末永く爆発してくださいと言うだけのお仕事

千花鶏

異世界における就職先

 香り高い紅茶。ピッチャーには新鮮なミルク。陶器の音が立たないように、慎重に丸テーブルの上に置く。

 タッセルのふさふさした紐を引っ張って巨大なカーテンを開ければ、朝日が寝室の中に差し込んだ。ミルク色の柔らかい光が天蓋付きベッドの縁に掛かる。


「おはよう、奥さん」


 甘ったるい男性の声が室内に響いた。

 ん、ぅ、と、少しかすれた女性の声が衣擦れの音に混じる。


「んん……あなた?」

「そろそろ起きよう。日も昇ったよ。少しお寝坊さんだ」

「ん……おはよう」

「うん。おはよう」


 ちゅ、と、口づけの音がする。続いて衣擦れとくぐもった音。たっぷり十秒間ぐらい、抱き合ってキスしあったあとで、ふたりは寝台から降りた。


 目も覚める美男美女。決して比喩ではない。男性は夜色の髪に孔雀石色の目をした壮年の美丈夫。女性は夕焼け色の髪に藤色の目をした美女。やや寝乱れた夜着の姿がまたまた揃って色っぽい。男性の腕を支えに寄り添う女性も、女性を腕の中に収めて微笑む男性も、朝一番から胸焼けするほど幸せそうだ。


『おはよう、アンナ』


 柔らかい声音で挨拶されて、わたしはふたりに向き直る。

 おまえいたのかって感じですね。いました。無心で紅茶の茶葉の処理をしていた、侍女Aです。

 わたしは仕えているお屋敷のご主人とその奥方に深々と頭を下げる。


「おはようございます、旦那様、奥様」


 そこで美男美女は照れ照れと笑い合う。

 菩薩顔で紅茶をティーカップに注ぎ入れながら、

 私は胸中でいつものように呟いた。


 ハイ、朝からごちそうさまです! 末永く爆発してください!



 どうも皆さん、こんにちは。坂上杏奈です。性別、女性。出身地は日本。現住所、異世界。こちらに居着いて三年目の二十八才。独身です。

 目が覚めたら戦場のど真ん中。降り注ぐ火の粉、炸裂する砲弾、振り回される剣、斧、槍。見る間に目の前に積み重なる、遺体。遺体。遺体。


 この世界にやってきたとき、夢だと思いました。辞表を叩きつけたばかりの病院に勤務していたときは、そのブラックさ加減から悪夢ばかりだったし。あの頃は現実でも夢でも本当に毎日、血とか内臓とか骨とか見ていた。その続きだと思ったんですよ。


 ところがどっこい。この夢は覚めない。寝ても覚めない。言葉がわからない。文字が読めない。一見、映画なんかで目にする近中世の西欧に似ていたから、誘拐されて異国につれていかれたのかとも思った。


 ここがどうやら私の生きてきた地球じゃないっぽいと判明したのは一年後の終戦記念式典だ。魔法使いっぽいひとが魔方陣を描いて、どーん、どどどーんと花火を打ち上げた。はい、ここは地球じゃないね! 地球には魔法がないね! 有るかも知れないけど国家行事で花火を上げられるぐらい大々的ではないね! そう悟りました。


 私は三年間、言葉を学ぶことから始め、いろんな事をしながら命からがら生き延びた。よくあるマンガやラノベみたいに、自分の技能を生かして世界改革とか無理ですよ! 生きるの精一杯! 確かに本職の技能は少なからず役に立ったけどさ!


 そうして三ヶ月前、むかーしに助けた人のご紹介から、とあるお貴族さまのご夫婦に雇って頂けることになった。

 説明を聞く限り、単なるセレブリティではなく、拝領したきちんとしたノーブル。当然、王様に該当するひともいる。


 わぁお。そんなばりばり西欧風異世界ファンタジーなら、高貴で美しい殿方に溺愛される救世の巫女とかととして、こっちにきたかったな!

