第四話 禽困覆車

「そうね……でも、どうするのよ? 私かあんたか、那須高さんの誰かが囮となって、あの車を風呂井君から引き離すことはできるでしょうけど……」

「その後に、残った二人が風呂井君を連れて、バスの中に避難させるとかっすか?」

「それもアリだが……軽セダンの脅威は残る」博は腕を組んだ。「どうせなら、完全に無力化したい」

「無力化って」莉々は呆れたように言った。「どうするのよ? 私たちの力じゃ、車なんてぶっ壊せないわよ?」

「別に、壊す必要はないっすよ。パンクさせるとか、どこかに閉じ込めるとか……」

「閉じ込めるって言うけれど、閉じ込められるような場所が──」

「ある」博は莉々と藤の顔を交互に見、にやり、と笑った。「探せば、あるはずだ」


 数十分後、博たちはすべての準備を終え、それぞれ配置についていた。

 彼は、スマートホンの画面を眺めていた。そこには、「1:03:41」と表示されていた。あと一時間か、そう呟くと、携帯電話をスリープ状態にし、ポケットにしまった。

「じゃあ、始めるか……」

 博はそう呟くと、曲がり角から出た。軽セダンの後部が目に入る。

「おーい!」彼は叫んだ。「こっちだ、こっち!」車に聴覚があるのかは、わからない。賭けだった。まあ、「メンバーのうち一人を甚振り、悲鳴を上げさせ、他の人間を誘き寄せる」ということを考えるほどの知能があるなら、聴覚くらいあるかもしれない。

 軽セダンが、急加速してバックを始めた。そのまま、脇道にいったん突っ込んだ後、前進してこちらに向かってくる。

 博は後ろを向くと、全力疾走し始めた。左に折れ左に折れ、十字路を直進し、丁字路を直進し、次の丁字路も直進する。その先の丁字路は、右に折れ、その先の曲がり角は、左に折れた。

 軽セダンは、軽ワゴンと同じように、猛スピードで彼を追いかけてきていた。曲がり角の直前では減速するものの、ストレートでは加速し続けるため、追いつかれそうになる。

 博が右に折れようとする直前で、威嚇のつもりか、車がクラクションを鳴らした。驚いた拍子に、躓き、転びそうになる。「おっとっとっ」と口でリズムをとり、両手を振り回したおかげで、何とかこけずに済んだ。ただ、その拍子に、胸ポケットが完全に破れ、定期入れが地面に落下した。

 二連続した丁字路に出くわした。どちらも、直進するか、左に折れるか、の二択だ。通路の壁は、通常はバスの側面がその役目を果たしているが、奥のほうの、三つの道が交差している地点の右側は、車両の正面があり、ヘッドライトが左の道を照らしていた。彼は迷うことなく、奥の丁字路における、左の道を選んだ。

 その先は、約十メートル進んだところで、行き止まりになっていた。左右のバスに乗降口はなく、非常口もオープンしていない。突き当たりの車両は、中扉が右半分だけ見えているが、開いてはいない。

「しまったっ!」博は舌打ちした。

 立ち止まるわけにはいかない。そんなことをしたら、あっという間に軽セダンに撥ねられる。彼は突き当たりに向かって、全力疾走を続けた。

 行き止まりに来たところで、彼は後ろを振り返った。角を曲がった車が、こちらめがけて猛スピードで走ってきていた。

 次の瞬間、突き当たりのバスの中扉が開いた。博は、その内部に文字どおり跳び込んだ。

 同時に、丁字路の右側にいた、正面を壁にしていたバスが動き出し、にゅっ、と突き出た。そして、交差点を塞いでしまった。

「やったっ!」博はガッツポーズをした。「成功したぞっ!」

「やったわ!」運転台から、中扉を操作していた莉々が出てきた。そのまま、彼に抱きつく。「さすがは、博ね!」

「わっ、ちょっ?!」

「あっ、ごっ、ごめんなさいっ!」莉々は顔を赤くし、後方に、文字どおり跳び退いた。足が縺れ、ごろん、と転倒する。「あ痛っ!」

「おいおい、何してんだよ」博は彼女に右手を伸ばした。「大丈夫か?」

「う、うるさいわね」莉々は未だ顔を赤くしたまま、そう言うと、彼の手を掴み、立ち上がった。「あの車は、今はどうなっているのかしら?」

 そう言われ、博も窓から、出口の塞がれた通路を見つめた。軽セダンは、観念したのか、通路の中央で、停止していた。

「ざまあみろだ」彼は吐き捨てるように言った。「それにしても、しまったな……」

「何よ、どうしたの?」

「いや、あの軽セダンに追いかけられている時に、定期入れを落としちまって……再発行って、無料でできるのかなあ」博は溜め息を吐いた。

 その後二人は、前扉から外に抜け、通路を直進し、二連続の丁字路がある道に出た。そこで、交差点を塞いだバスを運転していた、藤と会った。

「やったっすね!」藤も嬉しそうだった。「これで、スタート地点に通じる道も、一緒に塞がれちゃったっすけど……でも、そのおかげで、軽ワゴンとも遭遇せずに済むっすね!」

