第9話過去からの贈り物

(これは・・・)

8月2日(金曜日)、筑波研究学園都市で開催された会議が終わり、帰り道ついでにつくば市神郡に来ていた黒木君は、道路拡幅工事に伴う遺跡発掘現場の脇にある作業台に置かれていた木片を見て驚いた。

(これは綜絖(織機の構成部品で経糸の開口装置)だな・・・これは土師器の破片・・・あの円筒状のものはなんだろ?)

「あの、お忙しいところ誠にすみません。僕、東京農工大学工学研究院の黒木と申しますが、現場責任者の方、いらっしゃいますか?」

黒木君が作業台の近くにいた作業員に声をかけた。

「はい、ちょっと待っててください」

作業員が黒木君に応える。暫くすると、作業員が現場責任者を連れてきた。

「ここの現場責任者の杉原です。何か御用ですか?」

突然訪ねてきた場違いとも思える珍客に戸惑いながらも、杉原氏は丁寧に対応した。

「僕は大学で蚕糸工学、特に織機の研究をしてるんですが、机の上に置いてある木片、あれ、綜絖ですよね。土師器の破片が一緒に置いてありますけど、同じ層から出土したものですか?」

「この微高地の斜面は今は45~50°程度の傾斜ですが、過去はほぼ垂直の切岸だったようなんです。その切岸の基底部から綜絖や使途不明の木製品、須恵器や土師器が遺棄されたかのように折り重なって出土してるんです。須恵器や土師器が5世紀後半の様式ですので、綜絖や使途不明の木製品も同じ年代の物と考えてはいるんですが、14C(放射性炭素年代測定法)しなければ確たることは言えないでしょう」

「そうなんですか!決して邪魔しませんから、発掘現場、見せていただけませんか!」

5世紀後半、古墳時代の綜絖が出土したと勝手に解釈した黒木君は杉原氏に頼み込んだ。

「はぁ・・・いいですけど、絶対に遺物と遺構には触れないでくださいね。それと僕達の指示には必ず従ってください」

「はい、わかりました!」

杉原氏は同じ研究者なのだからバカなことはしないだろうと考え、突然の珍客を発掘現場に招き入れた。発掘現場は道路を拡張するために微高地の斜面を削り擁壁を設置する箇所であり、6人の作業員が斜面を丁寧に削り取っていた。既に削り終えて露出した切岸の基底部と思われる面の一角に奇妙な木製品が顔を出している。

「杉原さん、あの突起が付いた物は?」

「先程検出したばかりですので、まだ何なのかわかりません。ただ、あの周囲からは既に多数の木製品が出土してるんですよ。先程の綜絖もすぐ近くから出土しました」

(あの突起が付いた物や木製品は織機の部品である可能性がある。だけど、あのような物はこれまで見た記憶がない。これは大変なことになるかもしれないな。先生にも来てもらわないと・・・)

冷静さを取り戻した黒木君は事の重大さを認識した。

「杉原さん、僕は農工大工学研究院の蚕糸工学研究室に籍を置いてるんですけど、教授の島先生にもこの発掘現場見てもらいたいんですがどうでしょう?」

「農工大の島先生って、蚕糸工学の第一人者の?」

「そうですけど」

「何だ、黒木先生もお人が悪い。最初からそう言ってくれれば・・・実は、綜絖と一緒に出土した多数の木製品をどう解釈したらいいものか途方に暮れてたんですよ。島先生の御助言がいただければ千人力です。是非、ここに来ていただきたい!」

(何なんだよ、僕じゃダメだってことか?でも、とにかく先生に一報入れなきゃ)