 自分でも言って寒くなった。ないな。私が溺愛されるとかな。ない。


 いまのポジションは気に入っているのだ。文句を言っていたら罰が当たるよ。



 日中、旦那様と奥様は、街に面した本館の右翼と左翼に別れてお仕事をなさる。本館の奥に、おふたりの生活される別邸があって、私はそこのお勤めだ。私の仕事は主に侍女頭さんの補佐。ハウスキーピング業とか奥様のお世話だとか。


 今日は休憩用のお茶を中庭にセットするように言い付かった。


 天気のよい昼下がり。木々の梢がさわさわと音を立てる。頬に当たる風も清涼感に満ちて、鼻先にほんのりと花の香りを運んでくる。


 私は木陰に設えられた丸テーブルに、手際よくお茶とお菓子を並べる。勤務を初めてしばらくは、侍女頭の人がどこへ行くのも何するのにも付いてきて指導してくれたけど、そろそろ独り立ち大丈夫だと認めてくれたらしくて、私だけ。今朝もご主人たちの寝室を初めてひとりで任されたんだよ-。やる気がでるな。


 頃合いを見計らったかのように、執務棟から奥様が休憩に現れた。側近や護衛の方々を連れた奥様は、今日もため息が出るほど美しい。青空の下に映える甘やかなストロベリーブロンド……黒髪黒目に慣れた日本人として、最初は違和感あったけど、いいねストロベリーブロンドって! すごくきれい! 好き!!


 雪のような白い肌。理知的で品のある藤色の目。美人だったら近寄りづらいかもだけど、顔立ちがかわいらしいんですよ。多分、童顔なんだろう。年は三十路の半ばって聞いたけど、そこらの若い子よりよほど可憐だ。ひれ伏したいぐらいイケメンな旦那さまに溺愛されるのわかるよ-。

 うっとりしつつ椅子を引くと、着席された奥様から声が掛かった。


「アンナ、あなたも座って。一緒にお茶にいたしましょう」

「わたくしですか? ですが旦那様が……」


 もう一脚の椅子は旦那様用だ。


「あのひと、来客があったようだから来るのが遅れるわ。ひとりでお茶をするのも寂しいもの。どうか付き合って」


 そういうことなら、と、私は承諾した。でも側近の方々はいいのかな。休憩されなくて。

 私の視線に気づいた側近さんが、にこやかに笑った。お気になさらず、ということのようだ。


 ふたり分の紅茶を淹れてから着席する。茶器は某高級陶器ブランドに似た、ワイルドストロベリー柄。注ぎ入れた紅茶からふわりと茶葉のいい香り。そして奥様はお菓子もお勧めくださった。た、食べていいんですか。いいの。頂いちゃいますよ。


 料理長さんが今日も腕によりをかけたミルクレープ。正しい名称は知りませぬ。


 何段も折り重なったミルクレープ。私は知っている。層の間に塗りつけたクリームはほんのりビターチョコっぽい味のするクリームなのだ。それに奥さまの髪色を思わせるベリー系のソースがたっぷりかかっているんだけど、クルミとかピスタチオ系のナッツを砕いたものが降ってあって。見るからに垂涎ものなのだ。


 準備する量が多いなって思っていたけど、最初から私の分も含めてあったのかな……。旦那様が遅れるっていうのは、私に気兼ねさせないためかな……。奥様おやさしい。


「お仕事には慣れて? アンナ」

「はい。皆様、よくしてもらっているます」

「してくださいます、ね」

「あ、すみ……申し訳ございません、奥様。皆さん、よく、してくださいます」


 意思疎通は問題ないけど、言葉遣いはよく間違う。私は奥様の言葉を復唱した。


「そう。私もアンナはよく働いてくれるって、皆から聞いているわ。とても助かっているって」

「邪魔になっていなければ、嬉しいです」


 当たり前ですけどハウスキーピング業なんてしたことないし、仕事を貰ったばかりのときはできるか不安だった。最初は侍女頭さんの仕事を邪魔してばかりだったと思うんだけど、いま助けになれているならよかった。


