34スライム降ってる不穏な王都2

 僕とジャックは満を持して宿を出た。

 隙間からうっかり奴らが入り込まないように、きっちりと入口扉が閉まるのを確認してから通りへと目を向ける。

 まだ軒下にいるからスライム雨は当たらないけど、案の定外は酷い有り様になっていた。

 篠突しのつく雨って感じの中、大半のスライムは遥か天空から屋根や地面への落下衝撃で勝手に昇天してくれている。

 おお大自然、おお重力、ああああ人類の建築、万歳ーっ!!


「なあアル、外で直に聞くといや~な雨音だよな」

「うん、めっちゃね」


 普通のザーッて雨音にスライム共の消滅音――ボワンボワンボワンってのが無数に重なり合い干渉し合ってボボボボワボボワボボボ……って聞こえるんだよね。

 さっきからずっと耳に五月蠅くて、耳にタコどころかスライムができちゃったらどうしてくれるんだよ。

 路上も本来の雨水とスライム液のせいででろっでろ。石畳がテカッてる~。低ランクの魔宝石もあちこちに落ちてるから拾いたい放題だし、素足で歩いたら結構ハードな足ツボ刺激になりそうだよ。

 痛いのもスライム起因のヌメヌメも嫌だから絶対にしないけど。魔宝石を回収する気にだってなれない。


「この有難いスパイクなしじゃスケートかってくらいに滑ったんじゃないかこれ?」

「確かに。実際そうみたいだし」


 一歩外に出てみれば、案外こんな中でも出歩いているタフな通行人もいるもんで、だけどその人達はことごとく何度もすってんころりんと転んでいる。ご愁傷様だ。


「あれだけずぶ濡れてでろでろにまで塗れてんのに、案外落ち着いてるもんだな」

「そうだね。見た感じ多少なりとも武芸の心得や魔物の知識のある人達っぽいし、中には僕達と同じ冒険者もいるんじゃない?」


 表情は一様に硬いものの、何らかの目的や覚悟を持って出歩いている人しかいないからか、宿の客達のように取り乱している人は見当たらない。

 傘を片手に軒先の空を窺うように仰ぐジャックの横に立ち、僕は目の前のスライム雨を観察する。正直吐きたい。

 中には通行人に当たって昇天してるのもいたけど、降っている種は元々軽いし体当たりされても衝撃はほとんどないに等しい連中だからか、当たっても命の危険はなさそうだった。……ただ、僕なら苦行過ぎて心が死ぬ。


