「太郎主、当初は白河までと考えていたが、戦の後片付けがまだ残っているのでそこまでは行けない。ここで別れよう」

「小次郎主、わざわざここまで見送ってもらいかたじけない」

郎党達も名残惜しそうに語り合っている。

「機会があれば坂東に来てくれ。美味い猪鍋を馳走しよう」

「あ・・・」

朝将が次任に語りかけると、次任が何かを言いかける。

「何か?」

「いや、何でもない。また会おう!」

「達者でな・・・」

「太郎主もな・・・」

朝将は微笑みながら左手を上げると馬首を巡らし、郎党達と共に帰路に着いた。


「殿、そろそろ・・・」

「そうだな・・・」

何時までも朝将一行の後ろ姿を見守っている次任に兼行が語りかけると、次任は馬首を巡らし帰路に着く。暫くすると次任は馬を止め振り返り、既に視界から消えている朝将に向かい大声で叫んだ。

「兄者!次は坂東の独立のために共に闘おう!」


その後、義家は朝廷から陸奥国府の正倉に納めるべき金や正倉に保管されていた兵糧を無断で使用したことを咎められ、これにより義家は受領功過定(太政官による任期を終えた受領に対する成績審査)をなかなか通過することができず、10年間、新たな官職に就くことさえできなくなった。このため、義家は私財を割いて従軍した武士達に恩賞を出すことになるが、結果として義家と従軍した武士達との私的結束が強化されたことにより、中世北西部欧州社会と基本原理を同じくする封建制が列島東部に確立され、この源家棟梁と坂東武士の封建的主従関係が後の[関東]樹立の原動力になる。


7年後の嘉保4年(1094年)、清衡は江刺郡豊田館から安倍一族の故地衣川館に近い磐井郡平泉館に本拠地を移し[首都建設]を進める一方で、長治2年(1105年)、中尊寺の建立を始める。阿弖流爲と母礼、安倍頼良、安倍貞任、藤原経清をはじめ日本の侵略に抵抗し命を落とした全ての戦士達と戦に巻き込まれ犠牲になった自身の妻子と民達を弔うために。


しかし、102年後の文治5年(1189年)、義家の玄孫である源頼朝率いる[関東]の大軍(吾妻鏡によると28万4000騎。対する奥州勢は17万騎と言われる)が清衡の曾孫である泰衡を滅ぼし、清衡が苦難の末に樹立した独立した日高見国が[関東]の版図に組み込まれてしまうという皮肉を清衡も、朝将も次任も夢にも思わないでいた。

=====


「何処にあるのよ!こんな時に限って見つからないんだから!」

ワゴン車の中で朱美が大慌てで携帯電話を探している。

「優花里、優花里!」

恵理香は優花里の頬を叩きながら繰り返し声をかけていた。暫くすると、優花里は目を覚ました。

「恵理香?ごめん、心配掛けて・・・またやっちゃったみたいだね・・・」

「またって、私は初めてだよ、こんなの!」

「あった!・・・あれ?」

ようやく携帯電話を探し当てた朱美がワゴン車から降り、119番通報しようとして優花里と恵理香に視線を向けると、優花里は既に目を覚ましている。

「どうしたんだ、一体?」

聡史がトイレから戻ってきた。

「肝心な時に何してんのよ!一生トイレに入ってろ!」

「・・・」

優花里を抱きながら泣きべそをかいている恵理香が聡史を責める。

「皆さん、入館券です・・・どうしたんですか?」

後三年の役金沢資料館から出てきた縣氏も事情がわからず戸惑っている。

(クンビーラじゃ宮毘羅大将に失礼だ・・・トイレ小僧に降格だ!)

「恵理香、私、どれだけ意識失ってた?」

「・・・そう言えば・・・1分程度かな・・・」

(八王子空襲の[夢]を見たときと同じだ・・・)

恵理香はとてつもなく長い時間のように感じていたが、よくよく考えると優花里が倒れてからそんなに時間が経っていない。

「で、何があったんだ?」

恵理香から一方的に罵倒された聡史が確認する。

「ゆかりんが急に倒れたんです・・・」

朱美が聡史に説明する。

「なんだかすっきりした。もう大丈夫だよ」

「あっ!」

優花里が勢いよく立ちあがったので、その煽りで一旦中腰になった恵理香はバランスを崩して尻餅を突いてしまう。

「優花里、ホントに大丈夫なの?」

「うん、皆、心配掛けてごめんね・・・ここにいても時間無駄ですから、資料館に入りましょうよ」

他の4人が未だに戸惑っているなか、優花里は倒れた事実がなかったかの如く、率先して後三年の役金沢資料館に入っていった。

「優花里のネックレスの光、あれは何だったんだろう・・・」

朱美達が優花里を追いかける姿を見つめながら、恵理香は一人呟いていた。


後三年の役金沢資料館を見学後、昼食を摂るために聡史達は駐車場に戻り車の中に入った。聡史がデイパックから3人分の弁当を取り出し、一つを縣氏に渡す。

「これ、縣さんの分です」

「ありがとうございます」

「何で3人分あるんですか?」

朱美が聡史に尋ねる。

「旅館の人が勘違いして、朝昼2人分の計4食くれたんだ。折角だから皆で・・・」

異様な視線を感じた聡史は声を詰まらす。聡史が視線の方向にゆっくり顔を向けると、優花里が弁当を凝視していた。

「僕はこれで十分だから4人で食べて・・・」

「僕も一つで十分です・・・」

「私、ダイエット中だから・・・」

優花里が発する異様なオーラに呑まれ、聡史と縣氏、朱美は辞退する。

「私はお昼にはあまり食べない主義だから・・・優花里、食べなよ」

残された恵理香は優花里に弁当を譲ってしまう。

「悪いですね。じゃ、遠慮なくいただきます!」

優花里は嬉々として弁当を食べ始めた。


その後、金沢柵推定地と大鳥井山遺跡を巡り、聡史から一連の説明を受けた一行は予定より若干遅れて16時05分に横手駅に着いた。北上駅行きの電車の発車時刻は16時14分である。これを逃がすと次は16時36分にあるものの、盛岡経由で北上駅着が18時59分になってしまう。

「縣さん、今日はありがとうございました。時間が無いのでここで失礼しますが、追って御連絡します!」

「ありがとうございました!」

「あの・・・縣さん、メアド教えてくれませんか?」

優花里と恵理香が縣氏に礼を言うと、朱美が遠慮がちに縣氏に話しかける。

「え~と、スマホでメールはほとんどしないんで、この名刺のアドレスでよければ」

縣氏が朱美に名刺を渡す。

「ありがとうございます!」

朱美は嬉しそうに名刺を縣氏から受取った。

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