 でも本当に謎なのだ。本当に、言葉も不自由、教育も行き届いていない私を、いくら騎士さんの紹介とはいえ……。


「奥様たちは、なぜ、私を、雇う……お雇いになったんですか?」


 奥様たちはこの街を中心に、国境沿いを治めている。

 なのに別邸の使用人の数は恐ろしく少ない。執事長さんも侍女頭さんも料理長さんも、老年にさしかかった人たちがほとんどだ。皆、とても元気ではあるけれど。


 働き盛りの人たちが少なすぎる。


 雇われたい人はたくさんいるだろう。旦那様も奥様も実力者なのは、本館の人たちの心酔ぶりを見ればわかる。教育の行き届いたひとはいくらでも見つけられるはず。


「その質問に答える前に、訊かせてちょうだい、アンナ」

「はい、奥さま」

「わたくしたちふたりのことを、あなたはどう思っているかしら」

「……奥さまと……旦那さまのことですか? 末永くば」


 爆発、じゃなかった。


「幸せになって欲しいと、思っています」

「レガリア人とフォリア人なのに?」

「……あぁ」


 レガリアとフォリアは二年前まで戦争していた二国。奥さまがレガリア人。旦那さまがフォリア人。

 別館ではご夫婦として生活されるふたりに、複雑な感情を抱くひともいるだろう。


「関係ないですよ。戦争してましたけど、昔、ひとつの国だった。聞いています」


 この二国。もとはひとつの国だった。その前はふたつだった。片方が宗主国でもう一方が属国。その立場が逆転する、ということもあったし。戦争すればまたひとつになった。

 くっついたり別れたりの激しいカップルのような国々なのだ。元をたどれば同じ人種に違いない。


「それに……旦那さまと奥さまが、とても好き合っているの、わかります」


 わからなかったら阿呆じゃないか。びっくりするぐらいラブラブだよ。このご夫婦。


「それに周りが大丈夫だって、言っているから、ご夫婦として生活されている。違います? なら問題ないはず。私は、おふたりがご一緒なの、見ていて、とっても幸せです。おふたりを見ていたら、戦争する気、皆、なくなると思います」


 というか、和平の象徴としてご結婚されたのかと思ったよ。違うのかな……。


 街の噂から、敗戦処理を行うために二国から派遣されたお方だということは知っていた。だからおふたりが別邸でご夫婦として暮らしていると知って、最初は確かに驚いた。雇われるときも事情の説明は一切なかったから。


 でも旦那様と奥様って呼びなさいと言われて、おふたりがとっても幸せそうにご一緒にいて。

 どんな事情も些細なことに思えた。


 いや正直、こまけぇことはいいんだよ。幸せそうな美男美女のカップルを毎日末爆って眺めて、私だってお腹いっぱいご飯を食べて暖かいお布団に包まって寝ることができるんだよ。平和万歳。


「おふたりの仲を邪魔する人は、私、許しませんよ。本当です」

「……ありがとう。アンナはいい子ね」

「いえ……そういうのじゃ……奥さま?」


 おもむろに片手を挙げる奥さまに、どうしたんだと私は瞬いた。

 けれど理由はすぐにわかった。本館から旦那さまが歩いてきた。

 いや――もしかして、来てもいいよって、合図を送った?


「先ほどの質問に答えましょうね。どうしてわたくしたちが、あなたを雇ったのか……」

「お疲れさま。お話は終了かな」


 歩み寄ってきた旦那様が奥様の頬に軽く口づけて尋ねる。奥様はキスを返して頷いた。


「えぇ。アンナはとてもよい子だということがわかったわ。……よく紹介してくださいました、ルウォーク」

「恐れ入ります」


 奥様が話しかけた男のひとは、旦那さまの連れている騎士さんだ。このひとが、私にこの仕事を斡旋した。


「アンナ、あなたを雇うまでにわたくしたちは何人もの子を面接しました。わたくしたちに偏見を持たずに働いてくれる子を探して。どの国にも肩入れせず、わたくしたち両方に仕えてくれる子を探して」