 万に一つの確率で運よく仲間を下敷きにして助かった(あれ? つい最近どこかで似たような状況の人を見たなー……)個体もいる。

 そいつらは生存本能なのか、人間を襲う素振りもなく道端の側溝やら人が入れない細い隙間や穴を見つけてそそくさと逃げ込んでいく。


「…………」


 にたりともせず左右に忙しなくかつ慎重に視線を走らせるその顔ときたら、ドロボーが辺りを窺う時に酷似。ほっかむりしてたらもうそのもの。


「ねえ見てよジャック。あいつら一丁前に王都に隠れ住もうとしてるのかな?」

「それはあり得るな」

「住民税も払わずに不法滞在? ふふふ僕の宿での宣言は大体正しかったらしいね。税収は大事! くそっ、けどあいつら基本金持ってないじゃん……!」


 時々、食えもしない硬貨を飲み込んでたアホなのはいたけど。有難く旅の資金の足しにしたよ。


「いや違うぞアル。唯一持ってる財産がある。消滅後の魔宝石だ」

「ハッそうか。さすがジャック。無一文ならその身で支払わせろって事だね! そのヌメちっこい体で払ってもらうぞおおお!」

「ちょっと落ち着けアル」


 借金取り立ての悪党みたいな台詞を吐きつつ剣と傘を両手に持って駆け出そうとして、ジャックに止められた。


「止めるなジャック! 僕は往かねばならないんだ!!」

「いやさ、スライム自身で払わせるってその方向性は大方正しい……平時なら。でも今は非常時だろ。優先すべきは雨を止ませる事だ、違うか?」

「――はっ、そうだ、そうだったよジャック、ジャーック!」


 僕の欲望で濁りまくった目を覚ましてくれた友には感謝を禁じ得ない。気分を切り替えるつもりで、短く切るような嘆息を一つ漏らすと改めて往来を見やった。

 幸か不幸か、燐光がキラキラとして記憶の残滓が潜在していそうな魔宝石はない。他の場所じゃどうか知らないけど。

 思考の片隅じゃ変光眼の事情なんて関係ないよとは思うものの、こっちの与り知らないところでは秘密の糸が複雑に絡み合ってるんだろう。色々気になる点もあるし煩わしくても完全には無視はできない。

 むしろ、無知でいる方が大事なものを見落としそうで恐ろしい。危険に遭遇した際にだって間違った対処をしかねない。……例えばあの黒い腕の扱いとかね。ホント生きてて良かった……。

 だから僕は一つでも見つけ次第残された記憶を確認すべきだろう。まっ、見つけたらーの話だけどさ。


「この雨も今はもう状況に慣れつつあるけどさ、運悪く早朝の降り始めに外にいた人なんかは、さぞかしパニクッたろうね」

「ああ。さすがに悲鳴を上げて逃げ惑ったんじゃないかと思う」


 実際後で話を聞いてそうだったと知るわけだけど、そりゃそうだ、不意打ちでのスライム直撃なんて超絶悶絶壮絶嫌だ。もちろん不意打ちじゃなくても。

 でも真っ昼間に降らなくて良かったよ。早朝と違って日中は仕事なり観光なりで沢山の人で賑わう王都は大混乱に陥ってただろうから。


 ところで、張り切って出て来ておいて、僕達はまだ軒下にいた。


 もしかしたらまだ動かないのをミルカは不審に思っていたりするかもしれない。


「なあ、どこに行くのが最善だと思う?」

「んー、そこなんだよねー」


 僕とジャックはまずはどこに行くかを決めてなかった。多少後先考えずの勢いで出てきちゃったのは否めない。

 本音はすぐにもスライム共に突撃したいところだけど、闇雲にただ消して回るだけじゃ埒が明かない。スライム雨が止まなければジリ貧になる。故に、雨の原因を探り止ませるためには情報が必要だった。ククク討伐は後の楽しみに取っておくさ。

 ちらほらと数は少ないながらも通行人が前を通り過ぎていく。ちょうど前を通り過ぎていく男女二人組の会話に何となく思案がてら僕達は耳を傾けた。


「鳩レターが飛ばないってあるんだな。まあ十中八九この異常天気の影響だろうが」

「ええ、ギルドに迅速な連絡ができなくて困るわ。いつまで続くのかしらこれ」

「スライム雨の原因もまだわからないしな。今のところ落ちてくるのはスライムだけだが、楽観していいのかはビミョーだよな。魔物のランクアップがあるかもしれないだろ」


 へえ、魔法通信ができないのか。

 でも魔法通信、つまりは魔法を妨害するって事はこの雨に何らかの魔法が発動している証拠に他ならない。まあそれ以前に空からスライムが降ってる時点で魔法以外に考えられなかったけどさ。


「行くならやっぱり最寄りの騎士団の施設じゃないかな。あとはギルド関係のとこ?」

「だよな。そうすると、ここから近いのは騎士団の施設だっけ?」

「うん。ただー……ミルカの前じゃ言わなかったけど、僕としてはその前にリリー達の事も心配だし二人の所に行ってみようと思ってるんだよね。それでえーっと、ジャックはどうする? 情報収集と安否確認とで二手に分かれてもいいよ」


 ミルカと良い仲なんだろうし、元カノをかなり引き摺ってたから無理にとは言えないもんなあ。気まずいだろうしさ。それにリリーの方だって辛いんじゃないかな。ああでも姿を見れて嬉しいって面もあるかもか。

 そんなジャックは何故だか変顔だった。酷く何かを堪えるようにギリリリと歯を食い縛ってる。その歯の間にハンカチを挟んだらヒステリック令嬢ジャックの出来上がりだ。


「くっ……他の男を近付けたくないって独占欲か。牽制とは中々やる。友情と恋情の狭間で辛いっっ、ジェラシーの炎よ消えろ消えるんだ」

「ええとジャック……?」


 歯の間から無理無理押し出すような声で言った友人は何らかの苦悩に髪を掻き毟って仰け反っている。彼はどうかしたんだろうね、あっいやどうしたんだろうね?