「じゃ、早速先生に連絡してみますね。ちょっと失礼します」

杉原氏の豹変を快く思わないものの、黒木君は発掘現場から少し離れた場所で島教授に電話をかけた。


「先生、黒木です」

《どうしたの?》

「先生、綜絖と見たことがない織機の部品らしきものが出土してるんですよ。しかも、使途不明の木製品が多数出土してます」

《黒木君、あなた今、何処にいるの?》

「つくば市の神郡です。ここに館という小字があるんですけど、道路拡幅工事に伴う緊急発掘調査で綜絖と変な物が出土してるんです。先生、すぐに来てください!」

《ちょっと待ってよ。もう6時よ?いくらなんでも無理でしょう?》

「僕はつくば市に泊ります。明日、合流しましょう」

《わかった・・・じゃ、明日の正午に現地で合流しましょう》

「了解です!」


「朱美ちゃん、神郡で綜絖と見たことのない[変な物]が出土してるそうなの。明日現地に行くけど一緒に行く?」

様々な色のカラビナをジャラジャラ付けたスマートフォンをテーブルの上に置くと、床に座り猫に餌を与えていた朱美に島教授は声をかけた。

「えっ?どゆこと?」

「研究室の黒木君がね、神郡の発掘現場で綜絖と織機の部品らしい[変な物]が出土してるのを確認したそうなの。彼、織機の構造にむちゃくちゃ詳しいから、彼が織機の部品らしい見たことがない[変な物]と言ってる以上、未知の織機が存在してた可能性があるのよ。あの絹の衣服が発見されたのも神郡でしょ。あの衣服の謎を解く鍵になるかもしれないしね」

「詳しい場所は何処なの?」

「館っていう小字だって」

(ああ、蚕影山神社の麓か・・・)

「いいの?私が一緒でも?」

「明日はとりあえず現地を確認するだけのつもりだから。折角の機会だから優花里ちゃんも誘ったら?」

「そうだね、メールしてみるよ。だけど東坡肉、どうするの?お母さん、豚肉を下茹しただけじゃない?作り始めたところでしょ?」

朱美は下茹された皮付き豚ばら肉の巨大なブロックが盛られた大皿を指差す。

「それに、明日はお兄ちゃんが岩手から帰ってくる日じゃない?東坡肉はお兄ちゃんの大好物だから作るんだって言ってたでしょ?」

「研究優先だからね」

(いつもそんなこと言ってるから、お兄ちゃん、ボランティアを口実にして家出しちゃうんだよ・・・)

「後はお父さんに作ってもらえばいいのよ。私より料理が上手だしね」

「結局、またお父さんが作ることになるじゃん・・・で、そうこうって何?」

「そうね、織機の構造、知らなくて当然よね」

島教授は書斎から一冊の本を持ってきた。

「これで勉強しておいて」

「な・・・」

「安易に人に聞かないで、まずは自分で調べなさい」

「はい・・・」


翌8月3日(土曜日)、島教授は優花里と朱美を連れて、つくば市神郡の館にある発掘現場に赴いた。発掘現場では休日にも関わらず杉原氏が1人で出土した遺物の整理をしている。黒木君が島教授と杉原氏を交互に紹介すると、杉原氏は島教授を発掘現場の[変なもの]が出土している箇所に案内する。

「島先生、どうです?」

杉原氏が早速島教授に質問する。

「確かに見たことないわね。しかもかなり大きいわよ、これ。妙な突起が幾つも付いてるし・・・杉原さん、この[変な物]、いや、遺物の全体を観察するために取り出したいのですが、できますか?」

「そうですね・・・課長に確認してみますね」

杉原氏は島教授達とやや距離を取ると、おもむろに電話を始めた。

「課長、こちらに来るそうです」

電話を終えると、杉原氏は文化財課長が発掘現場まで来ることを島教授に告げた。


「先生、休日にも関わらず御熱心ですね」

小一時間後、歩いて発掘現場に来た文化財課長が厭味とも取れる挨拶をする。何処かで飲んでいたらしく、顔が赤く酒臭い。

「この木製品ですか・・・」

文化財課長は明らかに渋っている。

「課長、島先生がいらしてることですし、この遺物だけでも取り出してみませんか?」

「そうだな・・・急いで取り出す必要はないのだが・・・簡単に取り出せるようならしてみてくれ」

「わかりました。まずは記録保存します。取出作業はその後で行います」

杉原氏は慎重に[変な物]の出土状況を実測図や写真に記録保存した後、[変な物]の取出作業を始めた。

「これ、意外と大きいですね。形が複雑ですし、不用意に作業して毀損したら元も子もありません。もう4時半を過ぎてるので十分な時間がありませんから、この続きは明日にしませんか?明日だと応援も呼べますので、本格的に作業できます」

暫くの間、記録をこまめに取りながら取出作業をしていた杉原氏が振り向いて島教授に状況を説明する。

「荘ちゃん、明日は日曜日だよ。週明けにしたらどうだ?」

「蚕糸工学の第一人者である島先生がいらしてるんです。我々も新たな知見が得られるかもしれません。このような好機は滅多にありませんからね」

文化財課長が諭すが、研究者魂の塊のような返事が杉原氏から返って来た。

「そうか。遺物の重要性に鑑み、至急遺物を確保せよとの課長命令があったと書類上残しておいてくれ。週明けに事後処理で決裁しておくから。それじゃ、気を付けてな。熱中症なんかになるなよ。島先生、私はこれで失礼しますが、後はよろしくお願いします」

