第五話 奔車朽索

 彼の言った「死角」とは、軽トラックからだと、自分と物置とを繋ぐ直線上にある、小屋の後ろのものは、見ることができない、という意味だった。車の走行に合わせて、常に、建物を挟んでそれに反対側に位置するように移動する。ぐるぐると、反時計回りに早歩きしながら、徐々に円の中心に近づいていった。

 しばらくして、到着した。扉の前にまで移動したところで、ノブを引っ張ってみる。盗まれて困るものなど置いていないからか、鍵はかかっていなかった。博は音を立てないよう気をつけ、急いで中に入り、扉を閉めた。

 小屋には、ドアから向かって左の壁に、窓がついている。しかし、カーテンが引かれているため、電気を点けても軽トラックにばれる心配がない。博は手探りで照明のスイッチを探し出し、部屋を明るくした。

 扉の反対側の壁には、一面に棚が設置されており、いろいろな小物や箱が収められていた。入り口の左右には、スコップやツルハシなど、大きな耕具が置かれている。

 博は、目当てのものを探し始めた。「キー類」と書かれた、フタのないプラスチックの箱を見つけるのに、そう時間はかからなかった。中には大量の鍵が入っていた。

 どれが例の錠前に合うものか、わからない。とりあえず、すべて持って行くことにして、服中のポケットに詰め込み始めた。

 しばらくして、全部収め終わった。博は、軽トラックが今、どこにいるのかを知るべく、窓に近づこうとした。

 ピリリリリリ、と電子音が鳴り響いた。

 学校に行く日はいつも、朝起きた直後に聞こえている、スマートホンのアラームだった。慌ててそれを取り出し、画面を見る。

「00:00:00」と表示されていた。

 次の瞬間、爆発音が博の鼓膜をつんざいた。

 思わず耳を押さえ、俯く。窓ガラスが、ぱりん、と音を立てて割れ、破片が床に散乱した。

「なっ……何だ?! 何が起きた?!」

 博はカーテンを開けると、割れた窓から首を出し、外を見た。

 バスが、炎上していた。

 火は車両全体に燃え広がり、割れた窓からもはみ出ていた。見渡す限り、どのバスも、同じように炎上していた。

 その炎を見て、すべてを思い出した。


 あの日──十二月十八日。

 午後七時、博は、学校からの帰り道で、バスに乗っていた。右斜め前の二人席の右側には、莉々が、中扉付近には、由弘が、右側・真ん中の一人用席には、巴里華が、運転席の真後ろ、タイヤの上の、周囲より高いところにある一人席には、藤がいた。

 そしてバスは、彼らが現在いる、畑のところに差し掛かる直前で、前を走っていた、赤色の軽セダンに、後ろから追突した。

 その衝撃で、運転手は気を失ったか、死んだかしたに違いない。バスは大きく左に曲がると、金網を突き破り、畑の中に突入した。そしてそのまま、なすすべもなく、ガードレールを突き破り、崖を転げ落ちた。

 車内は、阿鼻叫喚の坩堝と化した。博は前の座席に掴まり、必死に回転に耐えていた。

 しばらくして、バスは逆さまの状態で着地した。彼は手を滑らせ、天井に落下した。があん、と強く頭を打つ。

 その瞬間、博は、気を失った。


 そうだ。博は心の中で呟いた。バスの、転落事故に巻き込まれたのだ。

 だとしたら、どうして俺はこんなところに、このとおり無傷で立っているのか。

 やはり、ここは現実世界ではないのかもしれない。そう考えれば、畑が異様に広大なのも、たくさんの路線バスが迷路のごとく駐車されているのも、無人の車が独りでに動いて襲ってくるのも、納得がいく。

 しかし、非現実だとしたら、いったいここはどこなのか。

 試されているのかもしれないな。そう博は思った。ここはこの世とあの世の境目で、この迷路から、俺たちが生きて抜けられるかどうかをテストしているのでは。そして、脱出できて初めて、現実世界に戻ることができるとか。

