フランケンシュタインの花嫁

あやぺん

フランケンシュタインの花嫁

昔々ある丘の上に、それはそれは美しい薔薇が咲き誇る庭園と小さい屋敷があった。真紅と純白に飾られた、丁寧に人の手が加えられた、美麗な庭。


しかしある日を境に薔薇は枯れ果て、庭園は荒んだ。今は主人を失い、光を奪われた陰惨とした茂みでしかない。


猫は窓辺から外を、失楽園を眺めて、にゃーおと鳴いた。


場所はガラスケースの上。そのガラスは引っ掻いても、ぶつかっても、猫が何をしても割れない丈夫な塊だった。


ガラスは雪降り積もる大地のように冷たい。ブーンという奇怪な音を立てて、中身と猫を隔て続ける。


ととととと。


猫は行き慣れた階段を器用に下った。



***



科学者は定刻時刻にアネモネが階段から現れるのを確認し、そっと手招きした。黒紫の滑らかな曲線を有する美猫。科学者自慢の家族。


「今朝も見回りありがとう。さあ朝食にしよう。」


アネモネはにゃーおと告げて、とととととっと科学者の足元に寄ってきた。科学者がこの屋敷に1人になってからの恒例行為。


「食べたらまた研究だ。ああ早くリリーに会いたい。なあアネモネ?」


科学者は味のしないシリアルをどんどん口に突っ込んで、急いでかき込み飲み下した。


アネモネはにゃーおと鳴いて科学者から遠ざかった。とととととっと破れて黒ずんだ白いソファから白衣を口に咥えて戻ってきた。


ところどころ褐色に変色した白衣を科学者はアネモネから満足気に受け取る。


短くも色褪せた1日がまた始まった。



***



アネモネは科学者の側に丸まって尻尾をぴんと立てた。時折科学者の手が宙を彷徨うと、工具入れの中に尻尾を突っ込んだ。それから巧みに工具を出して科学者の掌に置く。


「君は猫にしておくには大変惜しいな。」


にゃーお。科学者がちらりとアネモネを見てまたガラスケースに視線を戻した。


「リリーが蘇ったら次は君を人間にしようではないか。僕等は酒を酌み交わし大いに語り合う。きっと楽しいよ。」


にゃーおとアネモネはガラスケースに近寄った。科学者の恋人は今日も瞼を閉じている。


「君にお嫁さんが先かな。猫を人間によりずっとやり遂げやすいものな。」


科学者はガラスケースの小窓についた鍵を開けて、ガラスケースの中に注射器を持った手をそうっと入れた。


薄暗くて黒い塊に見える科学者の恋人の姿。アネモネはじっとガラスケースの中身を凝視してから、またにゃーおと鳴いた。



***



嵐が丘を襲った。


豪雨がバラ園をさらに痛めつけ、雷が闇夜を貫く。


激しい光が屋敷に落ちた。


正確に言うと屋敷の屋根に取り付けられた奇怪なアンテナに向かって集まった。



***



吹き荒れる暴風雨で窓がガタガタと揺れる中、アネモネは定位置で丸まっていた。ガラスケースの真上に敷かれた、小洒落たパッチワークで作られた自身の寝床。


ちらりと目線を落とすとガラスケースの中に、美貌を永遠に閉じ込めた彫刻のような女性が薄ぼんやりと見える。


にゃーお


アネモネが鳴いたと同時に爆発音と激しい閃光がそこに襲来した。



***



それはにゃーおと鳴いてそっと動き出した。ガラスケースを持ち上げてゆっくりと上半身を起こし、すらりと長く華奢な腕や指をしげしげと見つめた。


周囲を伺い、今度は立ち上がろうとしたけれど、生まれたばかりの動物のようにゆらゆらと揺れて、床に倒れた。


それは四足歩行で少し移動し、壁に手を這わせながら立ち上がった。一歩、一歩とそろそろ二足歩行を試みて、階段へと向かう震える体。


それは手摺に縋り付きながら一段一段確実に階段を下った。それの姿が階段側の壁に掛けられている全身鏡に映る。


にっこりと満面の笑みを浮かべて、それは両手で鏡に触れて頬を寄せた。