文化財課長は手を振りながら発掘現場を後にした。

「あの親父、なかなかの者ですね・・・あっ!あんなとこで立小便してる!」

黒木君が驚愕の声を上げている。

「島先生、遺物の周囲は元に戻しておきます。明日、9時から取出作業を始めます」

「そうですか。私達も9時迄に来ますので、よろしくお願いします」

「島先生、この微高地は小字の館が示すように、誰の居館か不明ですが、かつて館が存在したという伝承があります。この微高地では以前から須恵器や土師器の破片が幾つか出土してましたので、昨年、中心部を試掘調査したら焦土層が検出されたんです。焦土層に含まれてた土師器の様式から焦土層の形成を5世紀後半と判断しました。時期的には倭の獲加多支鹵大王に重なりますから、倭国の版図拡大と関係あるのかどうか。焦土層と遺物の存在から遺跡台帳に登録しておいて正解でした」

杉原氏は島教授に微高地に関するこれまでの経緯を説明し終わると、発掘現場の後始末と明日の準備を始めた。


「さてと、宿を探さないとね。優花里ちゃん、どうする?」

「できれば・・・発掘の様子を見たいんですけど」

「じゃ、一緒に泊りましょう。御両親には私からも連絡しておくから。黒木君、宿を4人分確保して」

「了解です。明日が楽しみですね」

黒木君はポケットからスマートフォンを取り出すと、ホテルの予約を始めた。

(もう5時だ。お兄ちゃん、家に着いてる頃だな・・・今晩はお父さんとお兄ちゃん2人きりだね・・・まっ、いいか)

「晩御飯は何にしようか?」

「中華がいいな」

島教授が声をかけると、朱美は意味深な返事をした。


翌朝、8時30分に島教授一行は発掘現場を訪れた。発掘現場には既に杉原氏と4人のスタッフが来ていて、[変な物]取出作業の準備をしている。

「おはようございます、皆さん」

島教授が挨拶する。

「おはようございます、島先生。今日はこのメンバーで作業を進めます。僕の呼びかけで急遽集まった臨時のチームですが、僕も含め皆明大(明治大学)考古学専修の卒業生で現役の研究者ですから御安心ください」

杉原氏は自信に満ちた口調で島教授と黒木君にメンバーを紹介する。その後、島教授達は打ち合わせに入る。

「発掘開始まで少し時間があるけど、2人で蚕影山神社に参拝してきたら?」

「・・・」

島教授が優花里と朱美に声を掛けるが、2人は黙って顔を見合わせる。

「発掘の準備にも興味があるから・・・蚕影山神社は別の機会にするよ」

優花里の心情を察した朱美が答える。優花里はやはり例の[懐かしい暖かい光]に包まれることを怖がっている。

「そう・・・じゃ、準備も含めて発掘作業をよく見ておいてね。いつか役に立つかも知れないから」


「・・・この遺物の取り出しは僕と戸沢君でする。大塚君と李君は他の箇所をチェックして。芹沢さんは既に取り出した遺物を黒木先生と再確認してね。島先生は取出現場で御助言をお願いします。それじゃ、始めようか!」

10時を過ぎた頃、ようやく発掘準備が整った杉原氏率いる臨時チームは一斉に作業を開始した。島教授と優花里、朱美が見守る中、4人は黙々と作業を続けている。[変な物]は意外と大きく、周囲に多数の突起物が付いているために取出作業は難航し、正午を過ぎてもまだ[変な物]を取り出すに至らない。


「よう!作業は進んどるか?島先生、おはようございます!」

文化財課長が飄々と発掘現場にやって来た。

「ああ、戸沢先生、わざわざ御足労ありがとうございます。あれ、李先生と大塚先生も御一緒ですね。暑い中ありがとうございます」

臨時の発掘チームと文化財課長とは既に懇意な関係らしい。

「課長、何事ですか?しかもその格好は何ですか?」

文化財課長の出で立ちに驚いた杉原氏が尋ねる。文化財課長は麦藁帽子を被り裸足で雪駄を履き、ランニングシャツと腹巻にステテコという、20世紀末には絶滅したであろう絵に描いたような[田舎のおっさん]の姿で現れた。いくら暑いと言ってもラフ過ぎる出で立ちである。

