@01391364

第1話

ある日、僕が目を覚ますと、ベッドのそばに、男の子がいた。


「……誰?」

視界がまだぼんやりしていたので、変なことを聞いてしまった。

冴えてくるにつれて、それが僕自身の姿であることがはっきりしたんだけど。


「メリークリスマス」

と、彼はまず言った。

僕は、聞き間違いかと思って、「え?」と返す。


「メリークリスマス、自分へ」

彼はもう一度繰り返した。

今、九月に入ったばかりなのに。


「もしかして、十二月の僕が九月に紛れ込んじゃったの?」

僕が聞くと、その子は驚いて瞬きしていた。


「なんてことだ。君も大変なんだね」

その反応が図星ということにして、僕は話を進める。


「…それで、どうしたの?メリークリスマスって。プレゼントでもある?」

「これ」


彼はいそいそと背中に引っ掛けていたカバンから懐中電灯を取り出した。


「何だかゴツいね。それがどうしたの?」

僕が顔を上げると、彼は何も喋らない代わりに、身振り手振りで一生懸命何かを伝えてきた。


「……ええと?これ、点灯してみれば良いの、かな?」

僕が聞くと、彼はコクリと頷いた。

そこで、スイッチを押してみる。


「うわぁ」

瞬間、僕は驚いた。

照明が点かないじゃないか。

周りが明る過ぎるせいかとも思ったけど、ちゃんと窓にはカーテンが引いてある。

光ってたら、うっすらとでも分かるはず。


「ねぇ、君、これ電池入ってないみたいだけど」

僕が懐中電灯を裏返してスイッチ入れをコツコツ叩くと、彼は恥ずかしそうに体を揺すった。


「どうしたの?単四電池が二つ必要っぽいよ。この大きさからしてね」

ちょっと鼻を膨らませながら言う。

こういう見た目で判断するのが僕は得意だ。

初対面の人が善人か悪人かも、きっちり第一印象で判断するくらいには、この能力を信じている。


それでも、彼は電池を渡してくれなかった。どうやら、渋っているのではないらしい。

つまり。


「ええと、持ってくるの忘れちゃった?」

恐る恐る聞くと、彼は短く息を吐くように笑って、首を横に振った。


「ん?違うの?じゃあ、どうして早くくれないのさ。ドライバーと電池、頂戴よ」

催促しても、彼は動かない。どうしたのかな。


「実は既に電池は入ってる、とか?」

言いながら懐中電灯を上下に数回振ってみたが、音はしない。

まぁ、電池のマイナス極側を入れる部分にくっついてるクルクルしたゴムが衝撃を吸収してるのかもしれないけれどね。


「………入ってないよ」

「おっ、大当たり?」

やっと一言、彼が喋った。

良かった。僕の目が間違ってたのかと思って冷や冷やしたよ。


「じゃ、どうして使えない電灯なんかプレゼントに持ってきたの?」

「………無駄に見える物も日常には必要かなと思って」

「うわぁ、なるほどね。大人だなぁ。三ヶ月後の僕は。……いや、クリスマスって言えば、三ヶ月半くらい経ったことになるのかな?」


僕は彼の顔を覗き込んだ。

…うん、顔はほとんど変わってないはず。ってことは、今年のクリスマスからやって来たんだね。じゃ、やっぱり三ヶ月半くらい向こうの自分だ。


「そ、そんなに大人、かな?僕……」

「うん、そうだね。大人だよ」

懐中電灯を手首を使って振ってみた。

腕にちょっと重さが加わってくるのが心地いい。


そうやって嬉しそうにしていると、彼は思い切ったように言った。

「…外、行かない?」

「え?」

「外」


僕はキョトンとして彼を見た。肩を強張らせている。どうやら本気らしい。


「どうして?」

「どうして、って……」

彼は首を曲げて少し考えて、「…どうしてだろ」と言った。


「あっ、あれかな?無駄なことをしてみるっていう」

そこで、僕がフォローしてあげると、彼はすぐに頷いて、「それだ、それだっ」と手を叩く。


僕は満足げに微笑んで、賛成した。

確かに、二人で外に出てみるのは楽しいかもしれない。


「じゃ、早速行こうか」

「うんっ」


彼はだいぶん緊張がほぐれたようで、パッと頰にも色がついてきたようだ。


「持ち物は……、えーと、懐中電灯は欠かせないよね。せっかくくれたんだもの」

「そうだねっ」

「よし、以上だっ。出発しよう」


短刀のように、その電灯をポケットに突っ込んで、僕は玄関口に駆けて行った。


すると、ドタドタという足音が聞こえたらしく、お母さんにバレてしまった。


「タケルー!ご飯食べに来なさーい!」

台所の方からそんな声がする。


僕は済まなそうに彼を見て、「朝ごはん終わってからになっちゃった」と報告した。


「うん、全然大丈夫だよ」

それに対して、彼は快く承諾してくれる。

でも、僕はちょっと気になって聞いてみた。


「あのさ、君は、お腹すいてないの?」

「え?」

「朝ごはん、ちゃんと食べた?背は、僕とあまり変わってないみたいだけど」

「ああ。えっと、食べてないんだ。……いや、安心して?昨日まではちゃんと1日3食を繰り返してきたから。あと数年すれば、きっともっと高くなるよ」


彼は誤魔化すように笑った。これは誘うべきだね。


「じゃ、おいでよ。半分コしよう」

「えっ、ありがとう」