***



ネジや釘の刺さった亜麻色の巻髪


肌は土色と鉛色と暗い灰色。


窪んだ黒い目元の奥に髪と同じ亜麻色の瞳。


少しつり目で二重瞼の大きな目に長い睫毛。


血のように赤い唇。


顔を横切る酷い縫い傷。



***



「リリー!ああリリー!僕だよカルミアだ!リリー?」


カルミアはそれに近寄って腕を広げたが、あと一歩というところで踏みとどまった。カルミアはそれが化物だと気がついた。


恋人の変わり果てた異形の姿に涙が溢れ、ぽたりぽたり、ぽたり、ぽたりと床が濡れる。


「ああ……神よ……なんて事を……。僕はヴィクター・フランケンシュタインとは違うのに!神に近づくなとお怒りなのか……。」


顔を苦悶に歪ませたカルミアは化物の前にしゃがみ込んだ。愛しい人の顔に触れたいけれど手を伸ばす勇気が無く、カルミアの両手は化物の頬の近くを彷徨う。


化物が無表情で首を横に曲げるとビリッと何かが破ける音が、静寂な廊下に響いた。


皮一枚で繋がれた化物の頭、カルミアは目を見開いてまた涙を流した。


***



リリー・フランケンシュタイン。


だからフランケンシュタイン。


カルミアにそう呼ばれた。


科学者は恋人の姿をした化物を受け入れられず、恋人の名前を呼ぶのが憚られ、いや受容出来なかったようだ。


お伽話の博士にちなみ、ヴィクター・フランケンシュタイン博士からカルミアへの贈り物、そう皮肉を込めて名付けたらしい。


重苦しい漆黒のドレスを渡された。


しかしそんなものはどうでも良いことだった。


フランケンシュタインは自由に動かせる、特に以前よりもより高く、より遠くまで、より器用に行動できることを大変喜んだ。



***



カルミアの屋敷へ訪れた者は皆、1人も残らず驚いた。狂気の博士が実在した事に。しかしカルミアは否定した。


「違うんだ。フランケンシュタインは勝手に産まれたんだ。」


ソファに、壁に、椅子に、サイドテーブルにぶつかりながら洗濯籠を運ぶフランケンシュタインを追いかけるカルミア。それを訝しげに眺める同僚達。


「カルミアは多くの患者を救う薬を開発したけれどまさか死者まで蘇らせるとはな。」


「あれはリリーじゃない!」


カルミアは眉を釣り上げて同僚達に叫びながら、無表情でふらふらするフランケンシュタインを追いかけた。


言葉を発せず、にこりともしないのに積極的に家事に挑むフランケンシュタイに同僚達は興味深げだった。



***



荒みきった屋敷内は清掃されて清々しい空気が蘇った。


薄汚れた衣服やシーツは真っ白に、積み上がった汚い食器は棚へ、それから……。


薔薇園が息を吹き返した。瑞々しい垣根、咲き誇る赤と白の薔薇。


フランケンシュタインは満足だった。枯れ果てた草花、特に薔薇をもう黙って見ていなくても良いのだ。


そういう力を得た。



***



カルミアの目にフランケンシュタインは相変わらず化物に映る。けれども、ふとした仕草が失った恋人に重なるので悩まされた。


相変わらず笑わないけれど、困ったり驚く表情や何かに興味津々な表情に、恋人の面影が見つかる。


失敗だらけのフランケンシュタインが健気に家事をするのに心が温まった。いつも颯爽として華麗だった恋人とは違う不器用さ。一生懸命さに目を離せない。


触れるのも躊躇われていたのに、カルミアはいつの間にかフランケンシュタインの側にいるようになった。


ひたすら研究に打ち込む笑顔を忘れた科学者カルミアは消え去った。いつの間にか楽しいと言う感情を取り戻していた。


そして……徐々に、苦悩の末に、カルミアは1つの答えに辿り着いた。


フランケンシュタインもまたリリーなのだ、と。