「飯は準備してるだろうけど、ここ、暑いからな。アイスコーヒーの差し入れだ」

杉原氏がよく見ると文化財課長は大型の携帯用魔法瓶4本とクーラーバッグを肩にぶら下げ、左手にレジ袋を持っている。

「何か足りないものがあったら遠慮せず電話してくれ。家、近いから」

「御気遣いありがとうございます。課長の御自宅ってこの界隈でしたっけ?」

「忘れたのか?北条だよ」

「ああ、そうでしたね。忘れてました」

「仕事に関する記憶力は抜群なのに人間関係は相変わらずだな。さてと、俺、暑いから帰るけど、気を付けてな。じゃ」

文化財課長は携帯用魔法瓶とクーラーバッグ、レジ袋を発掘現場の脇にある作業台に置くとそそくさと帰ってしまった。クーラーバッグの中には大量の氷、レジ袋の中には紙コップ、使い捨てスプーン、シュガーシロップ、コーヒーフレッシュが無造作に入っていた。

(課長、マジで気を遣ってるな・・・)


「まだかかりそうですね」

黒木君が芹沢さんと共に発掘現場に戻って来た。

「黒木君、どうだった?」

「筬(織機の構成部品で竹または金属の薄片を櫛の歯のように並べ枠をつけたもの。経糸を整え横糸を打ち込むために使用する)の破片が1個見つかりました。織機の部品と断定できない木製品は全部で40個以上出土してます。しかも、その大部分が中央に溝がある円筒状の物なんですよ」

「そんなに沢山?全て同じ木なの?」

「それは組成分析しないとわかりません」

芹沢さんが答えた。

「大塚君と李君、そっちはどうだい?」

杉原氏が確認する。

「こちらはこれまでに木製品を10個以上取り出しましたけど、全て織機の部品かどうかは島先生も御判断できないようです。内、8個は中央に溝がある円筒状の物です」


「やっと取れた!」

戸沢君が大声を上げた。既に14時を過ぎている。

「何だ、これは・・・島先生、黒木先生、これ、織機の部品ですか?」

杉原氏が唖然としている。

「こんな部品、見たことないですよ。突起だらけのドラムですね・・・」

黒木君も顎に手を当てて首を傾げている。杉原氏が巻尺で測ったところ、[変な物]は直径120cm、高さ70cmの平べったい円筒で高さ20cmの突起が無数に付いている。中心部には軸が取り付けられていた。

「確かにこんなの見たこと無いわね・・・黒木君、出土済の木製品との関連、わかる?」

「全然わかりません!」

「杉原さんはどうでしょうか?」

「このような物、見たことありませんからね・・・」

島教授は杉原氏に尋ねるが、杉原氏も全くわからないでいた。


「杉原先輩!ここの奥に何かありますよ!」

大塚君が突如声を上げた。大型の木材が顔を出している。

「杉原先輩!これ、これ!」

暫くすると別の場所で作業していた李君が慌てた口調で大声を上げた。

「どうした?」

「何が出てきた?ドナルド」

杉原氏が李君に駆け寄る。島教授をはじめ、他のメンバーも地層面の一点を指差して硬直している李君に近寄って来た。

「金銅の薬師如来坐像?しかも木箱に入ってる。ここも切岸の基底部だ。この基底部からは既に5世紀後半の土師器や須恵器が出土してるけど、異なる時期に遺棄されて混入しただけかもしれない可能性を払拭できない・・・しかし、混入が無ければ、この仏像も5世紀後半のものだと言うのか?そうであれば、仏教公伝(上宮聖徳法王帝説によると538年)の50年以上前に仏教を信仰してた人々がこの地に暮らしてたのか?何故薬師如来なんだ・・・」

杉原氏は呟く。戸沢君、大塚君、李君、芹沢さんは驚愕の表情で金銅薬師如来坐像を見つめていた。


「何だかすごいことになってるね」

遠巻きに発掘現場を見ていた朱美が優花里に語りかけた。

「仏教公伝って確か538年だよね?その何十年も前にここに仏教を信仰する人達がいたってこと?」

「そういうことになるよね。でもさぁ、何処から来たんだろうね、あの仏像を持ってきた人達って・・・」

「大発見じゃない、これって?」

「だよね。間違いなく歴史が書き換えられることになるよね」

優花里と朱美は明らかに杉原氏の呟きを誤解したのであるが、誤解とはいえ、歴史が書き換えられる瞬間に居合わせることができたことを優花里と朱美は心底喜んでいた。


「かなり興味深い遺物が出てくるな・・・島先生、記録保存するだけの緊急発掘調査では限界があります。学術調査に切り替えるべきなのですが、そのためには学際的な圧力を行政にかけなければなりません。僕達も明大に働きかけます。農工大と明大からの要請があれば、行政も無視できないでしょうから」