 友情と恋情? まさか僕とミルカと三人でいる時の適切な距離感に悩んでる? そこまで細かく僕を気にしてくれてるのかジャック! 僕は二人がどうイチャ付こうと空気になって見守るから平気さ。疎外感なんて感じないよ。もう君とリリーと三人でいた時にそんなのは慣れ切ったんだ。

 だからミルカを泣かせるなよ男前? その時はぶん殴るからね?


「ジャック落ち着いて、無理に一緒にリリーのとこにとは言わないから」

「無理なわけないだろ。俺も行く! この想いプライスレス。俺が大事にしてやらないで誰がするんだって話だよ。お邪魔虫上等だ」

「へ? 別に邪魔でも何でもないけど? まあうん、じゃあ行こうか」


 しかと頷くジャックはやっぱり耐えるように変顔だ。

 それでもきちんと思考を切り替えたらしい。


「なあアル、昨日の今日で王都がこの事態ってのは、あの守護の剣に関係してると思うか?」

「うーん、断言はできないけど、言われてみればしてそうだよね。壊れちゃったからなあ。もしも剣に付随する何らかの封印があったならそれも壊れた、とかベタだけどそんな展開もあり得るもんねー。もしかしたら剣が直ったらこの雨も止むかもね」


 剣が動く時は危機が迫っているって話だったっけ。これが王都の危機と言われれば否定はできない。世界の危機かまではわからないまでもね。粉々になっちゃったから果たして役に立つのかは微妙だけど。


「関係あってもなくても、あの場にいた身としては早いところ直ってほしいもんだよね」

「ああ、立ち直ってほしいな」

「あはは、確かにあのナイーブな剣にはその表現が適切かも。立ち直ってまたチャレンジする強い心を持ってほしいよね」

「そう、だな」


 何故かジャックから物言いたそうな目で見られた。



 ――そしてこの時、武器工房ウィリアムズの作業場隅にガラクタ同然に置かれたままの紙袋の中身がカチャカチャと震えたのを、僕は知らない。

 工房主のウィリアムズさんもたまたまその場にはいなかったらしいので、彼もまた紙袋の中身が何かを奮い起こそうとしているのに気が付かなかったという。



 ……んん? でも昨日の今日だと、他にもちょっと気にかかる出来事があったっけな~。


「ね、ねえジャック、古書街での僕の不思議体験は関係ないよね? ……あのお婆さんは目の前で古代魔法を発動させたんだよ」

「そっちもあったか。んー……俺にも何とも言えないな。何にせよ、これから王都内だけでなく王都の外はどうなってるのかも調べる必要はあるよな」

「ああうん」


 王都だけならまだしも他の土地まで「本日の天気は、百%の確率でスライム雨です」だとしたら、いくら相手が弱小スライムでもヤバい。


 だって奴らきっと――インフラに巣食う!


 上下水道管はもちろん、煙突とか何かの配管とかを我が家よろしく占拠するに決まってる。図々しい前例を知ってるし、さっきのコソ泥顔を見ていて、これだけは断言できるよ。

 全国どこ行っても隙間にスライムとか、どんな怪談ものよりも恐ろしくおちおち眠れない。不眠で僕は死にかねない。


「スライムコロニーができる前にこの雨を一秒でも早く止ませないと。最悪できなくてもスライムが落ちてくる前にキャッチして討伐できる方法さえ編み出せば僕の寿命は縮まらない。時は金なりだ、急いでリリー達の所に行った方が良さそうだね。二人が望むなら僕達と同じ宿に泊まってもらって、ミルカと一緒にいてもらうのもありだし」