 軽セダンを閉じ込めることができそうなところを探している時、軽ワゴンは、迷路全体を徘徊しているのではなく、スタート地点付近を重点的にうろついている、ということに気づいた。そして、ちょうど、バスを動かすことにより、袋小路の出口と、始まりのバスのある場所へ続く道を同時に塞げる丁字路を見つけたので、軽ワゴンがそちらにいる時に、作戦を実行した。

「なに、バスを通り抜ければ済む話だ。もし、非常口を使えなくなったときは、窓を消火器で割ればいい」

「そのとおりよ」

 三人はその後、博が軽セダンに追いかけられて駆けたルートを逆走し、由弘のところまで行った。「何で、甚振られていたんっすか」と、藤が訊く。

「迷路を歩いている途中で見つかって、追いかけられたんだ。でも途中で足挫いて、こけちゃって……そしたら、軽セダンが踏んできたんだ」

「そうか」博は由弘の左脚に目を遣り、顔を顰めた。「そんなんじゃ、これ以上の探索は不可能だな。近くのバスの中で、休んでいるといい。鍵を取ったら、スタート地点に帰る時に連れて行く」

「でも、どれが僕の乗ったバスか、わかるのかい?」

「心配ご無用。屋根に目印を載せておく」

 博はそう言うと、由弘に肩を貸し、立ち上がらせた。そのまま、近くのバスに乗り込み、席に座らせる。

「すまない、迷惑をかけるな。僕の代わりに、頑張ってくれ」

「おう、頑張るよ」

 その後、消火器で最後部座席の後ろの窓ガラスを割ると、屋根にそれを載せた。下車し、他の二人を見回して、言う。「じゃあ、俺たち三人で、物置小屋に向かおうか」

「でも、小屋がどこにあるかがわからないと……」そう藤が呟いた。

「大丈夫だ、もうそれは判明している。さっき、バスの屋根に上って、迷路を見渡した時に、莉々が見つけたんだ。あとは、そこへ行くだけだ」


 曲がり角を右に曲がると、その先に物置が見えた。奥行き・幅・高さ、ともに約二メートルほどの、立方体のような簡素な小屋だ。前後に開けるタイプの扉がついている。

「あれが、物置っすか」藤は指を差した。「随分と、ぼろっちいっすね」

「そうだなあ……あっ?!」先頭を歩いていた博は、そう叫ぶと、後ろを振り向いた。「皆、逃げろ!」

 物置の手前に、右から、ぬっ、と現れた白い軽トラックが、通路に向かって走ってきていたのだ。

 三人は、曲がり角まで戻ると、右側のバスの前乗降口に乗り込んだ。しかし車は、通路の中まで追いかけてくることはなかった。直前で停まると、小屋の近くに戻っていった。

「危なかったわね……」莉々は、ほっ、と溜め息を吐いた。

 それから三人は、再後部座席に行き、リアウインドウから、物置周辺の様子を見た。

 短辺を構成する、直列に並んだ二台のバス二組と、長辺を構成する、二台のバスとガードレールにより、長方形の広い空間ができていた。ガードレールの後ろは、崖になっている。小屋は、その中央にあった。

 そして、荷台にパイプを載せた軽トラックが、物置を中心として、円を描くように、ぐるぐると時計回りにゆっくりと走行していた。やはりというか何というか、運転手の姿はない。その姿はさながら、RPGの、お宝を警護するボスキャラクターのようだった。

 博はスマートホンのスリープ状態を解除し、画面を見た。「0:18:02」と表示されていた。これでは、タイマーが零になる前に、迷路から脱出することは不可能そうだ。まあ、この数値が、俺たちの死までの時間を表しているわけではないことを祈るしかない、彼はそう、心の中で呟いた。

 どうするっすか、と藤が、誰に尋ねるわけでもなさそうに言った。「またさっきみたいに、どこかに閉じ込めるっすか?」

「いや……たぶん、それはできないわね。さっき、軽トラは、私たちを追いかけようとしたものの、通路には入らなかった。きっと、物置のそばからは離れないつもりなんだわ。だとすると、誘き出すことはできない」

「そうっすか。そうっすよねえ」藤は、はあ、と溜め息を吐いた。「何とか、あの車に見つからないよう、小屋に近づければいいんすけれど」

「……そうだ。那須高、お前の言うとおりだ」そう博は言った。「軽トラに見つからずに、物置に向かえばいい」

「そんなこと、できるかしら?」

「あの軽トラには、常に死角があるだろ。それを利用すればいい」

 死角、と莉々が反復する。「それじゃあ、さっそくだが、行ってくる」と言い、博は前乗降口から、タイミングを見計らった後、降りた。

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