杉原氏が島教授に提案する。

「わかりました。是非やりましょう。これは大発見です。私達が認識してる[歴史]が変わるかもしれませんからね」

「戸沢君、相沢先生に至急連絡を取ってくれ!」

「わかりました!」

「ところで島先生、この遺物、14Cしますか?」

「そうね、お願いします。出土した遺物相互の関係も知りたいから、ドラムと溝の付いた円筒状の物も含めて、全ての遺物を14Cだけじゃなく組成分析もお願いします」


「とりあえずの目的は達成できた。まだ何か埋まってるけど、これ以上作業を拙速に進めるべきではないな・・・想定外の金銅薬師如来坐像も出土したことだし、一旦作業を打ち切って今後の対策を練ろう」

「そうですね。これは慎重に進めないとダメですね」

「相沢先生も交えて、調査計画を早急にまとめましょう」

杉原氏を囲んで臨時チームのメンバーが議論している。

「島先生、想定外の遺物が出土しましたので、今日はまだ時間はありますが今後の対策を考えたいので作業を終了します」

「わかりました。お疲れ様です」


その後、後片付けが始まったが、島教授と黒木君は全体像を現した[変な物]をまじまじと観察している。優花里と朱美は中腰になって作業台に置かれた金銅薬師如来坐像を眺めていた。

「錆びてるけど綺麗な仏さんだね」

「でも、何故薬師如来なんだろうね・・・」

「・・・あの・・・杉原さん、この仏像、これからどうするんですか?」

朱美が後片付けをしている杉原氏に尋ねる。

「蛍光X線分析法や他の分析法で組成分析して、この仏像が造られた時代と場所を特定するよ。それと、クリーニングしてこの仏像本来の姿に戻す作業をしないとね」


9月20日(金曜日)、重そうな紙袋を2つ提げた杉原氏が東京農工大学工学研究院の島研究室を訪れた。

「島先生、出土した遺物は金銅薬師如来坐像が収められてた木箱以外の、例のドラム状遺物や円筒状遺物も含めて全てが同じ木から造られていて、ベトナム北部産でした。ベトナム北部産を前提に14Cの測定結果を補正したところ、2040±34年前という結果が出てます。これで木箱以外の遺物は全て織機の部品だと考えることができます。ただ、厄介なのが木箱なんです。この木箱、14Cの測定結果が2058±30年前となり織機より年代が遡るんです。それはそれでいいとしても、他の遺物と材質が異なるもののやはりベトナム北部産の木材で造られてまして、仮に当初からあの金銅薬師如来坐像が木箱に納められてたとすると、列島における仏教の伝来は時期は不明ですがベトナム北部からのルートも別途存在したことになります。こんなこと、本当に想定していいのかどうか・・・新たな、しかも重大な謎が生じました。そうは言っても、先生のおかげで出土した綜絖と筬、例の木箱以外の遺物を全て[使途不明木製品]として片付けて闇に葬るという愚行を防ぐことができました。先生には感謝してます。これ、測定結果です」

「どちらもあの衣服とほぼ同じ年代じゃない・・・遺物が出土した層の年代は?」

「一緒に出土した須恵器や土師器の様式から5世紀後半と考えられますが、切岸の基底部から出土したために、異なる時代に混入した可能性があるので正確な年代の特定はできません」

「2000年前にベトナム北部で造られた織機を遅くとも5世紀後半頃に誰かがこの列島に持ち込んだのかもしれない、ってことね・・・しかも焦土層と同じ年代か・・・戦乱で館が炎上し織機は遺棄されたのかな?ところで、学術調査はできそう?」

「はい!先生の御尽力もあって、9月補正には間に合いませんでしたが12月補正で今年度予算に3月までの予備調査費を計上し、来年度予算案に本格的な学術調査費を計上することで財政当局と合意することができました。これで最長5年間の学術調査を計画的に進めることが可能になりました。もちろん、道路拡幅工事は凍結です。文部科学省の埋蔵文化財緊急調査費国庫補助金も使えそうで、市の財政負担も軽減できそうです。おかげ様で市長にも遺跡の重要性を御理解していただき、道路課も協力的ですので調査を進める条件が整ってきました。皆、やる気満々です。最後になりましたが、あの微高地は建物跡の確認ができてないものの、焦土層と遺物の存在から[豊浦館跡]と名付けました」

杉原氏は目を輝かせながら話している。

「来年の4月以降、相沢先生と共同研究することは可能なのかな?」

「いいですね。早々に共同研究に向けたディスカッションの場を設けます。相沢先生、こうしたロマンのある研究課題が大好きですから」

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