「ああ、ミルカと一緒ならその方がこっちとしては安心だもんな」


 そういうわけで、僕達の最初の目的地はリリーとメリールウ先生の滞在しているホテルに決まった。そう、宿じゃなくてホテルって言い方だ。お高い。





「うおおおおおおーッ!」

「だりゃああああーッ!」


 見つけたスライム目がけて跳躍する。

 スパイクのおかげで滑らず、しかし対スライム戦闘の滑り出しは上々。

 僕は無数のスライム共を千切っては投げ千切っては投げ……なんて気持ち悪い戦い方はしないで、サクサク剣を振るって倒した。因みにジャックはいちいち矢を放つのが面倒なのと街中だし危険かつ効率も悪いし矢が勿体ないってわけで、旅装マントのフードをしっかり被ると閉じた傘を振りまわし傘無双した。

 諸々が済んだら必ずやそのカラフルに染まった外套を超強力漂白剤で洗濯すると誓おう!


 およそ二十分後、雨天の王都、その新王都側の街路には、ぜえぜえはあはあと息を切らす僕とジャックの姿があった。

 昨日教えてもらったリリー達のホテルはもう目と鼻の先にある。


「こなくそおお~っまた逃げられた! この剣が伸びたらこんな隙間なんて屁でもないのにっ……! そんな変幻自在な剣があれば即買うのになああっ!」


 うおお伸びろーっと心で念じてみても当然伸びるわきゃない。



 ――この時、武器工房ウィリアムズの作業場隅の紙袋が小さく震えたのを僕は知らない。工房主のウィリアムズさんもその場には居なかったらしく、彼も異変には気付いてなかったという。



「次に貴様と会った時が貴様の最期だあっ! 年貢の納め時だあッ! マジで年貢払えええッ!」

「悪役の捨て台詞だろそれじゃ。進みながら手当たり次第倒し続けてたからさすがに疲れたし。とにかく入ろうぜ。休憩も兼ねて」

「そう、だね……。傘差し戦闘は如何にスライム相手といえども、僕もちょっと疲れたよ……」


 ハッキリ言って……無駄の極みだった。

 こんなのホント冗談抜きで原因を突きとめて大元を潰さないと切りがない。

 しかも僕ってば奴らにまんまと側溝とかに逃げられてるしね、へへはっ。屈辱の連続でもあって精神もやさぐれかけていた。

 傘をやや傾け、無力感の滲むアンニュイな瞳で濁った雨雲を見上げる。

 近くで傘も差さずに魔宝石を拾っていた地元住民だろう娘さんがはうっと胸を押さえ頬を染めて、ジャックが「こんな中でも天然魅了チャームスキルは健在か」と何故か見慣れた生温かい目になった。何だろうね、まあいっか。


 それよりも、そうなんだよ、そこの娘さんだけじゃなく現在王都の道端には割と結構な人が出ていて、その人達は皆もれなく魔宝石を拾っていた。


 ここまでの道中、最初に彼らのような人々に気付いたのはジャックだった。


『おいアルおいアル、ちょっとあそことかそっち見ろよ。強えな』

『何が? …………わあー』


 やや引き気味にジャックが示す先、この馬鹿みたいな荒天の下、傘も差さず魔宝石を拾い集めている猛者達がいて、家着だろう軽装だし回収袋以外に荷物もない様子から多分地元住民が換金目的でやってるんだろうって察した。さすがに想像もしてなくてついつい戦闘の手を止めちゃったよ。