 レガリアとフォリアは戦争していた。一年半ほどだったけれど。


 国をまたいで結婚する夫婦に仕える。

 その条件だけでも、とんでもない、と首を横に振るひとたちは後を絶たなかった。

 恋愛感情云々はなしにして、終戦処理を進めるべく、同じ館で仕事をするという王命が下ったとき。二国の王は旦那さまや奥さまを慕う人々から批難囂々だったそうだ。


 旦那さまや奥さま個人に絶対の忠誠を誓う人々はいても、夫婦ふたりに忠誠を誓うかはわからない。

 異国出身の人間なら偏見は少ないだろうけれど、人選を誤れば間者を招き入れることにつながる。


 ……えっ、なんか説明を聞いていて、物騒になってきましたけれど。というか絶対の忠誠を誓う人々はいるってあっさりなにその……自分たちはけっこう高位な人間ですよ的な……。


「あぁ、あなたにちゃんと素性を明かしていなかったわね」

「あまりに探りが入らないから、逆にもう知っているのかと思ったな」


 異国の間者であることを疑っていたって、旦那さまに笑顔でさらっと言われた。


 ここでふたりから自己紹介。

 奥様がセラフィナさま。旦那さまがアレクセイさま。


「奥さまはともかく……旦那さま、お名前の最後の、フォリアって」

「王陛下はわたしの兄上だ。異母兄だがね」


 うぁあぉ。


 奥さまはレガリア王家の側近一族のご出身だそうで。レガリア女王唯一無二の忠臣と名高いそうで。


 ふたりとも自国の政務に関わりまくりの間柄。他国の人間と結婚するなんてとんでもないと叫ばれるの必至。


「レガリアと戦争したいという輩には、そんなに戦争したいなら、と、一族すべて前線に送り込んでやったから、和平を結ぶことには問題なかったんだけどなぁ」

「陛下たちがお許しくださったから、わたくしたちここにいるのですけれど、政務の官はともかく生活を一緒にする子はねぇ……なかなか見つからなくて困っていたのよね」


 そりゃそうでしょうよ。

 それにちょっとまって、奥様と甘い顔で見つめ合いながら旦那様いま怖いこと言った。怖いこと言った。一族郎党みな前線送りって言った。


 レガリアとフォリア、どちらにも肩入れせず、かといって第三国の間者ではないと思しき人間。

 わたしはたまたまその条件に合致して、騎士ルウォークさんのご推薦もあって採用となったと。

 そしてさっきの会話は試用期間を終えてからどうするかの最終面接だったと。


 もしも採用するべきでない、と判断されていたら、どうなっていたんだろ。

 訊かないでおこう。



「さぁ、気を取り直してお茶にいたしましょうね」


 いつの間にか侍女頭さんや執事長さんも集まっていて、人数分の椅子とテーブルが出される。

 よかったねぇ、これからもよろしく、と、肩を叩かれ、わたしはから笑いを浮かべるしかない。


「今日の焼き菓子はおいしいわ」

「甘さと苦さが絶妙だ。君の料理長はとても腕がよいね」

「嬉しいわ。あぁ、それにしても今日は本当によかった。ルウォークの見る目は確かだわ。さすがあなたの騎士」

「君の目に適う子を連れてこられて嬉しいよ」


 側用人を褒めながらお互いを褒め合うって高等テクですね。


「おや、いけないな。口元にソースが付いてる」

「あらやだ。とってくださいな」


 奥様のくちびるをぬぐった親指をそのままなめる旦那様。


「君の味がするな」

「おいしい?」

「もちろん」


 目の前で繰り広げられる光景が甘すぎて、ミルクレープの味がわからなくなってきましたよ!?


 ちなみにこの場でふたりにどん引きしているひとはいない。

 おふたりが幸せそうでよかった。ほんとうによかった。と、泣き崩れんばかりに目を潤ませて微笑むひとたちばかりだ。

 なかなか人を採用できなかったのって、この、砂糖でぶん殴られる攻撃への、耐久力の問題もありそう。


 わたしは空を仰いだ。

 どうして異世界に来てしまったのかわからない。特別なお役目はなさそうだし、わたしの知識が世界を改革する、なんていうこともなさそうだ。要するに、平々凡々なのだけど、それでも一応、生きていくことだけはなんとかなるらしい。


 他人の幸せさえ祝福していれば。


 はい、皆さん。今日もご一緒に。


 この幸せいっぱいのカップルめ!

 末永く爆発してください!

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