「うん。背は別にこれ以上伸びる必要もないから、気にしなくていいよ」


僕は彼の手を取って、食卓に行って、椅子に座った。


「お母さーん、来たよー」

「あらあら、タケルったら分裂しちゃったの?」


お母さんは、「いずれこうなるんじゃないかと思ってたのよ」と呟きながら、左手を顔に軽く当てて考え込む仕草をした。


「違うよ。これ、未来の僕なの」

「あっ、クリスマスからお邪魔してます」


僕が紹介すると、彼は律儀に頭を下げた。

どうしたのかな。三ヶ月間で、礼儀作法の本でも読んでみたのかもしれない。


「あらあら、なら良かったわ。よろしくね。よし、それじゃ奮発して、目玉焼きをもう一つ作ろうかしら」

「いやいや、二人で半分ずつ食べるよ」

僕がそう返すと、お母さんはムッとして言った。


「それじゃ明らかに栄養が足りないじゃないの。私、一人分しか作ってないんだから」

「十分だよ」


僕はお母さんに笑いかけた。

そして、なめらかな動作で、奪い取るように朝食を載せたお盆を机の上に置く。


「お箸はどうするの?」

やっと諦めてくれたらしいお母さんが、最後の抵抗にと聞いてきた。


「それも半分コだよ。ねっ」

「うん!」


僕と彼は、黒々と輝くお箸を一本ずつ持って、目玉焼きに突き刺した。


「うわぁ!半熟だ!三ヶ月後のお母さんより凄いや!!」

彼が喜びの声を上げると、褒められたお母さんは直ちに反応した。


「え?!私、三ヶ月後より上手なの?」

「うん!!今のお母さんはねぇ、こんなにトロトロのじゃなくて、カッチカチなの。お弁当に使うんだったらこれくらいが良いって言うんだ。信じられないでしょ?」

「やったぁ!未来の自分に勝ったわ!!」


お母さんは、ガッツポーズをしてピョンピョン跳ね回った。


「え、君は、もう弁当が要るの?」

「うん。僕はね、この頃旅行続けで大忙しなんだ」

「へぇ。そりゃビックリだね。どうしてそんなことになってるの?」

「いろんな僕に会いに行くからさ」


喋りながら食べているのに、舞い上がっているお母さんは怒ろうとすらしなかった。全く、特別な日だね。


「他の僕って、どんな感じ?」

「うーん、みんな一緒だよねぇ、そりゃあ」

「そっか。すぐに人格が変わるわけないもんね」


語らいに夢中になっててそんなに気にならないけど、一本のお箸を操るのには熟練の技術が必須になってくるみたいで、さっきから僕、まともに食べ物を口に入れられてない。ただ、口周りがどんどん溶けた目玉焼きで汚れていくだけだ。


「今回は弁当を持ってくるの忘れたの?」

「いや、持ってきてるよ」


質問してみると、彼は服の下から小さな弁当箱を取り出した。


「うわあ、本物だ!本物のお弁当だ!」

「でしょ。三ヶ月後の君はこれを食べるんだよ。見てみる?」

「見る見る!蓋開けてよ!」


興奮して椅子をガタガタ揺らす。

ちなみに、三ヶ月後の自分が座ってるのは、パパがいつもいる席だ。もう仕事に行ってるんだろうな。


彼はゆっくり焦らしながらその弁当を開けて見せた。

いつの間にか、お母さんまで自分の力作を見物しに来てる。


パカリ


「うわっ!トマトにレタス、それに魚にご飯だ!」

「えへへ。立派だよね。さすがにお味噌汁はないけど」


彼が自慢げに言ってのけると、お母さんはうっとりして、「素敵ねぇ」なんて言いながら、羨ましそうに目を泳がせていた。


「うーん、なんだか三ヶ月後が楽しみになって来たよ」

「そうでしょ」


彼はそう返して、蓋を閉じた。それから「でも、こっちの方が美味しいよ。あったかいもん」と言い訳するように早口で話す。


「ふぅん。それにしても、これで目玉焼きを食べるのは、どうも無理っぽいね。もうお皿全体が真っ黄っきになってるもん」

僕は視線を落として恨めしそうに唸った。皿の端から、その液体が少し垂れ出て、机にもついちゃってる。お盆に入れっぱなしにして置くべきだったな。失敗だ。


「すすっちゃえば?」

お母さんがアドバイスしてくれるけど、二人で同時にすすってたら、それこそ全部こぼれ落ちてムチャクチャになりそう。無駄な掃除をするのは面倒だから、それは却下。


「あぁ、このメニューは難易度が高過ぎたね。焼肉だったら簡単に突き立てられるのにな」

「しょうがないさ。いつもいつも焼肉ばっかりなのも変だし」


僕らは、とうとう観念してお箸を置き、「ごちそうさまー!」と叫んで、椅子から離れた。


「あら、もう行っちゃうの?」

お母さんが残念そうに言う。


「ごめんなさい。でも、お箸一つでこれを完食するのは無理があったみたいなんだ」

「それなら仕方ないわね」


僕が謝ると、お母さんはため息をつきながらも許してくれた。「…それじゃ、気をつけていくのよ」と送り出される。


「うん!じゃあ、遊んでくるね!」

僕はお母さんに手を振って、彼と腕を組んだ。


そして、今度こそ外へ向かって一直線に出て行ったんだ。

裸足の足裏に、ゆっくり温まり始めたコンクリートの熱が伝わってきて、気持ちの良い、そんな土曜日のことだった。

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