『ぼ、僕らと違ってスライム別に平気なんだろうね。たとえ汚れても小金が稼げるならプラマイプラスなんだねきっと』

『だろーな』


 ある種の感心もそこそこに、ふと僕達も拾った方がいいのかもって思った。


『ジャック、僕らも幾らか拾って進んだ方がよくない?』

『いや、ゴミを拾うのと同じだろうから必要ないな』

『どういう意味?』

『こうもあちこちに魔宝石が落ちてて、あそこの人達だけじゃなく色んな人間がそれを拾ってると思って間違いない』

『そうだね。で?』


 いまいち何が言いたいのかまだピンと来ない僕へと、ジャックは人差し指をピンと立てて告げた。


『だから、その価値はおそらく今日明日にもなくなるんじゃないか?』

『あっ、そうか。供給過多!』


 うむ、とジャック教授が頷く。

 丁度傘を差す僕の足元に雨宿りしてきたスライムと目が合ってにたあ~っとされた。ハイさよならねー。ボワン。

 もしも王都全体がこの調子だとすれば、スライム産魔宝石の供給過剰で王都やその近隣での低ランク魔宝石全体の取引価格は急転直下の大暴落するのは目に見えている。

 道端の至る所に転がるスライム共のなれの果て。

 まもなく、ただ同然で手に入れた魔宝石を持ち込む大勢の人達により、低ランク魔宝石はガラス玉かそれ以下の価値になる。

 ジャックが小さく嘆息した。


『魔宝石を拾うなとも言えないし、なるようにしかならないだろうから市場の動向を見守るしかないな。さてと、さくさく行くか』


 僕は頷いてジャックに続いた。そんな感じの僕達だったから、そこの娘さんにもここまでの誰にもクズ石になるので無駄ですよなんて言ってはあげなかった。冷たい奴らって言われても甘んじよう。


 見るからにリゾート地って感じの大きくて立派なホテル建物の回転ドアを通って入ったロビーは、見たところ至って穏やかだった。

 フロントが落ち着いているのがいい証拠だろう。

 ホテル独自に魔物侵入防止の強力魔法結界が張られ、入口付近にも強そうな人員が立ち人の目でも周囲を見張っている。こうも警備システムが充実しているおかげかロビーにも人影は疎らで特に慌てている様子もない。

 さすがにジャックは入る前にずぶ濡れでろでろのローブを脱いでくしゃくしゃに丸めて持参した防水アイテム袋に押し込んでいた。各々の傘は畳んでそのまま手に持った。


「大まかには聞いてたけど、二人は結構いいとこに泊まってるんだね。大きなシャンデリアはあるし、まさかここまで豪勢だとは思わなかった。アンジェラさんの宿は昔ながらの趣重視って感じだけど、こっちは機械的に整然として機能重視って感じだよね」


 どちらも客に快適さを提供するのが目的なのは同じだろう。僕が感心して言えば、ジャックも同意する。


「セレブのためのホテルってやつだな。なあアル、俺金持ちになろうと思う」

「や、何急に? このホテルに感化された?」

「いや、敢えて言うなら愛のためだ。前にお金持ちがいいって言ってたし。……取り戻せないけど陰ながら何かができるならそれでもいいと思ってさ」


 ナルシストが雑誌のインタビューを受けた時みたいにカッコ付けてるのか、どこかシニカルな笑みを浮かべ囁くジャックがちょっと気持ち悪い。言ってる内容もよくわからないし。

 愛のためってのはまあミルカのためなのかなってわかるけど、取り戻せないとか陰ながらとか意味不明だ。それにミルカとだったら逆玉だと思うからそこまでお金の心配要らないんじゃないのかな。