***



大切な庭園でカルミアが二本の薔薇を手折った。真紅と純白の薔薇を揃えてフランケンシュタインの前に差し出す。


黙って眺めているとカルミアはフランケンシュタインの手を取って二本の薔薇を握らせた。


「もう一度恋に落ちた。結婚しよう。」


片膝をついてフランケンシュタインを見上げるカルミア。旋毛を眺めながらフランケンシュタインは小さく揺れた。


カルミアの前で初めて笑顔を見せてゆらゆら、ゆらゆらと。



***



カルミアは幸福を噛み締めて、いつもの黒いドレスではなく純白に身を包んだ花嫁の手を取った。醜い容姿だけれど中身は愛くるしくて美しい。カルミアがかつて愛した恋人と同じく。


蘇った薔薇園に蘇った恋人。


初めは呆れ果てていたカルミアの同僚達は、カルミアのあまりにも幸福そうな表情に驚き納得した。


それからフランケンシュタインの慈愛と幸せに満ちた、醜悪な容姿を忘れさせるような綺麗な笑顔に見惚れた。


愛が奇跡をおこした!


死を乗り越えて再び愛を手に入れた!


結婚式に参列した者は二人に祝福の拍手を送った。



***



祝いの賛辞の嵐の中で花嫁のヴェールを上げるカルミア。


フランケンシュタインは自身に近寄る唇に向かってそおっと口を開いた。



***



ばりばりむしゃむしゃ


ばりばりむしゃむしゃ


にゃーお



***



フランケンシュタインは飛び出してカルミアの頭を喰らった。死体であれば入り込める。するする、するりとカルミアの遺体を乗っ取った。


劈く悲鳴など意に介さない。


ぱちりと目を開くと眼前には、鮮血で赤い模様の花が咲いた白いドレスを纏う花嫁。


何度も何度も、毎日のようにガラスケースの上から見下ろしていた愛しい人。


彼女の体を手に入れた代わりに触れることが出来なかった。


でももう違う。


「ずっと慕っていたよ。やっと手に入った。僕の花嫁。」


それは虚な瞳で直立している花嫁の両手を握った。


手を引いて歩こうにも花嫁は力なく倒れそうになるだけだった。


けれどもそれは満足そうに花嫁を腕に抱き上げて薔薇園の奥へと去っていった。




***



むかしむかし


土砂降りの雨の中、道路の端に置かれた箱の中に、小さな黒紫色の子猫が震えながら必死に鳴いていた。


「なんて可哀想に。もう大丈夫よ。」


子猫を抱き締めた女性は子猫の不安が消え去るようにとありったけの笑顔を子猫に向けた。


女性は子猫を宝物のように自分の服で包み歩きだした。


その隣には男性が女性の肩を雨から守るように抱いていた。



*** 



【フランケンシュタインの花嫁】



***



これは愛の物語



***



あとがき


◯●花言葉●◯


【赤い薔薇】

熱烈な恋

【白い薔薇】

私はあなたにふさわしい

心からの尊敬

【薔薇が2本】

この世界は2人だけ

【赤い薔薇と白い薔薇のセット】

結婚してください

【アネモネ】

恋の苦しみ(全般)

あなたを信じて待つ(紫)

【カルミア】

野心、裏切り

【リリー】

純粋、無垢、純潔(白)

呪い、復讐(黒)


●◯フランケンシュタイン◯●

有名な小説の登場人物。死体を寄せ集め人造人間を作った科学者ヴィクター・フランケンシュタイン博士。自分の造ったものに滅ぼされる人を示す。

本作では科学者及びリリー・フランケンシュタイン(猫)


劇中劇用に作った作品です。

単独でも愛にまつわる話にしたくて構想を考えました。


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フランケンシュタインの花嫁 あやぺん @crowdear32

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