「……そうだ! 莉々! 那須高!」博は叫んだ。「あの二人は……どうなったんだ?」

 爆発に巻き込まれ、死んでしまったのだろうか。ここからでは、彼女たちの乗っているバスが見えないため、よくわからない。

 ブロロロロ、というエンジン音がしているのに気づいたのは、数秒後だった。はっ、として右方を見てみると、軽トラックが、物置の陰から現れた。

 車は博に気づいたのか、向きを変え、小屋めがけて急加速した。彼は身を引っ込めると、急いで扉に向かった。

 どごおん、という轟音とともに、軽トラックは壁を突き破り棚を押し潰し、物置の中に入ってきた。博は扉を開けると、そのまま外に躍り出た。

「博!」声に反応して視線を遣ると、小屋のあるスペースに続く通路の真ん中で、莉々が手を振っていた。「こっちよ!」

「莉々!」生きていたのか、と心の中で呟く。そのまま、そこ目指して全力疾走した。

 ばごおん、と背後で轟音が鳴り響いた。一瞬だけ振り向くと、扉をぶち壊して飛び出てきた軽トラックが、こちらに向かってきていた。

「先に行け! 先に!」彼は手を前後に払って言った。

 三人は、藤、莉々、博の順で、通路を走り始めた。左に折れ右に折れ、十字路を直進する。どのバスもすべて、炎上していた。

 と、先頭を走っていた藤がバランスを崩し、こけそうになった。すぐに持ち直したが、最後尾を走る羽目になってしまった。

 次の丁字路で、莉々と博は、左に曲がった。しかし藤は、右に曲がった。軽トラックは右に折れると、そのまま、彼女を追いかけていってしまった。

 彼は立ち止まると、中腰になって、息を整えた。「た、助かった、那、那須高には悪いが」

 莉々もしゃがみ込み、ぜえ、ぜえ、と呼吸をしていた。「そうね、逃げ切れると、いいんだけど」

「それにしても、よ、よく爆発に巻き込まれなかったな」

「正確に言うと、巻、巻き込まれたのよ、ちょ、ちょっとだけ。那須高さんと相談して、物置小屋はけっこう大きいし、み、博一人じゃ鍵を捜すの大変だろうから、手伝いに行こう、って話になって。それで、前乗降口でしゃがみ込んで、出るタイミングを窺っていたら、スマートホンのアラームが鳴って、バスが爆発して……」莉々は溜め息を吐いた。「そのまま、外に吹き飛ばされたのよ」

「そうだったのか」博は莉々の体を眺めた。「怪我はないのか?」

「大丈夫よ。浅い擦り傷、切り傷くらいだわ。あんたは?」

「俺も大丈夫だ」

「そう。よかった」

 莉々は、にこっ、と微笑んだ。それを見て、博は、思わず顔が赤くなった。顔を背ける。

「なっ、何よ、どうしたのよ」

「いや、何でもない」博は、ぶんぶん、と首を横に振った。

「そう……でも、私と那須高さんはたまたま無事だったけれど、風呂井君は、爆発に巻き込まれたでしょうね、十中八九」莉々はそう言ってため息を吐いた。

「そうだろうな」博は由弘の顔を思い浮かべた。しかし、感傷に浸っている場合ではない、と思い直す。「……それで、目下の問題は、あの軽トラをどうするか、だ」

「ほっといたらいいんじゃないの?」

「何を言う。さっきは、追いかけられたら近くの車両の中に逃げ込めばいいから、それでもよかっただろうが、今じゃ、バスは爆発炎上しているんだぞ。追いかけられたら、振り切るまで全力疾走するしかない。軽トラと鬼ごっこして、勝てる可能性は低い」

「そうね……」

 藤のことを思い出したのか、莉々の顔が暗くなった。博は慌てて、「可能性は低いだけで、ないってわけじゃない」とフォローした。

「それも、そうね」彼女の表情が、元に戻った。「それで、あの軽トラ、どうするの? バスは爆発炎上しちゃって、動かせないから、赤い軽セダンみたいに、閉じ込めることはできないわよ?」

「道具が何もないんじゃ、どうしようもなかっただろうな。だが俺には、それを手に入れる、当てがある」博は、にやり、と笑った。

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