 ミルカもお金に固執するタイプじゃなさそうだしさ。でもお金持ちがいいなんて言ってたんだ、意外だなあ。

 前にリリーなら言ってたけどね。


「ミルカって理想的な女の子だよね。多少独特なとこもあるけど性格も素直だし、可愛いし」


 と、一応フォローを入れておく。


「だからお金云々とかは追々話し合えば理解し――「アルそれは本心かあああッ!?」


 ジャックが豹変した。

 両肩をがしりと掴まれくわわっと見開かれた眼を近づけられる。その腹減り怪魚みたいな半端ない食い付きにたじたじになった。


「え、えと?」

「なあどうなんだアル……!」

「そ、それはまあ。嘘言ってどうするのさ」

「じゃあリリーの事はどう思ってるんだ!?」

「リリーはリリーだけど?」


 一体どうしたのか知らないけど、充血した目が怖い。


「ジャック……? ええと、どうしたの?」


 困惑しきりな僕とマジ顔のジャック。

 しばらくその至近距離で見つめ合ってた僕達だけど、傍からドサリと何か重そうな物を落とした音がして、はたとして揃って顔を向けた。


「ほ、ほ、ほ、本格的幼馴染みラブ……!?」


 そこには辞書みたいな分厚い本を数冊床に落下させたまま呆然と突っ立っているメリールウ先生の姿があった。心なしか頬が紅潮している。

 またピンクい尻尾が今日はタコの足みたいに伸び縮みしてるけど、感情のアンテナなのかもしれない。学校にいた時は気付かなかったというか普通だったのにプライベートだと違うんだ。オンオフが激しいのかも、なんてしみじみと思う。


「あ、おはようございます先生! 良かった何ともなさそうですね。心配で見に来ました。まあこのホテルの厳重な施設管理の中じゃ杞憂だったみたいですけど」


 僕が安堵の笑みを浮かべるとロリ先生はハッとして声も無くコクコク頷いた。落としていた荷物にも気付いて急いで拾い上げる。この分だとリリーも大丈夫そうだ。


「リリーも平気ですよね!?」


 一応は訊こうとした矢先、僕より先にジャックが口早に訊ねた。


「リリーちゃんもびっくりはしてたけど全然平気だよ。むしろあなた達の方を心配してると思うから、顔出して安心させてあげて?」


 と、きゃわゆい声で言われ、僕もジャックも思わず緩んだ頬で了承した。

 そんなわけでリリーに会ったけど、特にこれと言った懸念事項はなさそうで安心した。


「こんな状況になるんだったら私も武器を持ってきとくんだったかな」


 ホテルの綺麗な二人部屋で、備え付けのソファに腰かけたリリーが未だ奴ら降る窓外を眺めながら言った。


「へ? 武器? ……なんて持ってたっけリリーって?」


 少なくとも村では見かけなかった。

 思わず確かめると、彼女は鮮やかな笑みを浮かべた。


「うん、二人が旅立ってから購入したの。もう使い方もすっかり慣れたんだよ」


 とか言って口にした武器の種類に僕とジャックはほんのりと恐怖を味わった。


「私の武器、両手使いのダガーなの」


 しかも細かく訊けば、普通にストレートな刃の短剣タイプじゃなく、ご丁寧に刃がやや湾曲したタイプのやつらしい。アハハ何かを、例えば咽笛とかを掻っ切る時にすこぶる滑りが良さそうだなあ~。

 各自武器を持つのは自由だけど、よりにもよって割かし暗殺者がよく持ってるダガーかあ~。


「ね、ねえジャック、暗殺者アサシン属性なイメージがあるんだけど、ダガーって……」

「俺もだよ……」


 こそりと話しかけると、リリーの元彼の一人はぎこちなく首肯する。

 上機嫌なにこにこから豹変して据わった暗い目でダガーを構えるリリーの姿が容易に想像できる。ああもう似合い過ぎでしょ。据わった目付きでデッド大火球を繰り出すミルカと共通する寒さが背筋を駆け抜けた。


「で、でもどうして武器なんて持とうと?」


 僕が不思議に思って問うと、彼女はふっと薄い笑みを浮かべた。


「ああ……ふふっ、行商人の例の元彼が山賊とか良からぬ輩に襲われかけた話を聞いてね、将来一緒に行商するなら護身のためにも必要かなって思って。……まあ、折角身に付けた技術を使う機会は結局なかったけどね」

「はは……は、そ、そうだったんだ……」


 あんの尻軽元彼えええええッ!

 僕がろくに知らないそいつを心でタコ殴ったのは当然と言えよう。

 リリーをよく知るジャックは緊張にごくりと唾を呑み込んでいた。

 恋は人を強くする。

 強く、する……。

 リリーには要らない方向だよねそれ!


 しばらく、それこそ気を利かせたロリ先生が飲み物を運んで来るまで、ホテルの一室には下手を打てないスリリングな沈黙が漂っていた。

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